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10章

 学校に通い、数日に一回図書館に入り浸り、帰って勉強と読書をして、週に2日はバイト。その繰り返しである。
 大きな進展というようなものはなく、冬になっていた。
 俺はこの季節が嫌いになっていた。いやでも佐伯がいないことを思い出させられるからだ。

 大きな収穫はないものの、ほんの少しの希望は抱けていた。
 特殊能力の性質は父親から遺伝する。これはもうある程度関心をもっている人間にとっては常識だ。
 細胞型であれば子供も細胞型だし、神経型であれば神経型だ。
 ただ全く同じ能力が使えるというわけではない。そこは子供自身の個性によるらしい。
 ただし、俺のような自然型である場合、影響を受ける自然物というのは遺伝するらしいのだ。俺の場合空気だ。元々体が弱いせいで気圧や雨にも弱いが、一番気をつけなければならないのは空気の動き、風の強さ、台風だ。
 そしてその適正によって治療のために通うセンターの候補が絞られるのだ。
 ……となれば、やはり子供のことを最優先に考えたとすれば、こっちに帰ってくる可能性は非常に高いと思えた。
 まあ、佐伯の家があった場所とセンターは離れているとはいえ、大きな括りで言えば地元に違いはない。そんなところにわざわざ帰ってくるかどうか……。
 それは俺にはわかりようもないことだ。
 とにかく、子供がセンターに通うとしたら、3歳とか……仕事の都合もあるし、すぐには無理だろうけど遅くとも小学校に上がるまでにはどこで治療を始めるか方針を決めているはずだ。センターでの治療法やどのくらいの頻度で通うのか、そういったことはまだ教わっていない。俺の実体験も主観でしかないし、数年でがらりとシステムが変わるせいか本でも触れられていなかった。でも、今はまだ待ちだ。ただセンターで働けるよう勉強を続けるしかできることはない。
 何も進展していないし、何も変わらない毎日だけど、でも今はこれしかないのだと言い聞かせている。

ーーー

「とくしゅのーりって面白いの?」
「……まあ、面白いよ」

 家庭教師のバイト先である……筒井家のリビング。
 椅子に座らされて俺は小さくなっていた。
 生徒である筒井家弟の方は学校で居残りさせられて帰りが遅れているらしい。もうちょっと早めに教えてくれればよかったんだけどな……。
 俺が到着した頃にそんな情報が伝わって、ここで待たせてもらっているというわけだ。まあ、説教でもされていたとしたらそんな中連絡する余裕なんてないか。

「凛子! あんた先生困らせんじゃないよ! ほら、部屋にすっこんでな! ごめんなさいねえ昔からお喋りで落ち着きなくって……」
「あ、いえ、おかまいなく……」

 筒井家母はなかなかキツい母親のようだ。口がめちゃくちゃ悪い。こっちにだけ猫撫で声みたいな優しい対応されても気まずいだけなんだが……。
 双子姉……筒井さんは母親の厳しい物言いを気にする様子もなく、にいっと笑った。

「ほらー気にしてないって。どうせ暇だしいいじゃんねー」
「いや、う、うーん……」

 さすがに母親の前でそうだそうだすっこんでな、なんて言えなくないか……?
 しかし言葉を濁している限り向こうの都合よく運んでしまう。釈然としない。大人としての正しい対応はどうやったら学べるのか。
 お母さんは少しだけ文句を言って俺に紅茶とお菓子をあれやこれや出したあと、当の弟を車で迎えに出て行ってしまった。

「でさあ、実際どんな勉強すんの? 人体実験とかやる?」
「……ああ、大学で? やらないよ、そんなの。今はまだ基礎を学んでいるところだからなんとも言えないけど……なんていうんだろう。今のところは脳とか内分泌器官とかの勉強が主かな。学年が上がったら学科によって変わってくるから全然違う勉強になるだろうけど……」
「え、面白そうじゃん。あたし割と脳って興味あるよ」
「そうなんだ、じゃあ向いてるかもね。解剖とかもあるらしいから見れるよ」

 すると筒井さんは一瞬ポカンとした顔して、そのすぐあとけたけたと笑い始めた。

「ええ……なに? 俺今日はまだひとつもボケてないんだけど」
「ううん……あはは、そんなマジの答え返ってくるとは思わなくて……」
「ああ、社交辞令だった?」
「違う違う、ガチなんだけどー、絶対誰も信じないじゃん。お前が? ってなるだろうなーってツッコミ待ちだったから、なんかウケた」
「なるほど。まあ、人がそう判断する気持ちはわからないではないよ」
「あ。改めて言われるとなんか傷つく〜」

 それは身から出た錆というのだ。
 勉強に茶々を入れてくるときの発言などから、成績は良いのだろうというのは感じ取れていた。だけど見た目は正直、勉強とかダサ〜いとか言ってきそうなジャンルではある。おそらく同級生だったら、俺には一切興味も何も抱かなかっただろう。
 ま、見た目は見た目だ。和泉の例がある。咄嗟に偏見の目で判断してしまうのは人としてしょうがない部分もあるとはいえ、それだけで人への判断を下すべきではないと俺は思っている。

「なんかあ、謎だったんだよねー。ヤバイマッドサイエンティスト集団なのかなって思ってた」
「……まあ、わざわざ興味を持って調べないとわからないことだよね」

 もうちょっと広報活動に力を入れてもらうべきだな。
 参考書見せてやると、意味わかんなーいとまた笑っていた。でも多分理解を拒んでいた反応ではないと思う。少しだけ得意になるような気持ちになった。
 自分とは全く違う人種に思えていた相手と、なんだかきちんと意思疎通できたような気がした。話題は合わないけど、趣味もノリも合わないけど、適当に相手に合わせた世間話をするときよりよっぽど会話が成立しているように感じた。
 俺も少しは成長しているらしい。昔の俺は自分とタイプの違う人間をシャットアウトしていたように思える。
 少しだけ世界が広がったような感覚を、人の家のリビングで、ただの雑談のひとつで、実感した。
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