銀魂BL小説


「酒が沈むと言葉が浮かぶ」ということわざがあるが、昨晩の俺はまさにそれだった。加減を忘れていつもより飲みすぎて、その結果、決して言うつもりのなかった言葉はぽろりと唇からこぼれてしまった。
今さら後悔したって遅いけれど。



昨晩は月の綺麗な夜だった。その冴えた光に誘われるようにふらりと飲みに出かけて、ちびちびと杯を舐めていたとき。偶然にも、同じ店に土方がやって来た。
またお前か、そりゃこっちの台詞だ、なんていつも通りの憎まれ口を叩き合いつつも、俺の心はほのかに浮き立っていた。なんせ、惚れている相手に久しぶりに会えたのだから。
飲み屋は騒がしいほどに盛況で、空席は俺の隣にあるひと席だけだった。嫌な顔をしながらも、親仁に勧められるがままに隣に座ってくれたことにふわりと胸が弾む。くい、と猪口を傾けながら、さりげなく隣の男に視線をやる。憎らしいほどに整った横顔も、さらさらした黒髪も、陶器のような白い肌も、相変わらずのいつも通り。思わずふっと頬が緩みそうになる。
約二ヶ月間、まったく姿を見なかった。隊士を引き連れて巡回している後ろ姿にも、非番の日にぷらぷらと出歩いているところにも、今晩のように飲み屋で杯を傾ける横顔にも、ただの一度だって遭遇しなかった。不思議に思いながらも、けれどテレビでも新聞でも大きな捕り物のニュースはやってなかったし、それにわざわざ真選組の連中に「おたくの副長さんはどーしたの」なんて尋ねられるような関係でもない。男の消息を掴めないまま、ただやきもきと胸を焦がしながら街中に彼の姿を探すほかなかった。
だから、やっと出逢えた男の姿に、少しばかり浮かれていたのだ。
「あ? どうかしたか」
男の夜色の瞳がついっとこちらへ向けられた。慌てて顔を逸らしてぐいっと酒をあおる。
「べつにィ。で、何頼むの」
「そうだな……」
メニューに視線を移したのを確認して、ほっと胸を撫でおろす。いくら浮かれているとはいえ、それを悟られるわけにはいかない。だって俺たちはただの『腐れ縁』なのだから。浮かれる気持ちをなんとか抑え込む。
「じゃあ、唐揚げと揚げ出し豆腐ともろきゅうで」
「どうせ全部マヨまみれにするんだろ?」
「テメーこそ、そんな砂糖の詰まった脳みそじゃあ何食っても甘ったるくなんだろ」
「アホか、脳みそに砂糖詰まってたら鼻ほじってなんとしてでも食うわ」
「お前こそアホか、鼻ほじっても脳みそ出てこねーよ」
「まじでか」
いつも通りの、取り留めのない軽口の応酬を繰り広げながらも、内に秘めた高揚は杯を空けるペースに表れていた。言葉を交わす合間にばかすかと酒を流し込み続けて、一時間後には、すっかり顔が真っ赤になるほどの酩酊状態にあった。
「なあ、おめーこの二ヶ月間なにしてたの」
「あ?」
若干白く霞がかった頭のまま、酔いにまかせて訊いてみる。土方がちらっと流し目を寄越してきた。淡い赤に染まった目元が色っぽい。
「ぜんぜん見かけなかったけどさァ、もしかしてマヨネーズ王国にでも行ってた?」
興味だとか、心配だとか、そういうのを軽口に溶かし込んでぶつけてみる。
「馬鹿かおまえ、んなもん見つけてたら今ここに帰ってきてねーよ」
冗談なのか本気なのか分からないことを言いながら、土方は呆れたみたいに目を細めた。それからくい、と小さく酒をあおった後、「お偉方の警護で京都行ってた」と呟いた。
「京都」
「ああ」
思わず目をぱちぱちと瞬かせる。知らない間に随分とまあ遠い所へ行っていたらしい。当たり前のように、姿も見えなければ声も届かない場所だ。
京都、京都と口の中で繰り返し呟いていると、隣でくるくると猪口をもてあそんでいる男の腕にふと白いものが見えた。ぎょっとして、勢いよく土方の手を掴む。
着物の袖をめくり露わになったのは、綺麗に巻かれた真っ白い包帯。
「これ、どーしたよ」
腕に巻き付けられた白を見ながら低く呟く。
けれど、尋ねながらも、本当は分かっていた。江戸では大きな捕り物やテロのニュースはやっていなかったのだから、きっとこれは京都にいる間につけられた傷だろう。
「……なんでもねーよ。てめーにゃ関係ねェ」
素っ気ない言葉とともにぱっと腕を振り払われる。ひりひりとした痛みが、かすかに指先を震わせる。
そりゃあ確かに関係なんてねーんだけど。でも。
宙に取り残された右手をぎゅっと握りしめる。
俺が江戸でじりじりしながらお前を探していたその間に、お前は遠く離れた京都にいてそんな怪我まで拵えて。そりゃあそれが当たり前なんだけど、分かっているけど、それでもやっぱり。
そんなことを胸の内で思いながら、苦い気持ちで杯を舐める。甘いわりにさっぱりしていて口当たりの良い酒のはずなのに、鉛を溶かし込んでいるかのようにどろりと重くて苦いものに感じてしまう。どろりと重たい酒が胸に沈んで、その代わりに、ずっと秘めていた想いが小さな泡沫のようにちらちらと浮かんできた。
ずっと、もうずっと前から隠し続けてきて、これからも隠し続けてゆくはずだったその想いは、ぱちんと水面で泡が弾けるように言葉となって発された。
「惚れてんだよ、おめーに」
ずっと秘めていた想いは、言葉にするとたったの三秒にもならなかった。
それでも、隣に座る土方の目は今までに見たことがないほどまん丸に見開かれていたから、やっぱり威力は抜群だったようだ。かすかに開かれた桜色の唇がなにか言葉を返そうとしたけれど、それを聞き届ける前に思わず席を立っていた。「おや、もう帰るのかい」と目を丸くした親仁に勘定を頼んで、慌てて店を出る。
ため息まじりに見上げた空に、月は雲に隠れて見えなかった。


ああ、これからどうしようか。
昨晩の飲み屋での出来事を思い出しながら、万事屋の社長椅子の上でひとり頭を抱える。たかが『腐れ縁』の男に突然告白された男の心境を思うと、もう顔なんか合わせられないだろう。そうなれば、これまで繋ぎ続けてきた『腐れ縁』も今回ばかりは切られてしまうかもしれない。重いため息がこぼれる。
いつもは酔えば酔うほど記憶も溶けてなくなってしまうというのに、あんなに酔っていたのに昨晩のことははっきりと憶えている。いっそなにも憶えていなかったなら、いつも通りに話しかけて喧嘩を吹っ掛けることもできたのに。そうなれば、あの空気の読める男のことだから、きっと話を合わせて昨日のことなんかなかったことにしてくれただろうに。
いっそ、酔いのせいで口をついて出た戯言だったことにしてしまおうか。
そんなことを考えていると、不意にインターホンの音が鳴り響いた。新八も神楽も出かけている今の万事屋には自分一人しかいない。よっこいせ、と重い腰を上げて玄関へと向かう。
「はいはい、どちら様ですかァ」
気だるく問いかけながらガラリと戸を開けて。
思わず、目を瞠る。
「よお」
そこにいたのは、土方だった。
「……何の用だよ」
目を逸らしながら、昨晩のことをごまかすように告げる。
「昨日のこと、忘れたとは言わせねェよ」
けれど、返された言葉は有無を言わせないほどに強い口調だった。戸を掴んだままの手にぎゅっと力がこもる。真っ直ぐな視線に射抜かれたように、身動きもできない。
もう、頼むからほっといてくれ。身勝手だとは分かっていても、そう思わずにはいられない。
酒の勢いで思わず言っちまったけど、本当は心底後悔してんだ。振られて顔も見られなくなるくらいなら、ずっと想いをひた隠したまま今までみたいに隣で酒が飲める距離にいたほうがずっといい。肝心なときには「おめーにゃ関係ねェ」って突っぱねられながらも普段は軽口を叩いて笑い合えるような、今の関係のままでいたほうがずっといい。
そんな切実な願いをよそに、目の前に立つ土方はひどく酷な言葉を口にした。
「依頼だ、万事屋。昨日の酒の席でのあの言葉、素面の今もういっぺん言ってみやがれ」
何でもやるのが万事屋だろう、断るはずがねーよなぁ、と。真っ直ぐな瞳が、そう言っているようだった。諦めと絶望がこもった深い息を吐き出す。
「……報酬は?」
投げやりな気持ちで訊いてみる。
すると返ってきたのは、ふわりと綻ぶようにこぼされた綺麗な笑みと、予想外の言葉だった。
「俺からおんなじ言葉を返してやらァ」
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