Beauty is within us
産まれてきた肉塊は
泣かぬと決めて
嘴を閉ざしたのに
――
それはかつて
私がされたことと
同じだった
――
息を吹き返した小鳥が
おとなたちの手によって
育つための巣へと
運ばれていく
「美しくおあり」と
育てられるために
赤子が泣き叫ぶ声がした。
私は目を醒ました。池の中だった。
肌に着物が張り付く。膚が冷やされていく。
水音。このまま、溶けてしまえばいい、と思ってまた、まぶたをとじた。
けれど上界から叫び声があがった。
「うぎゃあああ!
お前はばかか!
死ぬぞ!」
ばしゃばしゃと水面がしぶきをあげる。
服が濡れることもいとわずに池の中に入って来た大柄な男――
指先が彼の胸に触れた。
凍えて震えていたはずの指先が、静かになった。
犬に抱えられて、室内に戻る。
牢獄のような、巣箱の中に。
「奥方より文が届いております」と、
一通の手紙を手に使いが来ていた。
ずぶ濡れの私と犬を見て、怪訝な顔をする。
そりゃそうだ。
本来の身分であるならば、犬は私には
犬の本来の役目は「厄を払う」ために「主の側にいる」ことだけだ。
遠く異国の犬は、我が妻が連れて来た一匹の犬。
私の出産は、
表向き「闘病」のため、避暑の聖域で羽やすみをしていると公表している。
妻も私の真実を知らない。
我が身を案じて、寄こした一匹の犬は、私が回復することを願って与えられた、供物だ。
侍従が慌てて走って来た。手にしている布が私の体に巻き付いて来る。
「すぐに読む」
私の返事に、使者がおいていった手紙を我が手元へと引き寄せる。
「なんだって」
耳元で犬が吠える。
「私が寄こした犬が役に立っているか、だそうだ」
「ははーん」
犬はにやりと笑った。
「そりゃ大活躍と返してやるんだな」
私は
「馴れ馴れしくてたまらんと返しておこう。
そなた、私と話ができるほども身分ではないのだぞ」
犬は笑った。
「お貴族さまの癖に心は貧しいんだな」
意をついている。
侍従が怒りの声をあげている。
それすら遠い。
――可愛いな。
夜、ひとりで巣に戻る。
うとうとしていると、今日の犬の不機嫌な顔を思い出した。
可愛いのだ。あの、男が。
だが、それがどうだというのだ。
心臓が痛んだ。
まったく、なんていう国だ。
上も下も迷信を固く信じている。
自分たちが世界の中心だという幻想の上でなりたった砂上の楼閣だ。
いつ崩れ落ちてもおかしくない、そんな怪しいものの上に、鳴り立った王国。
楽園のように美しい国だが、その内実は――。
「まったくけしからん。
これだから異国の者など、
リヒトさまに近づけさせてはならぬと、
口をすっぱくして申し上げていたのに」
くどくどと頭のなかに、侍従の嫌味な声が響き渡っている。
自分がどういう扱いを受けるのかなんて、
ここに来る前から、ある程度、わかっていたつもりだった。
だが、想像以上に――。
俺が仕えることになったユラの君は、
夫の病状回復を願って
俺を送りだした。
初めて、主の夫を見たとき、
心臓がとまるかと思った。
そこに居たのは、
魂なき、人形。
ただ美しいだけの人形だった。
黄金色の髪を垂らして、
ただ、呆然とそこに「在る」だけの、
ひとのかたちをした入れ物だった。
して、俺は、
帰りたいと思うだけの故郷がない。
やつらの侵攻を受け、いつの間にか、
まるっと地図から消えていた。
もう、戻る場所はない。
いずれ、この国も、広がりつつある戦火に巻き込まれ、
きっとこの美しい緑を失うのだろう。
地図の上には、侵略者の名前が刻まれる。
それにしても、と、
あのガキのことを考える。
闘病のために、都を離れたのではなかったのか。
毎日毎日、入水騒ぎを起こしては、
俺に引きあげられる毎日だ。
血色の悪い唇は青く、
肌は薄ら白くて、気味が悪い。
――そう、まだガキじゃないか。
あれが、聖位後継第二位、
母は四品の君、現聖帝を伯父にして、
生まれながら「そういう役目」を背負わされた子どもの顔か。
俺にはただのクソガキにしか見えない。
好き嫌いの激しいただのガキだ。
そして、彼の好き嫌いの、嫌いは
俺に向かってくる。
はっきりと向けられた嫌悪のなかに
ほのかな好意を匂わせて。
――というわけで、今日も
入水して冷えた体を引き上げて来た。
使者が来て、来客だと知らせる。
「髪を染めるから出て行け」
といわれて、驚いた。
なぜ、これほどのものを
黒く染めようというのか。
使者が来客を告げた。
またあいつか。
私は髪を染めるために、犬を退かせた。
この国での正式な色は「烏色」。
たまに先祖返りで私のような髪色に生まれる者もいるらしいのだが、
ああいう男をこちら側につかせるためにも、
活かせるものは活かしたほうがいい。
染め上げた髪で応対すれば、
都からわざわざ見舞いにきた男は、
親し気に私に触れて来た。
そばにいるんじゃなかったと後悔した。
あいつの立場をわかっていたはずだった。
だが、見まいに来た有力貴族とのやりとりにぞっとした。
まだ子どもだぞ、何を――。
ああ、ああやって、力あるものにとりよって、
そうして、彼は自らを続けて来たのか。
じっと陰で伺っているつもりだったが、
物音を立ててしまった。
気づかれたかもしれない。
遠い日の蝶を見た
黒いつばさの、迷蝶
いつか嵐に巻き込まれて
知らない国に迷い込んだ
私の手のひらの熱に
薄い翅を下ろして
そのまま息絶えていった
私は彼の網膜がたどってきた
景色をなにひとつ知らない
美しくあれるのは
ただ、全身を覆う羽が
王者のものを模しただけだ
はぎとれば
何も残らない
男にも女にもなれない
ただ異物がそこに残るだけ
犬を呼んだ。
素行がわるいと罵ったが、
犬は怒らなかった。
私は犬が嫌いだ。
私に微笑む者すべてが
嫌いだ。
私は自らの股を開いて見せた。
これが、真実だと、犬に見せつけた。
犬も、もう、私を
美しいとは思わないだろう。
月が出た。
今夜は美しかった。
でも、まぶしい光はもういらない。
すべてを包み込む暗闇がほしかった。
もう何にも照らされず、
ただ闇の中、
誰でもない私をひとり、
どうかひとりにしてほしい
※小説にしようとしたけれど、ことばにうまくまとまらなかったので、たぶん、あとで漫画にします。
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