銀魂BL小説
「おい平野、巡回行くぞ」
キリリとした鋭い流し目とともに寄越された、よく通る凛とした副長の声。思わずしゃんと背筋を伸ばしながら、俺は上擦った声で「はい!」と返事をした。
真選組に入隊して、早くも一ヶ月あまりが過ぎた。最初は慣れないこと、不安なことばかりだったけれど、最近ともなれば基本的な規則や生活習慣なんかはさすがに身についてきたし、局中法度の厳しさや稽古のキツさにも慣れてきた。
とは言え、まだまだ知らないこと、初めてのことも多くある。その一つが、今から行う「副長との巡回」であったりする。
昼過ぎの街はひどくのどかで、ぽかぽかとした太陽の陽気と穏やかに吹く風がまるで微睡みのようだ。それは「夜の街」であるかぶき町も例外ではなく、夜のけばけばしいまでの猥雑さはなりを潜めてのんびりとした空気が流れている。とは言え、事件の種はどんなところに隠れているか分からない。俺はぎこちない動きできょろきょろと辺りを見回した。
知らぬ間に手のひらが汗でびっしょり濡れていて、慌てて隊服のズボンで拭う。普通の巡回ならもう何度も経験したが、副長と二人っきりで、というのは初めてだ。と言うか、副長と二人っきりという状況自体が入隊試験や研修のとき以来なのだ。緊張するのも無理はない、と自分に言い訳をしながらフウと小さく息を吐き出した。
ふと、前を歩く副長を見やる。そのピンと背筋の伸びた黒い背中に置いていかれないよう、早足でついて行く。悠々と煙草をふかしながらあちこちに鋭い視線を向ける様は、当然ながらも堂々としていて貫禄がある。格好いい。まさに憧れの姿だ。思わず胸が高鳴ってしまう。
憧れの人の邪魔にならないように。少しでもお役に立てるように。
思わず肩に力が入る。前を歩く凛とした背中を見つめながら、湿った手のひらを固く握りしめた。
「……俺ばっかり見てても意味ねーぞ」
不意に振り返った副長に苦笑混じりに告げられて、ビクッと肩が跳ねた。背後からの俺の視線に気付くなんて、さすが気配に聡いお方だ。「す、すみません!」と頭を下げながらも、内心で尊敬の念を新たにする。
「慣れねーうちは仕方ねェが、早く周りが見られるようになれよ」
「はい」
神妙な顔で頷きながら、俺は先輩たちの言っていたことは本当だったな、と思い返す。
昨日の夜、『明日副長と二人で巡回なんスけど、緊張しちゃって』と先輩隊士たちに話したとき。彼らは『いくら鬼って言っても取って食いやしねーよ』と言ってケタケタ笑っていた。
確かに、まじめにきちんと仕事をしていれば副長に怒られることも少ないのだろう。ふと沖田隊長や山崎さんに怒号を飛ばす姿が頭をよぎったけれど、あれは仕事をサボって居眠りやバドミントンをしているのだから怒られるのも無理はない。
けれど先輩たちの言うことには、本当に大変なのはこれかららしいのだけれど。
『まあでも最初の頃は俺たちも難儀したぜ』
しみじみと語る先輩に、俺はゴクリと唾を飲んで『な、何が大変なんスか?』と尋ねた。すると先輩はニヤリと笑い、思いもよらないことを告げたのだった。
『そりゃあ、万事屋の旦那だよ』
「よーう税金泥棒ども」
背後からかけられた無礼な声にサッと振り返る。そこにいたのは和装だか洋装だかよく分からない珍妙な格好をした、白髪頭の男だった。あまりに怪しい風貌に、思わず腰の刀に手が伸びる。
「またテメーか、万事屋」
しかしさもうんざりとした様子で煙とともに吐き出された副長の「万事屋」の言葉によって、俺はそっと刀から手を離した。
なるほど、これが「万事屋」か。俺はまじまじと目の前の男を観察した。
気怠い顔つきに珍妙な格好も相まって、ただのだらしない人にしか見えない。こんな男が、本当に先輩たちの言う「万事屋」なのだろうか。俺は内心で首を捻る。
そんなことを考えている間に、「万事屋」と副長は何やら言い合いを始めてしまった。
「毎日毎日連れ立ってぞろぞろ散歩たぁ暇そうでよろしいですねぇ」
「馬鹿には散歩に見えるかもしれねェが、これは巡回っつー立派な公務だ」
「二人で歩き回るのが仕事とか、羨ましいかぎりだぜ」
「確かにロクに仕事もねぇニートには羨ましいだろうな」
「ニートじゃありません社長だコノヤロー」
「んな目の死んだ社長がいてたまるかよ」
「目ェ関係ある!?」
往来だというのに、今にも胸倉に掴みかからんばかりの勢いで喧嘩しはじめた二人。俺は為す術もなくおろおろと見守り続けるほかない。
『副長と旦那が喧嘩し始めたら最後、割り入って止めるのは至難の業だ』
神妙な表情で頷き合っていた先輩たちの顔が脳裏に蘇る。確かにこれは俺なんかじゃ止められそうにない。沖田隊長や山崎さん、あるいは局長がいてくれれば……。そんなことを考えている間にも二人の喧嘩は熾烈を極めて、今にも鯉口を切りかねん勢いである。
どうしようか、と途方に暮れていた、そのとき。
「食い逃げだァァァァァ!!」
近くの定食屋からから聞こえてきた大声にバッと振り返る。と同時に、猛烈な勢いで走ってくる二人組の姿を捉えた。副長は喧嘩中だし、どうにかして俺が捕まえなければ。そう思い、刀に手をかけた──のだが。
愕然とした。
さっきまで周りのことなど目もくれず喧嘩していた二人は、いつの間にか食い逃げ犯二人の前に立ちはだかっていて。走ってきたうちの一人に副長が鞘に納めたままの刀で峰打ちを喰らわし。もう片方に万事屋がひょいと身軽に背負い投げを喰らわし。地面に倒れた食い逃げ犯たちの上に、二人はのっしと馬乗りになる。
「はーい観念しなさーい」
「神妙にお縄につきやがれ」
はっと気付いたときには、副長と万事屋は何とも鮮やかな身のこなしで素早く犯人を捕まえてしまっていたのである。
パトカーを呼び、捕らえた犯人二人を屯所へと連行させた後も、万事屋はしつこく副長に食い下がっていた。
「おいおい、捕縛に協力してやったってのに謝礼金のひとつも無しですかァ?」
田舎のヤンキーのような首の角度で副長の顔を覗き込む男の頭を、副長がベシッと叩く。
「毎度毎度がめついんだよテメーは。……まあいい、奢ってやるから明日の晩空けとけ」
「やりぃ、いろいろとゴチになりまーす」
「うるせぇよ。……おい平野、行くぞ」
あれ、副長、そんなに簡単に引き下がって良いんですか。そう思ったものの、「はい」と素直に従う。なんだか、それを聞いてはいけないような気がしたから。
「それにしても、あれが『万事屋』ですか」
副長の隣を歩きながらしみじみと呟く。すると副長はぴくりと片眉を上げた。
「お前、アイツ見るの初めてだったか?」
「はい。噂には色々と聞いてましたけど……」
昨日の晩、先輩たちから万事屋についてたくさん聞かされた。副長との仲の悪さの他には、ニート、ギャンブル好き、酒癖が悪い、意地汚い、やる気がない、などなど。現に俺も第一印象ではただのだらしない人だと思ってしまった。
けれど、そう話した先輩たちはみんな必ず、最後には『でも、いざと言うときはスゲェ強いしカッコイイ男なんだよな』と笑っていた。
「確かに、カッコイイ人ですね」
思わずポツリと呟いてしまっていた。副長の肩がぴくりと揺れたのを見て、俺はしまった、と焦る。犬猿の仲の相手を褒めたのだから、副長は良い気はしないだろう。恐るおそる、隣を歩く副長の顔を窺う。
けれど俺の予想に反して、副長は悠然と煙を吐き出している。それから、フッと小さく笑って告げる。
「そうだろ」
その声で、言葉で、響きで。俺は、その心配が杞憂であったことを悟った。それから、先輩たちの言っていた「犬猿の仲」が勘違いであることと、さっき副長があっさりと飲みに行く約束をしていた理由についても。
なんだか、盛大に惚気られた気分だ。俺は小さく頬をかいた。