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10章

 父はベッドで横になっているようだった。リクライニングで上体は起こしているが、自力で起きていられるほどの元気はないようだ。十歳の頃のビデオでは、ちゃんと自分で立ったり、座っていた。その頃よりも時間が経っているのだろうか。
 しかし、ビデオカメラはどこかに固定されているようだ。母の気配はない。まあ、よく知らないが、ビデオメッセージなんて改まったことは人前ではできないタイプなんだろう。その気持ちはよくわかる。

「やあ……誕生日、おめでとう」

 静かな声だった。小さな声でもあった。それでも、他に大した音が入らないので鮮明に聞こえる。

「なんだ君、二十歳まで生きたのか。やるじゃないか……」

 あんまり、親らしい発言とは言えないな。
 やはり眠たそうだ。話の途中であくびをした。
 よく周りの様子をみると、ベッドの横にスノードームと写真立てが置かれていたり、ぐじゃぐじゃしたものが描かれた紙を壁に飾っている。……まさか俺が描いた絵なのか? クレヨンを四方八方に引いただけで、絵ですらないが。
 布団や服の様子からなんとなく季節は冬のようなのがわかる。まあ、わかったところでどうすることでもないが。

「二十歳、二十歳ね……大学に進んだのかな……。それとも違う道かな。まあ、どっちでもいいさ。やりたいことができていたら、いいとは思うけどね」

 とりとめのない話が続く。まだろくに喋れているのかもわからない俺の姿しかしらないのだ。二十歳の頃どうしているかなんて想像もつかないのだろう。父がもう少し年をとっていたらそれっぽいことを話せたのだろうが、今の俺とほぼ同世代、人生経験はもっと少ないだろう。そんな相手に親らしく振る舞えなんてとても言えない。
 俺だって未来の子供への言葉を求められても困るし。
 それでも何か遺したかったのだという気持ちはわかった。

「あー……うーん……、そうだなあ……君は、もう自分で色々と考えられる年のようだから、僕のこととか、莉奈子のこととか、何か思うことがあるんじゃないかと、僕は思っているよ。そこのところどうなんだろうね……」

 思うことがある……というほどのことはないが。たしかに、今、自分の状況と照らし合わせて父の心境を聞いてみたい気持ちではある。といっても共通点は若くして父親になった、という点のみで、事情も状況は全く違うのだが。
 寿命僅かな愛する人との子供が欲しいと思うのは当然だろうし、ちゃんと結婚もしているわけで、将来への不安はあるだろうが間違ったこともしていない。まあ、駆け落ち同然だったらしいから、そういう面では苦難もあったろうけど。俺よりずっとしっかりしている。

「ずっとね、僕は大人になるまで面倒見ることもできないとわかっているのに、子供を作るというのには反対だったんだよ。いくら経済的な保証されていたって、それだけで子供が育つ訳じゃないしね……。もし莉奈子になにかあれば、君は天涯孤独になるわけだろ? ……まあ、こんなことを言ってはきりがないけどさ……」

 うちの母に任せたら僕の二の舞になってしまうだろうしね、と父は補足する。
 父の気持ちは想像がつかなかった。自分の余命が僅かだという状況自体考えられない。もし今、突然余命宣告されたら、どうなるだろう。大学なんか行ってられない、家族と過ごす……のかな。佐伯にも会えず、子供にも会えず。もし万が一再会できても、子供の成長を見守ることも、困った時に支えることもできない。もし家族が危機に陥っていて、助けてと言っていても何もできない。
 ……ああ、嫌だな。とても楽観的に片付けられるようなことではなかった。俺の意思がこの世に存在しなくなるのって、怖いことだと思った。でも事実から逃げることはできない。一体どうしたら、そんな現実を受け入れられるのだろうか。
 父はごしごしと目を擦って眠気を誤魔化しながら続ける。

「……子供ができたら、莉奈子も次の人を見つけるのが難しくなるだろ? やっぱり、邪魔はしたくないじゃないか。もしチャンスを奪ってしまうとしたら…………あー……、ごめん。今のは失言だったかもしれない。君が邪魔になるって話をしたいんじゃないんだ」

 おい。だいぶ息子本人に対してあけすけないな。たしかにそれも事実だし、母も無事再婚しているからいいんだが、状況によってはかなり傷ついていたぞ……。
 もうちょっと俺の立場を気遣って貰いたいものだ。

「まあ、ね……、そもそも僕が健康に生きられたらよかった話なのさ。この血のせいで、君にも大変な思いをさせてしまうわけだし。気がかりを残して死にたくはないし……。でもさあ、好きな子が僕との子供が欲しいっていうんだよ、何度も何年もね。根負けするよね、そりゃあさ……」

 父は苦笑するが、嬉しそうに見えた。
 母から父の話はよく聞いたが、当然ながら逆はない。残ったビデオだって俺が中心で、両親のやりとりというのは軽いものばかりだ。
 とても珍しい、父から母への愛情を感じる顔だった。不思議な感覚がした。息子として親の惚気を聞かされるのが照れ臭いのかもしれない。

「でも結局、僕と莉奈子の我が儘に君を巻き込んでしまうことに違いないだろ。何度も自分を説得しようと思ったんだ。莉奈子と、苦労をかける子供のことを考えろって。うん、まあ、全部無駄だったよ。だって、ね、僕も……欲しかったから。子供」

 ちらりと、ベッドの横の写真立てに目を向ける。光の反射でよく見えないが、俺の写真だと思うのは思い上がりではないだろう。
 ふん、と鼻で笑うように父は笑った。他人がみたら相当嫌味な笑い方だろうけど、俺にはそれが父の笑い方なのだとわかった。

「もし、いろんな悩みや不安を忘れて好きに生きていいんだとしたら、なんでもしていいんだとしたら、一番は莉奈子との子供が欲しい。そう思ったよ。……君が今何か少しでも楽しいことがあるとしたら、それが僕は嬉しい。ろくに責任もとらず、先に死んでおきながら勝手なことを言って悪いけど、君が僕と莉奈子の元に生まれてきてくれてよかった。……ありがとう」

 父は一瞬眩しそうな顔をした。俺も同じ瞬間にそんな顔をしていたと思うから、こっそりと恥ずかしくなる。

「ああ、これ、本当に見られてるのかな。恥ずかしいな。……まあ、臭いことを言っていると笑えばいいさ。うまい言葉を知らないんだよ。……もういいか、十分だ。切るね。改めて誕生日、おめでとう。いい人生を」

 照れを隠すようにまくし立て、誤魔化すように手を振って、少し時間をかけて起き上がりカメラに近づいて、そして動画は終わった。
 俺は本当に笑っていた。人となりを対して知らないのに、父らしいと思ったからだ。
 父はずっと言い訳のようなことを言っていた。でも、その端々から俺や母のことばかり考えているのが伝わってくる。おかしかった。
 きっと、俺の愚かな行動を見ていたら、父は呆れていると思う。考えなしで、迷惑ばかりかけて、迷いっぱなしで頼りない。きっと出来のいい息子ではない。
 でも、どれだけ俺が間違えても、きっと見放しはしないだろう。母のように。それだけは言葉にされずとも信じられた。
 俺も子供に、そんなことを伝えられたらいいんだけどな……。もし幽霊にでもなって俺のことを見ていたら、どうにか引き合わせてはくれないだろうか。息子からの最初で最後の我が儘だと思って。
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