溺愛しゅかゆづ夫婦 4
身体がひたすら不調を訴えている。ベッドにうずくまる弓弦は、眠ることもできずに、小さく呻いた。
もとよりそれほど丈夫じゃない弓弦にとって、このくらいの不調は珍しくない。ただ、真夏日というのがより辛かった。
気候は暑く、空調は寒い。身体はどちらにも一向に馴染めない。身体の芯は冷えきっているのに、肌は奇妙な熱を持ち、あちこちが痛い。氷をたえず押し付けられるようであり、炎に焼かれているようであり。
せめてどちらかにしろ、と弓弦は思った。問題はそこじゃない気もするが、とにかく、暑い寒いと鬱陶しい身体に文句をつけたかったのだ。
とりあえず、耐えるほかにはない。
吐き気も熱も頭痛も、その他もろもろ、治めるための薬は飲んである。
眠れないなりにうとうとしながら、弓弦は、頭の片隅で淡々と考える。大丈夫だ、と。どんなにつらいだの痛いだのと感じても、所詮は横になって済む程度。
夕方にはだいぶマシになっているはずだ。暑さが引き、薬も効いたその頃なら。
全然大丈夫。どうせ、死なない身体なのだし。そうだ、たとえ氷獄に放られようが、業火に焼かれようが、弓弦の身体は死んだりしない。それは、弓弦を溺愛する龍神が授けた不老不死の力。
どうせ死なないのだからと考える。すると、不思議と心が楽になる。かつて死にたがりだった弓弦は、今、かつての願望とは真逆の事実に、きらきら眩いものを見る。
一番星で編んだ御守りのような明るい感情が手のひらにある。目には見えずとも、そこにある。だから、大丈夫。そもそもこんな不調はいつものことで、大げさな話は何もない。ただ少しつらいだけ。
仮に何かあったとしても、どうせ死なないし。
それは決して自暴自棄ではない。むしろ、希望なのだ。それを掴むように拳を握った弓弦は、そうしてようやく、意識を睡魔に委ねることができそうだった。
――弓弦、弓弦。貴女、大丈夫なんですか。貴女ってひとは、どうして――。
そんな声が聴こえたような気がして、目を覚ます。
薄暗い寝室に赤い煌めきを見て、弓弦ははじめ、それを斜陽だと思った。もう夕方なのだろうか。疑問は、すぐさま溶ける。
「弓弦。大丈夫ですか」
「……しゅか。おかえり」
斜陽だと思った赤は、愛しい彼の髪の色。
ひとならざる威圧を放つ金の瞳が、弓弦と目を合わせたとたん、ふわりとはちみつ色になる。
朱夏はベッドの横の椅子に腰かけて、弓弦の手を握っていた。「はい、ただいま帰りました」と、やわらかく微笑む。
弓弦のぼうっとした頭が、ひとつ、ひとつと思考を渡る。朱夏はまだお仕事中のはずだけれど、たぶん、早く帰ってきてくれたのだろう。彼はまだ外着のままだ。
ふらりとサイドテーブルのほうを見れば、大きな買い物袋が雑に置かれている。少し体調の悪い自分のために、色々買ってきてくれたのかもしれない。
具合が悪くて横になることを朱夏には伝えなかった。大事ではないし、心配をかけさせたくなかったから。けれど、朱夏はこの整ったひとの見た目でいて、本質は真っ赤な龍の神だ。弓弦が臥せっていることを職場からでも感じ取ってしまったのか。
逆に迷惑をかけてしまったな、と、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
眉をひそめる弓弦の額に、ささやかな口づけが落とされた。
「具合は大丈夫ですか?」
ゆるやかな口調。けれど、不安と心配が滲んでいる。朱夏は弓弦の身を案じながら、弓弦の気持ちも汲み取って、うろたえない。弓弦を大切に溺愛してくれる朱夏のそういった気遣いが、とても有難かった。
「だいじょ……こほん。うん、大丈夫」
掠れた声をひとつ咳払い、弓弦はゆっくり頷いた。
実際、先ほどより不調は落ち着いている。少し眠れたからか、薬が効いたのか、『どうせ』と希望的な御守りか。おそらく、どれも当てはまる。
そして、なにより。
「でも、もう少し、貴方の手を借りていていい?」
迷惑や心配をかけてしまったことは申し訳ないけれど、朱夏が帰ってきてくれ、今こうして傍にいてくれる。
ただそれだけで、ずいぶんと元気になれた。
「ずっと、でいいんですよ。弓弦。貴女ってひとはどうしてそう、甘え下手で我慢ばっかりなんですか」
どうやら少し言い間違えてしまったらしい。朱夏の笑みが憂いまじりで、弓弦は慌てた。
けれど、朱夏が言葉を続けて、「そんな貴女も大好きですよ」「今からしっかり俺を頼ってください」と言うものだから、謝るタイミングを失う。
朱夏の手のひらが弓弦の頬を包んだ。
「俺がいます。弓弦。ですから、大丈夫。とことん甘やかすので、ゆっくり甘えてください」
「……うん」
ありがとう、朱夏。
その手のひらに身をあずけるようにして、ぽつりと呟くと、朱夏は安心したように笑みを深めた。
ああ、ごめんだなんて言葉は要らないんだな、と弓弦は理解する。自分を愛し、案じてくれる朱夏にとって、謝罪は心の休まる言葉ではないのだと。
「……ありがとう、朱夏。僕のために」
「はい。どういたしまして」
朱夏は優しく温かい。その微笑みも、声も、手のひらも。弓弦をひたすらに愛する真っ直ぐな心も。
その手のひらに身も心もゆだね、安堵し、深く息を吸い込む。ゆっくり、ゆっくりとそれを吐き出しながら、うつら、とおちる瞼に抗わない。
「おやすみなさい、弓弦。あとで、お粥を作ってさしあげますからね」
うん、と弓弦は頷いた。
朱夏の想いにつつまれて、だから、きっとぐっすり眠れる――彼は一番星よりも強くまばゆい、だれもしらない、弓弦だけの星。希望。生きる理由と、生きていたい理由だ。
すとん、と眠りにおちて。
また目が覚めたら、今度こそ、身体も回復している。全然、大丈夫なのだ。
朱夏の作ってくれるお粥が楽しみだなと、弓弦は知らずのうちに頬をゆるめた。
もとよりそれほど丈夫じゃない弓弦にとって、このくらいの不調は珍しくない。ただ、真夏日というのがより辛かった。
気候は暑く、空調は寒い。身体はどちらにも一向に馴染めない。身体の芯は冷えきっているのに、肌は奇妙な熱を持ち、あちこちが痛い。氷をたえず押し付けられるようであり、炎に焼かれているようであり。
せめてどちらかにしろ、と弓弦は思った。問題はそこじゃない気もするが、とにかく、暑い寒いと鬱陶しい身体に文句をつけたかったのだ。
とりあえず、耐えるほかにはない。
吐き気も熱も頭痛も、その他もろもろ、治めるための薬は飲んである。
眠れないなりにうとうとしながら、弓弦は、頭の片隅で淡々と考える。大丈夫だ、と。どんなにつらいだの痛いだのと感じても、所詮は横になって済む程度。
夕方にはだいぶマシになっているはずだ。暑さが引き、薬も効いたその頃なら。
全然大丈夫。どうせ、死なない身体なのだし。そうだ、たとえ氷獄に放られようが、業火に焼かれようが、弓弦の身体は死んだりしない。それは、弓弦を溺愛する龍神が授けた不老不死の力。
どうせ死なないのだからと考える。すると、不思議と心が楽になる。かつて死にたがりだった弓弦は、今、かつての願望とは真逆の事実に、きらきら眩いものを見る。
一番星で編んだ御守りのような明るい感情が手のひらにある。目には見えずとも、そこにある。だから、大丈夫。そもそもこんな不調はいつものことで、大げさな話は何もない。ただ少しつらいだけ。
仮に何かあったとしても、どうせ死なないし。
それは決して自暴自棄ではない。むしろ、希望なのだ。それを掴むように拳を握った弓弦は、そうしてようやく、意識を睡魔に委ねることができそうだった。
――弓弦、弓弦。貴女、大丈夫なんですか。貴女ってひとは、どうして――。
そんな声が聴こえたような気がして、目を覚ます。
薄暗い寝室に赤い煌めきを見て、弓弦ははじめ、それを斜陽だと思った。もう夕方なのだろうか。疑問は、すぐさま溶ける。
「弓弦。大丈夫ですか」
「……しゅか。おかえり」
斜陽だと思った赤は、愛しい彼の髪の色。
ひとならざる威圧を放つ金の瞳が、弓弦と目を合わせたとたん、ふわりとはちみつ色になる。
朱夏はベッドの横の椅子に腰かけて、弓弦の手を握っていた。「はい、ただいま帰りました」と、やわらかく微笑む。
弓弦のぼうっとした頭が、ひとつ、ひとつと思考を渡る。朱夏はまだお仕事中のはずだけれど、たぶん、早く帰ってきてくれたのだろう。彼はまだ外着のままだ。
ふらりとサイドテーブルのほうを見れば、大きな買い物袋が雑に置かれている。少し体調の悪い自分のために、色々買ってきてくれたのかもしれない。
具合が悪くて横になることを朱夏には伝えなかった。大事ではないし、心配をかけさせたくなかったから。けれど、朱夏はこの整ったひとの見た目でいて、本質は真っ赤な龍の神だ。弓弦が臥せっていることを職場からでも感じ取ってしまったのか。
逆に迷惑をかけてしまったな、と、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
眉をひそめる弓弦の額に、ささやかな口づけが落とされた。
「具合は大丈夫ですか?」
ゆるやかな口調。けれど、不安と心配が滲んでいる。朱夏は弓弦の身を案じながら、弓弦の気持ちも汲み取って、うろたえない。弓弦を大切に溺愛してくれる朱夏のそういった気遣いが、とても有難かった。
「だいじょ……こほん。うん、大丈夫」
掠れた声をひとつ咳払い、弓弦はゆっくり頷いた。
実際、先ほどより不調は落ち着いている。少し眠れたからか、薬が効いたのか、『どうせ』と希望的な御守りか。おそらく、どれも当てはまる。
そして、なにより。
「でも、もう少し、貴方の手を借りていていい?」
迷惑や心配をかけてしまったことは申し訳ないけれど、朱夏が帰ってきてくれ、今こうして傍にいてくれる。
ただそれだけで、ずいぶんと元気になれた。
「ずっと、でいいんですよ。弓弦。貴女ってひとはどうしてそう、甘え下手で我慢ばっかりなんですか」
どうやら少し言い間違えてしまったらしい。朱夏の笑みが憂いまじりで、弓弦は慌てた。
けれど、朱夏が言葉を続けて、「そんな貴女も大好きですよ」「今からしっかり俺を頼ってください」と言うものだから、謝るタイミングを失う。
朱夏の手のひらが弓弦の頬を包んだ。
「俺がいます。弓弦。ですから、大丈夫。とことん甘やかすので、ゆっくり甘えてください」
「……うん」
ありがとう、朱夏。
その手のひらに身をあずけるようにして、ぽつりと呟くと、朱夏は安心したように笑みを深めた。
ああ、ごめんだなんて言葉は要らないんだな、と弓弦は理解する。自分を愛し、案じてくれる朱夏にとって、謝罪は心の休まる言葉ではないのだと。
「……ありがとう、朱夏。僕のために」
「はい。どういたしまして」
朱夏は優しく温かい。その微笑みも、声も、手のひらも。弓弦をひたすらに愛する真っ直ぐな心も。
その手のひらに身も心もゆだね、安堵し、深く息を吸い込む。ゆっくり、ゆっくりとそれを吐き出しながら、うつら、とおちる瞼に抗わない。
「おやすみなさい、弓弦。あとで、お粥を作ってさしあげますからね」
うん、と弓弦は頷いた。
朱夏の想いにつつまれて、だから、きっとぐっすり眠れる――彼は一番星よりも強くまばゆい、だれもしらない、弓弦だけの星。希望。生きる理由と、生きていたい理由だ。
すとん、と眠りにおちて。
また目が覚めたら、今度こそ、身体も回復している。全然、大丈夫なのだ。
朱夏の作ってくれるお粥が楽しみだなと、弓弦は知らずのうちに頬をゆるめた。
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