貴女の名前を入力してください。
プロビデンス
空欄の場合は「名前」になります。
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
誰の気配も感じないことを確認するため、背の高い木の幹に腰を屈めて身を隠した。
表面のボコボコとした木の皮を、手で少し押さえながらしゃがんだ体のバランスを取る。
吹き抜ける木枯らしが、袖や裾から出た手足の温もりを攫って行く。
踵を踏んだ、古いスニーカーの毛羽立って空いた穴からも、風が入ってくる気がする。
季節柄、もう夜は肌寒い。
もう少し分厚い上着を羽織って来れば良かったと、後悔してももう遅くて…何とか二の腕を抱くように覆って擦り、体に熱を溜めようと試みた。
太陽が身を隠して、代わりに顔を出す淡い光の月。
何もかも照らして曝け出してしまう太陽よりも、私は夜の月が好きだ。
隠したいことを、隠しやすいから……。
穏やかな光は、見守ってくれるみたいだから……。
背の高い、伸びた雑草たちを掻き分けて、整備されていない砂利道を踏みしめて、私は今日もここに来る。
皆がやってくる、日曜日を待たずに……夜更けに懺悔をする。
ずっと、ずっと、腑に落ちない何かに脅えていて…それをどう説明したらいいのか…わからない。
一言でいうならば、「違和感」。
それの違和感に私は…何年も前から、取り残されている。
礼拝堂の門を開ける。
照明が消えていて、暗い室内に物怖じしそうになるが、慣れた動作で迷わずに電気をつけて入っていく。
『ああ、』
膝を折って、私は独白に似た口調で懺悔を始めた……。
・・・
神様、どうか聞いてください。
私の一番古い記憶を、どうか聞いてほしいのです。
それは、お父さんとお母さんが、私を殴っている場面です。
まるで悪魔の様な形相で、私を力いっぱい殴りつけるんです。
とても、怖かったです。とても痛かったです…。
痛くて泣いて、止めてくださいとお願いしてもやめてはくれませんでした。
『そして……』
いつも、ここで息苦しくなる。
理由はわからない。
わからないまま、私は続ける。
・・・
…、…気付いたら、お家は火炎に包まれていました。
このあたりの記憶はとても曖昧なんですが……。
傷だらけの私を…そこから救い出してくださったのが今のお父様です。
私は、お父様にはとても感謝しているんです。
……でも、その記憶が…今考えると、どこか違和感があるんです…。
具体的にどこが違和感なのかわかりません。
お父様に感謝しているのに、今の私をここまで育ててくれた慈悲深いお父様なのに……
心から感謝して毎日を過ごしたいのに。
私は、それができません……。
・・・
『何の違和感か、解らないまま…私は、このままお世話になっていてもいいんでしょうか…?』
当然の様に……答えなんて返ってこずに静まりかえっている、礼拝堂。
こんなこと、誰にも聞かせられないから、いつも私は夜抜け出してここに来る。
今の言葉通り、私は両親に恐らく虐待をされていて、ボロボロでしにそうになっていた。
そんな中で家も燃えて、もう命の灯も尽きようとしていた。
そこを今お世話になっている牧師様に、助けられて、そこから何不自由なく、大事に育てられたのだ。
両親は、その火事で助からなかった……。
私の傷も酷くて、回復までに時間がかかった。
お父様は、献身的に私を看病してくれた。父親代わりに育ててくれたのだ……。
『…』
腰をあげて帰路に着こうと、礼拝堂を出た。
電気も消して、痕跡を消す。
ほんの数10分だけの間に、また外気の温度が低くなったようだ。
肩を摩りながら、白く染まりそうな息を吐いて、お父様の家へと急いだ。
◇◇◇
翌朝、ベッドで掛布団にくるまって起きれずにいる私を、優しい耳障りのいい声が、無理なくゆっくりと目覚めを促してくれるように、響いた。
「おはようございます。起きれますか?」
柔らかな朝日を逆光に、ベッド脇に屈んで私の様子を見ているお父様がいた。
いまだにくっつきがっている私の瞼を、手の甲で擦って別れさせようとした。
「ああ、名前。擦るのは目に良くないですよ。」
目をしょぼしょぼとさせる私を、クスクスと笑って制するお父様。
なんて幸せな朝なんだろう?
それなのに……。
胸がチクリと痛む。
育ててもらっている恩を感じるからこそ、違和感に苛まれることに罪悪感を覚えるのだ。
窓からの朝日が、お父様を後ろから照らしてくる。
顔が良く見えないな、と起き抜けなことも相まって、見えない顔を見ようとして目を凝らす。
「食事ができていますよ。降りてきて…おや。髪に何かついていますよ。」
お父様がそう言って、私の髪についた何かを取ってくれた。
「葉…?葉がついていますね。昨日入浴して寝たのに……?」
その言葉に驚いて、ビクッと肩を震わせた。
私は、ぐるぐる思考を巡らせながら考える……。
『お父様、…窓、開けて寝てしまいました…、夜中に寒くて目が覚めて、閉めてからまた寝たんです。きっと、その時に入ってきたのかも……?』
ゆっくり、温かい生唾を飲み込むと、お父様の影が私に降りているため、視線でその影を辿って、お父様の顔を見上げる。
「……、それは…大変でしたね。昨日は寒かったでしょう。ああ、もう朝食が出来てますから、落っこちない様に気を付けて降りてきてくださいね。」
そう言いながら、にっこりと微笑むお父様がいた。
手にある葉をまたじろりと一瞥したあと、傍のゴミ箱に捨てる。
屋根裏部屋のため、いつも気を付けて降りてきてと言われる。
もうそれも挨拶のようなものだ。
こんなに尽くされているのに、どうして違和感に取り憑かれているんだろう私は……。
先に降りるお父様の背中を、目で追いながら、私もゆっくりベッドから降りてリビングに向かった。
◇◇◇
お父様の朝食は、温かいスープだった。
最近は寒いので、スープのことが多い。
スープとお皿に乗せられた目玉焼きが乗ったトーストのどちらとも、出来立てを告げるようにホカホカと白い湯気が上がっている。
食前のお決まりの挨拶を済ませると、朝食を口に運んだ。
目の前に腰かけたお父様は、自分が食べるより先にいつも私を見つめて
「美味しいですか?」
そう聞いてくる。
微笑み、慈愛に満ちた綺麗な笑顔で。
『美味しいです。いつも、ありがとうございます。』
まだ年も若い牧師のお父様が、私を引き取ることも躊躇なく決めたと、近所の人から聞いた。
“なんて素晴らしい方なんでしょうね”
この小さな村で、お父様の信頼はとても厚い。
誰にでも分け隔てなく接する。
浮浪者にも、食事をわけること、助けることを厭わない。
“まるで天使のよう”
みんな口を揃えてそう言う。
私もそう思う。
口汚く怒られたことも、手をあげられたことも一度もないのだから。
・・・
だからこそ…この正体不明の違和感など、早く捨ててしまいたい…。
そして、変わらない寵愛を、一心に受けて…感謝したいし、恩返しをしたい。
・・・
誰にも相談なんてできないのだから、解決できるのは私自身の気持ち次第。
そう、思っていた――…。
◇◇◇
ある日、この小さな村に老人が訪ねてきた。
杖をつき、体を震わせながら…。
お父様は、その日は日曜日なこともあり、礼拝堂を開けてみんなでお勉強をしていた。
なので、その日の礼拝堂にはたくさんの人がいた。
敬虔な牧師のお父様は、優しく声をかけて老人を礼拝堂へと招待した。
「私のね…、娘夫婦は、どこかな?」
老人はそう問いかけた。
「今この場にはいませんか?」
そうお父様が聞き返すと、
「……いないねぇ。娘夫婦、何年か…前にね、ここに引っ越してきてね…」
と話し出した。
「手紙でね、自分の娘に悪魔が取り憑いた…って、きてね…。そこから、音信不通なんだよ……。」
喉を大きく動かしながら、喘鳴の様な音を立てて説明する老人。
体の調子があまり良くなさそうだ。
その娘夫婦を探しに来たのかなと、お父様はどうするのかなと、お父様へと視線を移した。
『……っえ、』
お父様は、今までに見たことがない表情だった。
焦ったような、憎いような…、何にも形容しがたい表情をしていた。
老人は続ける。
「悪魔が取り憑いたとある人に言われたんだって……。手紙が、曲がっててね…インクの文字が滲んでてね……、悲しんでいるようでね……。」
ゴホゴホッと咳をするご老人を、お父様は、いつもの表情に戻してから声をかける。
「私の家で、ゆっくりその話を聞かせてくれませんか?…皆さん、今日は解散にしましょうか…。」
そう言うと、老人を連れて遅い足並みを揃えてやりながら、ゆっくりと近くの家まで連れて行った。
◇◇◇
リビングで、温かい来客用の紅茶を作り、テーブルに持っていくお父様。
「……、名前は、屋根裏部屋に行っていなさい。」
私に、席を外すように言ってきた。
いつもと違って、声に怒気をはらんでいる気がする……。
力強い口調でそう言われて、『はい』と返事をして階段をあがる……。
・・・
神様、ごめんなさい。
ずっと、求めていた答えが知れる気がするんです。
今だけ、お父様を欺く私をどうか、どうか……お許しください。
・・・
祈るように手を重ね合わせる。
祈り、だ……。
これは。
一度、上がった階段をまた降りていく。
足音を消しながら。
リビングのすぐそばまで忍び寄った。
ただの勘だが、あの老人の言うことに、何かヒントがある様な気がした。
◇◇◇
「悪魔憑きだなんて…、今時、そんなものあるかいねぇ……。」
「…、あるかもしれませんよ?」
話し声が聞こえてくる…。
壁の向こうで、私は耳をすませた。
いつも夜、隠れて懺悔をしにいっている。
私は忍び寄るのが得意だ。
「迎え入れてくれた村でね…、信頼が厚い人からそう言われたら…、逆らえなかったんだと思う……。村の誰かに、折檻されるぐらいなら、自分たちで、折檻したかったんだろうね……。」
「…その、夫婦の話が、本当とも限りませんよ。」
ズ…と紅茶を飲み、向かいの席に座って老人を見据えているお父様の横顔が見えた。
「お金に困っていたようですからね……親であるあなたの同情を引いて、お金を無心したかったのかもしれませんよ…?」
フフッと微笑むお父様。
顔は天使の様に穏やかなのに、口から出る毒をはらんだその言葉は、とても…相反していて同じ人物から出た言葉とは思えなかった。
・・・
……一体、何を言っているんだろう?お父様は、あの老人の娘夫婦の……何を知っているんだろう…。
向かいの老人は、瘦せ細った指を、震わせながらお父様に向けて、指差した。
「……やっぱり、あんただろ……っ?さっきの子は、“私の孫”なんだろ?返してくれ……。」
「……、確証、あります?子供の成長は早いでしょう?もう5年以上も逢っていないのに、見分けなんてつきますか?」
そう言うと、椅子を引いて、立ち上がった。
「嘘を本当だと信じ…あの娘夫婦と同じことをしていますね。流石親子ですね。」
ゆっくりと、老人に近づくお父様。
にこやかに、何の曇りもない表情だ。
何も知らずに、あの顔を見たならば、誰がお父様を疑うのだろうか?
白い髪が揺れて、キラキラしている。
お父様はいつ見ても、綺麗。
どんな時も、綺麗。
疑う余地なんてない…、私には…だから、正体不明の【違和感】しかなかった。
説明のつかない感覚でしかなかった。
この小さな村で、お父様は絶対的な存在で、まるで唯一無二の神のようだ。
「無理しないで…、お薬を飲んでください。その体じゃ…ここまで来るのも辛かったでしょう?」
いつの間にか抱きかかえられている、あの人は、力ないから抗えなくて…声を出せない様に、口を塞がれていていた。
慈愛に満ちた表情でお父様は話し続ける。
「あなたの娘夫婦は、お金がなくこの村に逃げてきた。お金がないのに、可愛い子を育てようとしていたから……私は、養子にくださいとお願いをしたんです。でも、」
「必ず、自分たちで育てたいと聞かなかった。私は…あの子がとても欲しかったんです。私の元に来れば、何不自由なく、私の分身の様に美しく穢れなく、育ててあげられると思ったから……。」
「貧困という理由で、あんなに痩せ細って、薄汚れた姿を見るのが心苦しかったから……、」
「あの夫婦の罪は、自分の娘を悪魔憑きと疑ったことです。」
老人は口を押えられながら、首を振って抗議をする。
お父様は、その様子を見て被せるように「いいえ。」と呟いた。
「名前を、殴り折檻したのは事実でしょ?その裏側の想いなんて、誰も知らないですし…どうでもいいんです。」
「きっとすべては…神の、思し召しです。結果、穢れなく美しく育ちましたから。」
「あの子を生み出してくれたこと。それだけは感謝してもしきれません…。」
――私は、もう、何も聞きたくはなかった。
息を殺して、自分の想いとは裏腹に震えの止まらない体を引きずった。
何とか、屋根裏部屋に戻り、ベッドに向かう。
縺れた足は、ベッドにまで乗れずに途中で寄り掛かる形で力尽きた。
柔らかな、マットレスに手を突いた。
視界に私の両腕が映るのに、最後の古い記憶がビデオテープのように再生されていく。
違和感の正体は、両親が私を殴っているその時の表情だったかもしれない。
あんなに力いっぱい殴りながら、どうしてあんな表情だったんだろう…。
そうだ、あの時の両親の口許が「ごめんね」と、象っているかのようだったんだ――…。
雫が飛んで、顔に落ちる感触が…今思い出されたあの顔が……違和感の正体だったんだ。
◇◇◇
あれから、いつの間にか老人は村を出ていた。
何処に行ったのかはわからない。
誰の手も借りずに、いつの間にかいなくなった。
その日から何週間か経ち、庭にはいつの間にか知らない花の種がまかれ、芽が出ていた。
私はその芽の世話をする。
じょうろから、キラキラと太陽光に反射して小さな虹を作りながら、命を繋げる水飛沫が降り注いだ。
芽は、それを一身に受けてこれから大きくなる。
きっと、とても綺麗な花が咲くんだろうな…。
・・・
あれから、もう夜中に家を抜け出して礼拝堂に行くことはしなくなった。
もう、違和感の正体は掴めたからだ。
お父様を疑う自分を恥じて、罪悪感に苛まれる必要はないからだ。
そうした私に、ふとお父様は聞いたんだ。
「……最近、もう礼拝堂に行かなくなりましたね。」
いつから、知っていたんだろう。
私が、後数年して、この身が成熟したら…ここを出れるのかな?
それとも、お父様のあの献身的な愛に応えることで、救われるのだろうか?
違和感の正体に気付きながら、ここを離れられずにいる私を……許してくれるのは、きっとこの世で一人、この村で神がわりのお父様だけだから。
End
1/1ページ