銀魂GL小説


コツコツと足音を響かせて無機質な廊下を歩いていた信女は、長い黒髪をさらりとかき上げた。高層ビルの上階は当然ながら風ひとつ吹かない。殺風景かつ無駄に長い廊下を、信女はあまり好んでいない。しかしそれをおくびにも出さない涼しい顔で、一定のペースを崩さないまま廊下を進んでいく。
突き当たりにある長官室に辿り着いた彼女の前で、重厚なドアが仰々しい音を立てて開く。視界に広がる、よく晴れた青空とその下で乱立するビル群。そして、それを見下ろす袴姿のあの子。
「また来ていたの、姫」
信女が声をかけると、その女の子はゆっくりと振り返った。
「ええ。仕事のことで少し話したいことがあったから」
穏やかな口調でそう言いながら、徳川そよはにっこりと笑った。
「それにしても、やっぱりここは眺めがいいですね。江戸の……、東京の街がすべて見えちゃうみたい」
「アナタのいる場所も、同じくらい高いでしょう」
窓際に設置された自分の執務机へと向かいながら、信女は呆れたような視線をそよに向けた。そよは小さく肩を竦める。
「それはそうだけど、あそこじゃのんびり外を眺める暇もないもの」
「なら、ここではのんびりできるってこと」
「だって信女さんがいるもの」
信女はちらりとそよを見た。
相変わらずにこにこと笑う顔からは本心が読み取れない。読めない人だと思う。長年ともに過ごしてきた男も全く表情を変えないような、読めない男であったけれど。しかし、彼のそれは狡猾さや捻くれ者な性格によるものだったのに対して、そよのそれはまるで様子が違う、と信女は感じていた。
少しの間逡巡した後、信女は口を開いた。
「確かに、姫の周りは未だ政敵が多い。私みたいなのが側にいた方が安心」
腰に挿した、一般のものより更に長い得物に指先で触れる。見廻り組副長として活動していたときよりもそれを抜く頻度は減っているけれど、腕を鈍らせたつもりは毛頭ない。
それに松平からもそよを守るようにと言いつけられている。女性の地位向上を訴える彼女を支えつつ、彼女の目指す社会の基盤を築くために、信女は女性初の警察庁長官になったのだ。無機質で殺風景なビルの上階に座り続けているのも、そのためだ。
「ええ、いつも頼りにしています」
「それで、仕事の話って」
「それは──」
そよが語ったのは、国の復興を促進するため、また国民一人ひとりにこの国の民としての政治意識を持ってもらうための演説を近日中に行いたいのでその警備をしてほしいという依頼だった。
そよは意外とも思えるほどに政治に関して敏腕だった。この先の新しい時代に何が必要か、何が重要か。そのために今何をすべきか。それを見極める力がそよにはあった。彼女の兄は「人の上に立つ」ということの本質をよく理解していたし、きっと元来聡明な兄妹なのだろう。城中に出入りすることが多く、少なからず彼女たちと接点があった信女はそれを感じていた。
しかし、だからといって老獪な幕臣どもと対等に渡り合えるはずもない。奴等はそよを、何もできないただの小娘と見くびっているのだ。それは城中で彼女に与えられていた立場が「ただのお飾り」であったことに起因している。初めから取り合おうともしない連中を相手に真っ向から戦うことは難しい。
己の利益と保身しか考えていないような連中より、彼女の方が余程国のことを考えているのに。信女は歯噛みしたい気持ちになる。
「分かった。お受けするわ」
「ありがとうございます。じゃあ、詳しいことが決まり次第また連絡しますね」
ぺこりと頭を下げたそよは、またにっこりと微笑む。
「ふふ、やっぱり信女さんがいてくれてよかったわ」
口元に手をやりながら、そよは屈託なく笑う。朗らかな笑顔とともに告げられた言葉に、信女は胸の内が翳るのを感じた。
まだ幕府がかろうじて態勢を保っており、彼女の兄上である茂茂公がご存命であった頃。信女は、次期将軍に喜喜を担ぎ上げ茂茂を排しようと企む一橋に与していた。それはもちろん彼女自身の意向ではなかったけれど、しかし一橋派の人間が彼ら兄妹にしてきた仕打ちはすべて知っている。
解放軍を一時撤退させ束の間の安息を手に入れた、対虚戦の前夜。空っぽになった城の中でふたり一緒にいたときに、信女はそよに対して感じている負い目を吐露した。私は姫の側にいる資格などない、と。しかしそよは、お互い大切な人を亡くした身であり、お互いの痛みはお互いが一番理解していると述べ、信女とともに夜を明かすことを選んだ。
聡明で大らかで、人一倍強い彼女らしい。信女は思う。だからこそ、自分が側にいてもいいのだろうか、と。そんな疑問がまた頭をもたげるのだ。
「姫、私は…………」
口を開いた信女は、すぐに唇を引き結んだ。その後に続く言葉は、きっとそよを困惑させてしまうと分かっている。ぐっと手の平を握り締める。
俯いた信女を見て、そよは小さく眉を下げて微笑んだ。そっと信女に歩み寄り、かたく握られた手をそっと両手で包み込む。あたたかい体温に、信女はハッと顔を上げた。
信女を見つめるそよの瞳は、ひどく優しかった。
「確かに、私は何度もアナタに助けられてきたし、警察庁長官としてのアナタの腕も信頼しています。けれどそれより、私は信女さんが側にいてくれることそのものが心強いのよ」
ゆっくりと、噛んで含めるように告げられた言葉。信女は思わず、「え」と短い声をもらした。
小さくくすりと笑ったそよは、目を見開いて固まる目の前の女の子に向かって、にっこりと微笑んで見せた。それは、まるで月影のように穏やかで木漏れ日のようにあたたかだった。
「私ね、信女さんが頑張っている姿にとても励まされるし、信女さんの側にいると居心地がいいんです」
手から伝わる熱が一層熱さを増した気がするのは、自分の体温上昇のせいだろうか。そよの目を見つめながら信女はちらりと考える。どちらにせよ、同じ温度で結ばれた手はひどく心地よかった。
「私は、信女さんの側にいたいの」
はっきりと言い切る彼女の、なんと強いことだろう。信女は思わず口元を緩めた。きゅ、と控えめに握り締められた右手から感じる優しい体温に、心の翳りが晴れていく。
唐突に理解した。きっとそよの告げる言葉は全てが本当で、紛れも無い本心なのだ、と。強かな面もあるが、芯が通った優しい人だから。ふと、あの捻くれ者の男の顔が脳裏に浮かんだ。あの読めない顔の裏に隠されていたのは不器用な優しさだった。彼女のそれと彼のそれは、きっと同じ温度だ。
「────ありがとう」
信女は強くそよの手の平を握り返した。

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