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10章

 そうして冬が終わって、春になろうとしている。
 受験シーズンが終わり、面倒見ていた生徒も無事合格できたようだ。安心した。
 俺の方は相変わらず。運転免許も、教官と殴り合い寸前まで口喧嘩してしまったけど最終的には何故か合格できた。河合さんも何度か登校拒否しかけていたが、頑張って説得して最後まで一緒に通うことができたし。

 俺はようやく二十歳になった。
 二十歳の誕生日は実の父親からのビデオレターが贈られる年だった。これを高校時代なんかはそれなりに心待ちにしていたのだが、今となっては見たいような、見たくないような、複雑な気持ちだ。
 もちろん気にはなる。でもこれで父からのビデオは終わると思うと、気が引けてしまう。そして父に安心してもらえるような大人になれたとはとても思えない。
 母にケーキとプレゼントと共に渡されたDVDは、机の上に置いたままだ。ビデオデッキは数年前に廃棄してしまったから、母がビデオからDVDにダビングしてくれていたようだ。もちろん今までの分も一緒に。
 誕生日の贈り物以外にも父の様子を納めた映像はいくつかあった。やはり、余命が長くないと言うことがわかっていたし、子供を遺すとなると何か記録に残しておきたいと思うのは当然のことだろう。だから人よりもその数は多いはずだ。
 二十歳の誕生日、とかかれたものは横に置いて、適当に今まで何度か見たホームビデオを再生する。
 昔の映像はやはり古くさい。父はやっぱり若い……というか今となっては幼く見える。今の俺とそう年は変わらない。子供のうちはちゃんと大人のように見えていたのに。病気で疲れている様子で表情自体はだいぶ大人びているように見えるのだが、なんというのか、骨格というか、肌や肉のつきかたというか……そういう部分がまだだいぶ若いと感じる。頼りないというのかもしれない。まあ、頼もしさなんてあるわけがないが。

 俺や父のような体質の人間は、自然の力を操って体の一部を動かしている。呼吸器とか心臓とか、腕や足の人もいる。それはそれぞれだ。他の人よりも能力が体を占める割合が大きいのだ。そして俺と父は生まれつき体が弱いせいで能力に頼っている部分も人よりさらに多い。
 だから天候などによって能力の波が乱れると体調や精神に影響する。
 この体は不思議なもので、危機的な状況を感知すると冬眠状態のようになることがあるのだ。これは能力者全般に見られる特徴である。ただ、危機的状況というのは生命の危機だけに限らず、精神的な負担などでも条件によってはあり得るらしい。そしてストレス耐性も人によって違うから、頻繁に条件を満たす人もいれば、まったくそんなものとは無縁で見たことも聞いたこともないという人も大勢いる。まあ、傾向として体が過去に経験した危機的状況を回避するために反応するらしいから、一度経験がある人は繰り返す可能性も高いのかもしれない。
 とにかく、急に眠ってしまうという症状があるのだ。
 しかし普通の眠りとは違っていて、寝ている本人だけ時間がそのまま止まってしまうように生命活動が極めてゆっくりになる。殆ど仮死状態になるらしい。
 人の体は寝ている間も色々と活動していて、成長したり、寝返りを打ったり、脳だって動いているのだがそれらもほぼなくなっていると言って良いほど微弱になる。もちろんその状態があんまり長引くと死んでしまうことだってある。動かない分血栓ができやすくなったり、床ずれしたり、腐敗がはじまったりという危険もある。治療目的以外にもそういった状態にあっても生命を維持させるために入院することはあるのだ。
 病気の進行を遅らせるために、薬でわざと眠らせるということもあるし。
 しかしそんな体質のおかげでいくら一見して寝ていても成長はしない。寝ているだけ時間が止まっている。俺の成長期が少し遅れてきたのもそういう事情らしい。
 成長しなくなるわけではない。先延ばしにされるのだ。寝ている間だけ自分の時が止まるのだ。父だって若いに決まっていた。
 若いが、まもなく死ぬ人間がそこにいた。
 母が構えているのであろうカメラは常に父の顔を捉えている。たくさん寝ているはずなのに目の下にはクマができている。疲れを癒すための睡眠はあまり取れていないのだろう。維持するだけで成長も退行もほぼしない特殊な睡眠だけを繰り返しているのだ。健康な人の顔でないことは明らかだ。生気というものが感じられない。
 それでも普通の病とは違って痛みも苦しみもほぼないはずだから、だいぶ肉体的な負担は少ないはずだ。比べるものでもないが。
 見た目はしんどそうだが体を起こして赤ん坊らしい俺を抱いているし、自虐ネタのような冗談を笑って言っていた。
 映像からだけでは父の人間性などはあまりわからない。赤子の俺のことを「肉の塊だね」と言って母に嗜められてるので父としての威厳とかは微塵も感じられないのは確かだ。
 飄々とした雰囲気はある。常にうっすらと笑っている人だ。俺はいつも仏頂面だからそこは似ていない。
 でもちょっとした短いやりとりの中でも理屈っぽいというか、弁が立つのだろうというのは伺える。母はそれに笑いながら相づちを打ったり、なだめるように相手するのだ。それは俺に対する母に近い。俺があれこれ喋ると母はあまり意見せずにこにこ聞いているからだ。たしか父の方が母より年上だったはずなのに、なんだか面白かった。
 喋り方自体は大人っぽいのだが、見た目も人との会話の雰囲気も、やっぱりまだ父は大人らしいとは言い切れない。
 別のDVDをパソコンに入れる。先ほどのより2年近く後のものだ。
 俺が外を歩いている映像からはじまる。多分二歳くらいのはずだ。歩いて、そしてすぐ誰かの座っている足下にたどり着く。
 抱き上げられて膝に収まる。車椅子に乗った父だった。
 足が悪いわけではない。出先で寝てしまっても母でも移動させられるように車椅子を使っているのだ。まあ、寝っぱなしで歩く体力がないというのも十分あるだろうけど。
 俺も入院していた頃は薬の影響や、逆に薬が切れてしまって突然寝てしまうことがあったので、たまに外に出るときはこうして車椅子に乗っていたことがある。
 いつその状態に陥るかというのは施設で分析してもらえればある程度の目安はついたが、当時の技術では避けることはできない。今は薬である程度時間はずらせるらしいのだが、副作用があるそうだ。いくつかある薬の中、量を誤ると麻薬系薬物に近い幸福感だとかを引き起こすらしいものもあり、脱法ドラッグとして一般に出回ったらしい……という話もあるのだが、それはまた別のお話だ。
 とにかく、幼い俺は父の膝の上でなんともふてぶてしい顔をしていた。親相手だというのに愛想がなく、ぽけーっと両親の顔を見上げていた。
 それでもビデオカメラを持っているであろう母が遠ざかると、すぐに顔を歪ませて泣き始める。甘ったれだな。父は暴れる俺を抱えて困った顔をしていて、どのように扱っていいのかいまだにわからないようだ。それでも一生懸命宥めようとしている姿を見ると、俺も安心する。まあ、だっこというよりほぼ羽交い締めのようになってるけど。
 やっぱり、若い父親からすると子供というのは取り扱いに困るんじゃないだろうか。負担になっていたり、邪魔になっていたりするんじゃないかと少し不安に思っていた時期があった。勿論一番負担がかかっているのは母なのだが……。母は昔から楽しそうに相手してくれていたし、俺のことを好きなのがよく伝わってくる。でもそれを感じる度、父はどうだったのだろうとずっと考えていたのだ。父の年齢に近づく度、自分が同じ年で子供を作って育てるなんて想像もつかなかった。……実際は、父よりうんと先に子供を作ったわけなのだが……。


 そういう立場になってみると、思う。子供に会いたい。想像でしかないが、子育てはきっとしんどいだろうと思う。夜泣きは相当つらいようだし、お風呂に入れるのだってあんなに小さい子を怪我させずに神経をとがらせているのは大変そうだと思う。大きくなったら悪戯するから目を離せないだろうし、わがままや反抗もするだろう。休む時間も好きなことをする時間もなければ予定を立てたって対策を立てたってうまく進まないんだろう。経験がなくてもそんな想像はつく。二十歳前後なんて、遊び盛りだ。恋愛だってまだまだこれからだって人が多いはずだ。
 でも、どれだけつらくてもそれをやりたかった。学校に行けなかったとしても……。

ーーー

 大学で知り合った知人の女性に、ある噂がたったことがある。恋人との間に子供ができたが、相手とは連絡が取れなくなり泣く泣く堕ろしたんだそうだ。聞きたくもないのに、何故かそんな話題に限って俺の元まで到達するのだ。
 相手は別の大学の学生で、逃げたものの結局男の友人経由で実家の両親に連絡がいき、慰謝料やらを払っただとか、どうだとか……。本人は噂を肯定も否定もせず、学校では普段通りに振る舞っている。
 俺はたまに顔を合わせれば会話する程度だから、特に関係の変化はないし、真実や心の内は全くわからないのだが……。
 周囲の意見は男を糾弾するものが殆どだったが、でも、しょうがないという空気は流れている。それは堕胎についてなのか、男が逃げてしまうことについてなのか、俺にはわからないが。これが身近にいるのが男側だったら、また違う意見が多数を占めていたりしたんだろうか。
 俺は子供に関しては……何も言えない。非難することだって当然できない。俺はなんの苦労も知らないし、責任もとれないのに意見なんてできない。
 ただ、男に関しては、俺がその男のように思われるのは嫌だと思ったし、でもそう思われても仕方がないとも思った。
 佐伯は恐ろしかっただろう。俺の反応を知るのが。現実を理解して俺を頼らなかったというのもあるだろうが、子供への反応も恐ろしかったのだろうとじんわり理解した。逃げたりとか、面倒くさがったりとか、嫌がったりとか、どんな反応をするのか、きっと悪い方にばかり考えただろうと思う。俺だって、他人だったら俺という人間はあまり家庭だとか子供だとかを喜んで受け入れて学業を諦める人間だとは思わないと思う。
 ……でも俺は、子供の父親になりたかった。させてほしかった。頼りない自覚はあるし、どうすればいいのかもよくわからないけど。
 父が生きていたら、なんと言っただろうか。叱ってほしいと思った。
 大きくなった俺にどんな風に話しかけてくれるかもわからないのに、そんなことを考える。そして、俺は自分の子供に会えたらどうするだろう。どんな話をするだろう。
 想像がつかず、俺はようやく父からのDVDを再生する気になった。
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