銀魂BL小説

色褪せた臙脂の暖簾をくぐりつつ戸を開けると、その瞬間、溢れ出てきた温もりがふわりと体を包んだ。同時に、出汁と醤油の入り混じったようなやさしい匂いが鼻をくすぐる。ちょうど昼時なこともあり、うどん屋は盛況だった。
「おお銀さん、いらっしゃい」
カウンターの中の厨房から親父が笑う。銀時も片手を上げて応えた。
「ちょいとすまんのやけど、今いっぱいでしてねェ。相席でもかまんかな?」
訛りが混ざった独特な口調で、親父が申し訳なさそうに眉を下げる。改めて店内を見回せば、カウンターもテーブルも埋まっているようだ。おかみさんが客たちの間を忙しなく走り回っている。
「俺ァ構わねーよ」と銀時は頷いた。
讃州の出身だという親父の打つうどんはさすがのコシの強さで、噛むと歯を押し返してくるような弾力が特徴的だ。出汁も、ここらの黒く濃い色ではなく黄金色に透き通った色で、思わずほっと身も心もほぐれるような柔らかい味をしている。蕎麦派の多い江戸っ子たちにも愛されているのは、シンプルにその美味さゆえだろう。
相席相手の了承を取りに行っていた親父が帰ってくると、奥の二人掛けのテーブルに通された。こちらに背を向けて若い男が座っている。
「そんじゃすまんねェ、お二人さん」
親父の声に男が顔を上げる。
「げっ」
やはりと言うべきか、その男は土方だった。彼も銀時と同じように顔をしかめる。
「なんでテメーがいやがる」
「あれ、お二人さんお知り合い? そりゃちょうど良かったなぁ、どうぞごゆっくり」
二人の会話についてひどく楽観的な解釈をしたらしい親父は、にこにこしながら厨房へと戻っていった。
銀時はゴホン、と咳払いをし、土方の前の席に座った。突っ立っていてもしょうがないし、何より、べつに本当に彼との相席が嫌な訳でもないのだ。
「なに、休憩中?」
話しかけると、隊服姿の土方はおしぼりの端をいじりながら「おう」と答えた。店内は禁煙だから手持ち無沙汰なのだろう。微笑ましさに思わず笑ってしまいそうになるが、笑えばきっと土方は怒るので堪える。
「お前は? また昼間っからぷらぷらしやがって、ガキたちはどうしたよ」
「さっきまで仕事してましたァ〜四丁目の漬物屋のじいさんに散々こき使われてたんだよ。アイツらは恒道館に行ってるよ、お前んとこの大将と同じで」
「近藤さんは行ってねェ! ……たぶん」
「ちょっと自信なくなってんじゃねーか」
噴き出すと、土方が「うるせェ」と小さく唇を尖らせた。
「昼飯、屯所では食わねーの? その近藤さんたちと一緒に」
「……そりゃ屯所でも食うけど、あんまり上のモンが食堂ばっかりだとアイツらも気ィ遣っちまうだろ」
躊躇いがちに告げられた言葉に、銀時は目を瞬かせる。けれど同時に、この男らしいとも思った。厳しさあまって傍若無人なところもあるが、その実けっこう濃やかな気の遣い方をする男でもあるのだ。
込みあげる微笑ましさを、今度はそのまま口元に浮かべる。
「ふぅん?」
「いや、一番の理由はここのうどんが食いたくなったからだぞ。寒ィ中ずっと歩いてたからなんかあったけぇモンが食いたいなって思って、そういや近くに美味いうどん屋があったなって思い出して……」
「おっ、嬉しいこと言うてくれるなぁ。はい、しっぽくうどん一つね」
相変わらずのにこにこ顔で親父がうどんの丼をテーブルに置いた。
「しっぽく?」
聞き慣れない単語に銀時は首を傾げる。土方の目の前のどんぶりには、何やらたくさんの具材が載っているようだ。
「こりゃあうちの故郷の料理です。大根やら人参やら里芋やらが入っとって、冬が近かくなるとよぉ食べるんでさァ」
「へェー」
腹一杯になりそうなほど具沢山なそれは、ほかほかと淡い湯気を立ち昇らせている。腹の虫がくううと鳴いた。
「じゃあ俺もそれにしようかな」と銀時が言うと、親父は「へい、しっぽく一つね」と嬉しそうに顔を綻ばせた。
ずるるっ、と豪快な音が聞こえ、銀時は目の前の男へと視線を移す。
山盛りの具は、傍目に見ても一つ一つにしっかりと出汁が染みているのが分かる色合いをしている。黄金色に透ける薄切りの大根も、箸ですっと割ることができるほど柔らかな里芋も、くたくたの油揚げも、しっかり煮えていて美味そうだ。
それらの具を次々に口に運ぶ土方は、頬がはち切れそうなほどぱんぱんになっている。小さな口をしているくせに、詰め込みすぎるのだ。口が空になればすぐにまた麺を啜っている。誰が取るはずもないのにこうも急いで食べるのは、きっと職業柄なのだろう。休憩中くらい、ゆっくり肩の力抜けよ。そう言いたいが、言ったところで素直に聞く相手じゃないことはよく知っている。知っているし、それこそがこの男だとも思うから難儀なものだ。
ゆらゆらと揺れる湯気の向こうで、伏せた目元がなんだか儚い。長い睫毛のせいか、それともほのかに赤く染まったまなじりのせいか。熱いものを急いで食べているから、薄墨色の瞳が潤んでぼやけている。熱いものを食べて涙が出る、なんてひどく人間味のある生理現象のはずなのに、なぜこの男のそれはこうも創りものめいた風情を醸しているのだろう。名のある絵師が丹精込めて描いた絵のようでさえある、なのに、どうしてかきゅっと胸が詰まる。何か軽い冗談でも言って笑わせて、背中を叩いたり髪をかき回したりしないといけない気になる。どうにも落ち着かない気分になり、その滲んだ目元に指を添えたくなってしまう。
「おい、どうかしたか」
土方が潤んだままの目で銀時を見た。速まる鼓動をひた隠して銀時は「あ? なにが?」といつもと変わらない茫洋とした目をしてみせる。
「ひとの食ってるモン凝視して、そんなに腹が減ってんのか? 何日ぶりの食事だ?」
違ェよ!とツッコミたいが、じゃあなぜ人が食べている姿をまじまじと見つめていたのか、と問われてしまうと返事のしようがない。銀時はまごついて口をもごもごとさせる。
と、そこにちょうどよく親父がやってきた。
「はいお待ちどぉさん、しっぽく一つね」
渡りに船、とばかりに銀時はそそくさと箸を手に取る。お前の食べてる姿がきれいだから見つめてました、なんて言ってしまうくらいなら、極限まで腹を空かせたひもじいやつだと思われたほうがましだ。
いただきますと手を合わせ、銀時はほかほかと湯気の立つどんぶりを見下ろす。土方のものと同じで山ほど具材が入っているが、なんだかやたらと赤色が目立つ。黄金色に澄んだ出汁の上に真っ赤な人参が紅葉のように散らされているのだ。
「なんか人参多くね?」
首を傾げると、どんぶりを覗き込んだ土方がふふっと噴き出した。
「よかったじゃねーか、銀時くん」
「えっ!?」
驚きのあまり箸を取り落としそうになる。パッと土方の顔を見れば、いたずら小僧のような顔で楽しそうに笑っていた。
「この人参、金時人参って言うんだってよ。まさにお前に似合いだな、銀時くん?」
それはさっきまでのやけに儚くてしおらしい表情よりもよほどきれいに見えた。じわじわと頬が熱をおびていく。鏡を見なくても分かる、きっと今の自分の顔はこの真っ赤な人参のようになっているだろう。
「……おう」
唇を尖らせて、銀時はうどんを啜る。すでに顔も胸も体中が熱かったけれど、それでもやっぱりうどんはあたたかくて美味かった。
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