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11章

 二年になった。二年からは勉強の範囲も変わり、より専門的になる。
 実際にセンターに見学にいくこともあるそうだ。まあいわゆる裏方で、実際にセンターに通っている人と接触することはないのだが。
 一年の間の勉強はほぼ普通の人体の仕組みとかの基礎医学的な部分がメインとなっていた。実際に医者になる人と比べれば端折られているのかもしれないけど。特殊能力に関する授業ももちろんあったが、やはりこちらも基礎的なところばかりだ。おかげでかなり図書館で予習が進んでしまったぞ。
 二年では引き続き基礎の勉強と、どういった分野に進むのか方向性を定める。学校や幼稚園保育園などで特殊能力に関する教育やトラブルに対処するための指導員などを目指す場合とそれ以外で別れるのだ。三年に上がる時にさらに細かく、検査技師だとかカウンセラーだとか、まあなんやかんやの希望の職種を定めて資格取得の勉強に励むんだそう。
 そして四年にあがると外部の一般の病院や学校で働くのか、センターで働くのか決めて対応した研修を終えて卒業、という段取りらしい。ストレートで進んでけば。
 結構留年とかは多いようである。卒論なんかはない代わりに、試験の頻度も取得しなければいけない資格もどんどん増えるので家庭教師のバイトはやめた。大学で紹介されるセンター関連のバイトがあるそうなので、暇ができればそっちで稼いだ方が効率がいいだろう。専門的な内容だから時給も高いみたいだし。
 まあ、ここからが本番と思って良いだろう。俺は必修以外にも色々気になる科目があるので忙しくなりそうだ。

 センターは大学病院みたいなものだ。とにかく大きいし、保護者が必要かつ遺伝の関係上父親の協力も必要な場合が多いため大勢の人が出入りしている。でもその多くがただ検査や相談のためだけで、実際に治療のために訪れる人は少ない。全国から集まるといっても実際に治療しなくてはならないほどの症状を抱える子供はそもそもの数が少ないのだ。
 しかしもうじき、俺が働いている頃には体制が代わり、もっと忙しくなるだろうと言われている。これは二年の初めの授業で知ったのだが、数年後に新生児の能力検査の義務化されることがほぼ決定したそうなのだ。その際現在の体制の弊害についても説明を受けた。

 今までは技術的な問題で、検査に必要な血液量が多かったため、積極的な新生児の検査は行われていなかったのである。
 そのため能力が現れる前に検査するというのは、父親に重篤な症状があった場合のみだった。大体物心がつく頃には検診だったり親だったり周りの大人が子供の能力の性質に気付くので、そこから検査が始まるわけだが、まあ大抵の場合はそれでも問題はない。どちらにせよある程度体が育っていないと治療はできないからだ。
 しかし父親が自分の体質について知らなかった場合、他の病気と勘違いして発見が遅れるということはある。もしくは父親がいない、わからないという場合、そんな状態で、もし俺のような体質の子供であった場合は検査もせず気づかないままではどんどん対処が遅れてしまうのだ。
 しかもまだほんの幼い赤ん坊のうちに、なんの対策もなく豪雨や台風などの災害に見舞われ、それがその能力の性質に強く影響した場合、ショックで命を落としてしまうという事例がいくつもあったのだそうだ。幼い子の突然死というのは特殊能力関係なくあり得ないことではないし、他の病気と比べると頻度だって低いから関連性がなかなか気付かれなかったのだが、最近ようやく認められるようになったことらしい。
 それがなくとも対策は早いに越したことはないのだ。いくら色んな支援や謝礼金などがあるとはいえ、センターのそばに引っ越して入院しての治療となるとお金がかかることだし、できるだけ早く知りたい情報だろう。
 ずっと検査の義務化は求められてきた。それがようやく施行されることとなったわけだ。安心するが、そうなると仕事は当然とてつもなく増える。
 ちなみに検査方法だが、なんてことない血液検査だ。ある値が一定以上になると自然型か認知不能の特殊型の能力となる。他の細胞型、神経型の能力はまだ判別が難しいようだが、まあこのふたつは問題があっても対症療法的なことしかできないので、成長して健康的な不具合が起きたら対応するので問題ない。追加検査で自然型か特殊型かもわかる。
 そしてその検査では能力の大まかな種別がわかるだけで、細かい特徴は測定できない。例えば、湿度の影響を受ける、とか、気温が一定以上、もしくは以下になるといけない、とか。そういうことはひとつずつ試すしかない。アレルギー検査みたいなものだ。
 赤ん坊のうちは負担が大きすぎるし、成長するとなんとなく傾向はわかってくるものなので個別の対策はもう少し大きくなってから行われる。

 能力の性質が自然型だとわかっている乳児たちは、大きな天候の変化が予測されたときだけ各地に立てられたシェルターで保護されるのだ。人工的に一定の環境を保たれた場所らしい。そうして体がまだ未熟な時期をやり過ごす、ということだ。一歳くらいになれば、むしろ特殊能力が発達しきっている大人よりも天候の影響は受けないはずだ。まあ、なんの影響もないかというとそういうわけでもないけど……少なくとも他に内臓などに疾患があったりしなければ突然死みたいな極端なことにはまずならない。
 ちなみに、シェルターの内部は写真だけ見たことがあるが、正直子供を入れたいとはとても思えない、物々しい空間だった。金属質な巨大なでこぼこの壁に覆われていて、病院でみる赤ちゃんを入れる透明の囲いがされたベッド、あれがずらっと並べられているのだ。遠目から見ると虫の卵みたいでゾッとした。
 そこにいる間、赤ん坊たちは俺たちならではの睡眠、仮死状態になって災害が過ぎ去るのを待つわけだ。仕方ないとはいえ、そんなところに我が子を預けたい人はいないだろうなあとぼんやり思った。
 しかし、そもそもそシェルターの必要性に気付かなければ意味がない。
 シェルター自体、まだ数は少ないし、必要な子供だって少ないから知名度も低いし。俺ら世代は全くそんなものの存在知らなかったし。
 ……俺の子供は、大丈夫なのだろうか。乳児の死亡事故なんてここで聞くまで知らなかった。自分も父親もある程度までは育ってきたのだから、当然その子供もきっと大丈夫だと思い込んでいた。
 いや、大丈夫だと思うしかできない。少なくとも、子供が一歳までの間災害というほどの異常気象は日本ではなかったはずだし……。そう思い込むしかできない。


 とにかくだ。特殊能力者も増えていっている。自然型も今の所数を増やしているそうだし、子供とセンターとの距離はもっと近くなっていくはずなのだ。
 能力を持った子供を預ける託児所だって、今はキッズコーナーくらいのサイズだが、きちんとした特殊能力者限定の保育園のような施設も建設されるらしいし。最近はちゃんと子供の性質を示す証明書がないと預かってくれないところも多いらしいから、能力持ち限定といったって相当賑わうことだろう。
 俺が子供の頃は、能力を開花させている子は5人に1人くらいで、その能力の強さも可愛いもんだった。ちょっとした神童扱いされる程度に収まっていたので、危険視する人はいなかったのだ。
 それが数年前、子供を預かっていた保育士が子供の能力が原因で死亡したという事故があり、一気に子供と接する危険性というのが問題視されるようになってきたわけだ。

 年々、能力者への理解が進んでいく度に仕事が増えていっている。
 というわけで、一口にセンターで働く、といってもどこでどのように働くかというと様々なのだ。今の所俺が目指すのは子供と実際に接して診察したり、検査結果と意見をまとめて治療方針を決めて保護者などに説明するという役割の特殊診療員だ。医者ではないので「特殊」がつくのである。員っていうのも、あんまり格好良くないしな。まあ色々と括りがあるのだ。面倒くさい。国家資格が必要なんだし、なんとか師、みたいなかっちりした名前にしてくれてもいいのに。
 まあ、結構競争率高いし、最悪センターで働ければいいのでひとつの部署に拘らずいくつか汎用性の高そうな資格も狙っていくつもりだ。別にきちんと授業を受けさえすれば制限はないしな。
 努力の方針が定まっていくので、少しモチベーションが上がった気がする。
 そんな調子で二年目の大学生活がはじまった。
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