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11章

「そういえば、相変わらず和泉と毎日連絡とってるの?」

 俺がそう訊ねると河合さんは少し苦い顔をしながらコーラを煽った。

「毎日というのは今は昔の話だわ。過去の栄光よ」
「え。あ。そうなんだ」

 俺は気まずくなってチューハイに口を付ける。
 今日は俺が酒を飲めるようになったというのもあって二人で飲みに出たのである。俺の誕生祝いと称して。
 誕生日はもう一月近く前の話なのだが、河合さんは年度末、年度始めなんかが忙しさのピークなんだそうだ。俺も春休みで暇だったので少し手伝った。大量の教科書だの参考書だのを積んだり降ろしたりしていたのは覚えている。なんせ河合さんは体も小さいし腕も細い。おめでとうと言われたものの、その間はとても飲みにいける余裕がなかった。河合さんにとって外食はとても精神力が必要なことなのだ。俺も俺で新学期の慌ただしさもあり、なんだかんだ一ヶ月ずれ込んでしまったというわけだ。
 飲みに出た、といっても河合さんはまだ未成年だし、結局よく行くファミレスなのだが。居酒屋は河合さんは落ち着かないので嫌だというし。俺も河合さんはあまり向いていないと思うし。

 俺はどうやら酒に強いらしい。まだ父と一緒に晩酌してみた程度しか嗜んでいないが、今のところはいくら飲んでも酔っぱらうという感覚はなかった。普通に飲めるものが増えてラッキーという程度だ。カクテルを色々試してみたい所存ではあるのだが、ファミレスにそういうものはなかった。
 いやいや、そんなことより河合さん、和泉と連絡とってないのか……。あの野郎、最初だけか。河合さんはきっと和泉からの電話を毎日心待ちにしていただろうに、段々と頻度が減り、悪いことを考え、そしてやがて期待をしなくなった河合さんの気持ちを考えると胸が痛い。そして怒りが沸いてくる。

「学校がはじまってからはやっぱり忙しいみたいで。ほら、言語が違うからちょっとしたコミュニケーションも気疲れするでしょ。帰ったらくたくたみたい」

 必死にフォローする河合さんが痛ましい!

「だから今は週一でしか電話してないわ。一時間くらいに増えたけど」
「連絡してんのかい!」
「わ、びっくりした。酔ってるの?」

 思わず突っ込んでしまった。
 ああそう。なんだ。しかも一時間って。元が一日に一回5分程度だったのだから、一週間の総会話時間は倍になってるじゃないか。

「悲壮感たっぷりに言うから、心配しちゃったじゃないか。あいつ、元気してる?」
「あら。桐谷は連絡とってないの?」
「とらないよ、わざわざ。話すことないし」

 俺もだし、和泉も河合さん以外には連絡無精なのだ。裕子さんも前佐伯探しに行ったとき全然連絡してないと言っていたし。
 気にならないわけではないが、わざわざお互い時間を作って聞くほどではない。時差とか考えるのめんどくさいし。

「まあ、元気にしてるわよ。年越しのパーティーはもうこっちじゃ考えられないくらい派手でイケイケ集団の仲間入りしたって調子に乗っていたわ。まあ、無理してたみたいで熱出してたけど」
「イ、イケイケ集団ねえ……」

 そんな言葉が出てくる時点でイケてはなさそうなのだが。
 あいつ見た目は派手だから馴染んだだろうな。見た目だけは。

「帰省とかする予定ないのかな。帰るとしたら夏休みでしょ? 飛行機とるならもうそろそろ予定決まるんじゃないの?」
「ああ、今年は帰れないと思うって言ってたわよ。冬休みもそうだったし。なかなか貧乏学生やってるみたいだから」

 冬はさすがに帰ってくるには早すぎるのではないかと思ったのだが、そうか。海外だと経済的にも気軽にってわけには行かないよな。金銭面がクリアできても空港とか面倒くさいし。

「そうなんだ……河合さん寂しいね」
「ネットでテレビ電話だってできるし、大したことないわよ。和泉もむこうで彼女できたみたいだし……」
「はあっ!?」

 思わず大きな音を立ててコップを机に下ろしていた。河合さんがあわてた様子で「ちょっと!」と窘める。
 か、かか彼女!? 河合さんがいるっていうのに!? しかもその河合さんと定期的に連絡をとりつつ!?

「和泉は否定しているのよ。ただの友達って言ってる。でもそれを言ったらわたしだってただの友達じゃない?」
「そうだね。浮気だね」

 許せん。あいつ。俺はただでさえ河合さんを1人残して楽しんでいるのがちょっとイラッときているのだ。
 自分は浮気するなと言っておいて……。
 もちろん友人関係まで口を出すもんじゃないと良識ではわかっているのだが、あいつの女友達というのは普通の人でいう恋人レベルの親密度だ。だって、もし河合さんが和泉のような距離感で他の男と仲良くなったらやっぱり浮気だと思う。そういう扱いを本人たちが友達という河合さんにしているのだ。そして河合さん以外の女友達は高校時代ついぞ作らなかった。小野さんとは最終的に良好な関係にはなっていたし、他の女子ともだいぶ話せるようにはなっていた。でも河合さんが彼女と認定するということは、ちょっと話しができる女子程度の距離感ではないはずだ……。

「和泉は否定するんだけどね、何度かテレビ電話したとき、和泉の部屋なのにその人がいたのよね。結構気軽に入ってきてるみたいな口振りで」
「う、うわあ……。そのー部屋は親戚かだれかに借りてるんだよね? そこの人ってわけじゃなくて?」
「うーん、でも一応一人暮らしって感じで家事とかも全部自分でやっててプライバシーあるから快適って言ってたわよ」
「じゃあ……彼女じゃん!」
「そうよ」

 和泉本人の居ない場所で勝手に色々断定されていっている。
 しかしこれは河合さんがどう解釈したかが重要な会議なのだ。事実確認はまたあとだ。

「英語だからわからないんだけど、相手の女の人、わざとこっちに聞こえるような大きさで喋ってるみたいなのよね。和泉はあしらってたけど、なんて言ってたのか教えてくれないし……」
「う、うわあ……やな感じだね……」
「まあ、いい気はしないわよね。だからちょっとね、難しい感じ」

 河合さんは肩を竦めてから、おかわりしてくる、とドリンクバーの方へ向かった。
 ううーん。これだけ聞くと和泉を殴りたくなってくるな。俺の手が折れるだろうけど。
 でも電話口だし、相手の女は英語を喋っているわけだし、誤解である可能性も十分ある。和泉は変なところで説明が足りないしな。河合さんだって深く追及する人じゃないから、和泉が河合さんに誤解を与えていることに気付いてすらいなくたっておかしくない。
 それにやっぱり俺も和泉のことは信じたい。河合さんをキープしておきながら他の女にうつつを抜かすやつじゃない……はずだ。
 やれやれ……これは、俺が人肌脱ぐべきかもしれないな……。

---

 俺は河合さんと別れ、家に帰るとパソコンを立ち上げた。
 普段学校で使うのは大学に入ってから購入したノートパソコンだから、古いデスクトップパソコンは長いこと電源をつけていなかった。たしかこっちには通話するソフトが入っていて、和泉のアカウントも登録されているはずだ。佐伯が設定してくれたんだよなあ……と懐かしい気持ちになる。
 お、よしよし。和泉は数時間前にログインした形跡がある。メールでもいいのだが、媒体を変えるのも面倒だし、こっちのアカウントの生存報告も兼ねてチャットを送っておいた。近況報告したいから連絡をよこせという内容だ。
 時差を考えると……今向こうは明け方くらいか。まあ急ぎでもないし気長に待つか。

 翌日、朝食を食べたあとパソコンを立ち上げてみる。
 返事が来ていた。

『いつ?』

 ……あいつ、日本語忘れてはいないだろうな。不安になってきた。数ヶ月ぶりの会話がこれか?
 俺が細かい時差と自分のスケジュールを照らし合わせて文面を考えていると、ぴこっと音がなって和泉のアイコンが明るくなった。ログインしたようだ。
 そしてすぐにビデオ通話の呼び出し画面に切り替わる。え、顔映るのか。そんな。心の準備が、と髪を撫でつけながら通話開始ボタンをクリックした。

『おーっすお疲れー』
「え、あ。お、おはよう」
『あ、そっかそっち朝? いいなー』

 何がいいなだ。まるで昨日も会ったみたいに話しやがって。
 和泉は電気のついた部屋にいるようだ。後ろはカーテンで、あまり生活感が見えるものはカメラに入っていない。和泉は少し髪型が変わってはいるが、まあおおむね元と代わりはない。あいつ、三年の時にはすでに身長ほぼ止まったとかぼやいてたしな。
 服は黒地にハイビスカス柄のシャツ、めちゃくちゃ派手だし柄が悪そうだ。相変わらずで安心した。

「え、えーっと、今どんな感じ? 忙しい時期かな」
『そうでもねえよ、もうちょいで一年が終わるって感じ。6月から夏休み! イエーイ!』

 ああ、なるほど。調子乗ってるな、これは。目を覚ませ和泉。お前はイエーイなんて言う男じゃなかった。

『そっちはどうよ? 新学期始まった頃だろ。ついていけてっか?』
「ご心配なく。……っていうかお前の方こそ勉強ちゃんとできてる? 会話できてる?」
『それがさあ~おれって天才なんだよ。最初のうちは死ぬかと思ったけどよお~もう余裕っすよ!』
「へえ……やるじゃん」
『だろ~。やっぱ誰も日本語わかんねえからうまくなるしかねえよな。日本からきたやつらも日本人で固まっててさ、何故かおれは外国人扱いでハブられたから英語喋るしかねえの』
「ハブられたんだ……」

 可哀想。まあ、こいつ興味ない相手には自分から近寄らないし、結構淡泊なところあるしな……。態度悪かったんだろうな……。

『つーか1人も知り合いいない環境っつーのが初めてでさあ、中高のときだってクラス違うけど友也いたし……』

 そこで言葉が一度途切れる。

『あー……、そっちはどうよ?』
「別に普通だよ。今年から一気に専門的な内容になるし、とりたい資格もいくつかあるから遊ぶ暇はなくなりそうかな」
『はへーっ理系は忙しいってマジなんだな』
「それはどうだろう。長門とかはがっつり理系だから大変そうだよ。俺はむしろ卒論とかないし、課題に追われるってわけでもないから楽だと思うよ。試験は多いけど」
『へえ~。学校にも色々あんのな』

 まあ、バイトに明け暮れたり合コンだなんだする余裕がないことは確かだ。自主的な勉強する時間を減らす気はないのも大きいが。

『つーか急に連絡寄越すなんてどうしたんだよ。おれが恋しくなったか?』
「まさか。この前河合さんと飲みに行ったんだよ」
『おっなんだ~? 浮気か~?』
「付き合ってないだろお前ら」

 画面の向こうの和泉は露骨に痛いところを突かれたような顔をする。

「……いや、真に受けないでよ。今更そういうのないから」

 さすがにこの距離感で冗談から変な勘違いされたらこじれそうなのできちんと訂正しておく。
 それにしても、やっぱり和泉は前と変わっていないように思えて安心した。しかし和泉の方は納得していないようだった。少し気まずそうに視線をずらしながら口を開いた。

『でもお前ら……二人で旅行行ったんだろ?』
「二人!? いやいや。裕子さんと三人だよ。やめろよ。いくらなんでもそんな無神経じゃないって」
『ええ? でも河合が……』
「河合さんが言ったの? 俺と二人で旅行に行ったって?」

 コクコクと和泉は頷く。
 なんだそれ、まったくの誤情報じゃないか。
 旅行に行った、と話すとしたらどこに行ってどんなことをしたって話しも当然出てくるはずだ。それに三人で写真だって撮った。意図的に裕子さんの存在を伏せなければそんな勘違いそう起こらないだろう。
 じゃあなんで河合さんはそんな誤解させることを言ったのか。
 河合さんだって、色んな人の気持ちを考えられる人だ。いくら俺たちの間に何もないったって、それを実際に確かめることができない和泉に、わざわざ勘違いさせるようなことを言ったら、和泉がどんな気持ちになるかくらいわかるはずだ。

「……もしかして、それって……」
『あ? なんだよ』

 いや、勝手に河合さんの気持ちを推し量って言うものではない。
 でもなあ……河合さん、自分から誤解を招くようなことを言い出しておいて、今更訂正できなくなったんだろうか。変なところで意地っ張りなところあるからな。旅行に行ったのは去年の夏の終わりだ。もう半年以上前になる。完全にネタバラシするタイミングを逃したんだろうな……。

『おい、なんか思い当たるんなら教えろよ~』
「はあ……。うーん……俺の勝手な推測だけど、河合さん、和泉に焼き餅焼かせたかったんじゃない」
『え?』
「お前がそっちでエンジョイしてるから、ちょっとは恋しがって貰いたくてわざと嫉妬させるようなこと言ったんじゃないかな……」
『なんだそれ!』

 河合さんに限ってそんな遠回しなことするとは思えないし、正直和泉に嫉妬させようという考え自体なさそうだけど、でもそう考えるとしっくりくる気もする。和泉もまさかと笑い飛ばすかと思ったが、すぐに神妙な顔になった。

『めちゃくちゃ可愛いじゃねえか……』

 コントのようにずっこけそうになった。

「……完全に俺の勝手な想像だから、わからないよ?」
『いや、そう考えるとたしかにつじつまはあうぜ……! たしかにこっちの友達の話とかするとつまんなそうなんだよな』

 するなよ……わざわざそんな話……。いや、深い意味はないんだろうけどさ……。

「河合さんは学校にもいかず、新しい友人を作るでもなく慎ましやかに仕事してるんだよ? いくら本人が望んでやってることとはいえ、数少ない友達の和泉が遠い土地で楽しんでる話聞かされたら寂しくなるのはわかるだろ」
『あー……言われてみれば……?』

 1人でだって平気な河合さんだけど、俺たちの結束を大事にしているのも河合さんだ。そして河合さんをそうしたのは和泉なのだ。ちゃんとそこのところ責任を感じて欲しい。

「で、和泉は彼女できたって聞いたけど?」

 ぶぼっと和泉は何か飲み物をふき、レンズにかかったのか水滴で向こうの様子があまり見えなくなってしまった……。

『どこ情報だよそれ……できてねえよ、こっちの女子、一見大人しい子も結構仲良くなったらぐいぐいくるし、好みじゃねえもん……』

 どういう理由だよ。ぐいぐい来ない好みの子だったら彼女にしてたのか? っていうかぐいぐい来られたのか? 許せないな。
 しかしこれで河合さんの勘違いだということはわかった。よかった。

「河合さんが言ってたんだけど、電話の向こうで、何言ってるかはわかんないけどこっちに聞こえよがしに喋ってる女の人がいる、みたいなこと」
『……うーん? ああー……オリビアか?』
「しらんわ」
『あんなんからかってるだけだよ。おれが日本にいる彼女といつも電話してるって聞いて、ちょっかいかけてたんだわ』
「狙われてんじゃん」
『いや。ありゃねえ。まじでねえ。日本で言うと怖いタイプのギャル』
「そうか。それはないね」

 正直和泉は見た目が派手なだけでノリの良いタイプではない。インドアだし、みんなで騒ぐのもそんなに得意ではないから、ギャル系の子とはそれほどソリが合わないだろうというのはわかる。本当にただからかわれているだけの可能性が高い気がしてきた。

「じゃあお前も浮気みたいなことはしてないんだね。よかった。そっちの空気に当てられて遊びたい放題してるんじゃないかと思ったよ」
『おれそんな信用ないかよー』
「まあ、時間が経つと人は変わるもんだしね。昔言ったことは絶対じゃないんだから、定期的に情報更新していかないと信頼性はなくなるよ」

 恨めしそうな顔で和泉は肘をついた。
 仕方がない。確かめられない場所にいるというのはそういうことだ。

「……じゃあ、まあ、きちんと誤解を解いておきなよね」
『おー。サンキュな。河合おれには全然態度変わんねえから気付かなかった。助かったわ』
「……別にいいよ。じゃあね」

 そうして久しぶりの和泉との会話は終了した。
 あっけないものだ。さすがにこの程度のブランクは大した空白ではなかった。見違えるほど変わったというわけではない。俺は身長が伸びたが、パソコン越しじゃわからないだろう。
 和泉は結局佐伯のことは聞いてこなかった。
 聞かれても、答えられるようなことはないのだが。それを察したんだろうか。何かあればこっちから言うもんな。
 それでも相変わらずで安心した。まったく違う環境へいって、がらっと違う人間になっていたらと少し不安だった。少しテンションは高かったけど。
 大学にいったら、別に海外でなくたって色んな影響を受けて、高校時代とは変わっててもおかしくないということはわかっているのに。変わらないでいてくれてよかった。
 佐伯は俺が変わってたらやっぱり寂しがるかな。変わってるつもりはないけど、成長するつもりはある。
 ……なんて、久しぶりに佐伯と再会できたら……なんてことを妄想して、やっぱりすこし虚しくなった。
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