しゅかゆづ短編集 1
おかしな夢を見る。
螺旋状の階段を、どこまでも、どこまでも降りていく。
まるで、死にゆくみたいに。暗い闇の底に誘われるみたいに。
僕の足は、一歩、また一歩と階段を踏みしめて、留まらない。降りていく。
だけど――自分の足を自分の意思で止められないのに、酷い不安感に襲われる。
立ち止まらないのは僕なのに、いやだ、と思う。
降りながら、進みながら、必死にそれを捜している。振り向くこともできないのに。この螺旋階段の底、昏い闇に呑み込まれてしまう前に。
……朱夏。朱夏、どこ。僕を、ひとりにしないで。どこにも行かないで。
降りていくのは自分なのに? ……ああ、よく、わからない。心の中が、ぐちゃぐちゃで、苦しい。
朱夏、――。
「弓弦!」
――彼の声がする。
螺旋状の階段の上から、底まで。その声ひとつで、薄暗く不気味なこの空間が、星を散りばめたように明るくなる。
それでも立ち止まれすらしない僕の腕に、しゅるりと巻き付くものがある。横目に見て、
「あ……」
僕は、まるで意味のない声をこぼす。
それは、暗闇に慣れた目に痛いほど、色鮮やかな朱色。
美しい羽根が凛々しく揺れる、龍神の尾。
僕の腕を掴むみたいにして、ぐいと引き上げる。その、驚くほどに強い力。
いつだって僕を愛し、護ってくれる、朱夏の――。
「弓弦、もう大丈夫ですよ。起きましょう」
ふわりと宙に浮かんだ僕を、背中から抱きしめてくれる腕があって。僕は、まだ、なにかに取り憑かれたみたいに、階段の底から目をそらせない。
そんな僕の耳もとで、彼は優しく囁き続けてくれる。
「起きて、こんな夢からさめて、美味しいココアでも飲みましょう。俺が作ってあげます」
「……朱夏、僕」
「はい」
「朱夏、」
僕は貴方がすき。
貴方がいないと、こんなに、怖い。そう、怖いんだ。どこへ行くにも、なにをするにも。
なにもうまく言葉にできないまま、やっと闇から目をそらし、振り向いて。
すぐそこにあった、朱夏の、きれいな金色の目に。それがやわらかく細められることに、なんだか泣いてしまいそうになって。
両手でぎゅっと彼にしがみつき、上へ、上へと、戻っていく。朱夏に引き上げられるまま、昏い昏い螺旋階段が、あっという間に遠くなっていく――。
はっ、と息を吸い込んだ。
呆然と目を瞬かせる。
夢からさめた、自覚はあるけれど。固まったまま、喉につかえた息を、吸えばいいのか吐けばいいのか、それすらわからずにいる。
気味の悪い夢を見た。
僕は、
「おはようございます、弓弦」
「……あ。朱夏、……朱夏」
「怖い夢でしたね。大丈夫ですよ」
目の前に、鮮やかな金色がうつった。
とても優しい声がした。
朱夏の赤い髪が、この明るい部屋で、灯火みたいに揺れている。
それらを見聞きして、僕の心は落ち着いていった。
朱夏の手のひらに頬をあずけながら、ゆっくり、ゆっくりと息を吐く。
そうだ、僕は、いつも通り眠って。変な夢を見て。
ここは、寝室。僕と朱夏が住む家。僕も朱夏も、広いベッドに横たわっている。朱夏がつけてくれたのだろうか、天井からの照明が、今さら眩しい。
朱夏が身を起こす。ぎしっと軽くベッドの軋む音がして、
「ココア、作ってきてあげます」
そう言って、ベッドを降りようとするから。
僕の手は、ほとんど無意識に、朱夏の服を掴んでいた。
「弓弦?」
「……っ」
きょとんと僕を見る朱夏に、行かないでと言いたくて、言葉に詰まる。僕の喉は、いつもこうだ。いざという時に、まったく役にたたない。
でも、手を離せなかった。朱夏、どこにも行かないで。ここにいて。僕の傍に。
「大丈夫、怖くないですよ」
なにも言えないでいる僕に、朱夏は笑いかけてくれた。
そっと言葉を注ぎながら、僕の手をとり、すぐに握ってくれる。振り払うためじゃない、と証明してくれるみたいに。
「あとで、一緒に作りましょうか」
するりと指を絡ませながら、そんなことまで言ってくれる。またもベッドが軋んで、朱夏が隣に寝転がる。僕は、安堵からの息をついた。
今はまだ、こくりと頷くことが精一杯で。朱夏に甘えてばかりで、情けない。
でも、こんな僕でいいよとばかりに、朱夏は微笑んでいる。つなぐ手はそのままに、抱きしめてくれて。その腕の中で、僕はよりいっそう落ち着いていく。
……暖かい。
朱夏はここにいるし、僕も、朱夏の腕の中にいる。
ただ、悪い夢を見ただけなのだ。朱夏が何度も言ってくれるように、大丈夫、なんだ。大丈夫――。
「朱夏」
「はい。弓弦?」
「ありがとう。もう、大丈夫」
やっと現実に帰ってこれた。そんな心地だった。
僕の目を見て、朱夏は笑う。
そして、自信満々に言った。
「俺は貴方をひとりにしませんよ。約束です」
「……うん」
ああまた貴方に救われていく。
どこまでも、限りなく。
螺旋状の階段を、どこまでも、どこまでも降りていく。
まるで、死にゆくみたいに。暗い闇の底に誘われるみたいに。
僕の足は、一歩、また一歩と階段を踏みしめて、留まらない。降りていく。
だけど――自分の足を自分の意思で止められないのに、酷い不安感に襲われる。
立ち止まらないのは僕なのに、いやだ、と思う。
降りながら、進みながら、必死にそれを捜している。振り向くこともできないのに。この螺旋階段の底、昏い闇に呑み込まれてしまう前に。
……朱夏。朱夏、どこ。僕を、ひとりにしないで。どこにも行かないで。
降りていくのは自分なのに? ……ああ、よく、わからない。心の中が、ぐちゃぐちゃで、苦しい。
朱夏、――。
「弓弦!」
――彼の声がする。
螺旋状の階段の上から、底まで。その声ひとつで、薄暗く不気味なこの空間が、星を散りばめたように明るくなる。
それでも立ち止まれすらしない僕の腕に、しゅるりと巻き付くものがある。横目に見て、
「あ……」
僕は、まるで意味のない声をこぼす。
それは、暗闇に慣れた目に痛いほど、色鮮やかな朱色。
美しい羽根が凛々しく揺れる、龍神の尾。
僕の腕を掴むみたいにして、ぐいと引き上げる。その、驚くほどに強い力。
いつだって僕を愛し、護ってくれる、朱夏の――。
「弓弦、もう大丈夫ですよ。起きましょう」
ふわりと宙に浮かんだ僕を、背中から抱きしめてくれる腕があって。僕は、まだ、なにかに取り憑かれたみたいに、階段の底から目をそらせない。
そんな僕の耳もとで、彼は優しく囁き続けてくれる。
「起きて、こんな夢からさめて、美味しいココアでも飲みましょう。俺が作ってあげます」
「……朱夏、僕」
「はい」
「朱夏、」
僕は貴方がすき。
貴方がいないと、こんなに、怖い。そう、怖いんだ。どこへ行くにも、なにをするにも。
なにもうまく言葉にできないまま、やっと闇から目をそらし、振り向いて。
すぐそこにあった、朱夏の、きれいな金色の目に。それがやわらかく細められることに、なんだか泣いてしまいそうになって。
両手でぎゅっと彼にしがみつき、上へ、上へと、戻っていく。朱夏に引き上げられるまま、昏い昏い螺旋階段が、あっという間に遠くなっていく――。
はっ、と息を吸い込んだ。
呆然と目を瞬かせる。
夢からさめた、自覚はあるけれど。固まったまま、喉につかえた息を、吸えばいいのか吐けばいいのか、それすらわからずにいる。
気味の悪い夢を見た。
僕は、
「おはようございます、弓弦」
「……あ。朱夏、……朱夏」
「怖い夢でしたね。大丈夫ですよ」
目の前に、鮮やかな金色がうつった。
とても優しい声がした。
朱夏の赤い髪が、この明るい部屋で、灯火みたいに揺れている。
それらを見聞きして、僕の心は落ち着いていった。
朱夏の手のひらに頬をあずけながら、ゆっくり、ゆっくりと息を吐く。
そうだ、僕は、いつも通り眠って。変な夢を見て。
ここは、寝室。僕と朱夏が住む家。僕も朱夏も、広いベッドに横たわっている。朱夏がつけてくれたのだろうか、天井からの照明が、今さら眩しい。
朱夏が身を起こす。ぎしっと軽くベッドの軋む音がして、
「ココア、作ってきてあげます」
そう言って、ベッドを降りようとするから。
僕の手は、ほとんど無意識に、朱夏の服を掴んでいた。
「弓弦?」
「……っ」
きょとんと僕を見る朱夏に、行かないでと言いたくて、言葉に詰まる。僕の喉は、いつもこうだ。いざという時に、まったく役にたたない。
でも、手を離せなかった。朱夏、どこにも行かないで。ここにいて。僕の傍に。
「大丈夫、怖くないですよ」
なにも言えないでいる僕に、朱夏は笑いかけてくれた。
そっと言葉を注ぎながら、僕の手をとり、すぐに握ってくれる。振り払うためじゃない、と証明してくれるみたいに。
「あとで、一緒に作りましょうか」
するりと指を絡ませながら、そんなことまで言ってくれる。またもベッドが軋んで、朱夏が隣に寝転がる。僕は、安堵からの息をついた。
今はまだ、こくりと頷くことが精一杯で。朱夏に甘えてばかりで、情けない。
でも、こんな僕でいいよとばかりに、朱夏は微笑んでいる。つなぐ手はそのままに、抱きしめてくれて。その腕の中で、僕はよりいっそう落ち着いていく。
……暖かい。
朱夏はここにいるし、僕も、朱夏の腕の中にいる。
ただ、悪い夢を見ただけなのだ。朱夏が何度も言ってくれるように、大丈夫、なんだ。大丈夫――。
「朱夏」
「はい。弓弦?」
「ありがとう。もう、大丈夫」
やっと現実に帰ってこれた。そんな心地だった。
僕の目を見て、朱夏は笑う。
そして、自信満々に言った。
「俺は貴方をひとりにしませんよ。約束です」
「……うん」
ああまた貴方に救われていく。
どこまでも、限りなく。