銀魂HL小説
鈍色に沈んだ雲から、ついに雪が降りだした。ちらちらと落ちる小さな白を見ると、なんだか寒さが増した気がする。きゅ、と肩をすくめて、ミツバは少し歩みを速めた。
ひと月のうちに何度か、食料や生活に必要なこまごまとしたものを買いに町へと下りる。弟と暮らす家のぶんと、それから弟がお世話になっている道場のぶんを纏めて買ってくるのだ。もちろん、ミツバ一人でそれほど多くのものを抱えられるわけがない。道場の門下生のうち誰かがこの買い出しのお供としてついて来てくれるのが常だった。
白菜やらお味噌やらの入った包みを抱えなおす。と言っても、腕の中の荷物はそれほど重さはない。私だってもっと持てるわ、と言ったのだが、今日のお供の男がひょいひょいと荷物の大半を担いでしまったのだ。
いつの間にか吐く息が白く変わっていた。薄暗い空へと消える白い吐息の向こうには、一つに結わえられた黒髪がきれいに揺れている。ミツバが抱えているものの倍よりも多くの荷物を抱えながらもその足取りは軽い。
少しだけ前を歩くまっすぐな背中を、ミツバはじっと見つめた。
買い出しのお供は、土方がつとめることが多かった。弟の総悟はひどくそれを悔しがるものの、彼にはまだ荷物持ちは任せられない。それに、何かあったとき、できるだけ腕の立つ人がそばにいる方がいい。そして、ぶっきらぼうだが見目の良い彼は町の人々から密かに人気があった。彼がいるといろいろなものをオマケしてもらえるのだ。彼の端正な面立ちは、それほどまでに周りの者を魅了している。
今日の買い出しでもその効力はてきめんに発揮されていた。八百屋さんでは丸々とした大きなじゃが芋をいくつもおまけしてもらったし、休憩するために立ち寄った甘味処でも頼んでいないお汁粉をご馳走になった。そのなかでもミツバの頭から離れないのが、小間物屋さんで手渡されていた、白い襟巻。
「これ、兄さんに似合うと思って」
襟巻と同じくらい真っ白な肌なのに、頬だけ真っ赤に染めた女の子が差し出したものだ。おずおずと土方に告げている様子は、同じ女であるミツバから見てもいじらしくて可愛らしかった。彼女と襟巻きとを交互に見遣った土方は、小さく眉を寄せていた。戸惑っているように見えるその仕草は、けれど照れたときの癖でもあった。
それを目にした瞬間、なにか黒いどろりとしたものがミツバの胸にひろがった。水に墨を垂らしたみたいにじわりと心に滲んだそれを感じたとき、ミツバは思わぬことを口にしていた。
「あら、いい色ですね。たしかに、その色なら十四郎さんに似合うと思うわ」
まるで、自分のほうが彼を知っています、と言わんばかりの言葉であったことは自覚している。それでも、どうしても言ってしまいたかったのだ。
ミツバのその言葉を聞いた土方は、躊躇いがちではあるものの素直にその襟巻を受け取っていた。それを見てまた、ミツバは己の言葉を後悔した。
ざり、ざりと土を踏む音が二人ぶん響いている。雪に濡れて色を濃くした道は、いまにぬかるんでくることだろう。
今、前を歩く青年の首に、その襟巻はない。きっと腕に抱えた荷物のなかに紛れているのだろう。揺れる黒髪の向こうで、空気に晒された首筋がひどく無防備だ。女の人のような細さはない、けれど青年期特有の伸びやかな樹木を思わせるしなやかさがある。ひどく、うつくしいと思った。
どれだけおまけをしてもらおうと、どれだけ熱のこもった視線を向けられようと、その想いには頓着しない。決してそれにとらわれない。いつだって、まっすぐに前だけを向いて歩いていく。その凛と伸びた背中を、そのうつくしさを、ずっと大切に思っていた。
かじかんだ指先に、ほぅ、と息を吐く。指どうしを擦りあわせなが、ミツバは重い空を見上げた。ちらちらと舞う雪も、すこしだけ激しさを増したかもしれない。思ったより寒くなってきたようだ。師走の風は冷たくきびしい。
それまで規則正しく揺れていた土方の黒髪が、風になぶられて宙をおよいでいる。自分とは違う長い黒髪。その滑らかな動きに、思わず見入ってしまう。真っ白な雪の世界をただまっすぐに歩く彼が、まぶしいもののように思える。白のなかにあるからこそ、その黒い背中が凛々しくうつくしく見える。
……だからこそ、似合わない。
ミツバはそっと足を止めた。
私の抱えている、どろりとした黒いものが入り混じった、こんな想いなんて。
私の持つ黒と、彼の持つ黒はまったくの別のものだから。何ものにも染められない彼の黒と、どろりと濁った私の黒は。
胸の中に浮かんだそんな思いに搦めとられたように、足が動かせない。
土方が進むごとに、彼の背中が離れてゆく。少しずつ、少しずつ小さくなる背中。二人の間にはあいかわらず白い雪が降りつづけている。
白に紛れて遠くなる黒い背中をぼんやりと眺めていると、不意にその黒が振り返った。どきり、と胸が音をたてる。
「どうした」
雪のむこうから、まっすぐな瞳がミツバを捉える。いつもの仏頂面だけれど、頬も鼻も赤く染めている様がなんだか子どもみたいだと思った。
「足でも痛めたか」
踵を返してこちらへ戻ってくる彼に慌てて首を横にふる。
「いえ、なんでもないの」
じっと疑うような視線を送る彼の顔を、まっすぐに見つめ返すことができない。ばかみたい。勝手に落ち込んで、それでこの人に迷惑をかけて。俯いた視線の先、白足袋のうえを小さな雪が舞っている。
土方がはぁっと溜め息をついた。吐き出された白い息が風に紛れて刹那のうちに消えていく。ああ、幻滅、されたかしら。ますます顔を上げられずにいると、何やら彼がごそごそとしている気配を感じた。腕いっぱいに抱えた荷物を引っ掻きまわして、探し物でもしているようだ。
どうしたのかしら、と思い、ふと顔を上げたとき。ふわりと何かが肩を包んだ。見れば、それは小間物屋の彼女からもらった白い襟巻きである。あっけにとられているうちに、くるりくるりと巻かれたそれが首を覆っていく。
「寒かったなら、そう言えよ」
襟巻きから手を離した土方がそっぽを向いて呟く。ぶっきらぼうな口調。けれど、さっきまでよりも一層赤くなった頬や伏せられて地面をさまよう視線から、彼の気持ちは読み取れる。その気持ちで、その気持ちだけで、さっきまで胸のなかに沈んでいた、どろりとした冷たいものがぜんぶ溶けて消えてゆく。
「……ありがとう、十四郎さん」
あたたかな首元が嬉しくて、思わず頬がゆるんでしまう。
女の子にもらったものを違う女の子に渡しちゃうような彼だけど、ううん、そんな不器用で不粋な彼だから。だからきっと、私は彼がすきなのだ。
ミツバは襟巻きをきゅ、と握りしめた。
「おう」
素っ気ない返事をよこした土方はすたすたと歩き出して、それからはっとしたように振り返り、ミツバが歩き出すのを待っている。そんな様子が可笑しくて思わず笑ってしまいそうになる。ぱたぱたと追いかけて、彼の横に並んで二人で歩き出す。
真っ白な道のうえには、二人の足あとが長くながく続いていた。
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