In other words,


 あれから数日が過ぎた。
 十二月半ばともなれば、昼間であっても空気は刺すように冷たい。冬特有の白く霞んだ空にはぽかぽかと太陽が浮かんでいるものの、その光はなんとも頼りないものだ。ぶるりと身を震わせつつ、銀時は昼下がりの通りをひとり歩いていた。
 さよと継之助は、無事にさよの実家へと辿り着けたらしい。一昨日の夜、さよから連絡があったのだ。電話口の向こうで、二人は何度も何度も感謝の言葉を述べていた。これからは二人でさよの実家の小間物屋を手伝いながら暮らしていくのだと言う。
『昨日、月を見に出かけたんです。二人で、一緒に』
 そう話すさよの声は、依頼しに来たときのような震え声なんかではなく、明るく弾んでいた。あの新月の夜、さよを安心させるために告げた言葉を覚えていてくれたのだ。本当に、また二人がともに過ごせるようになってよかった。二人の明るい声音を思い出して、銀時は小さく笑みをこぼした。
 のんびりと通りを歩いていると、不意に視界の隅、道行く人の流れの中を黒い隊服がさっと横切った。慌てて視線を向ける。そこにいたのは、凡庸な顔をした名前すら知らない平隊士。思わず溜め息がもれる。銀時はぐっと手のひらを握りしめた。
 今は、土方の顔は見たくない。
 継之助を逃したのが銀時だと分かれば、きっと真選組から取り調べを受けることになるだろう。継之助が龍雲党に入ったのは彼自身の意思ではなかったとしても、彼が攘夷浪士として活動していた事実は変わらない。そして、銀時たちが討入りの現場からその攘夷浪士を逃したという事実も。真選組にとって、それらの事実は都合が悪いもののはずだ。
 もちろん、継之助を逃したことに後悔などない。当然だ。依頼であったし、何より銀時自身が彼を救い出したい、さよと再び会わせてやりたいと思ったのだから。
 だから、土方の顔が見られない。
 自分のやるべきこと、自分の信念に則ったことをやり遂げたという自負があるから。彼のやるべきこと、彼の信念を尊重したいと思っているから。だからこそ、自分のそれと彼のそれが食い違っていたことを、思い知らされる。
 違う場所に生きているのだからそれが当然なのだと分かっている。
 そう分かっているからこそ。今は彼に会いたくない。
 肌を刺すような冷たい風が頬を撫でる。銀時は肩を竦めた。
 馴染みの甘味処の暖簾が目に入り、銀時はふらりと店に立ち寄った。店の前まで甘い匂いが漂っている。店頭に並べられた、緋毛氈の敷かれた縁台の端に腰かけつつ、メニューを吟味する。いつもは団子を頼むのだが、今日はあたたかい汁粉にしようか。幸い、さよから振り込まれた報酬のおかげで財布にもいくらか余裕がある。店の奥の親仁に、大声で注文をする。
 しばらくして、ほかほかと甘い湯気をたてる汁粉が運ばれてきた。お椀を受け取り、匙で一口啜る。あんこの優しい甘さがじんわりと体に染み渡っていく。やはり、寒いときには甘味に限る。
 もっちもっちと白玉を咀嚼していると、唐突に、隣に男が座ってきた。ごくんと飲み込みつつ隣を見やる。そこにいたのは、見覚えのある地味な男であった。
「こんにちは、旦那」
「よう。日吉、だっけ?」
 わざと潜入捜査中に呼ばれていた偽名で呼んでやる。
「山崎です。旦那、わざとでしょ」
 山崎は苦笑いをこぼした。親仁が運んできた熱い緑茶をズズッと啜っている彼は、隊服ではなく私服姿だ。監察という仕事柄、あまり隊服では出歩かないのかもしれないが、まさかまた潜入捜査の仕事中ということはないだろう。
「で、なんの用だよ」
 警戒心を滲ませつつちらりと視線を向ける。山崎は大げさに肩を竦めた。
「いや、あの人に煙草買ってこいって蹴っぽり出されましてね。そしたらちょうど旦那を見かけたのでちょっとお話ししようと思いまして」
 ほんと人使いが荒いんだから、とぼやく彼はビニール袋の中にあるカートンの煙草を掲げて見せる。あの人、とは確実に土方のことだろう。
「お前と話すことなんてなんもねーよ」
 ふい、と顔を背けると、山崎は「えー、ひどいなぁ」などと言いながら眉を下げて笑った。
「羽柴のこと、聞きたいんです。……面には出しませんけど、副長がえらく気にしてるようでして」
 どき、と心臓が跳ねる。手にしたお椀の中で汁粉が波打った。
 土方は、継之助をどうするつもりなのだろうか。まさか追っ手でもかける気なのか。一時期とはいえ攘夷党に所属していたことは、充分に逮捕の理由になるだろう。せっかく攘夷党から抜け出して新しい道を歩きだしたばかりの継之助を、真選組に捕らえさせるわけにはいかない。聞き出したいが、けれど藪をつついて蛇を出すことになるかもしれない。どうするべきだろう。銀時はごくりと唾を飲み込んだ。
 銀時の動揺を知ってか知らずか、山崎は呑気な顔で湯呑みに口をつけている。
「そう言えばあの日の討入りですけど、旦那のおかげで全員捕縛できましたよ」
「べつに俺はなんもしてねーよ」
 素っ気なく言い放った後、銀時はおや、と眉を寄せた。山崎は今、全員を捕縛したと言った。だが、もちろんそんなはずはない。継之助が抜け出しているのだから。
 内心で首を捻っているうちにも、山崎はペラペラと語り続けている。
「俺は会合の日取りとかも教えてもらえなくて、情報集めには苦労したんですよねぇ」
「そういや、お前も会合に出てなかったな」
「羽柴と同じく新人でしたから。俺も自爆要員だったんです」
「……ふうん」
「細々とした悪事ばかりを頻繁に行っていた連中が、近頃ではぱったり静かになったので怪しいと思ってたんです。そしたら急に新しい仲間を募りだしたってんで、こりゃ良からぬことを企んでるなって。それで潜入したんです」
 いつもと変わらない表情で山崎は話し続ける。その視線の先には、ぞろぞろと行き交う道ゆく人々の姿がある。急いでいたりぼんやりしていたり、無防備な表情で目の前を横切っていく人々を、銀時も見るともなしに眺める。
「そしたらもう一人新人がいて、そいつは無理やり連れてこられたって知って驚きました。しかも、すごくお人好しで、今まで悪事なんてものとは縁遠い生活だったことが容易に想像できるような奴でしてねぇ。どうしようかと思いましたよ」
 いつになくよく喋る男を見やる。目が合うと、山崎は口の端を小さく上げて笑った。
 銀時は少しぬるくなった汁粉をひとくち飲んだ。甘い餡子がゆっくり喉をとおっていく。木枯らしがひゅうと吹いて、毛氈を微かに揺らす。
 ふう、と息をついた後、銀時は口を開いた。
「あいつ、もともと継之助を逃すつもりだったんだな」
 山崎の目をじっと見つめる。
 口振りからすると、龍雲党の奴等が継之助の命を卑劣な方法で道具として扱おうとしていたことを山崎は知っていたようだ。ならば、当時は攘夷浪士だったとは言え、もともと善良な市民であり攘夷のじの字もテロのテの字も考えていないような継之助をみすみす死なせはしないだろう。彼が犯罪に手を染める前に、そして命を奪われる前に、何とか助け出そうとするはずだ。
 だから山崎は、継之助がいないと分かりながらも追っ手をかけなかった。それどころか「羽柴を頼みます」だなんて、逃走を援助するようなことを告げたのだ。
 それらの、継之助を助けようとする行動が、誰の指示によるものなのか。
 確信しながら問いかける。
 すると山崎は、ふふ、と小さく微笑んだ。
「あの人、案外優しいですから」
 静かに告げられた言葉に、銀時はそっと目を伏せた。
「羽柴の存在を報告したときから、副長は羽柴を救うつもりでしたよ」
「……おう」
 そうだった。あいつはそういうやつだ。胸の奥のほうがぎゅうっと音を立てる。思わず、深く息を吐き出していた。
 同じ、だったのだ。違うのだとばかり思っていた、自分の目指していたものと彼が目指していたものは。ふたりが見ていたものは。それぞれ違う場所に生きていても、それでもなお、同じものを見ていた。
 銀時はそっと空を見上げた。柔らかな風がふわりと頬を撫でる。
 よく晴れた青い空には、月の姿なんて見えやしないけれど。今すぐ、その姿が見たいと思った。
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