銀魂BL小説


朝を迎えたばかりの空気はきりりと冷たい。銀時はふわあと大きな欠伸をこぼしつつ、寒さにかじかむ両手を擦り合わせた。冬の空気はあまりにも澄み渡りすぎているから、すべての感覚を鮮明にさせてしまう。刺すような冷気をやり過ごすように首をすくめる。
と、そのとき、不意にかすかな香りが鼻をかすめた。雑多なこの街では匂いまでもが多種多様だが、その中でも一際存在を主張している、甘酸っぱくて凛と張り詰めた香り。これは、梅の花の香だ。
銀時は俯いていた顔を上げ、きょろきょろと辺りを見回した。けれど、道沿いの家の庭にもすぐそばの空き地にも梅の木の姿は見当たらない。と、目の前の丁字路を右に曲がった先の家に、立派な梅の木があったことを思い出した。毎年春先になると見事に咲き誇る姿がふっと脳裡に浮かぶ。
もうそんな季節か。呆れたような感心したような気分で、銀時は梅見物へと赴いた。
さくさくと地面を踏みしめ歩くうちに、古い知識が蘇った。梅の花言葉は、「忠実」「高潔」。これは昔、飛び梅伝説の話とともに教わった知識だ。そのときは大して気にも留めなかったその言葉であるが、今はなんとなく思うところがある。
梅の姿と重なるように、ふっと脳裡に浮かんだ黒い背中。「忠実」も「高潔」も、梅と同じくらいよく似合う男。ぴん、と背筋を伸ばした男に、逢いたいと思った。
ゆっくりと歩いているうちに目当ての場所が近づいてくる。前方に広がる生垣の上、すっと伸びたしなやかな枝にちらちらと小さな紅色が色づいている。
今年もまた見事に咲いたものだ。
しんと静かな朝の空気に、鮮やかな花の色がよく映える。銀時は生垣のそばに寄って、その香りと色を楽しんだ。
あの男にも見せてやりたい。眼前の紅い花たちを眺めているうちに、またもやあの黒い背中が浮かんでくる。花言葉だけじゃなく、凛と咲き誇る花の姿さえもきっとあの男にはよく似合うだろう。
すう、と静謐な空気を吸い込んだとき、ふと馴染みのある匂いが入り混じっているのを感じた。梅の香りに隠れるようにかすかに漂うそれは、煙草の匂い。
すなわち、彼の匂いであった。
もしかして近くにいるのだろうか。銀時はひょいと首を伸ばして、生垣の角の向こうを覗き込む。すると、白い煙をたなびかせながら悠然と歩く黒い隊服姿が目に入った。思わず緩みそうになる口元を引き締めつつ、何と声をかけようかと思案を巡らせる。ぐるぐると考えているうちに、向こうが銀時の存在に気付いたようだ。
「お前、こんな朝早くに何してんだ」
訝しむように眉を寄せる姿は、さすが警察官といったところか。
「仕事帰りだよ、信じられねぇだろーけど」
肩をすくめてみせると、彼は僅かに目を見開いた。唇の先で煙草が小さく跳ねる。
「そりゃ確かに信じらんねぇな」
「だろうよ。俺だってまさかこんな朝っぱらから寺の庭掃除に駆り出されるとは思わなかった」
うんざりと呟くと、彼はふっと口元を緩めて笑った。白い吐息が唇からこぼれる。
「お前も仕事だろ?」
尋ねると、彼はこくりと頷いた。
「ああ」
短く返事を寄越した彼は、くあっ、と欠伸をこぼした。血の匂いは感じない。おおかた、張り込み中の観察方の陣中見舞いにでも出向いていたとか、そんなところだろう。
「お疲れさん」
「おう……んで、仕事帰りにわざわざこんなところで突っ立ってた理由は?」
鋭い目で睨まれる。まるで職質だな、と苦笑しながら両手を上げる。
「何も怪しいことしてねーよ。ただ、コイツ見てただけだ」
銀時は上げた手の片方で梅の木を指さした。つられるように彼も顔を上げて梅に視線を向ける。
「こりゃあまた見事だな」
小さな紅色の群れを見上げた彼が、ふっと微笑んだ。
「だろ」
彼はただ梅を褒めただけだと分かっているのに、どうしても胸のあたりがじわりと熱を持つ。つられるように、銀時も頬を緩ませた。
「けど、お前に梅なんか愛でる感性があったとは意外だな?」
実をつけるにはまだ早いぞ、とにやにや笑う彼に、べつに食おうとしてるんじゃねェよと眉を吊り上げてみせる。どれだけ意地汚いと思われているんだ、と悲しくもなるけれど、ふふっと楽しげに笑う彼の顔を見るとそんなことはすぐにどうでも良くなる。我ながら現金だな、と銀時は内心で苦笑をこぼした。
「意外と繊細な感性してんだからな俺」
「嘘つけ、そんな風流な柄じゃねーだろ」
「失礼な奴だな、普通に梅くらい愛でるっつーの」
「何だよ、見せたい女でもできたか」
目を伏せた彼は、ふうっと白い煙を吐き出した。ゆらゆらと漂ったそれはすぐに澄んだ空気に溶けてゆく。煙の匂いに入り混じる、梅の凛とした香り。
すう、と銀時はそれを吸い込んだ。それから、目を逸らした彼を見つめつつ、ぽつりと呟く。
「……君ならで誰にか見せん、梅の花」
ゆっくりと彼が振り向いた。
銀時はハッと我に返る。目を背ける彼を見ているうちに思わずこぼしてしまった言葉がひどく恥ずかしい。これこそ柄にも無いというものだ。なぁんてな、と慌てて誤魔化そうとして。
思わず、口をつぐんだ。
目の前の彼の顔が、梅に負けないほどに真っ赤に染まっていたから。ぱくぱくと開閉を繰り返す唇から淡い白色が何度もこぼれる。おろおろと彷徨う瞳がいじらしい。
これは、少しくらい期待してもいいのだろうか。心臓を高鳴らせつつ、銀時はごくりと唾を飲み込んだ。
なら、もっと踏み込んでみようか。
「色をも香をも、君にぞ似合う」
数秒後、取り乱してもっと真っ赤になった彼は、梅よりもずっと綺麗だった。
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