銀魂カプなし小説
見廻り中、「そういやここの甘味処、新商品の桜餅が美味いらしいぜ」という何気ない自分の言葉に土方が「じゃあちょっと寄ってみるか」と返したことに、原田はひどく驚いた。
「えっ」と思わず隣を歩く土方の顔を覗き込むも、彼は普段と変わらない顔をしている。
「どうした?」
わずかに首を傾ける土方に、原田は「いや、何でもねェ」と苦笑まじりに手を振ってみせた。
二年前の、国どころか星まで賭けた大戦と、それから数ヶ月前のターミナルでの戦い。それらを経た今、土方はなんだか丸くなった。おそらく、真選組の隊士のほとんどがそう感じていると思う。
もちろん「鬼の副長」は健在で、小言や怒鳴り声はおろか果ては暴力まで振るう厳しさは相変わらずだが、それでもふとした時の表情や言動から角が取れた。
あの近隣道場の連中を震え上がらせていたバラガキが、と思えば少し可笑しい気にもなるが、それでも原田は土方の柔くなった振る舞いを微笑ましいと感じている。
赤茶色の暖簾をくぐり戸を開けると、甘い匂いがふわりと鼻をくすぐった。
「あら、副長さんと隊長さん、いらっしゃい」
おばちゃんが目元の皺を深くしながら出迎えてくれる。白いおまんじゅうを思わせるような、柔らかな笑顔だ。
「おばちゃん、久しぶり」
「おう」
ニカッと笑う原田に続いて土方も軽く頷く。ここの甘味は優しい味だが決して甘すぎないのが売りで、進んで甘いものを食べない原田と土方もこの店のものは気に入っている。たまに非番がかち合ったときなど、映画を見た帰りに立ち寄ることも多い。
「どこでも好きなとこに座ってちょうだいね」
八つ時にはまだ早いこともあり、店内には他の客の姿はない。二人は一番奥の席へと座った。水を運んできてくれたおばちゃんに桜餅を二つ頼む。店内と厨房を隔てる暖簾の奥に引っ込んでいったおばちゃんを見送って、原田はふう、と人心地ついた。
夫婦二人で営むこぢんまりとした店には彼らの優しい雰囲気が店の中いっぱいに漂っているようで、ゆったりと落ち着ける空間となっている。
「それにしても、アンタが見廻り中に休憩するなんて珍しいな。昔からじゃあ考えられねェ」
煙草が吸えなくて手持ち無沙汰であるらしく、冷たいおしぼりの端っこを弄っている土方の顔を覗き込む。一瞬きょとんとした土方は、すぐに眉間に皺を寄せた。
「べつに、ただそういう気分だっただけだ」
不機嫌そうに顔を背けた土方は、小さな声で「それに」と付け加えた。
「この町で暮らしてる人の生活を知っておくのも警察としちゃァ大事なことだろ」
ぼそぼそと告げる声音はぶっきらぼうだが、それが照れ隠しに他ならないことは分かっている。原田は口の端を持ち上げて笑った。
やっぱり、この男は変わった。
さっきまでに増して忙しなくおしぼりを弄る土方の指を見つめる。クールなようでいて、その実この男の感情は案外分かりやすい。きっと今感じているのは、きまり悪さと気恥ずかしさだ。長年ともに過ごしてきたから、ふとした仕草に滲む心の機微にも気付けてしまうのだ。
何かからかう言葉をかけようとしたとき、不意に暖簾の向こうが賑やかになった。奥の厨房には老夫婦二人しかいないはずだが、聞こえた声は複数人でありおそらく若い人間のものだ。何事か、と原田と土方は二人して暖簾のほうへ視線を向けた。
「おばちゃん、両方とも修理は終わったぜ」
「雨漏りしてたところは瓦を差し替えておきました。それから、戸棚の扉は蝶番が古くなってたので取り替えました」
「分かったわ。いつもありがとねェ」
「さすが万事屋さん、仕事が早くて助かるよ」
「当然ネ。いつでも何でも任せるヨロシ!」
「うふふ、頼りにしてるわ」
全部筒抜けの会話の内容と、聞き馴染みのありすぎる声と口調。相変わらず、どこにいたって賑やかな連中だ。
「ほんと騒がしい奴らだなぁオイ」
呆れながら小声で言う。すると土方は、ふっと軽い息をもらした。
「そうだな」
呟く土方は、同じように呆れながら、けれど柔らかな顔で笑っていた。
原田は思わず瞠目する。きっと不機嫌そうに眉を寄せて、苦虫を噛み潰したような顔をしているとばかり思っていたのだ。
確かに、万事屋の連中との関わりは決して浅くはない。腐れ縁としか言いようがない、何とも不思議な縁で繋がった彼らとは様々な局面でかち合ってきた。時には手を借りて、時には手を貸して、しかし基本的には悪態を吐き合っていがみ合う。それが基本的なスタンスだったはずだ。
けれど、今、目前の土方の表情はひどく柔らかい。目を細めて、まるで眩しいものでも見るかのようだ。
暖簾の向こうでは、相変わらず賑やかな声が響いている。
「三人ともお疲れ様。おやつを用意してあるからぜひ食べていってね」
「きゃっほー! 私お腹ぺこぺこヨ!」
「じゃあちょっくらご馳走になるか」
「すみません、ありがとうございます」
「いいんだよ。俺たちゃァまた三人の賑やかな声が聞けて嬉しいんだから」
「そうよそうよ」
穏やかな老夫婦の声。柔らかく包み込むようなそれは、二人の作る菓子の味によく似ていた。この二人も、万事屋の三人がこの町に帰ってくるのをずっと待っていたのだろう。自分たちの作った菓子を万事屋の三人が食べてくれる日を待っていたのだ。
暖簾の向こう、確かにそこにいる彼らを見つめていた土方が、そっと目を伏せた。その瞳はひどく穏やかで。ふう、と静かに吐き出された吐息は何かを噛みしめているようで。
ああ──、と原田は内心で嘆息した。
この老夫婦と同じなのだ、土方も。いや、きっとそれ以上に。憚ることなく、万事屋を探しに行くと言ったこの男だから。
やはり、この町にはあの連中がいなくてはならない。俺たちが──真選組が護る町は、あの連中がいる町なのだから。
土方はそれを、きっと誰よりも実感していたのだ。
誰よりも真選組であるこの男、だからこそ。
原田の視線に気付いた土方が、ぎくりとしたように肩を揺らした。
「……なんだよ」
汗をかいたコップに手を伸ばしながら、きまり悪そうに土方が眉根を寄せる。原田はニカッと笑顔を向けた。
「アイツら、戻ってきて良かったな」
「べつに、知らねェよ」
水に口をつけながら、土方はぶっきらぼうに呟いた。伏せられた睫毛の下で、深い青色の瞳がおろおろと揺れている。本当に、素直じゃない男だ。原田は目の前の男にバレないように小さく肩を震わせた。
「お店、今は空いてるから向こうでおやつ食べてちょうだいね」
「はーい」
ドヤドヤと人の近づいてくる気配がして間もなくバサリと暖簾が揺れた。その瞬間土方がわざとらしく顔をしかめて見せる。耐えきれず、原田は吹き出してしまう。
きっとこれから、相変わらずの悪態の応酬が繰り広げられるのだ。万事屋も真選組も、前とは何一つ変わらない関係のまま、気にくわない者同士として。
まったく、どいつもこいつも素直じゃない奴ばかりだ。
暖簾の向こうから現れた三人に向かってうんざりしたように眉を寄せる土方を眺めながら、原田は声をあげて笑った。