銀魂BL小説
ふう、と。静かに吐きだされた煙は結びつ別れつしながらも、不器用なまっすぐさで天井へと立ち昇っていく。
障子窓の向こうはうっすらと白みはじめていて、そろりと忍び込んだ輪郭のない朝陽が畳を這う。その薄い朝陽がまだ少し届かないところに、一組だけ敷かれている煎餅布団。そこに寝転ぶひとの背中越しに、煙は立ち昇っていた。
銀時は開け放した襖のかげに立ち、ぼんやりとあかるい和室を眺めていた。布団から覗く背中と黒髪がまっさらな朝陽のかけらを掠めている。
すべすべと尖った肩甲骨がかすかに隆起するたびに艶やかな髪が流れるように揺れ、そしてどこか悩ましげな吐息とともにふわりと煙が舞う。なんてことはない一連の仕草のすべてが銀時の目を惹きつけた。
それでも、悠然と煙を燻らせる男──土方の瞳は、決して銀時を見てはいない。振り返ることのない土方を眺めていると、朝の冷えた空気が胸の奥深くまで浸透していくような気分になった。
情事に耽った翌くる朝、いつも土方は煙草を銜えながら遠い目をする。万事屋の寝室でも、小さな茶屋の一室でもない、どこかはるか遠い場所を見つめるまなざしの先に、たぶん銀時はいない。夜のあいだは、視線ひとつだけで心の裡がすべてがわかると思えるほどに見つめあっていたのに。
昨夜さんざん指などを這わせて確かめた背中だって、そのときは刷毛で梳いたようにうすく朱に染まっていたくせに、今はあちこちに残る刀傷のほかにはそこを彩るものはない。しみのひとつすらない、まるで値の張る陶器のようにつるりとした白い背中に、昨夜の熱の片鱗はどこにも残っていないかのようだ。枕の上で短い流線を描き、彼が身をくねらせるたびにぱさぱさと音を立てていた黒髪も、多少の寝癖があるのみだ。
互いに同じ強さで求めあい、ただひとつのいきものになったかと馬鹿な錯覚をするほどにそばにいたのに。
触れあう肌と肌のあいだで溶けあい混ざりあった体温を、銀時のからだはまだ覚えているのに。
それでも、あともう一時間もすれば彼は帰っていく。なんにもなかったような澄ました顔で、清潔な朝の光に照らされながら、まっすぐ背筋を伸ばして。
銀時はかすかに苦笑を浮かべながら小さく頭を振った。懐に入れていた右手を抜いてぽりぽりと頬をかく。そういう彼の潔さや、ひとりで立つまっすぐな背中にこそ惚れたのだ。
ふと、布団のわきに並べて置かれた刀が目に入った。乱雑に脱ぎ捨てられた、余裕のなさを饒舌に物語るかのような着物類とは違って、ぴとりと丁寧に並んだ木刀と真剣。
逢瀬の翌朝を「後朝」というけれど、これは夜のあいだは重なり合っていた着物の衣が朝になればそれぞれに別れてしまうことに由来しているのだ、といつか聞いたことがあった。行為の主体のありようを着物のようすでなぞらえるその感性に慎みや趣深さが感じられるようですね、と話していたやわらかな声が耳によみがえる。子どもに話すことかよ、と当時は少し呆れていたけれど、それでもずっと憶えていた。
夜の余韻をその身に残さずさっぱりとした顔で布団から、部屋から出ていく彼は、寄り添いあうように並んだ二振りの刀の片方に伸ばす手が一瞬とまったり、しないのだろうか。
ここからは見えない彼の目の、どこか遠くの知らない場所を見つめるまなざしを思いながら、銀時は首筋を手のひらでこする。
「おい、いつまでそこにいる気だ」
黒い頭がゆっくりと振り返る。言葉とともにかすかな紫煙が唇からこぼれ、ふらふら揺れていた。
「なんだお前、気づいてたのかよ」
煙の行方を目で追いながら銀時は苦笑したようにつぶやいた。
とは言え、彼が自分に気づいていることは何となくわかっていた。なんせ真選組の副長なのだ。気配に聡いのは当然だ。
捲れた布団の端から土方の腕がにゅっと伸びて、枕元に置いた銀色の灰皿に煙草を押しつける。鈍く光る皿の中で火種が消える小さな音がした。
銀時はぺたぺたと畳の上を歩き、彼のいる布団へと近づく。すっかり嗅ぎ慣れた煙の匂いが鼻を掠める。
「どこ行ってたんだよ」
「ん? ちょっと小便に。やっぱまだ朝方は冷えるなぁ」
布団にもぐり込もうとする銀時を、土方が呆れたような顔で見上げた。
「そりゃそんな格好でふらふらしてるからだろ」
いつもの薄緑色の寝巻きの下だけを穿いている銀時の、むき出しの腹筋を土方の指先がするっと撫でる。ひんやりとした指なのに、それでも下腹あたりにわだかまっていた昨夜の熱がまた燻りはじめる。
「なに、誘ってんの?」
わざと揶揄うように笑ってみせた。彼にそんな意図がないことはわかりきっているけれど。
「んなわけねーだろ。昨日どんだけやったと思ってやがる」
案の定土方は形のよい眉を寄せて苦い顔をした。その顔をじっと覗きこんでみる。
「あっためてくれるんじゃねーの?」
「アホか。そんな時間ねーよ」
頬にキスしそうなくらい近づけた顔を手のひらで押し退けられてしまった。
「つーかお前も今日は午前中から仕事あるんだろ」
「え、なんで知ってんの?」
昨夜呑んでいるときに話したっけ、と記憶の糸をたぐるけれど心当たりは見つからない。銀時は首を傾げた。
「昨日の昼間、メガネから聞いた。午前中は雨樋の修理と買い物代行で、午後からは草むしりだろ。ああ、そう言えばチャイナからも銀ちゃん寝坊させんなよって言われてるんだった」
「あーなんかアイス買ってもらったって話してた気がするわ。つーか何、おまえらそんな話までしてんの」
「まぁな。あいつら、最近は前みたいにちょっとずつ依頼が増えてきてるんだって嬉しそうにしてたよ」
まるで歌っているかのように淀みなく澄んだ声音に、心の端をくすぐられているような気分になる。わけのわからないむずがゆさを誤魔化して、銀時はガシガシと頭をかいた。
「新八のツテだよ。俺がいなかった二年で、なんかいろいろやってたみたいで。神楽もやたら張り切ってるし」
「そうか」
ふ、と土方がちいさく笑った。
「よかったな、万事屋さん」
わずかに細められた目の、そのまなじりに滲んだ柔らかさに、思わず息が詰まる。少しずつ鮮やかさをおびる朝陽の粒が、伏せられた長いまつげの先できらめいた。
よかったな、などと言いながら、彼こそがそれを喜んでいるような、あまりに美しいまなざしだった。さっき腹を撫でられたときの熱とは違う、下腹部だけではなく体じゅうを丸ごと包みこむようなぬくもりがじわりと胸の奥から溢れてくる。
さっきまでは部屋の半分だけを照らしていた朝陽も、もうすっかり布団のところまで届くようになっていた。
うん、の代わりに、銀時はすぐそばにある土方の手に自分の手のひらを添えてみる。胼胝だらけなのになめらかでほんの少しつめたい彼の手は、夜のあいだ確かめるように握っていたそれとなにも変わらなかった。ガラにもないことをしている自覚はあるのに、土方はなにも言わずに手を握らせてくれている。
体に残る情欲の痕よりも、ぐずぐずと引きずる熱の余韻よりもずっと確かなものが、土方のなかにあるのを感じる。
「なあ。昼からの草むしりの依頼が入ってる家って、真選組の巡回ルートの途中なんだけどさぁ」
握った手だけをひたすらに見つめながら、それでも告げる言葉はだんだんと尻すぼみになっていく。土方の涼やかな瞳にじっと覗き込まれている気配がするから、尚更だ。
「ちょっとだけでも、顔、見せに来ねェ? なんていうかその、あいつらも喜ぶだろうし……」
言うと同時に、土方の手が一瞬ぴくりと跳ねた。銀時は恐るおそる彼の顔を窺う。
「おまえ、俺たちの巡回ルートなんか覚えてんのかよ……」
驚きと照れを滲ませた呻くようなつぶやきで、ふと気づく。そういえばいつのまにか、真選組の巡回がいつ頃どこを通るのか、覚えてしまっていた。黒い隊服がいればつい意識を向けてしまうし、それがたとえ土方じゃないとわかっても何となくほんの少しだけ気にかけてしまう。
それがなぜかなんて考えずともわかる。さっきの、新八と神楽を気にかける土方に感じた、心の端をくすぐられるようなむずがゆさの理由こそがその答えだ。
銀時は布団のわきに並べられた二振りの刀を見遣った。朝陽に照らされて淡く光るそれは、後朝を越えても相変わらず隣にある。
「……お返事、待ってるんですけどぉ」
照れ隠しにちょっと茶化しながら、握ったままの手を揺すぶってみる。頬をほのかに紅くした土方が口元をもごもごさせて、それからぽつりと打ち明けた。
「俺もさっき煙草吸いながら、なんか差し入れでも持っていこうかと考えてた」
こっちも照れ隠しだろう、少しぶっきらぼうな声だった。
あの遠いまなざしの先にあったものを知って、銀時は思わず笑ってしまった。
障子窓の向こうはうっすらと白みはじめていて、そろりと忍び込んだ輪郭のない朝陽が畳を這う。その薄い朝陽がまだ少し届かないところに、一組だけ敷かれている煎餅布団。そこに寝転ぶひとの背中越しに、煙は立ち昇っていた。
銀時は開け放した襖のかげに立ち、ぼんやりとあかるい和室を眺めていた。布団から覗く背中と黒髪がまっさらな朝陽のかけらを掠めている。
すべすべと尖った肩甲骨がかすかに隆起するたびに艶やかな髪が流れるように揺れ、そしてどこか悩ましげな吐息とともにふわりと煙が舞う。なんてことはない一連の仕草のすべてが銀時の目を惹きつけた。
それでも、悠然と煙を燻らせる男──土方の瞳は、決して銀時を見てはいない。振り返ることのない土方を眺めていると、朝の冷えた空気が胸の奥深くまで浸透していくような気分になった。
情事に耽った翌くる朝、いつも土方は煙草を銜えながら遠い目をする。万事屋の寝室でも、小さな茶屋の一室でもない、どこかはるか遠い場所を見つめるまなざしの先に、たぶん銀時はいない。夜のあいだは、視線ひとつだけで心の裡がすべてがわかると思えるほどに見つめあっていたのに。
昨夜さんざん指などを這わせて確かめた背中だって、そのときは刷毛で梳いたようにうすく朱に染まっていたくせに、今はあちこちに残る刀傷のほかにはそこを彩るものはない。しみのひとつすらない、まるで値の張る陶器のようにつるりとした白い背中に、昨夜の熱の片鱗はどこにも残っていないかのようだ。枕の上で短い流線を描き、彼が身をくねらせるたびにぱさぱさと音を立てていた黒髪も、多少の寝癖があるのみだ。
互いに同じ強さで求めあい、ただひとつのいきものになったかと馬鹿な錯覚をするほどにそばにいたのに。
触れあう肌と肌のあいだで溶けあい混ざりあった体温を、銀時のからだはまだ覚えているのに。
それでも、あともう一時間もすれば彼は帰っていく。なんにもなかったような澄ました顔で、清潔な朝の光に照らされながら、まっすぐ背筋を伸ばして。
銀時はかすかに苦笑を浮かべながら小さく頭を振った。懐に入れていた右手を抜いてぽりぽりと頬をかく。そういう彼の潔さや、ひとりで立つまっすぐな背中にこそ惚れたのだ。
ふと、布団のわきに並べて置かれた刀が目に入った。乱雑に脱ぎ捨てられた、余裕のなさを饒舌に物語るかのような着物類とは違って、ぴとりと丁寧に並んだ木刀と真剣。
逢瀬の翌朝を「後朝」というけれど、これは夜のあいだは重なり合っていた着物の衣が朝になればそれぞれに別れてしまうことに由来しているのだ、といつか聞いたことがあった。行為の主体のありようを着物のようすでなぞらえるその感性に慎みや趣深さが感じられるようですね、と話していたやわらかな声が耳によみがえる。子どもに話すことかよ、と当時は少し呆れていたけれど、それでもずっと憶えていた。
夜の余韻をその身に残さずさっぱりとした顔で布団から、部屋から出ていく彼は、寄り添いあうように並んだ二振りの刀の片方に伸ばす手が一瞬とまったり、しないのだろうか。
ここからは見えない彼の目の、どこか遠くの知らない場所を見つめるまなざしを思いながら、銀時は首筋を手のひらでこする。
「おい、いつまでそこにいる気だ」
黒い頭がゆっくりと振り返る。言葉とともにかすかな紫煙が唇からこぼれ、ふらふら揺れていた。
「なんだお前、気づいてたのかよ」
煙の行方を目で追いながら銀時は苦笑したようにつぶやいた。
とは言え、彼が自分に気づいていることは何となくわかっていた。なんせ真選組の副長なのだ。気配に聡いのは当然だ。
捲れた布団の端から土方の腕がにゅっと伸びて、枕元に置いた銀色の灰皿に煙草を押しつける。鈍く光る皿の中で火種が消える小さな音がした。
銀時はぺたぺたと畳の上を歩き、彼のいる布団へと近づく。すっかり嗅ぎ慣れた煙の匂いが鼻を掠める。
「どこ行ってたんだよ」
「ん? ちょっと小便に。やっぱまだ朝方は冷えるなぁ」
布団にもぐり込もうとする銀時を、土方が呆れたような顔で見上げた。
「そりゃそんな格好でふらふらしてるからだろ」
いつもの薄緑色の寝巻きの下だけを穿いている銀時の、むき出しの腹筋を土方の指先がするっと撫でる。ひんやりとした指なのに、それでも下腹あたりにわだかまっていた昨夜の熱がまた燻りはじめる。
「なに、誘ってんの?」
わざと揶揄うように笑ってみせた。彼にそんな意図がないことはわかりきっているけれど。
「んなわけねーだろ。昨日どんだけやったと思ってやがる」
案の定土方は形のよい眉を寄せて苦い顔をした。その顔をじっと覗きこんでみる。
「あっためてくれるんじゃねーの?」
「アホか。そんな時間ねーよ」
頬にキスしそうなくらい近づけた顔を手のひらで押し退けられてしまった。
「つーかお前も今日は午前中から仕事あるんだろ」
「え、なんで知ってんの?」
昨夜呑んでいるときに話したっけ、と記憶の糸をたぐるけれど心当たりは見つからない。銀時は首を傾げた。
「昨日の昼間、メガネから聞いた。午前中は雨樋の修理と買い物代行で、午後からは草むしりだろ。ああ、そう言えばチャイナからも銀ちゃん寝坊させんなよって言われてるんだった」
「あーなんかアイス買ってもらったって話してた気がするわ。つーか何、おまえらそんな話までしてんの」
「まぁな。あいつら、最近は前みたいにちょっとずつ依頼が増えてきてるんだって嬉しそうにしてたよ」
まるで歌っているかのように淀みなく澄んだ声音に、心の端をくすぐられているような気分になる。わけのわからないむずがゆさを誤魔化して、銀時はガシガシと頭をかいた。
「新八のツテだよ。俺がいなかった二年で、なんかいろいろやってたみたいで。神楽もやたら張り切ってるし」
「そうか」
ふ、と土方がちいさく笑った。
「よかったな、万事屋さん」
わずかに細められた目の、そのまなじりに滲んだ柔らかさに、思わず息が詰まる。少しずつ鮮やかさをおびる朝陽の粒が、伏せられた長いまつげの先できらめいた。
よかったな、などと言いながら、彼こそがそれを喜んでいるような、あまりに美しいまなざしだった。さっき腹を撫でられたときの熱とは違う、下腹部だけではなく体じゅうを丸ごと包みこむようなぬくもりがじわりと胸の奥から溢れてくる。
さっきまでは部屋の半分だけを照らしていた朝陽も、もうすっかり布団のところまで届くようになっていた。
うん、の代わりに、銀時はすぐそばにある土方の手に自分の手のひらを添えてみる。胼胝だらけなのになめらかでほんの少しつめたい彼の手は、夜のあいだ確かめるように握っていたそれとなにも変わらなかった。ガラにもないことをしている自覚はあるのに、土方はなにも言わずに手を握らせてくれている。
体に残る情欲の痕よりも、ぐずぐずと引きずる熱の余韻よりもずっと確かなものが、土方のなかにあるのを感じる。
「なあ。昼からの草むしりの依頼が入ってる家って、真選組の巡回ルートの途中なんだけどさぁ」
握った手だけをひたすらに見つめながら、それでも告げる言葉はだんだんと尻すぼみになっていく。土方の涼やかな瞳にじっと覗き込まれている気配がするから、尚更だ。
「ちょっとだけでも、顔、見せに来ねェ? なんていうかその、あいつらも喜ぶだろうし……」
言うと同時に、土方の手が一瞬ぴくりと跳ねた。銀時は恐るおそる彼の顔を窺う。
「おまえ、俺たちの巡回ルートなんか覚えてんのかよ……」
驚きと照れを滲ませた呻くようなつぶやきで、ふと気づく。そういえばいつのまにか、真選組の巡回がいつ頃どこを通るのか、覚えてしまっていた。黒い隊服がいればつい意識を向けてしまうし、それがたとえ土方じゃないとわかっても何となくほんの少しだけ気にかけてしまう。
それがなぜかなんて考えずともわかる。さっきの、新八と神楽を気にかける土方に感じた、心の端をくすぐられるようなむずがゆさの理由こそがその答えだ。
銀時は布団のわきに並べられた二振りの刀を見遣った。朝陽に照らされて淡く光るそれは、後朝を越えても相変わらず隣にある。
「……お返事、待ってるんですけどぉ」
照れ隠しにちょっと茶化しながら、握ったままの手を揺すぶってみる。頬をほのかに紅くした土方が口元をもごもごさせて、それからぽつりと打ち明けた。
「俺もさっき煙草吸いながら、なんか差し入れでも持っていこうかと考えてた」
こっちも照れ隠しだろう、少しぶっきらぼうな声だった。
あの遠いまなざしの先にあったものを知って、銀時は思わず笑ってしまった。