龍神さまと花嫁ちゃん(しゅかゆづ)
縁を断ち縁を結びて人よ世よ ようこそここはみなづき神社
みなづき神社――。
ひとけのない、静かな場所に唐突とある、立派な鳥居。
奥の、これまた立派な社が、こちらをじっと見つめている。そんな気がした。
悪縁を断ち、良縁を結ぶ。みなづき神社は、縁に強い。そう評判だ。鳥居をくぐり、手足を水で清め、ふと顔を上げる。
小柄で、細い。少女のような女性がいた。白と赤の巫女服。箒で、地面に落ちた緑葉を掃いている。ベージュ色の髪が風に揺れた。
この神社のひとなのだろう。声をかけてみる。
「こんにちは」
女性はこちらを見た。そのとき、何故だろうか、息をのまざるを得なかった。
彼女の瞳は真っ赤だった。炎を閉じ込めたかのような、しかし、見るからに繊細で。強靭なものと儚いものが混ざりあい、両立している。
その瞳に、引き寄せられるような。見透かされるような、心地。
「こんにちは」
静かに紡がれた声。はっと我に返る。
中性的で、とても聴き心地のよい声だった。そっと微笑まれる顔立ちも中性的。美しい少年、可愛らしい少女。そのどちらでもあるような、不思議な女性だった。
女性に軽く会釈をし、参道を進む。並ぶ灯籠、そして、狛犬……ではなく、ちいさな龍の像。めずらしさを感じながら、階段をいちにいさんと上り、見上げる拝殿。
先ほどと同じだ。まるで、こちらをじっと見つめるかのような威厳がある。何も問わず、語らず。賽子の目のように淡々と。
みなづき神社は、立派だが簡素な場所で、主祭神しかいないとされている。御常夏朱之空喰龍、つまり龍神。そして、其之花嫁。めおとの神。縁を断ち、縁を結ぶ――。
(こんにちは、龍神様)
賽銭。鈴鳴り。御辞儀をし、柏手。縁を断ちたい人も物も、たくさんあって願いに困る。
「――面倒くさいです。一行にまとめてください」
(……え?)
瞼を閉じ、ぐるぐるごちゃごちゃとお祈りしていたら、声がした。気だるげな男性の声。思わず顔を上げる。
今、確かに。それは聞こえた。向こうから。賽銭箱を超えて、拝殿の、奥の方から。清潔な畳に不自然な暗やみが落ち、その中に……誰か……目を凝らす。後ろから、ぶわりと吹き抜ける風。
鮮やかな朱色を揺らした。それは、くせの強い髪。頬杖をつく、明らかに不機嫌な顔の誰か。ぞっとするほど美しい、なにか。金色に煌めく瞳が、鋭くこちらを睨んで――。
(……どうか)
目を閉じる。一行。簡潔に述べよ、と『それ』は言ったのだ。下手をすると殺されてしまうかもしれない、そんな警鐘が頭に響く。
(幸せに……なれますように)
あれ? 私。
ああ、私の本当の願いは、ただひとつ。これだけだったんだ。嫌なやつや事柄と縁を断ちたいとか、良い人や出来事に恵まれますようにとか、そんなことではなくて。
ただ、幸せになりたいだけ。
合わせていた手を下ろし、ゆっくりと前を向く。奥には当然、誰もいない。龍神の像が祀られている。絡み、寄り添う龍神夫婦の像だ。赤と黄をメインにした、色とりどりの花が瑞々しい。
一礼し、背を向ける。なんだか、すっきりした気分だ。後ろで待っていたらしいふたり組とすれ違う。参道を、先ほどとは別の道から、ぐるりと行く。
きれいな唐傘と木椅子が目についた。看板がある。『みなづき珈琲店』……境内にちょっとしたカフェがあるらしい。今度来たら、寄ってみようかな。
手水舎と鳥居が見えた。もう一度、冷たい水で手を清める。五月半ばのよく晴れた昼過ぎ。夏をはらんだ陽射しに、ここの冷えた水は気分がいい。
鳥居をくぐり抜けたあと、何気なく、みなづき神社を振り返った。鳥居の向こう、箒を持ったあの女性と、朱い髪の、背丈からして男性が、なにやら話をしているようだ。
こんな遠目からでも、仲睦まじい様子だと解った。まるで、長年寄り添い続けている夫婦のように。
私は、神社を後にする。また来たい、と穏やかな心で。
◆
みなづき神社。鳥居の、すぐそこで。
「弓弦。俺、ちゃんと人間の話聞いてやっています。偉いでしょう?」
朱色の髪をした青年――朱夏は、ため息まじり。弓弦と呼ばれたベージュの髪の女性が、優しく笑みを深め、朱夏の頭をよしよし撫でる。
結構な身長差。弓弦は背伸びをしているし、朱夏のほうは少し屈んでいる。
「えらいえらい。格好いいよ、朱夏。さすが僕の旦那さまだね」
「ふふん」
甘い甘いふたりの空気を、拝殿の、鈴鳴の音が邪魔をした。朱夏は舌打ちをする。不機嫌に細められる金の瞳を、弓弦は苦笑して見上げている。
「ほら、もう少し頑張って。龍神さま」
ひとの姿をした、御常夏朱之空喰龍。朱夏は、むすっと拗ねた少年の顔つきで、弓弦の手を引く。彼女だけは、いついかなるときも慎重で大切にしたい。朱夏は、そんな龍だ。
「貴女も行きましょう。俺の愛しい妻なんですから」
「ふふ……うん」
ゆっくり歩いて、ふわりと宙に浮いて。拝殿の奥間、ひとが立ち入れぬ場所に降り立つ。
お互いを溺愛してやまない朱夏と弓弦は、このみなづき神社の主。――主祭神の、溺愛夫婦。
今日も、参拝客を横目に見たり見なかったり、ゆるふわらぶらぶスローライフだ。
みなづき神社――。
ひとけのない、静かな場所に唐突とある、立派な鳥居。
奥の、これまた立派な社が、こちらをじっと見つめている。そんな気がした。
悪縁を断ち、良縁を結ぶ。みなづき神社は、縁に強い。そう評判だ。鳥居をくぐり、手足を水で清め、ふと顔を上げる。
小柄で、細い。少女のような女性がいた。白と赤の巫女服。箒で、地面に落ちた緑葉を掃いている。ベージュ色の髪が風に揺れた。
この神社のひとなのだろう。声をかけてみる。
「こんにちは」
女性はこちらを見た。そのとき、何故だろうか、息をのまざるを得なかった。
彼女の瞳は真っ赤だった。炎を閉じ込めたかのような、しかし、見るからに繊細で。強靭なものと儚いものが混ざりあい、両立している。
その瞳に、引き寄せられるような。見透かされるような、心地。
「こんにちは」
静かに紡がれた声。はっと我に返る。
中性的で、とても聴き心地のよい声だった。そっと微笑まれる顔立ちも中性的。美しい少年、可愛らしい少女。そのどちらでもあるような、不思議な女性だった。
女性に軽く会釈をし、参道を進む。並ぶ灯籠、そして、狛犬……ではなく、ちいさな龍の像。めずらしさを感じながら、階段をいちにいさんと上り、見上げる拝殿。
先ほどと同じだ。まるで、こちらをじっと見つめるかのような威厳がある。何も問わず、語らず。賽子の目のように淡々と。
みなづき神社は、立派だが簡素な場所で、主祭神しかいないとされている。御常夏朱之空喰龍、つまり龍神。そして、其之花嫁。めおとの神。縁を断ち、縁を結ぶ――。
(こんにちは、龍神様)
賽銭。鈴鳴り。御辞儀をし、柏手。縁を断ちたい人も物も、たくさんあって願いに困る。
「――面倒くさいです。一行にまとめてください」
(……え?)
瞼を閉じ、ぐるぐるごちゃごちゃとお祈りしていたら、声がした。気だるげな男性の声。思わず顔を上げる。
今、確かに。それは聞こえた。向こうから。賽銭箱を超えて、拝殿の、奥の方から。清潔な畳に不自然な暗やみが落ち、その中に……誰か……目を凝らす。後ろから、ぶわりと吹き抜ける風。
鮮やかな朱色を揺らした。それは、くせの強い髪。頬杖をつく、明らかに不機嫌な顔の誰か。ぞっとするほど美しい、なにか。金色に煌めく瞳が、鋭くこちらを睨んで――。
(……どうか)
目を閉じる。一行。簡潔に述べよ、と『それ』は言ったのだ。下手をすると殺されてしまうかもしれない、そんな警鐘が頭に響く。
(幸せに……なれますように)
あれ? 私。
ああ、私の本当の願いは、ただひとつ。これだけだったんだ。嫌なやつや事柄と縁を断ちたいとか、良い人や出来事に恵まれますようにとか、そんなことではなくて。
ただ、幸せになりたいだけ。
合わせていた手を下ろし、ゆっくりと前を向く。奥には当然、誰もいない。龍神の像が祀られている。絡み、寄り添う龍神夫婦の像だ。赤と黄をメインにした、色とりどりの花が瑞々しい。
一礼し、背を向ける。なんだか、すっきりした気分だ。後ろで待っていたらしいふたり組とすれ違う。参道を、先ほどとは別の道から、ぐるりと行く。
きれいな唐傘と木椅子が目についた。看板がある。『みなづき珈琲店』……境内にちょっとしたカフェがあるらしい。今度来たら、寄ってみようかな。
手水舎と鳥居が見えた。もう一度、冷たい水で手を清める。五月半ばのよく晴れた昼過ぎ。夏をはらんだ陽射しに、ここの冷えた水は気分がいい。
鳥居をくぐり抜けたあと、何気なく、みなづき神社を振り返った。鳥居の向こう、箒を持ったあの女性と、朱い髪の、背丈からして男性が、なにやら話をしているようだ。
こんな遠目からでも、仲睦まじい様子だと解った。まるで、長年寄り添い続けている夫婦のように。
私は、神社を後にする。また来たい、と穏やかな心で。
◆
みなづき神社。鳥居の、すぐそこで。
「弓弦。俺、ちゃんと人間の話聞いてやっています。偉いでしょう?」
朱色の髪をした青年――朱夏は、ため息まじり。弓弦と呼ばれたベージュの髪の女性が、優しく笑みを深め、朱夏の頭をよしよし撫でる。
結構な身長差。弓弦は背伸びをしているし、朱夏のほうは少し屈んでいる。
「えらいえらい。格好いいよ、朱夏。さすが僕の旦那さまだね」
「ふふん」
甘い甘いふたりの空気を、拝殿の、鈴鳴の音が邪魔をした。朱夏は舌打ちをする。不機嫌に細められる金の瞳を、弓弦は苦笑して見上げている。
「ほら、もう少し頑張って。龍神さま」
ひとの姿をした、御常夏朱之空喰龍。朱夏は、むすっと拗ねた少年の顔つきで、弓弦の手を引く。彼女だけは、いついかなるときも慎重で大切にしたい。朱夏は、そんな龍だ。
「貴女も行きましょう。俺の愛しい妻なんですから」
「ふふ……うん」
ゆっくり歩いて、ふわりと宙に浮いて。拝殿の奥間、ひとが立ち入れぬ場所に降り立つ。
お互いを溺愛してやまない朱夏と弓弦は、このみなづき神社の主。――主祭神の、溺愛夫婦。
今日も、参拝客を横目に見たり見なかったり、ゆるふわらぶらぶスローライフだ。
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