銀魂GL小説


「猿飛、さん?」
声をかけたものの、振り返った顔を見て妙は思わず息を飲んだ。
「……あら、お妙さん。奇遇ね」
彼女らしからぬ平坦な声音が夜の冷たい空気を揺らす。月明かりだけがかすかに照らす彼女の頬には、赤い液体が伝っていた。
妙は仕事から帰る途中であった。少しずつ朝の近づいてくる気配を感じつつ欠伸を零し、人っ子ひとり見当たらない家路を辿っていたとき。ふいに、路地裏から人の気配を感じ取ったのだ。なんとなく胸騒ぎがして、恐るおそるその路地裏を覗き込む。するとそこに、彼女がいたのだ。
よくよく目を凝らしてみれば、彼女の足元になにか大きなものが転がっているのが見えた。妙はじっと目を細めた。徐々に目が慣れてきて、その大きな塊が「元」人間であることに気付く。
そして、彼女の手にあるのは、鈍く光る苦無。
「貴女もお仕事だったのね」
「ええ。ついさっき終わったけれど」
妙の言葉に淡々とした声を返す彼女は、本当に昼間の姿とは別人のようだった。よく見かける、銀時に対して熱烈なんて言葉では済まされないようなアプローチを仕掛けては鬱陶しげにあしらわれている姿とは。
白い忍装束にもところどころ赤い染みが滲んでいるし、足元には赤い水溜まりが広がっている。そして赤い雫の滴る顔には、冷酷にさえ見える平坦な表情。
ああ、そうだった。彼女は殺し屋。
きっとこんなこと、慣れているはず。人のいのちを奪うことなんて、慣れているはず。
妙は、冴えざえとした月明かりに照らされた彼女の顔を見つめた。彼女の垂れ目がちな瞳は足元の人だったものに向けられていた。なんの感慨もなさそうな、あるとすれば任務を遂行したあとの充足感だけであろう、その瞳。
なのになんで、こんなに耐えているように見えるのだろう。
そんなに弱い女じゃないことくらい分かっている。彼女自身が受け入れて望んでしていることだろうということも分かっている。
なのに。
「ねえ、猿飛さん。今日お店でお客様から上等な紅茶のセットをいただいたの」
暗がりに向かって声をかける。緩慢な動きで振り返った彼女は、訝しげに少し眉を寄せていた。何を言いだすんだって、呆れて怪しんでいる顔だ。
「私も新ちゃんもあまり紅茶は飲まないから、よかったら飲んで行ってもらえないかしら?」
小首を傾げつつ尋ねると、彼女は少し目を見開いた。それからはぁ、と大きな溜め息を零す。
「……あなた、やっぱり大層なお節介焼きよね」
「ふふ、どうも」
笑ってみせると、彼女はまた大きな溜め息を零した。
「あなたはこういうの、嫌いだと思ってた」
こういうの、と言いながら彼女はちらりと足元に視線を遣った。癪だけど、とても癪なことだけど、彼女は美しいひとだから、そういう仕草をすると残忍にすら見えてしまう。美しいといっても私ほどじゃないけれど、と妙は胸のうちで付け足した。
「でも貴女がそれをするのは、誰かのためでしょう?」
なんでもないように言ってのけると、彼女はきゅ、と小さく眉を寄せた。
詳しく聞いたことはないけれど、なんだかんだで一本筋の通った強い彼女のことだから。その手を汚すのはきっと誰かの幸せのためなのだろう。
それくらい、分かっている。もう、短くはない付き合いなのだ。
「……紅茶、なんて言うからには、紅茶に合うような朝食もセットなんでしょうね」
赤く濁った水溜まりの脇をすり抜けて彼女が近づいてくる。
「ご飯と卵焼きとお味噌汁ならご馳走できるわよ。お金は払ってもらいますけど」
「ほんとがめついわね。それに思いっきり和食だし」
「日本人たるもの、やっぱり朝はお米を食べるべきなのよ」
「誰よ、こんな女に紅茶なんて寄越したヤツ」
ふ、と彼女の肩から力が抜けるのが分かった。硬かった表情も、ほんの少し緩んでいる。思わず妙まで頬が緩んだ。
顔についていた赤を拭き取り苦無を仕舞った彼女は、もういつもの見慣れた彼女だった。
「ていうかあなた、紅茶なんて淹れられるの?」
「そんなの、カンがあれば大丈夫でしょう」
「なんであなたが料理ができないのか、今分かったわ」
ゆるゆると歩いていくふたりを、白く滲む朝の光が照らしていく。
朝は、もうすぐそこにある。
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