銀魂BL小説

爆発したような桜雲からちいさな雫が降りそそぐ。花をはじいて落ちるそれは、薄紅の花弁の色を映してかすかにきらめいた。
昼間はすっかり晴れていたのに、夕方が近くなるにつれて薄い雲が広がり出した空は、今は灰色の雲に覆われている。春の天気は気まぐれだ。銀時はきちんと両腕を通した袖を頭上に掲げて傘にしつつ、桜越しに空を見上げた。
とんだ肘傘雨だな。内心で呟き、その響きにそっと口元を緩める。
桜を見上げていたときから、胸の中にはあの男の後ろ姿があった。
風に吹かれて舞い散る儚さにその姿を重ねたわけではない。ただ、しっかと大地に根を下ろし凛とまっすぐに立つ姿が、似ていると思った。艶やかな花の色が、彼の黒髪や堅い隊服に似合うと思った。そしてなにより、心を捉えて離さない美しさに、どうしても彼を重ねてしまった。
我ながら、なんとも恥ずかしいことを考えている。銀時はちいさく自嘲をこぼした。あたりにひとけはなく、ただ蕭々と降る雨音だけが響いている。だからつい物思いにふけってしまうのだ。
雑多な喧騒で満ちる街からすこし外れた場所の、誰からも忘れ去られたような小さな公園。いや、公園と言っても遊具や四阿があるわけではないから、広場と言ったほうが正しいかもしれない。郊外での依頼の帰り、スクーターで通りがかったときにふと目についただけのこの場所だが、咲き誇る桜は見事なものだ。花曇りの景色を楽しもうと思ってふらりと立ち寄ったのだが、灰色の雲はたちまち小さな雨を降らしはじめてしまった。こまかな雨に打たれたまま、銀時は袖の向こうの花を見る。白くけぶる雨の中でさえ花の色は鮮やかだ。
やっぱり、あいつに似ている。
性懲りもなくぽつりと脳裡に浮かんだ思いに、胸を柔く掴まれる。会いたい。雨粒が地面に沁みこむような静かさで、そう思う。
惚れていると自覚したのはもうずいぶんと前だ。
大切なものたちの間で板挟みになりながら、それでも両方を掬い上げてみせた姿に。はみ出し者、鼻摘み者すらすべて見捨てることなく諦めない信念に。呪いさえも振り切り、護るための剣を抜いた意地に。──いや、本当はもっと前からだったのかもしれない。
大切なものを護るために、単身で挑んできたあのときから。
きっと彼に惹かれていた。
あいかわらず雨はやまない。雨粒がさわさわと桜の花を揺らすかすかな音が、雨音とともに聴こえる。花の甘さが濡れた匂いに溶ける。もどかしいような切なさが、じわりと胸に沁みる。濡れそぼる流雲模様の袖のなかで、銀時はこぶしは握りしめる。
と、ふいに激しい風が吹いた。突風とも言えるほどの強い風に、濡れた花弁がはらはらと舞う。銀時は思わず目を閉じた。
近くでバタン、と車のドアを閉める音がした。続いて聞こえる、どこか慌てたような足音。
「おい、なにしてんだお前は」
はっとして目を開ける。
雨の中、すぐそばに、土方がいた。
傘を持たない彼は、隊服も髪もたちまちしとどに濡れていく。咥えたままの煙草も雨に打たれてすでに火は消えていた。
「土方」
銀時は呟くように名前を呼んだ。「なんだよ」と少し面食らったように土方が眉を動かす。
「お前、なにしてんの」
「それはこっちの台詞だ」
どこか怒ったような声で土方が言う。
「雨が降ってる中でぼーっと突っ立ってる馬鹿がいるなと思ったら、まさかテメーだったとはな。ついに頭の中までパーになったか」
いつものような素っ気ない言葉だけれど、その声音はどこか硬い気がした。銀時はまじまじと土方の顔を見つめる。
「……どうしたの」
深い藍色をした瞳を覗きこむ。小さく息を詰まらせた土方は、躊躇うように視線をさまよわせて、それからそっと目を伏せた。
「……何事かと思うだろ。雨の中、傘もささずに桜見上げてたら」
ぼそり、と、まるで葉から雫が落ちるような密やかさで、土方は呟く。
心の水面が揺れる。彼の言葉が落ちた胸の真ん中からじわじわと波紋が広がっていく。
かなわないな、とほとんど諦念のような気持ちで思う。かなわない、この男には。銀時はひっそりと口元に笑みを浮かべた。
知り合いの男が雨に濡れてぼんやりしているのを見つけただけで、自分も傘もささずに雨の中を飛び出してくるような。そんな、柔くて優しい男。
黒い髪の先からいくつも雫が垂れている。普段から白い肌が濡れたせいでさらに透きとおるような色を帯びる。精悍で端正な頬の輪郭をゆっくりと雨粒がなぞる。心配を滲ませたまっすぐな瞳が、じっとこちらを見つめている。
思わず、言葉がこぼれそうになった。胸に長年降り募る想いをかたどった、熱を孕む言葉が。
舌先にのせた言葉を、銀時は飲み込む。
「べつに、綺麗に咲いてんなーって見てただけだよ」
桜を見上げつつ笑ってみせる。
想いを伝えたところで、どうなるというのだろう。優しい男だからあからさまに避けられることはないだろうけれど、それでもきっと今の距離ではいられない。
それなら、たとえ触れることはできずとも、そばにいられる今の関係でいい。
ただそばでその美しい姿を眺めていられたら、それでいい。
桜をはじいて落ちた雨粒が、銀時の頬を静かに濡らした。
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