In other words,
夜に外を歩くのはなんだか久しぶりだ。上着の裾を翻しながら、銀時は足早に進む。吐き出した息が白く光り、風に乗って後ろへ流れていく。首元の赤いマフラーがひらりと揺れる。ほどけそうになったそれを巻き直しつつも、ひたすらに動かす足は止めない。
ここ数日、飲みに出かけていなかった。飲みに出れば、いつものように鉢合わせてしまうかもしれないから。それを避けるために、夜はほとんど出歩いていなかったのだ。けれど、今は違う。今はただ、いっときでもはやく逢いたい。銀時は歩みを速めた。
どこにいるかも分からないのに、不思議とどこに行けばいいのか分かっている気がする。動かす足に迷いはなかった。まるで誘われるみたいに夜の道を歩いて、歩き続けて。
そうしてたどり着いたのは、あの小さな公園だった。
すっかり葉を落とした箒のような木々の合間に伸びる小道を、銀時はゆっくりと歩いていく。木々が落とす幾何学模様のような薄い影を踏みしめると、乾いた土がサクと小気味よい音を立てた。木立を吹き抜けた風が冬の匂いを運ぶ。はやる胸の鼓動を抑えるように、銀時は胸いっぱいにその冴えた空気を吸い込んだ。
木立を抜けると、途端に視界がひらける。いつかのベンチが目に入る。
白くあえかな光に照らされたその場所に、ひとつの人影。濃紺色の着物と薄墨色の羽織を纏ったその男は相変わらず夜に溶け込む様子もなく、はっきりと鮮やかにこの目に映る。その姿に、思わず頬が緩んだ。同時に、むずむずと込み上げてきた気恥ずかしさで胸のあたりがこそばゆい。
空を見上げていたその人影が、ふとこちらを向いた。夜を映した藍色の瞳と視線が交わる。
銀時が片手を挙げてみせると、彼はふう、と白い煙を吐き出した。それから、そっぽを向いたままベンチに座る腰の位置をすっとずらす。銀時は頭の後ろをぽりぽりと掻いた。
ベンチまでの数メートルをことさらゆっくり歩いていって、彼の隣に腰を下ろした。
「山崎から何か聞かされたろ」
土方が少し首を傾けながらちらりと銀時を見る。銀時は小さく顎を引いてみせた。
「あいつ、監察とか言いながら結構おしゃべりだよな」
「ああ、口も頭も軽いヤツで困るよ」
さもうんざり、といったふうにこぼした土方が煙草の煙をふうっと深く吐き出した。そんなことを言いつつも、土方が山崎の能力を買っていることは銀時だって知っている。素直じゃないな、と内心で苦笑しつつ、土方からは見えない角度で銀時は口の端を上げた。
「ま、何言われたか知らねーが」
土方は口元の煙草に手をやり、やや短くなった煙草を唇から抜きとった。それを懐から取り出した黒い携帯灰皿の中で押し潰しながら、銀時から視線を逸らしたまま聞こえよがしに呟く。
「逃げられちまったもんは仕方ねェ。今どこにいるかも分からねーチンケな野郎を追ってるほど、俺たちも暇じゃねェんでな」
ぶっきらぼうに告げられた言葉に、銀時は土方へと振り返った。
おそらく山崎から、銀時が依頼によって継之助を逃したことを聞いているのだろう。そしてその上、銀時が継之助に対する真選組の対応を気にしていることも悟られているに違いない。だからわざわざ、継之助を追う気も捕まえる気もないことを銀時に伝えているのだ。
それにしても、本当に素直じゃない男である。銀時は苦笑をもらした。実際は土方自身が継之助を逃がそうとしていたことを、銀時は知っている。ハナから継之助を捕まえる気なんて無かったくせに。照れ隠しかそれとも組織上の建前か、そんな心にもないことを言ってみせる横顔がひどく愛おしいと思った。
「そっか」
「ああ、そうだよ」
わざとらしい会話に、銀時は思わず忍び笑いがもらした。ふわりと吹いた風が、色の違うふたりの髪を同じように揺らす。
ひらり、とふたりの間にひとつ金色が舞う。ベンチに落ちたそれを見れば、いつかの日と同じ銀杏の葉であった。ふと、顔を上げる。
深く落ちていってしまいそうな藍色の夜空に、悠々と浮かぶ白い月。満月でも三日月でもない、名前なんて与えられていないような歪な形をした、平凡な今日の月。
けれど凛と冴えた光は白く輝き、優しくしんしんと降り注ぐ。すう、と心に沁み入るような、真っ直ぐな光だ。
「綺麗だな」
隣を見れば、土方も同じように夜空を見上げていた。眩しそうに目を細めている彼の横顔を見つめる。寒さでほんの少し赤らんだ頬のうえを、白い光の粒がきらきらとすべる。ゆるやかに吹いた風が彼の黒髪をなびかせた。
「最近、月が綺麗だって思うようになったよ」
柔らかな声でそう言った土方が、ゆっくりと銀時を見る。夜と同じ色をした藍色の瞳と、視線が交わる。銀時はふっと頬を緩めて、「うん、俺も」と返した。
今の少し歪な月も、肉まんと重なるようなまん丸な月も、酔っていてさえ分かるほどに冴えざえと光る白い月も。今までふたりで見た月のかたちの、そのどれもが特別だと思えるほどに美しく見えたのは。
「俺もだよ。お前と見ると、月が綺麗だ」
土方の瞳を見つめたまま、告げる。
違う場所で、違う時間を生きている。けれど、だからこそ、今こうしてそばにいてともに過ごし、ひとつのものを見上げていることが嬉しい。心の中に光がさしたみたいに、胸があたたかくなるほど、嬉しいのだ。
「……それはつまり?」
悪戯っ子のように口の端を上げて、土方が笑う。挑発するみたいな、けれどひどく楽しそうなその笑みに、銀時はぽりぽりと頭を掻いた。
そんなこと聞かなくても、本当は分かっているくせに。
月の光を溶かした藍色の瞳を、銀時も真っ直ぐに見つめ返す。ベンチの上、ふたりの間に置かれた土方の手に、自分の手を重ねる。と、彼もするりと指を絡ませてきた。しっかりと結んだ手のひらは、思っていたよりも随分とあたたかくて。
月にふれたみたいだ、と思った。
「つまり言い換えれば、────」
告げると、土方はふふ、と嬉しそうに目を細めて笑った。握りしめる手に力がこもる。胸の中があたたかさで満ちてゆく。
きっとこれから見る月も、ずっと綺麗なのだろう。
おしまい