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10章

 夏休みの後半のことである。
 俺は裕子さんと小旅行にでかけるため、やや大きい鞄を抱えて駅に出ていた。なんと二泊三日だ。
 普通ならどう考えたってデートだ。旅館でエロいこと絶対するデートだ。部屋についた露天風呂に二人で入っちゃうんだ。普通なら。

「わたし新幹線ってはじめて。旅行自体行ったことないけど」

 興奮に頬を紅潮させ鼻をふくらませながら河合さんは俺の横で何度もかかとを浮かせてそわそわしていた。
 そう、なんと河合さんもセットだ。馬場が見たらひっくり返るだろうな。美女二人両手に花でお泊まり旅行だぞ! 完全に勝ち組。男として、今なら誰にもコンプレックスを刺激されたりはしないだろう。
 今年は大人しく情報集めと資金集めに集中する、と決めていたのだが、裕子さんが是非にというし、誘われてしまっては断ることなどできなかった。気持ち的にはすぐにでも探しに行きたい気持ちは山々だったのだから。
 そしてそのまま裕子さんと二人、というのも悪くはなかったのだが、どれだけ変装したってやっぱりバレたときのリスクが高すぎる。裕子さんの今後の活動に関わってくる可能性が大いにあるからな。
 そこに河合さんも加えれば、急に謎の三人組だ。カップルには見えないだろう。そして俺が美女二人を侍らすプレイボーイだと思うやつもいないだろう。悲しいことに。
 よくて高校生カップルの旅行についてきた保護者の裕子さん、だろうな。悪ければ中学生カップルだ。もうどっちでもいい。

「お待たせー! よかった~、遅刻するかと思ったよ~」

 人混みに紛れてぱたぱたとした足取りで裕子さんが現れた。サングラスに帽子。うん、典型的な変装だ。

「うわ、二人ともすごい大荷物だね」
「え、そ、そうですか? 旅行ってほとんど経験なくて……」
「わたしも、何が必要なのかわからなくって」

 裕子さんはかなり身軽な格好だ。というかいつも持っているような大きめの鞄しか持っていない。俺は大きめのリュック、河合さんはボストンバッグで、どちらともパンパンだ。
 修学旅行のときを思い出して必要と思うものを詰め込んだのだ。ほとんどが着替えだが……。

「備えあれば憂いなしって言うもんね。じゃ、行こっかー!」

 おー! と裕子さんは拳を上げた。
 ……もしかしたら、俺と河合さんも応えてやるべきだったのかもしれないが、呆然としているうちにタイミングを逃してしまった。数秒の間ののち、そろそろと裕子さんは手を下ろした。

「す、すみません、ノリが悪くて」
「い、いや……大丈夫だよ……」

 次のときは頑張ってあわせよう……もうやってくれないかもしれないけど。
 はじめての新幹線に緊張した河合さんがお腹を壊したりしたが、大きな問題はなかった。移動の最中に裕子さんが地図を渡してきた。
 ちなみに席順は真ん中が俺、窓側が河合さん、通路側が裕子さんだ。

「今日向かうのは××県というところです! 流くんが目星つけてくれたんだよね」
「あ、はい。えっと、できるだけ多くの場所を周れる方がいいかと思ったのでこことその隣町……あと同じ県のここもなんとかいけそうかなって……。あ、電車の乗り継ぎとか一応調べてきました」
「さすが~! 用意周到だねえ。あたし行き当たりばったりだから助かるよ~」
「わたしはずっとついて回ればいいのね」

 河合さんには、佐伯は家の都合でお嫁に行ったということは今回事前に伝えていた。かなり驚いていたが、少し納得が行ったような顔もしていた。
 佐伯との子供については……まだ言えていない。
 言わなければとは思っているのだが、なんとなく言いそびれていた。やっぱり、軽蔑されると思うし。俺のせいで離れなければいけなくなったっていうのは、認めなきゃいけないことだと思いつつも口に出すのには多くの勇気が必要なことだったから。
 でも隠しておくべきではないよな……、結局今回佐伯探しに巻き込んじゃってるし。それに佐伯が見つかったらバレるわけだし。そのときまで意図的に隠していたとわかったらやっぱり嫌な気持ちになるだろう。
 しかしいつ言えばいいのか全く見当がつかない。この旅行中に告白して気まずい空気になってはよくないし……、帰ってからがいいだろうか。なにを今更と思われるだろうか……。

「和泉に自慢しましょ」

 河合さんは俺たちとのスリーショットを撮って満足そうな顔をしていた。

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 さて、新幹線に乗ったあと駅から電車で2時間くらいかかっただろうか。そしてバス。段々と待ち時間が増え、朝早くに出たのになんやかやでもうじきおやつの時間だ。
 俺たちはようやく目的地にたどり着いていた。
 想像以上のど田舎だった。山が囲っていて、坂道が多く高低差がある土地に住宅と畑が不規則に並んでいる。どこからどこが私有地なのかよくわからない入り組んだ道が広がっている。なんとなく広めの道路を選んで進んでいくと、やがて山の周りをぐるっとまわるように繋がっている車道にで繋がっているのがわかったので引き返す。このままでは村を出てしまう。
 普通に生きていたら絶対に縁のなかった土地だ。
 この土地は夏はそれなりに暑く、そして冬は恐ろしく寒い。俺の住んでいる土地より南にあるが、標高の高さもあり雪も多いのだそうだ。
 そして竜巻も発生しやすく、台風の影響もそれなりに受ける。条件は揃っていると思えた。
 俺と河合さんがはじめての風景にそわそわとしていると、裕子さんはすぐに庭仕事をしているおばあさんを捕まえた。

「あのー、すみません、このあたりに一年半ほど前によそから若いお嫁さんがきたおうちってありませんか? 友人を尋ねに来たんですけど、新しい苗字が思い出せないまま連絡先なくしちゃって……」

 ……かなり苦しい言い訳のような気もするけど、裕子さんは人の警戒心を解くのが上手な人だ。しっかりしてるけど子供っぽい表情に悪意を見いだす人はそうそういないだろう。
 俺はなんとなく田舎に行って自分で佐伯を探すつもりだったが、こうして見ると男が女の子の居所を探しているというのはやっぱり怪しさ全開だろうな……。ただでさえ俺は人なつっこいとか、気さくとかいう言葉とは真逆の人間だ。誰もまともにはとりあってくれないだろう……。ちょっと、自信がなくなってきた。

「この辺じゃ聞いたことないってー。お嫁さんがきたらすぐわかるみたい。集会とかもあるし」

 何故か桃のお裾分けを貰ったらしい、裕子さんは眉尻を下げて帰ってきた。
 ううむ。ひとつの場所でも一人の人間を探すなら少し人の話を聞いたくらいじゃ情報は集まらないだろうと思っていたのだが、やはりこういった地域ではどこの誰が結婚したとか子供を産んだとか、家族構成なんかは同じ住民にしっかり把握されているようだ。恐るべき情報伝達力。
 それにもしこっそりと嫁を迎えていたとしても、この環境で隠しながら子供を育てることはできないだろう。病院だって連れて行かなきゃ行けないし、このあたりは家と家の間がうんと離れているという地形でもないから、泣き声も完全には抑えられないはずだ。
 人の口に戸は立てられない。ここはまさにそういった土地だった。

「……じゃあ、ここはハズレか……」

 拍子抜けだ。張り切って長い時間かけてやってきたのに、結果がわかるのはたったの数分だった。……まあ、今からならバスに乗って町に戻って泊まる場所を確保できそうだから、下手に長引くよりずっといいのだが……。

「でも山を越えた町のことだったらわからないって言ってたよ。そっちにも行って見ようよ、せっかくだし」

 裕子さんは気分を切り替えるように明るい声のトーンになった。いや、俺のテンションが低すぎたのか。気を遣わせたのかもしれない。
 きっとこの先何度も何度もこういった結果が待っているのだ。一度くらいでしょげていたらいつまで経っても先に進まない。
 河合さんもこくこくと頷いていた。

 なんと一日に三本しかバスが来ないらしい。夕方、三本目のバスがくるまでの時間つぶしが大変だった。なんせコンビニもない。バス停の屋根の下で桃を丸かじりしながらぐったりしていると、近所の人がみつけて涼ませてくれた。
 田舎を舐めていた。次からはもっと対策していこう。

 バスでの道のりはそれほど時間はかからなかった。山を超えるので歩きだと厳しいが、車だと信号もないし渋滞なんてもっとないからあっという間なのだそうだ。
 そこは先程のいかにも村という場所より少しだけ広々とした風景の町だった。話を聞くとこのあたりで唯一のコンビニみたいな商店があるらしく、そこの店主の元を訪ねてまた裕子さんが先ほどと同じように話を聞いた。
 お嫁さんが来た家はあるが、話を聞くと時期も年齢も違う。写真を見せてもやはり別人。ハズレだった。
 その頃には辺りは暗くなっていて、うっすらとどうしたもんかと考えていた。よく考えれば、最初の村のバスがもうないのだから通り道のこの町のバスだってもうないのである。別方面行きのものがあるかも、なんて思ったが、別もなにも他には山しかないし。
 ここまで交通の便が厳しいとは想定していなかったのだ。一応最初の村を調べたあと街に戻る予定だったのだが、別の方向に寄ってしまったから計画が崩れた。事前に地図を見て調べたとき、この街は候補にいれていなかったからだ。
 タクシーを呼ぼうと相談していたら、なんとそこの店主が車で宿泊施設のある街まで連れて行ってくれたのだ。裕子さんはお礼にうちの地元の銘菓を渡していた。俺よりよっぽど用意周到だった。

 果たして当日で宿はとれるのかと心配だったのだが、そこは観光地でもなければお盆も過ぎていたのが幸いした。少し古びていて怪しい雰囲気はあるが、ひどいってほどではない民宿にたどり着き、四人部屋に三人で泊まることとなった。時間が遅かったので夕食はなかったのだが、ご厚意で女将さんというのだろうか、おにぎりを持ってきてくれた。なんだか胸がほっこりして無性においしかった。

「か、河合さんほんとにいいの……? やっぱり俺別の部屋とったほうが……」
「この方が安いんだからいいじゃない。疲れて変なことする余裕だってないでしょ」
「そりゃそうだけど……!」

 疲れてなくたって変なことなんかしないけどさ。

「せっかくお泊まりするんだもん、流くん一人は寂しいでしょ? 気が休まらないかもしれないけど……」
「いや、まあ……はい……」

 気は休まるわけないよな。
 和泉にも佐伯にも怒られそうなシチュエーションだ。安心してほしい、裏切るようなことは絶対にしない……。
 一応親戚同士で旅行にきたってことで同じ部屋にしてもらったわけだしな。怪しまれるようなことしない。どう考えても裕子さんと俺たちに血の繋がりがあるようには見えないと思うが。
 もう夜も遅い。さっさと風呂に入って寝ることになった。

 夜中。すでに電気は切られていて真っ暗だ。
 三人で川の字を作っている。真ん中が裕子さんだ。一応同い年の二人が隣り合って寝るのはよくないだろうという配慮らしい。
 俺はじっと天井を見つめていた。うっすらとカーテンの隙間から入る月明かりで、照明の輪郭程度は見えた。
 すっかり体はへとへとに疲れ果てているというのに俺は眠れなかった。
 何も女子二人と同室で緊張しているというわけではない。と思う。
 そりゃあ気は遣うけど、そんな元気は残っていないし。
 ただ、なんというか、漠然とした不安感。
 これでいいんだろうか。このままでいいんだろうか。
 なんとなく、心のどこかでこれじゃだめだろうという気持ちが消えない。
 きっとこのままじゃ、佐伯には会えない。一生。
 実際に探しにでるまでは根拠もなく、なんとかなるように思えていた。だって、死んだ訳じゃない。それに同じ国にいるんだ。飛行機の距離ってわけじゃない。なら、まだ望みはある。そう思っていた。
 けれど実際に新幹線に乗って、そして歩いて、一日かけてたった二カ所しか巡れなくて……わずか隣り合った二カ所しか巡れないのだ。車があっても、細かく見て回るのはどれだけ時間がかかることだろう。
 そして全く見当違いの場所をただ巡っていくのだ。そんなの、不可能じゃないか? 少なくとも学生を続けては無理だ。仕事をしはじめればもっと無理だ。まともな生活を送りながら、全国をただ隅から隅まで漏れなく見て回るなんてできるわけない。
 じわじわと涙が溢れてくる。二人が寝ていてよかった。部屋が暗くてよかった。
 俺はずっと、何を考えていたんだろう。何故見つけられる気でいたんだろう。
 結局、俺が涙を拭って布団に潜っているうちにいつの間にか朝になっていた。いつの間にか寝ていたのか、それともずっと自分が起きていたのか、それすらわからなかった。

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 翌日、裕子さんの先導の元俺たちはもう少し街の方に出て、レンタカーを借りていた。

「これで百人力! どこでも行けちゃうよ~」

 明るい声で裕子さんは乗り込む。俺は助手席で、河合さんは後ろだ。
 俺はすっかり意気消沈していたのだが、元々張り切るタイプでもないし気付かれていないようだ。
 河合さんはようやく緊張が解けてきたのだろうか、ちょこちょこと裕子さんの雑談に言葉を返している。
 昨日はまだ口を挟む余裕はないという感じで、相槌を必死で打っていた。まあ、これで会話は俺が気を回さなくても大丈夫そうだ。

「友也くんはどこで何してるのかなー」

 ずっと続く田園風景を眺めながら、裕子さんの呟きを反芻していた。


 結局、二日目も似たような結果だった。
 まったく知らない土地を巡るというのは思った以上にスムーズに運ばない。ナビに記載されていない道がいくつかあるせいで道に迷ったし、地図ではそこがどういった光景なのかはわからないため、思ったよりも過疎化が進んでいて見るからに若者はいないだろう、というような場所であったり。ある程度人が住んでいる場所というのは見つけるのが難しいようだ。
 三日目、朝宿を出て、せっかくだからとお土産屋に寄って、あとはひたすら家を目指して移動。帰ったときにはすでに夜だった。
 親にお土産を渡し、あとは寝た。あれこれしている余裕はなかった。考える余裕もなかった。

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 俺は自分の足で佐伯を探しに行くという線はほぼ諦めていた。
 車の免許も……まあ、佐伯のこと関係なしにとるつもりではあるが、急ぐ必要はなくなった。かといって何か欲しい物があるわけでもないので、貯金はそれなりに続けるつもりだが。
 少し無気力になっている自覚はある。現実を思い知ったのである。ずっとやればいつかなんとかなると思っていたのに、希望が打ち砕かれたというか。
 裕子さんは帰りも元気だった。残念だったねとは言っていたが、でも今回は一人じゃなかったから楽しかったと笑っていた。あの人は何度もこんなことをを繰り返したのかと思うと、とても真似できないと思う。無理だ。俺には。希望を持ち続けてまた探しに行くなんていうのは。

「もう会えないのかなあ……」

 佐伯の置いていったテディベアに言ってみた。
 そんなことないよ、と佐伯の声が聞こえやしないかと思ったが、当然、無言だった。
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