銀魂BL小説

 するりと通りすぎた風に銀時は目を細めた。冬が終わりつつあることを告げるような、柔らかな風だ。頭上を見れば水色の空が広がっている。文句なしのいい天気、いい昼下がりだ。思わず大きなあくびがこぼれた。
 こんな陽気じゃ、トラキチだっておそらくどこかで昼寝にいそしんでいることだろう。銀時は懐から一枚の写真を取り出して眺めた。寛いだ様子で眠る、つややかな毛並みの猫が一匹写っている。
 今日の依頼は猫探し。依頼主はタバコ屋のばあさんで、二日前から散歩に行ったきり帰ってこない猫のトラキチを探してほしいと頼まれた。それで新八、神楽と三人で手分けして街中を歩き回り、トラキチの捜索をしている最中なのだ。
 かぶき町は猫がうじゃうじゃ住みついているから、なんの変哲もない猫一匹を探し出すのは本来とても難しい。けれど、銀時には強力なツテがある。そのツテである耳なし猫のホウイチにトラキチを見なかったか尋ねたところ、例の如くマーキングのスプレーを装いながら『四丁目』と教えてくれた。
 そうしてやって来た四丁目の街角。猫の好みそうな細い路地裏や植込みの陰をひとつひとつ覗き込んでいくが、それらしい猫の姿は見当たらない。
「おーいトラキチー、ばあさんが寂しがってんぞー」
 呼びかけながら、銀時はそばにあった小さな公園に足を向けた。滑り台や鉄棒などの定番の遊具は錆びかけているし、砂場にはところどころ雑草が顔を覗かせているような、ひとけのない寂れた公園だ。遊ぶ子どももいないようだし、ここなら猫が昼寝するのにうってつけだろう。
「トラキチー、いい加減出てこねーと猫鍋にして食っちまうぞー」
 いい加減な呼びかけとともに滑り台の下を覗くが、けれど猫の姿はない。見当が外れたか、と落胆しつつため息をこぼす。
 と、砂場の向こう、ぼうぼうと好き勝手に枝を伸ばした植込みの裏から、細い煙がひと筋ゆらゆらと立ち昇っていることに気付いた。すわ小火かと慌てて駆け寄り、後ろを覗き込む。
「あれ、土方くんじゃん」
 しかしそこにいたのは、煤けた赤色の吸い殻缶の前でタバコをふかす、隊服姿の男だった。いつもは涼しげな双眸が、驚いたように僅かに見開かれる。
 まさかこんなところで恋人と逢えるなんて。三日前に飲み屋で鉢合わせて以来の逢瀬だ。年甲斐もなく弾む心をなんとか押さえつけていつも通りを装いながら、銀時はひらりと手を振ってみせた。
「お前、なんでこんなところに……」
 土方が小さく眉を寄せた。少し困惑が滲んだようなその声音に、おや、と銀時は内心首を傾げた。照れ隠しゆえのぶっきらぼうな声とも違う、予想外の出来事にどうしようかとまごついているみたいな声だ。
 不思議に思う銀時をよそに、土方はすでにいつもと変わらない顔に戻っていた。
「おい、コイツをどうにかしてくれ」
 彼が指さした足元を見れば、隊服に包まれた彼の足に一生懸命体を擦りつける猫がいた。つやつやした毛並みの、真っ黒な猫。タバコ屋のばあさんから預かった写真に写る猫と瓜二つだ。
「お前、トラキチか」
 銀時が問いかけると、猫は土方の足の間からふくふくした顔を覗かせて「にゃー」と答えた。存外に低いハスキーボイスだ。オスに違いない。
「知り合いなのか?」
 土方が足元の猫と銀時を見比べる。銀時はひょいと猫を抱き上げた。
「猫探しの依頼。定食屋の向かいのタバコ屋のとこのトラキチだよ」
 銀時の言葉を肯定するように猫が「にゃっ」と短く鳴いた。耳の後ろを撫でてやるとごろごろと喉を鳴らし始める。
「つーかお前こそ知り合いじゃねえの? えらく懐かれてたけど」
「そういえば、タバコ買いに行ったときに見かけたことがある気がする」
「遠出したはいいけど帰り道が分からなくなって途方に暮れてたところで、知ってる人間の姿を見つけたから助けを求めようとしてたとか」
「なら悪いことしたな。全然気づかなかった」
 土方が銀時の腕の中のトラキチを覗き込む。トラキチもひょいっと首を伸ばして鼻先を近づけた。ずいぶんと人に慣れている猫だから、やっぱりタバコ屋の店先で客を眺めるのが好きだというトラキチで間違いないだろう。
「触ってやれば?」
「ど、どうやって……」
「こうやって。最初に手の匂いを嗅がせてやって、それから肩のあたりを撫でる」
「猫の肩ってどこだよ」
「首の付け根あたり。えっ、ここって肩じゃねえの?」
「知らねぇよ」
 くだらない軽口の応酬に、二人同時に噴き出す。トラキチが不思議そうな顔で耳をピクリと動かした。安心させてやるみたいに銀時は彼の小さな額を人差し指で撫でる。
「なんで黒猫なのにトラキチって名前なんだろうな」
 右手を黒い鼻先に近づけながら土方が呟く。トラキチは興味深そうにその手の匂いを嗅いでいる。
「虎のように強い猫になってほしかったとか? 黒猫だからブラックタイガーだな」
「エビじゃねえか」
「にゃう!」
 抗議するように、銀時の腕の中でトラキチが声を上げた。けれど、土方が背中を触るととたんに大人しく目を閉じる。ころころと小さく喉を鳴らしながら気持ちよさそうに目を細めている顔は、まるで笑っているみたいだ。
「……可愛いな」
 思わず、といった様子で土方がこぼした言葉に、銀時は頬を緩めた。それに気づいた彼が照れたように小さく眉を寄せて銀時を睨む。猫を可愛がるときくらい、素直になればいいのに。銀時は肩を竦めてみせた。
「にしても、えらく人懐こい猫だな」
 こほん、と咳払いをした土方が言う。
「そりゃあ、飼い主のばあさんも話し好きで有名だからなあ。ばあさんに似たんだろ」
 言いながら、銀時もトラキチの喉の下をかいてやる。二人がかりで構われるトラキチはご機嫌で、喉の音もごろごろと派手に鳴る。小さな頭をぐりんぐりんと取れてしまいそうなほど手のひらに擦りつける彼に、銀時と土方は顔を見合わせて噴き出した。
「っと、そろそろばあさんところに帰してやらねェと。ばあさんが寂しがってるからな」
 銀時はトラキチを抱え直しながら立ち上がった。やっぱり名残惜しいが、『猫と戯れる土方』というレアな姿を見られただけでも大収穫だ。
「じゃーな。次の非番の夜にでもまた飲もうぜ」
 空いた手でひらりと手を振ってみせる。
 と、その手の袖を土方の手が小さく掴んだ。
 驚いて、銀時は土方の顔を見る。
「……お、俺、ねこになる」
 俯いた土方がまるで振り絞るみたいに呟く。前髪が顔を隠してしまっているから表情はよく見えないが、黒髪から微かに透けて見える頬は熟れた果実のように赤く染まっていた。どきりと心臓が跳ね上がる。
「え、なに、どうしたんだよ急に?」
 言葉の意味を測りかねて、どぎまぎしつつ銀時は尋ねる。
「もしかしてお前、覚えてねェのか……?」
 土方が袖を掴んでいた手を離す。なんだか捨てられた仔猫のような目をしている。彼らしくない顔に少し心が揺れて痛んだが、心当たりはまっまくない。
「えぇと、その、うん……何の話?」
「お前がこないだ、次に一緒に飲んだ夜こそは、その、い、一線超えたいって言ったんだろうが! だから俺……!」
 人目を憚るように小声で、けれど頬を紅潮させたまま叫ぶような勢いで土方が言う。
 銀時は必死で三日前の記憶を手繰り寄せる。が、土方と鉢合わせた喜びを肴にして呑む酒が美味くてでろんと気持ちよく酔っ払ったことしか思い出せない。なに言ってんだ三日前の俺!と頭を掻きむしりたくなると同時に、よくぞ言ってくれた三日前の俺!と称賛の拍手を送りたい気持ちにもなる。
 だって、付き合いはじめてからの三ヶ月間、ずっと我慢してきたのだ。本当にほんとうに心底惚れているから、僅かにでも身体を寄せてこられようものならその仄白い肌に触れたくなるし、けれどそういう欲で触れることで汚してしまうのではと恐ろしくもなるし。なにより、とてもとても大事にしたいし。そんな葛藤を、三ヶ月間ずっと胸に渦巻かせてきたのだ。
 だからこそ、である。
 だからこそ、聞き逃すわけにはいかないことがある。
「えっと、じゃああの、つまりねこでいいっていうのは……」
 おずおずと、しかしはっきりと問い返す。
 頬どころか首まで朱色に染まった土方は、眉間に深い皺を刻んで、視線をおろおろと彷徨わせる。しばらくの逡巡のあと、彼は観念したように口を開いた。
「……お前が猫を触るときの手つきを見てたら、そうやってお前に触られるのも悪かねェかもって思ったんだよ」
 照れ隠しゆえの、ぶっきらぼうな声音。胸の奥からぶわっと熱いものが込み上げてきて、瞬く間に身体中を駆け巡る。
 堪らない愛おしさに突き動かされるように、銀時は目の前の小さく俯いた黒髪に手を伸ばした。さらさらした滑らかな髪を撫でて、そしてするりと手を動かして髪をかき分け、薄い耳に触れる。赤くなり、かすかに熱を持ったそれを、さっきトラキチにしてやったように──いやそれ以上に愛おしさを込めて、ゆっくりと親指でなぞる。
 土方がパッと勢いよく顔を上げた。切れ長の目を見開いた、あどけない表情。銀時は小さく口許を緩め、そしてささやく。
「今度の夜、ねこにしてあげる」
 腕の中のトラキチがにゃあ、と暢気な声で鳴いた。
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