溺愛しゅかゆづ夫婦 3
弓弦は他人に触られるのをとても嫌がる。彼女自ら他人に触れることもない。たとえば幼い子どもの指先ひとつすら駄目で、それは彼女の過去に起因する。
病的なほどの嫌悪感。
だからこそ――。
「弓弦、見てください、このイチゴ! 貴女の瞳にそっくりな赤が綺麗です」
夕方の買い物。寒いほどのスーパーの中。
「弓弦これも買っていいですか? この林檎、今晩のおやつに……ああもちろん、貴女の瞳の方が綺麗ですよ」
仕事から帰ってきたばかりの朱夏は、それでも元気で、テンションが高い。平日に弓弦と買い物に行くのがちょっと久しぶりだから、と彼は言うけれど。
「弓弦、この玩具菓子も……この赤いイヤリングか、黄色の指輪が出るといいですね」
なにしろテンションが凄まじい。あちこち行って、あれもこれもと欲しがって、ひとつひとつ弓弦に見せてくる。
朱夏は高身長の、誰がどう見てもイケメンというやつで、それなのに。あまりにも元気に駆け回るものだから、弓弦の目に、めちゃくちゃ大きな犬のように見えた。
ぶんぶんとしっぽを振って、お気に入りのおもちゃとか骨とかを見せに来る大型犬。彼の本来のすがたは偉大なる龍神であるのだが、いま弓弦の目に幻として映るのは、立派な枝角や龍尾ではなく、大きな犬耳とふわっふわの尻尾だ。
「朱夏」
「? はい、弓弦」
そんな幻というか、連想に、弓弦は帰宅まで耐えた。
朱夏の手を借り、ささっと食材やらなにやらを冷蔵庫にしまいこみ、ふたりしてソファでくつろぐ今なら、もう良いだろう。
「朱夏、お手」
「?? はい」
ソファに寝転がっていた彼が、しゅたっと座り直し、差し出された彼女の手のひらに片手を置く。
おかわり、と言えば、反対側の手を。どうしたんです? と首を傾げつつではあるが、一切の躊躇いもない。
「あくしゅ」
「はい、握手」
それどころか楽しくすらなってきたらしく、ノリノリだ。弓弦の手をぎゅっと握り、ゆるい力で上下させ、「次はどうします?」的に金の瞳を輝かせる。
(……こういうところ、かわいいなあ。いつもは格好いいのに)
気高き龍を大型犬相手みたく可愛がりつつ、弓弦はこうも思う。
(僕、すっかり、朱夏の手のひらが好きだな……)
他人から触れられることが、他人に触れることが、自分は嫌いなのに。
もしかすると本物の犬とだって『お手』が出来ないかもしれない。弓弦は動物を飼ったことがなく、動物と親しくする機会がまったくないので、わからないが。
「犬ってあと、どんな芸ができるんでしたっけ。逆立ちとかですか? 任せてください」
「いや、違うと思うけど。いい、動くな」
今でこそ朱夏だけは平気だが、出会ったころはやはり駄目だった。朱夏が伸ばし、触れようとしてくる指先や手のひらが、怖くて。たまらず叩き落としては、僕に触るなと突っぱねていたことを思い出す。
……あの頃はひどい態度をとったし、ひどいことをたくさん言ってしまったな、と。弓弦は今でもたまに思う。
とてつもない罪悪感が押し寄せるが、今さら謝っても、朱夏はきっと本心からなんでもない様子で笑い、『もう何度も謝ってくれたでしょう』と言うのだろう。そして、もちろん良いですよ、と弓弦を許してしまう。
「急にどうしたんですか? まさか、この俺という龍がありながら、犬の飼育の検討を……?」
「そんな検討していないよ」
きらきら目を輝かせていたかと思えば、急にしゅんと眉を下げる。
朱夏は元気で忙しない。買い物に行っても、家でくつろいでいても、あまり変わりないように感じた。今日はいいことがあったのかな? などと頭の隅で考える弓弦は、朱夏のその明るさが弓弦限定のものであることをいまいち知らない。
「朱夏、僕、」
彼の膝の上に乗って、彼の頬に触れて。
自然と抱きしめてくれる両腕や、おかえしとばかりの優しいくちづけ、ゆるく編んだ髪を撫でる手のひら。弓弦は、真っ赤な瞳をそっと細める。
自分の病的な嫌悪は、もう治らない心の傷だ。
だからこそ、例外として、彼にだけは。触れられることも、触れることも、大丈夫で。もう昔のように怖いとは思わないし、こちらからのときも指先は震えない。
それがどれほどの幸せで、この心をあたたかく満たしてくれることなのか、
「貴方が好き」
こんなにも突拍子のない思考と感情、いつも僕を愛してくれてありがとう、僕も貴方が愛しいよとあふれ出る想いを、どこからどんなふうに伝えればいいのか――。
「あははっ、また唐突ですね」
朱夏は嬉しそうに笑う。ぱあっと眩しいほどに。
「ありがとうございます」と「俺の方が貴女を愛していますよ」、そう言って、弓弦をぎゅうぎゅう掻き抱く。嬉しいだとか愛しいだとか、そういう感情が、真っ直ぐ注がれ、伝わってくる。そんな力と両腕。
弓弦はひとまず朱夏を抱きしめ返し、彼の胸のなかで瞼を閉じた。
愛しい彼と隔たりなく触れ合えること。その喜びを噛み締めて、彼の背中を撫でる。
◆
「そういえば、弓弦、これが出ましたよ」
相変わらずのソファの上。
ふいに思い出したらしい朱夏が、弓弦に見せるそれは、黄色の指輪と赤色のイヤリング。そういうおもちゃだ。
「箱をよく見てみたら、ランダムふたつ入りだそうです。おもちゃの種類はたくさんなのに、俺と貴女の瞳の色のものが一緒だったんですよ」
さすが俺たちですよね、と。とても誇らしげな様子。
「ふふ、そうだな」
弓弦はそれらを受け取って、両手に大切に包み込む。朱夏と顔を見合わせ、ふたりで笑い合った。
病的なほどの嫌悪感。
だからこそ――。
「弓弦、見てください、このイチゴ! 貴女の瞳にそっくりな赤が綺麗です」
夕方の買い物。寒いほどのスーパーの中。
「弓弦これも買っていいですか? この林檎、今晩のおやつに……ああもちろん、貴女の瞳の方が綺麗ですよ」
仕事から帰ってきたばかりの朱夏は、それでも元気で、テンションが高い。平日に弓弦と買い物に行くのがちょっと久しぶりだから、と彼は言うけれど。
「弓弦、この玩具菓子も……この赤いイヤリングか、黄色の指輪が出るといいですね」
なにしろテンションが凄まじい。あちこち行って、あれもこれもと欲しがって、ひとつひとつ弓弦に見せてくる。
朱夏は高身長の、誰がどう見てもイケメンというやつで、それなのに。あまりにも元気に駆け回るものだから、弓弦の目に、めちゃくちゃ大きな犬のように見えた。
ぶんぶんとしっぽを振って、お気に入りのおもちゃとか骨とかを見せに来る大型犬。彼の本来のすがたは偉大なる龍神であるのだが、いま弓弦の目に幻として映るのは、立派な枝角や龍尾ではなく、大きな犬耳とふわっふわの尻尾だ。
「朱夏」
「? はい、弓弦」
そんな幻というか、連想に、弓弦は帰宅まで耐えた。
朱夏の手を借り、ささっと食材やらなにやらを冷蔵庫にしまいこみ、ふたりしてソファでくつろぐ今なら、もう良いだろう。
「朱夏、お手」
「?? はい」
ソファに寝転がっていた彼が、しゅたっと座り直し、差し出された彼女の手のひらに片手を置く。
おかわり、と言えば、反対側の手を。どうしたんです? と首を傾げつつではあるが、一切の躊躇いもない。
「あくしゅ」
「はい、握手」
それどころか楽しくすらなってきたらしく、ノリノリだ。弓弦の手をぎゅっと握り、ゆるい力で上下させ、「次はどうします?」的に金の瞳を輝かせる。
(……こういうところ、かわいいなあ。いつもは格好いいのに)
気高き龍を大型犬相手みたく可愛がりつつ、弓弦はこうも思う。
(僕、すっかり、朱夏の手のひらが好きだな……)
他人から触れられることが、他人に触れることが、自分は嫌いなのに。
もしかすると本物の犬とだって『お手』が出来ないかもしれない。弓弦は動物を飼ったことがなく、動物と親しくする機会がまったくないので、わからないが。
「犬ってあと、どんな芸ができるんでしたっけ。逆立ちとかですか? 任せてください」
「いや、違うと思うけど。いい、動くな」
今でこそ朱夏だけは平気だが、出会ったころはやはり駄目だった。朱夏が伸ばし、触れようとしてくる指先や手のひらが、怖くて。たまらず叩き落としては、僕に触るなと突っぱねていたことを思い出す。
……あの頃はひどい態度をとったし、ひどいことをたくさん言ってしまったな、と。弓弦は今でもたまに思う。
とてつもない罪悪感が押し寄せるが、今さら謝っても、朱夏はきっと本心からなんでもない様子で笑い、『もう何度も謝ってくれたでしょう』と言うのだろう。そして、もちろん良いですよ、と弓弦を許してしまう。
「急にどうしたんですか? まさか、この俺という龍がありながら、犬の飼育の検討を……?」
「そんな検討していないよ」
きらきら目を輝かせていたかと思えば、急にしゅんと眉を下げる。
朱夏は元気で忙しない。買い物に行っても、家でくつろいでいても、あまり変わりないように感じた。今日はいいことがあったのかな? などと頭の隅で考える弓弦は、朱夏のその明るさが弓弦限定のものであることをいまいち知らない。
「朱夏、僕、」
彼の膝の上に乗って、彼の頬に触れて。
自然と抱きしめてくれる両腕や、おかえしとばかりの優しいくちづけ、ゆるく編んだ髪を撫でる手のひら。弓弦は、真っ赤な瞳をそっと細める。
自分の病的な嫌悪は、もう治らない心の傷だ。
だからこそ、例外として、彼にだけは。触れられることも、触れることも、大丈夫で。もう昔のように怖いとは思わないし、こちらからのときも指先は震えない。
それがどれほどの幸せで、この心をあたたかく満たしてくれることなのか、
「貴方が好き」
こんなにも突拍子のない思考と感情、いつも僕を愛してくれてありがとう、僕も貴方が愛しいよとあふれ出る想いを、どこからどんなふうに伝えればいいのか――。
「あははっ、また唐突ですね」
朱夏は嬉しそうに笑う。ぱあっと眩しいほどに。
「ありがとうございます」と「俺の方が貴女を愛していますよ」、そう言って、弓弦をぎゅうぎゅう掻き抱く。嬉しいだとか愛しいだとか、そういう感情が、真っ直ぐ注がれ、伝わってくる。そんな力と両腕。
弓弦はひとまず朱夏を抱きしめ返し、彼の胸のなかで瞼を閉じた。
愛しい彼と隔たりなく触れ合えること。その喜びを噛み締めて、彼の背中を撫でる。
◆
「そういえば、弓弦、これが出ましたよ」
相変わらずのソファの上。
ふいに思い出したらしい朱夏が、弓弦に見せるそれは、黄色の指輪と赤色のイヤリング。そういうおもちゃだ。
「箱をよく見てみたら、ランダムふたつ入りだそうです。おもちゃの種類はたくさんなのに、俺と貴女の瞳の色のものが一緒だったんですよ」
さすが俺たちですよね、と。とても誇らしげな様子。
「ふふ、そうだな」
弓弦はそれらを受け取って、両手に大切に包み込む。朱夏と顔を見合わせ、ふたりで笑い合った。
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