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溺愛しゅかゆづ夫婦 8

 蝶々の標本が好きだ。なるほど、そうやってきれいに飾っていられるらしい。人間のふりをしながら、俺は知った。面白い発想。

 俺が標本にしたいのは、貴女だけ。ねえ弓弦。でも、俺のおかげで老いも死ぬも失ってしまった貴女は、すでに俺の標本なのではないでしょうか。
 瞬き、息をし、美しい声、麗しい言葉を紡ぐ。俺の手のひら、溺愛の硝子の中。

「どうしたの、朱夏? ぼんやりして」
「……いいえ。貴女が愛おしいんです」

 俺と貴女。ふたりきりの住処。あたたかいリビング。ふたりで気に入ったソファに座り、貴女は俺の腕の中。膝の上。
 真っ赤できれいな瞳を不思議そうに瞬かせ、俺を見上げる弓弦。ゆるく首を振り、微笑みながら、思う。
 貴女は俺の、こんな、ふいの衝動を知らないでしょう。いいえもしかしたら、とっくに知っていて、気づいていないふりをしてくれているのでしょうか。

「また、急に」
「急じゃありません。毎日毎秒、貴女を想っています」
「わ、わかった、……から」

 ぶわっ、かああって、真っ赤になる様子が可愛らしい。ああその一瞬すら惜しい。目に焼きつけるだけじゃあ、足りないんです。なんでもかんでも。貴女のすべてが。

 ねえ弓弦。俺の標本になってくださいませんか。
 そう言ってみたら、貴女はどんな反応をするんでしょう。本当に蝶の標本のようにはできないから、きっと後悔してしまうから、せめてもの空想を。
 貴女は、怯えた顔で俺を見るのでしょうか。
 またそんな冗談を言って、と無防備に流してしまうのかな。
 それとも。

『やだ。僕は標本じゃない、貴方のお嫁さんだから』

 むっとむくれる顔が思い浮かぶ。拒んでおきながら、そこなんですか? とこちらが突っ込みたくなるような言葉が思い起こされる。
 そして、それが、いちばん腑に落ちた。ああ、貴女はきっと、そういう反応をする。
 そうですね。貴女は俺の、俺だけの、たったひとりの愛しいひと。

「ぃた、え、朱夏っ、ちからつよ、ぃ……っ」
「あ。ああ、すみません弓弦、すみません。つい」
「はあ、ついって。まったく……」

 ぼうっとしていたら、腕に力がこもってしまった。
 うめく弓弦に我に返り、あわてて力をゆるめる。弓弦は大きく息をつき、じとりと俺を見た。睨むようでいて、気遣わしげな眼。

「そろそろ寝る?」
「ん、そう、ですね」

 俺の髪を、ふわふわ、優しく撫でて。
 そういえば、もう、こんな時間なんですね。日付けを跨ぎそうな夜刻。
 こくりと頷いた俺は、このまま弓弦を横抱きにし、ソファから立ち上がった。
 驚く弓弦の額にキスを落とし、歩く。

 ……少し。どろりとした、時おり、どうしようもない衝動。これも貴女が愛おしい証なんです。
 ねえ弓弦。愛しい貴女と、やわらかい毛布に横になり、なんでもなく笑い合う幸せを噛みしめながら。


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