銀魂BL小説

ふと室内に薄暗い影が射した。ひとり黙々と作業をしていた銀時は手を止めてふと顔を上げる。すぐにざあざあと雨音が聞こえ始めた。とうとう降りだしたか、と銀時は靄がかかったように白んだ窓を見上げた。
と、降り始めた雨の音に紛れるようにインターホンが鳴った。手の中のものを机に置いてソファから腰を上げる。三十分以上ずっと同じ姿勢でいたせいで固まった身体を伸ばしつつ、のろのろと玄関へと向かった。
「はーい万事屋銀ちゃんですよー」
のんきな声で告げながらガラリと戸を開ける。
そこに立っていたのは土方だった。
「雨宿りさせてくれねェか」
額に張り付いた前髪を鬱陶しそうにかき上げながら土方が言う。隊服姿だからきっと巡回の途中で降られたのだろう。
「なに、傘持ってねーの? 今日の降水確率七十パーセントだって結野アナも言ってたじゃん」
揶揄うような言葉はただの照れ隠しだった。彼が急な雨をしのぐ場所として万事屋を選んだことがなんだかくすぐったかった。たとえ近くにいたとしても、たとえば出会った頃ならここには来なかっただろう。魂入れ替わり事件によって互いの家に出入りすることにあまり気兼ねしなくなっていたが、その後いくつもの大きな戦いをともにしたことで最近はいっそう躊躇いがなくなっていた。
「今朝は総悟が俺の部屋でバズーカを……とにかく、バタバタしてて見てなかったんだよ」
苦々しい顔で土方が舌打ちをこぼす。何となく屯所での光景が想像できるようで、銀時は密かに口元を緩めた。
「一人か? ガキたちはどうした」
土方が廊下の奥を覗き込む。
「神楽は友達んち。新八は、今日はお妙が休みだから一緒に休み取ってる」
「そうか」
上着の内ポケットに手を入れて煙草を探りながら土方が小さく目を伏せた。おそらく子どもたちを気にかけるようなさっきの言葉を気恥ずかしく感じているのだろう。細く筋張った指が取り出した煙草はやっぱり雨のせいで湿気ていたようで、彼は決まり悪そうにそれを箱に戻した。
「服は乾かしとかなくて大丈夫か?」
「ああ、じゃあ上着だけ頼む」
「風呂はどうする?」
じっとり湿った上着を受け取りながら、なるべくさらりと尋ねてみる。一瞬逡巡して、土方が首を横に振る。
「……いや、いい。タオルだけ貸してくれ」
「りょーかい。ちょっと待ってろ」
「悪りィな」
銀時は廊下の脇にある洗面所へと向かい、洗い立ての一番ふかふかしたタオルを持ってくる。ポイッと投げて寄越すと、タオルに顔をうずめた土方がかすかに片眉を上げた。銀時は首を傾げる。
「なんだよ」
「いや、意外とふわふわしてんなと思って。前はもっとぺちゃんこだっただろ」
「失礼な奴だな」
わざわざふかふかしたものを選んだ気恥ずかしさがバレないように顔をしかめてみせると、土方は少しいたずら小僧のように笑った。
「依頼料はいくらだ?」
靴を脱いで框に上がりながら土方が尋ねる。先を歩いていた銀時は、頭にかぶったタオルで髪を拭く彼をちらりと振り返った。
「んー、金じゃないもので払ってもらおうかな」
わざとニヤッと笑ってみせる。「はぁ?」と訝しげに眉根を寄せた土方は、けれど居間に足を踏み入れたとたんに「うおっ」と目を見開いた。
「これの処理すんの、手伝ってくんね?」
銀時は机の上に山ほどならんだ梅の実を指差しながら言った。つややかな実はまだ鮮やかな緑色をしていて、瑞々しく引き締まっている。
「なんか微かに良い匂いがしてんなと思ってたら、コレだったのか」
「そう。追熟させたわけでもねーのに、置いとくだけで匂いが広がっちゃってさぁ」
青梅を一粒つまみ上げる土方に、銀時は肩をすくめてみせた。
「で、処理って何をするんだ?」
タオルを首に引っ掛けながら土方はソファに腰掛ける。銀時は彼に竹串を一本手渡した。そしてさっき置いた自分の竹串と梅をつまみ、正面に座る土方に見えやすいようにしつつ実践してみせる。
「こうやって、ひとつひとつ丁寧にヘタを取ってくんだよ。梅を傷つけねェようにしつつ、ヘタのカスが残らないように。カスが残るとエグみが出ちまうんだと」
竹串をちまちまと動かす銀時を見て、土方は「ふうん」と半分感心したような声をもらした。
「随分細かい作業なんだな」
「ちゃんとできる? 土方くん不器用そうだからなぁー」
「あ? 馬鹿にしてんじゃねーぞそんくらいできらァ」
言うや否や土方はむんずと梅を掴み鬼気迫る表情で竹串を動かしはじめる。相変わらずチョロい奴だ。銀時はバレないようにそっと笑みをこぼした。それから自分も新しい梅をつまんで作業を再開する。
窓の外の雨音は途切れることなく響いている。まるで灰色の音の膜に部屋ごとすっぽりと包まれているかのようだ。銀時はちらりと前に座る男を窺った。鬼の副長、などと呼ばれ恐れられる男なのに、一心不乱に梅を見つめている姿はなんだか幼い子どものようだ。無意識だろう、少しだけ尖った唇があどけない。
ふと顔を上げた土方と目が合った。「なんだよ」と問う彼に、「なんでもねーよ」と頭を振る。釈然としない顔ながらもまた作業へと没頭しだした黒い頭に、今度こそふっと笑みがこぼれた。
「それにしても、こんなにたくさんどうしたんだ」
梅から視線すら上げずに土方が訊く。
「お得意さんから貰ったんだよ。紀州の生まれで、毎年この時期になると実家から山ほど送られてくるんだと」
「へえ。梅干しにでもすんのか?」
「いや、梅シロップ。甘いモンの方が良いだろ」
「ははっ、おまえらしいな」
目を伏せたまま土方が笑った。そのまなじりがいやに柔らかくて、胸のど真ん中を鷲掴まれたような心地になる。思わず呼吸が詰まる。甘いようなもどかしいような、かすかな痺れが蝕むように体をはしった。指先で操る竹串がわずかにぶれた。
「……なんだよ、変な顔して」
銀時の視線に気づいた土方が眉根を寄せた。少し気まずげなその顔はたぶんわずかに照れが混ざっている。薄く染まった頬に、また堪らなくなる。
ふわり、と爽やかで甘酸っぱくてどこか懐かしい梅の香りが鼻腔をくすぐった。鼻先で深みを増すその香りにつられるように、胸の奥に抱えた想いが焦れて疼く。
窓の外はまだ淡く霞んでいて、屋根で弾ける雨音はひっきりなしに鳴り続けている。きっとまだ雨はやまないだろう。
「梅シロップ、たぶん梅雨が明ける頃にはできてるだろうからさ」
青く小さな梅の実をつついて、銀時は言う。
「飲みに来いよ。巡回のついでにでも」
平然と告げるつもりだった言葉は、少しだけ上擦って、思いのほか真剣な響きになった。一瞬、雨音がかき消える。かすかに見開いた深い色合いの瞳が、まっすぐに銀時を見つめた。そしてふっと緩む。
「そうだな。楽しみにしてる」
なんでもないことのように、当然のことのように土方が頷く。そのさらりとした感じはさっき自分が醸し出そうとしたものとは違っていることを、銀時は悟る。梅雨のにわか雨をしのぐためにひょいと万事屋へ来てくれる彼なのだ。気負って誘わずとも、軽やかにひょいと甘酸っぱい梅シロップを飲みに来てくれるのはきっと当然だった。胸の奥で疼いていた思いがじんわりとほどけていく。銀時は小さく笑みをこぼした。
夏がきて、約束どおり万事屋へやって来た土方と一緒に梅シロップで作ったサイダーでも飲んで。そのとき、来年も飲みに来いよと誘ってみよう。きっとまた当然のようにさらりと頷いてくれるだろう。
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