銀魂BL小説
あたたかくて、ふわふわしてて、すごく気分がいい。酔いが回ったせいでとろりと蕩けた意識のなかで、銀時は右目だけを薄く開いた。すぐ真横に土方がいた。ちいさく揺れる黒髪から、煙草と石鹸とほのかな汗の匂いが香る。土方の匂いだ。なんとなくまた気分がよくなって、艶のある黒髪に自分の鼻先を寄せた。
「おい、起きたなら自分で歩け」
そう言って、土方が銀時の右腕をぐいと引っ張る。そこで初めて、銀時は自分が土方に担がれながら歩いていることに気づいた。ぴとりとくっついた右側から伝わってくる彼の体温が心地いい。このあたたかさを失いたくなくて、余計に体の力を抜いてもたれかかってみる。
「うおっ」
バランスを崩しかけた土方がちいさく呻く。思わず笑うと、「ばか」と非難がましい声とともに手の甲をつねられた。全然本気なんかじゃない、ピリッとした刺激。痛さよりくすぐったさが勝って、また笑った。
最近、一緒に飲むときはいつもこんなふうだった。
どこに飲みに出かけようが相手に困ることはないけれど、暖簾をくぐった先に黒い着流しの背中が見えると、なんとなく得したような気分になる。こちらを振り向いた土方が、隣の席に座っても文句も言わず、それどころかさりげなく品書きなんかを渡してくると、思わず口許が弛みそうになる。ともに呑むうちに少しずつ酔いが回りつつある土方の、ほんのりと紅く染まった目許を見ると、体の真ん中あたりに込みあげるものがある。全然本気じゃない喧嘩、つまり軽口でじゃれあいながら世間話をしたりちょっとした近況を話したりしているとき、自分の一言で土方が笑うと、勝った、と思う。何にかはわからないけれど。
そういう一つひとつが、とても些細で何気ないことが、なんだか妙に嬉しい。たのしい。
それが、ここ最近土方と一緒にいるときに感じていることだった。
川沿いに並ぶ柳を風がさらさらと揺らす。通り過ぎる風はもう随分と冷たいはずなのに、酔いに火照った頬にはちょうどいい。心地よさに目を閉じる。
「また寝てんじゃねぇよ」
咎めるような言葉なのに、声にはかすかに笑みが含まれていて、やさしい。まるで子どもでも相手にしているみたいだ。
「なぁ、今度はさぁ、あの店にしねぇ?
担がれた右腕を揺すぶりながら銀時は土方の顔を覗き込む。ぼやけ気味の視界の真ん中で、土方はすこし驚いたような顔をした。
「え?」
「ほら、あそこだって、新しくできた。さっき話してたろ?」
「いや……」
「あの焼き鳥の種類が多くてフライが美味いっていう三丁目のさぁ。なに、もう忘れたのかよ?」
さっき居酒屋で話していたときはあんなに盛り上がっていたのに、土方だって隊士たちから聞いた店の評判を楽しそうに教えてくれたのに。行ってみたい、と言っていたくせに。
いじけた銀時は隣の男を軽く睨んでみせた。
「そうじゃなくて。お前、やっぱりえらく酔ってるな」
土方が呆れたように溜め息を吐いた。間近にある整った横顔越しに、川べりの柳が頼りなさげに揺れているのがやけにはっきり見える。
「なんだよ」
「お前が言ってるのは、わざわざ誘い合わせて同じ店に行くってことだぞ」
「俺と、お前が」と念を押すように言った土方がちいさく目を伏せる。
言われてみれば、確かにそういうことになる。今まで何度も一緒に呑んできたけれど、いつも偶然ばったり鉢合わせたことがきっかけだ。銀時はふわふわした頭で考える。
と、ふと、右腕を掴む土方の手にほんの少し力がこもっていることに気づいた。顔も声音もいつもと何ら変わらないのに、ただ腕を掴む手のひらだけが、意識しないとわからないほどに、ほんの僅かにこわばっている。
「べつにいいだろ」
気がつけば、そう言っていた。
「いいだろそんくらい、もう。今更だろ」
確かに出会ったばかりの頃ならそんなこと考えもしなかっただろう。けれど、今は違う。
背中を預け、隣に並び立って刀を振るい、同じものを護って。そんなことを重ねていくうちに、隣にいることへの違和感なんてとっくに消えてなくなってしまった。
今だって、肩を担がれながらすぐ隣を歩いている。
そしてそれを、こんなにも心地よく思っている。
「……そうだな」
ふっ、とはにかむように土方が笑った。同時に、こわばっていた手のひらからも力が抜けていくのがわかる。
なぜか無性に胸の奥が疼いた。体の内側をくすぐられているみたいな、心臓を締めつけられているみたいな、言いようのない感覚が込み上げる。銀時は左手で胸元を掴んだ。
なあ、なにをそんなに緊張してたの。
俺の返事に安心したみたいな顔をしたのは、手のひらのこわばりがほどけたのは、どうして。
触れ合うふたつの体のあいだの、今まではほっと落ち着くようだった心地よいあたたかさが、焦れるようなもどかしさを帯びた熱へと変わっていく。それは、居酒屋のカウンターに土方を見つけたときや隣に座ったのを彼が自然に受け入れたとき、話のなかでふいに笑った顔を見たときに、瞬間的にぐっと込みあげる感情によく似ていた。
もっと。
心のどこかが囁く。その衝動のままに土方の顔を覗き込み、口を開きかけて。
なにを、言おうとしている?
はたと我に返る。伝えたい言葉もわからないまま開いた口は間抜けに半開きだ。急に振り返り、そして黙り込んだ銀時を、土方が怪訝そうに見ている。
「おい、どうかしたか。気分でも悪いのか?」
耳元で響く声には心配が滲んでいた。それを聴いた瞬間、ぽろりと言葉がこぼれていた。
「おまえ、俺のこと好きだなぁ」
けっして言いたかった言葉ではない。けれどただ中途半端に開いた口を埋めるための言葉ではなかった。この焦れるような熱の、片隅のほんのひとかけらを表すとするならば、きちんと腑に落ちる。そのことに銀時自身が驚いてしまうほどに。
土方は一瞬大きく目を見開き、それからきゅっと眉を寄せて目を伏せた。長い睫毛が目許に影を落とす。
「やっぱりお前、酔ってるな」
笑を含んだからかうような声だった。なのに、真ん中には落胆と諦念の混ざった切なさがあった。
真っ正面から吹きつける冷たい風が、俯く土方の丸い額に前髪を張り付かせる。だから顔が、そこに浮かぶ表情が見えない。
「ひじかた」
思わず名前を呼ぶ。
けれど彼は顔を上げなかった。代わりに、掴まれていた右腕から彼の手のひらが静かに離れていく。ぬくもりが、離れていく。
「ここからならもう一人でも帰れるだろ」
確かに、万事屋まではもう百メートルもないけれど。肩に回していた銀時の腕を外して一人で歩く土方の背中を、銀時はただ見ていた。さっき、あんなに切なげに眉根を寄せていたくせに、たったの一度も振り向くことなく去っていく背中は相変わらず真っ直ぐだ。
支えを失った体は心許なくて、吹き抜ける風は染みるほどに冷たい。さっきまでのふわふわした楽しさが、風に吹かれたシャボン玉のようにパチンと消える。
「…………あー」
思わず呻き声をもらしながら、宙を仰ぐ。ゆっくりと形を変える雲が白い月を隠すのが見えた。ふっと差したかすかな影を感じながら、銀時は悟る。
居酒屋のカウンターに土方を見つけたときや隣に座ったのを彼が自然に受け入れたとき、話のなかでふいに笑った顔を見たとき、そして隣に並んで歩いているときに感じていた、あたたかくてふわふわした心地よさは、土方が自分を好いてくれているから、だけではなかった。
彼が自分を受け入れてくれたときに、嬉しいと思ってしまうのは、それはきっと。
視界の端で揺れる柳が寒々しい音を鳴らす。黒い背中はもうどこにも見えない。
言うべき言葉が違ったことに今さら気づいた銀時は、ただただ流れる雲を見上げていた。
「おい、起きたなら自分で歩け」
そう言って、土方が銀時の右腕をぐいと引っ張る。そこで初めて、銀時は自分が土方に担がれながら歩いていることに気づいた。ぴとりとくっついた右側から伝わってくる彼の体温が心地いい。このあたたかさを失いたくなくて、余計に体の力を抜いてもたれかかってみる。
「うおっ」
バランスを崩しかけた土方がちいさく呻く。思わず笑うと、「ばか」と非難がましい声とともに手の甲をつねられた。全然本気なんかじゃない、ピリッとした刺激。痛さよりくすぐったさが勝って、また笑った。
最近、一緒に飲むときはいつもこんなふうだった。
どこに飲みに出かけようが相手に困ることはないけれど、暖簾をくぐった先に黒い着流しの背中が見えると、なんとなく得したような気分になる。こちらを振り向いた土方が、隣の席に座っても文句も言わず、それどころかさりげなく品書きなんかを渡してくると、思わず口許が弛みそうになる。ともに呑むうちに少しずつ酔いが回りつつある土方の、ほんのりと紅く染まった目許を見ると、体の真ん中あたりに込みあげるものがある。全然本気じゃない喧嘩、つまり軽口でじゃれあいながら世間話をしたりちょっとした近況を話したりしているとき、自分の一言で土方が笑うと、勝った、と思う。何にかはわからないけれど。
そういう一つひとつが、とても些細で何気ないことが、なんだか妙に嬉しい。たのしい。
それが、ここ最近土方と一緒にいるときに感じていることだった。
川沿いに並ぶ柳を風がさらさらと揺らす。通り過ぎる風はもう随分と冷たいはずなのに、酔いに火照った頬にはちょうどいい。心地よさに目を閉じる。
「また寝てんじゃねぇよ」
咎めるような言葉なのに、声にはかすかに笑みが含まれていて、やさしい。まるで子どもでも相手にしているみたいだ。
「なぁ、今度はさぁ、あの店にしねぇ?
担がれた右腕を揺すぶりながら銀時は土方の顔を覗き込む。ぼやけ気味の視界の真ん中で、土方はすこし驚いたような顔をした。
「え?」
「ほら、あそこだって、新しくできた。さっき話してたろ?」
「いや……」
「あの焼き鳥の種類が多くてフライが美味いっていう三丁目のさぁ。なに、もう忘れたのかよ?」
さっき居酒屋で話していたときはあんなに盛り上がっていたのに、土方だって隊士たちから聞いた店の評判を楽しそうに教えてくれたのに。行ってみたい、と言っていたくせに。
いじけた銀時は隣の男を軽く睨んでみせた。
「そうじゃなくて。お前、やっぱりえらく酔ってるな」
土方が呆れたように溜め息を吐いた。間近にある整った横顔越しに、川べりの柳が頼りなさげに揺れているのがやけにはっきり見える。
「なんだよ」
「お前が言ってるのは、わざわざ誘い合わせて同じ店に行くってことだぞ」
「俺と、お前が」と念を押すように言った土方がちいさく目を伏せる。
言われてみれば、確かにそういうことになる。今まで何度も一緒に呑んできたけれど、いつも偶然ばったり鉢合わせたことがきっかけだ。銀時はふわふわした頭で考える。
と、ふと、右腕を掴む土方の手にほんの少し力がこもっていることに気づいた。顔も声音もいつもと何ら変わらないのに、ただ腕を掴む手のひらだけが、意識しないとわからないほどに、ほんの僅かにこわばっている。
「べつにいいだろ」
気がつけば、そう言っていた。
「いいだろそんくらい、もう。今更だろ」
確かに出会ったばかりの頃ならそんなこと考えもしなかっただろう。けれど、今は違う。
背中を預け、隣に並び立って刀を振るい、同じものを護って。そんなことを重ねていくうちに、隣にいることへの違和感なんてとっくに消えてなくなってしまった。
今だって、肩を担がれながらすぐ隣を歩いている。
そしてそれを、こんなにも心地よく思っている。
「……そうだな」
ふっ、とはにかむように土方が笑った。同時に、こわばっていた手のひらからも力が抜けていくのがわかる。
なぜか無性に胸の奥が疼いた。体の内側をくすぐられているみたいな、心臓を締めつけられているみたいな、言いようのない感覚が込み上げる。銀時は左手で胸元を掴んだ。
なあ、なにをそんなに緊張してたの。
俺の返事に安心したみたいな顔をしたのは、手のひらのこわばりがほどけたのは、どうして。
触れ合うふたつの体のあいだの、今まではほっと落ち着くようだった心地よいあたたかさが、焦れるようなもどかしさを帯びた熱へと変わっていく。それは、居酒屋のカウンターに土方を見つけたときや隣に座ったのを彼が自然に受け入れたとき、話のなかでふいに笑った顔を見たときに、瞬間的にぐっと込みあげる感情によく似ていた。
もっと。
心のどこかが囁く。その衝動のままに土方の顔を覗き込み、口を開きかけて。
なにを、言おうとしている?
はたと我に返る。伝えたい言葉もわからないまま開いた口は間抜けに半開きだ。急に振り返り、そして黙り込んだ銀時を、土方が怪訝そうに見ている。
「おい、どうかしたか。気分でも悪いのか?」
耳元で響く声には心配が滲んでいた。それを聴いた瞬間、ぽろりと言葉がこぼれていた。
「おまえ、俺のこと好きだなぁ」
けっして言いたかった言葉ではない。けれどただ中途半端に開いた口を埋めるための言葉ではなかった。この焦れるような熱の、片隅のほんのひとかけらを表すとするならば、きちんと腑に落ちる。そのことに銀時自身が驚いてしまうほどに。
土方は一瞬大きく目を見開き、それからきゅっと眉を寄せて目を伏せた。長い睫毛が目許に影を落とす。
「やっぱりお前、酔ってるな」
笑を含んだからかうような声だった。なのに、真ん中には落胆と諦念の混ざった切なさがあった。
真っ正面から吹きつける冷たい風が、俯く土方の丸い額に前髪を張り付かせる。だから顔が、そこに浮かぶ表情が見えない。
「ひじかた」
思わず名前を呼ぶ。
けれど彼は顔を上げなかった。代わりに、掴まれていた右腕から彼の手のひらが静かに離れていく。ぬくもりが、離れていく。
「ここからならもう一人でも帰れるだろ」
確かに、万事屋まではもう百メートルもないけれど。肩に回していた銀時の腕を外して一人で歩く土方の背中を、銀時はただ見ていた。さっき、あんなに切なげに眉根を寄せていたくせに、たったの一度も振り向くことなく去っていく背中は相変わらず真っ直ぐだ。
支えを失った体は心許なくて、吹き抜ける風は染みるほどに冷たい。さっきまでのふわふわした楽しさが、風に吹かれたシャボン玉のようにパチンと消える。
「…………あー」
思わず呻き声をもらしながら、宙を仰ぐ。ゆっくりと形を変える雲が白い月を隠すのが見えた。ふっと差したかすかな影を感じながら、銀時は悟る。
居酒屋のカウンターに土方を見つけたときや隣に座ったのを彼が自然に受け入れたとき、話のなかでふいに笑った顔を見たとき、そして隣に並んで歩いているときに感じていた、あたたかくてふわふわした心地よさは、土方が自分を好いてくれているから、だけではなかった。
彼が自分を受け入れてくれたときに、嬉しいと思ってしまうのは、それはきっと。
視界の端で揺れる柳が寒々しい音を鳴らす。黒い背中はもうどこにも見えない。
言うべき言葉が違ったことに今さら気づいた銀時は、ただただ流れる雲を見上げていた。