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溺愛しゅかゆづ夫婦 4

 いつからだろう、わからないけれど
 僕はいつだって、どこか遠くへ行きたかった。
 朝に追われるのも夜に呑み込まれるのもうんざりで
 土の中でも海の底でもいいから、どこか
 どこか遠くへ。

 そのはて、逃げ込むように沈んだ山奥の池の、
 無関心にたゆたう、清らかな水の冷たさを憶えている。
 僕の願いは叶ったはずだったのに、
 そうして出逢った貴方と、今もこうして生きているだなんて
 もう、死んでしまうこともできなければ、貴方の寵愛と溺愛から逃げることもできないなんて
 ……ふふ。なんの冗談なの?

「弓弦、なにか面白いものでも見えました?」

 夕暮れの夏。昼間よりは、いくぶんか涼しい。
 買い物帰りの道を貴方と歩く。重たい荷物は、彼がすべて持ってくれている。
 思い出し笑い……というのかわからないけれど、思わず喉を鳴らしてしまった僕に気づき、
 朱夏はゆっくりと僕の顔を覗き込んだ。

「ううん、……夕焼けが」

 僕と彼とは結構な身長差がある。
 彼を見上げ、なにか言おうとしている僕を、朱夏はゆるりと待ってくれる。美しく格好良い微笑みを浮かべながら。
 僕は自然と呟いていた。

「貴方みたいで、きれいだったから」

 それで笑ってしまったわけではないけれど、
 咄嗟についた嘘でもなければ、誤魔化したかったわけでもない。
 まぶしい夕焼けは本当にきれいで、街を染める朱色のなかに、黄金色がきらきら耀いていて
 ほら、朱夏。貴方の髪と、貴方の瞳、それぞれそっくり。
 でも貴方のほうがきれいだよ。

「あはは、そうですか。ところで、弓弦」
「うん?」
「俺も思っていたんです。ずいぶん鮮やかな夕焼けだなって。でも、これほどの煌めきも」

 ぐいっ。
 ふいに抱き寄せられるまま、貴方の影が落ち
 至近距離の彼の瞳は、まっすぐ僕をとらえて、まばたきすらなく

「貴女の赤い瞳。――貴女という存在の美しさには、ちっとも敵いません」

 ぞく、とする。どくんと胸が高鳴り、それはもうそのまま、落ち着いてくれない。
 触れるだけのキスのあと、彼はくすくすとご機嫌に笑った。愛しいといたずら成功が両立した笑顔。動揺し、言葉もない僕を、今度はひょいっと抱き上げて。

「大好きです、弓弦。俺の可愛い花嫁を、このまま、人間にも妖怪にも神々にも、ひとつひとつ自慢してやりたいです」

 そっと歩みながら、いいですか? なんて、

「……だめ」

 ただでさえ、まだ、外なのに。
 ここはひとも車もあまり通らない。だからまあ、少しくらいはこのままでもいいけれど。
 そんなの恥ずかしいと首を振る僕と、本当に貴女は照れ屋ですねと笑う貴方と、
 ……どこまでも。
 遠くへだって、すぐそこにだって、どこにでも行けると思った。貴方と一緒なら。
 僕は、この龍神さまと――貴方と、生きていたい。
 こんなふうに思える相手と出逢い、生きることができるだなんて。
 いつかの僕が知ったら、きっとびっくりしすぎて、それこそ遠くへ逃げてしまうかもしれない。

「ご機嫌ですね、弓弦」
「うん。貴方だってそうでしょ」
「ええ、もちろん。ご機嫌ですよ」

 まだひとめがないのをいいことに、
 めいっぱい、貴方にぎゅうっと抱きついて。


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