11章
「先輩! やっと会えたー!!」
図書館の中、みんなが声を潜めて書物に向かっている中、明るい、悪く言えば喧しい声が響いたとき、誰だよこんなところで……と呆れていて、それがまさか自分に向けられたものだとは思いもしなかった。
抗議の意味も込めてそちらに目を向けると、緩いウェーブのセミロングをおろして、いかにも大学生なりたてで無駄に気合の入った格好をした女子が、キラキラした場違いな顔でこちらを見つめていた。
「え、…………ああ? うん?」
思わず本を取り落としそうになってあわててゆっくり閉じ、机に寝かせる。周りの目線がこちらに集まっているのも、見渡さなくたってわかった。ち、違う。俺は無実だ。俺はこいつと同類じゃない。
「あれっ先輩、わかんないの? あ、そっかー髪色変えたから? あたし、あたし! 筒井凛子!」
「わ、わかったから……静かに……」
慌てて席を立ち、周りのことなんてお構いなしにまくし立てる彼女をなんとか外まで追いやる。
数ヶ月前まで家庭教師として面倒を見ていた少年の双子の姉だ。少し雰囲気は変わっているが、喋りはそのままだ。口を利けばすぐにわかった。
外にでると彼女はくるりと振り返ってにかっと笑った。
「びっくりしたでしょー! どこ受けるか言ってなかったもんねー」
「ああ、うん。そりゃあびっくりしたよ。普通在校生目の前にいたら聞くよね、受験対策とか」
「だって聞いても教えてくんなかったじゃーん」
まあ、お金貰ってないし。邪魔ばっかりしてくるし。
たしかに俺の学校の話に興味を示した様子では会ったし、高校時代見せてもらった(勝手に見せてきた)課題はそれなりにレベルが高かった。それでも塾などに通っている様子はなく、受験生であってもそれなりに遊びに行ったりしているようだったから、まさかうちにくるとは思わなかったな……。そこまで簡単に入れる学校ではないはずなのだが。
「……というか、付属高校だったからそのまま進学するのかと……」
「あーそうそう、そのつもりだったんだけどねー、受験とかだるいし。でもやってみたら受かってラッキー! って感じ! 出願ぎりぎりだったー」
軽い。軽すぎる。そんなノリできていいのか? 結構特殊だぞ、この学校。
……まあ、今更だし、本人や家族が決めたなら俺に文句を言う筋合いなんてないが……。
「……そっか、入学おめでとう。頑張ってね」
「えっ待って待って! 冷たくない? もう教師と生徒の関係じゃないんだよ? 周りの目を気にする必要ないんだよ!」
「か、勘違いされるようなこと言わないでください……!」
これ、男女逆だったら絶対助けが入ってるぞ。ぐいぐいと俺の腕を引っ張って引き留める筒井さんをはねのけることもできず、とりあえずできる限り距離をとっている。
「連絡先! 連絡先交換しよーよ! 先輩後輩が交換するのはなんにもおかしくないでしょ?」
「いや……授業もなにも接点ないのに交換する意味は……」
「いいから! ほら、出す出す!」
なんでこいつはこんなに強気なんだ……!?
どうみたって避けられていることはわかるだろうに……。いや、この強引さは学ぶべきなんだろうか……。でも男がやったら即通報ものだよな。不条理だ。ちょっとかつての小野さんの所業を思い出した。すまん和泉、あのときは笑って。
「あ、ねえ先輩はなんのサークルやってんの? やっぱ落研?」
「どういう偏見!? ……サークルには所属してないよ」
「えええ! どーりで誰に聞いても先輩の情報出てこないと思ったー!」
人に聞いてまで探してたのか……怖い……。
そしていちいち声がでかい。声がでかいやつばかりが周りに集まってくる。大人しいのは河合さんと長門くらいなもんだ。長門は全然俺とは学んでいるジャンルが違うから、最近は顔を合わせる機会もないし……。新年会に行きたくないと泣きついてきて何故か全く知り合いのいない宴会の付き添いに行ったとき以来か。
あとはみんなうるさい。
「なにそれー。頑張ってここ入った意味ないじゃん」
「君は一体何をしに大学来たのかな……」
「えー? 聞きたい? どうしよっかなー。数年後に実は……って教えたかったんだけどなー」
「いや、やっぱりいいや」
ようやくなんとか彼女の腕をふりほどいて図書館に戻ろうとすると、もう追ってくる様子はなかった。あ、まるで化け物みたいな言い方してしまったな。
「せんぱーい、また図書館来てもいいー?」
周りの人が振り返るような明るい声が通る。
なんでいちいち注目を集めるような行動をするんだ……?
「……静かにするならご自由に」
そう言うと筒井さんはまた、にかっと笑った。
女子大生らしい格好には似つかわしくない、子供みたいな無邪気な笑い方だった。わ、わかってんのか……? 話しかけるなって意味だぞ……?
……筒井さんはたしか女子校育ちだったな。ああいう年頃の子が男性教師なんかに恋愛の疑似体験のようなものをするのはよくある話だ。
近頃はネットもあるし、他校との親交も気軽にできるようだから今時は珍しいのかも知れないが、昔ながらの言い方をすると「はしかのようなもの」だ。
たしか昔、新任の男性教師をからかったり片思いしたり付き合ったり、そういったよくあることをバカにしながらも夢見ていたが、実際には女性教師や高齢の男性教師しかおらず、なんのために女子校に入ったんだかわからない、みたいな愚痴を聞き流した覚えがある。そんな環境では俺がうってつけだったわけだ。
……しかし、進路に影響が出たとなると若気の至りでは片づけられないな……。
ううむ。勉強できるようだし、賢い子だと思ったのだが。いくらなんでも浅はかすぎないだろうか。……まあ、将来の夢みたいなことがあったのであれば、さすがにそれを諦めてまで進路を変えたりはしないだろう。そこまで熱烈な思いを向けているようにも見えない。
家庭教師時代もちゃんとあしらってたし、向こうも遊び半分というような調子だった。
……うん。きっと将来の展望が見えないところで、ていのいいきっかけとなったくらいのもんだろう。
大して顔を合わせる機会もないんだ。それに大学生活は魅力も多い。すぐに他に興味は移るだろう。
それにしても……俺、彼女いるって言ったよな……?
……要注意人物として気にしておこう……。
図書館の中、みんなが声を潜めて書物に向かっている中、明るい、悪く言えば喧しい声が響いたとき、誰だよこんなところで……と呆れていて、それがまさか自分に向けられたものだとは思いもしなかった。
抗議の意味も込めてそちらに目を向けると、緩いウェーブのセミロングをおろして、いかにも大学生なりたてで無駄に気合の入った格好をした女子が、キラキラした場違いな顔でこちらを見つめていた。
「え、…………ああ? うん?」
思わず本を取り落としそうになってあわててゆっくり閉じ、机に寝かせる。周りの目線がこちらに集まっているのも、見渡さなくたってわかった。ち、違う。俺は無実だ。俺はこいつと同類じゃない。
「あれっ先輩、わかんないの? あ、そっかー髪色変えたから? あたし、あたし! 筒井凛子!」
「わ、わかったから……静かに……」
慌てて席を立ち、周りのことなんてお構いなしにまくし立てる彼女をなんとか外まで追いやる。
数ヶ月前まで家庭教師として面倒を見ていた少年の双子の姉だ。少し雰囲気は変わっているが、喋りはそのままだ。口を利けばすぐにわかった。
外にでると彼女はくるりと振り返ってにかっと笑った。
「びっくりしたでしょー! どこ受けるか言ってなかったもんねー」
「ああ、うん。そりゃあびっくりしたよ。普通在校生目の前にいたら聞くよね、受験対策とか」
「だって聞いても教えてくんなかったじゃーん」
まあ、お金貰ってないし。邪魔ばっかりしてくるし。
たしかに俺の学校の話に興味を示した様子では会ったし、高校時代見せてもらった(勝手に見せてきた)課題はそれなりにレベルが高かった。それでも塾などに通っている様子はなく、受験生であってもそれなりに遊びに行ったりしているようだったから、まさかうちにくるとは思わなかったな……。そこまで簡単に入れる学校ではないはずなのだが。
「……というか、付属高校だったからそのまま進学するのかと……」
「あーそうそう、そのつもりだったんだけどねー、受験とかだるいし。でもやってみたら受かってラッキー! って感じ! 出願ぎりぎりだったー」
軽い。軽すぎる。そんなノリできていいのか? 結構特殊だぞ、この学校。
……まあ、今更だし、本人や家族が決めたなら俺に文句を言う筋合いなんてないが……。
「……そっか、入学おめでとう。頑張ってね」
「えっ待って待って! 冷たくない? もう教師と生徒の関係じゃないんだよ? 周りの目を気にする必要ないんだよ!」
「か、勘違いされるようなこと言わないでください……!」
これ、男女逆だったら絶対助けが入ってるぞ。ぐいぐいと俺の腕を引っ張って引き留める筒井さんをはねのけることもできず、とりあえずできる限り距離をとっている。
「連絡先! 連絡先交換しよーよ! 先輩後輩が交換するのはなんにもおかしくないでしょ?」
「いや……授業もなにも接点ないのに交換する意味は……」
「いいから! ほら、出す出す!」
なんでこいつはこんなに強気なんだ……!?
どうみたって避けられていることはわかるだろうに……。いや、この強引さは学ぶべきなんだろうか……。でも男がやったら即通報ものだよな。不条理だ。ちょっとかつての小野さんの所業を思い出した。すまん和泉、あのときは笑って。
「あ、ねえ先輩はなんのサークルやってんの? やっぱ落研?」
「どういう偏見!? ……サークルには所属してないよ」
「えええ! どーりで誰に聞いても先輩の情報出てこないと思ったー!」
人に聞いてまで探してたのか……怖い……。
そしていちいち声がでかい。声がでかいやつばかりが周りに集まってくる。大人しいのは河合さんと長門くらいなもんだ。長門は全然俺とは学んでいるジャンルが違うから、最近は顔を合わせる機会もないし……。新年会に行きたくないと泣きついてきて何故か全く知り合いのいない宴会の付き添いに行ったとき以来か。
あとはみんなうるさい。
「なにそれー。頑張ってここ入った意味ないじゃん」
「君は一体何をしに大学来たのかな……」
「えー? 聞きたい? どうしよっかなー。数年後に実は……って教えたかったんだけどなー」
「いや、やっぱりいいや」
ようやくなんとか彼女の腕をふりほどいて図書館に戻ろうとすると、もう追ってくる様子はなかった。あ、まるで化け物みたいな言い方してしまったな。
「せんぱーい、また図書館来てもいいー?」
周りの人が振り返るような明るい声が通る。
なんでいちいち注目を集めるような行動をするんだ……?
「……静かにするならご自由に」
そう言うと筒井さんはまた、にかっと笑った。
女子大生らしい格好には似つかわしくない、子供みたいな無邪気な笑い方だった。わ、わかってんのか……? 話しかけるなって意味だぞ……?
……筒井さんはたしか女子校育ちだったな。ああいう年頃の子が男性教師なんかに恋愛の疑似体験のようなものをするのはよくある話だ。
近頃はネットもあるし、他校との親交も気軽にできるようだから今時は珍しいのかも知れないが、昔ながらの言い方をすると「はしかのようなもの」だ。
たしか昔、新任の男性教師をからかったり片思いしたり付き合ったり、そういったよくあることをバカにしながらも夢見ていたが、実際には女性教師や高齢の男性教師しかおらず、なんのために女子校に入ったんだかわからない、みたいな愚痴を聞き流した覚えがある。そんな環境では俺がうってつけだったわけだ。
……しかし、進路に影響が出たとなると若気の至りでは片づけられないな……。
ううむ。勉強できるようだし、賢い子だと思ったのだが。いくらなんでも浅はかすぎないだろうか。……まあ、将来の夢みたいなことがあったのであれば、さすがにそれを諦めてまで進路を変えたりはしないだろう。そこまで熱烈な思いを向けているようにも見えない。
家庭教師時代もちゃんとあしらってたし、向こうも遊び半分というような調子だった。
……うん。きっと将来の展望が見えないところで、ていのいいきっかけとなったくらいのもんだろう。
大して顔を合わせる機会もないんだ。それに大学生活は魅力も多い。すぐに他に興味は移るだろう。
それにしても……俺、彼女いるって言ったよな……?
……要注意人物として気にしておこう……。