In other words,


 それから五日後の夜更け。銀時たちは再び龍雲党のアジトへと向かっていた。
「それにしても銀さん、あの暗号がまさか新月の日をあらわしているなんてよく分かりましたね」
 月のいない、深い黒ばかりが広がる空を見上げながら新八が感心したような声で言う。
 新八の言う通り、あの『ひかり阻まれつい立つ日』という暗号は、新月を意味するものだったのだ。
 太陽と地球の間に月が割り込んでくる様子は、太陽という光を月が阻んでいるようにも見える。実際、日蝕が見られるのは──つまり、太陽に影ができるのは新月のときである。そして新月の日は月暦では月の始まりにあたり、「ついたち」と呼ばれる。
 よって新月である今日、奴等は会合を行う。つまり継之助を救い出すチャンスは今夜なのだ。
「まあな。けど、会合が新月の夜に開かれるっつーのは都合がよくて助かるぜ」
「暗いから敵に見つかりにくいアルナ。だから、さよさんも安心して大丈夫ネ!」
 神楽が力こぶを作ってみせながら、後ろを歩くさよを振り返った。さよも、ほんの少し表情は強張ったままではあるものの「はい」と微笑む。白い吐息が四人の間を流れた。
 さよは、継之助を北陸にある自分の実家へと連れて行くつもりであるという。電車で行くと言った彼女に、足が付きにくいように途中までは舟を使うようにと勧めたのは銀時だ。
「でもさよさん、本当にアジトまで一緒に来てくださって良かったんですか? 舟着き場で待っている方が安全ですけど……」
 新八が気遣わしそうな目を向ける。
 当初の計画では、銀時たちが継之助を龍雲党のアジトから連れ出して、その間さよには舟着き場待っていてもらう予定だった。しかし、その計画を伝えたところ、さよから自分も彼等のアジトへ行きたいと告げられたのだ。
 新八の言葉に、さよはきっぱりと頷いた。
「はい。どうしても、寸秒でもはやく、あの人の顔を見たいのです」
 わがままを言ってしまってごめんなさい、と頭を下げたさよに、神楽が「わがままなんかじゃないアル!」と大きく頭を振った。新八も「そうですよ、全然気にしないでください」と微笑む。
「でも、こんな暗闇でも継之助の顔が分かるアルカ?」
 首を傾げる神楽に、さよは「ええ、もちろん」と力強く頷いた。頭の後ろで結った黒髪がさらりと揺れる。
「あの人の顔なら、あの人の姿なら、……どんな暗闇の中にあろうともきっとすぐに見つけ出してみせます」
 言いきった彼女の真っ直ぐな瞳には、微かに涙が光っている。その小さな光が、月もない暗い夜道だからこそひどく鮮やかにきらめく。
 ふと、月光に白く縁取られた土方の横顔が脳裏をよぎった。
「大丈夫! 絶対に、さよちゃんと継之助がまた一緒にいられるようにするアル! ね、銀ちゃん」
 明るく笑いながらさよの手をとった神楽が、銀時へと向き直る。
「ああ。何も心配いらねェよ」
 銀時は深い藍色に染まった夜空を指差し、笑ってみせた。今は何もない、空っぽの夜空だけれど、それでも。
「今度アンタが月を見るときは、継之助と二人で見られるようにするからさ」
「はい……!」
 さよは涙ながらに、こくこくと何度も頷いた。
 やがて、龍雲党のアジトが見えてきた。
 不気味なほどに静まり返ったその場所に、四人は息をひそめながらゆっくりと近づいていく。草を揺らす風の音さえも大きく響くような、ピンと張り詰めた静寂が漂う。アジトの斜向かいにある細道に身を隠しながら、墨を溶かしたような闇の中にひたすら目を凝らす。すると、アジトの門の辺りに、微かにうごめく人影が見えた。
「継之助さん……っ!」
 さよが、低く押し殺した、悲鳴にも似た声を上げる。銀時も二十メートル程度向こうにある門の影をじっと見つめる。密度の濃い闇の中にぼんやりと浮かび上がる顔は、確かに写真で見た継之助のものとよく似ていた。やはり彼は見張りをさせられているらしい。
 見たところ、継之助のそばには今は誰もいないようだ。裏口の見張り番が彼の見張りも兼ねているのだろうと踏んでいたが、近くにいないならば好都合だ。銀時はふう、と大きく息を吐いた。
「お前らはここでさよさんと一緒にいろ」
「分かりました」
「あいあいさー!」
 敬礼する二人に、こくりと頷いてみせる。それから、銀時はぱっと身を翻して細道からアジトに面する通りへと躍り出た。足音と気配を消したまま、素早く継之助のいる門のそばまで近づいていく。
「羽柴継之助さん……だな?」
 背後から静かに声をかける。男は飛び上がらんばかりに肩を跳ねさせ、勢いよく振り返った。その見開かれた目にはありありと驚きと戸惑いの色が浮かんでいる。さよの話していた通り、人の好い素直な男なのだろう。
「な、なんですか」
「菱川さよさんの依頼により……」
「えっ……!」
 言いかけたとき、継之助がひゅっと息を飲んだ。さっきよりもいっそう大きく見開かれた目は、銀時を通り越してどこか遠くを見つめている。と、同時に、背後からぱたぱたと走る音が聞こえた。振り返ると、着物の裾を翻しながらさよが駆け寄ってきていた。後ろから新八と神楽も走ってくる。
「さよ……!」
「継之助さん!」
 継之助のものへと辿り着いたさよが、その勢いのまま彼に抱きついた。柔らかく受け止めた継之助も、さよの背中に腕をまわす。きつく抱きあう二人の頬には、静かに涙が伝っていた。
 それにしても、この二人は何とも簡単にお互いの姿を見つけるものだ。こんな状況であるのに銀時は思わず感心してしまった。月明かりすらない暗い場所なのに、まるでスポットライトに照らされているかのように、当たり前に相手の姿を見つけ出している。『あの人の姿なら、……どんな暗闇の中にあろうともきっとすぐに見つけ出してみせます』と、そう語ったさよの真っ直ぐな瞳が脳裏に蘇る。
「会いたかった……」
 さよが継之助の着物を握りしめる。絞り出すように告げられた言葉は涙で湿っていた。
「お前、なんでこんなところに」
 くしゃりと顔を歪ませて、継之助が問う。微かに震える手が、さよの黒い髪をそっと撫でた。
「ぜんぶ分かってる。私、あなたを連れ出しに来たの」
 継之助がはっと目を見開く。すべてさよに見抜かれていることを悟ったのだろう。彼はぎゅっと唇を引き結び、それから掠れた声で呟いた。
「巻きこみたくなかったんだ。……危険な目に、合わせたくなかった」
「ばかね。私、あなたのためならどこにだって行けるし、どこにいたって見つけ出してみせるのに」
 継之助の頬に手をやりながら、さよがきっぱりと告げる。そんなさよの手を継之助がぎゅっと握りしめた。手をとり合う二人の姿は、闇の中にありながらも光に照らされているかのように眩しく見えた。
「詳しい話は後にして、とりあえず今はここから離れるぞ」
 そう促したそのとき、ガサッと近くで物音がした。裏口を見張っていた党員が様子を見に来ているのかもしれない。足音は徐々に近づいてきている。
「新八、神楽、二人を連れて逃げろ」
「了解です」
「分かったアル」
 頷いた子どもたちが、継之助とさよと共に駆け出す。銀時は四人の足音を背中に聞きながら、腰の木刀に手を掛けた。門の陰に隠れつつ、足音の主が現れるのを待つ。
「おい羽柴……」
 茂みからヒョイと姿を現した男に、銀時は瞬時に木刀を振り下ろした。しかし寸でのところで男に身をかわされ、木刀は空くうを切った。ただのゴロツキだと思っていたが、なかなかのやり手であるらしい。返す刀を翻し、もう一度打ち込もうとした、そのとき。
「あれ、万事屋の旦那?」
 どことなく聞き覚えのある声に、木刀を操る手が止まる。銀時は、受け身の姿勢をといた目の前の男の顔をじっと見つめた。一度見ただけでは覚えられそうもない凡庸な顔だが、確かに見覚えがある。
 そこでふと、目の前の地味な男の素性に思い当たった。こいつは真選組の山崎だ。確か、土方のもとで監察として動いている男。そんな男が攘夷党にいるということは、つまり今は潜入捜査中なのだろう。そう言えば、数日前にこの近くで土方を見かけた。あれはきっと、潜入捜査中のこの男と連絡をとるために来ていたのだと思い当たる。
 となれば、継之助が逃げたことを山崎に気付かれるわけにはいかない。党員が逃げたという事実は、龍雲党としても真選組としても都合が悪いもののはずだ。銀時はぐっと眉間に皺を寄せ、木刀を握り直した。
 しかし、山崎は思わぬ言葉を口にした。
「旦那、羽柴を頼みます」
 ハッとして山崎の顔を見る。彼の目は、何もかも見透かしたように落ち着いていて、けれど強い光を宿していた。
「お前……」
 問い返そうとしたそのとき。生い茂った草木の中から唐突に男が飛び出してきた。
「日吉ィィイ! 逃げられると思ったか!!」
 叫ぶ男の目は山崎を捉えている。男が山崎に殴りかかる、が、山崎はするりと身をかわして男の鳩尾に一発決め込んだ。ドサリ、と音を立てて男が倒れこむ。どうやら気絶したようだ。
「さっきも寝かしつけてやったのに。ちゃんと寝ててくんないと困るんだけどな」
 白目をむく男を見下ろしながら、山崎が呟く。
「お前、党員にそんなことして良いのかよ」
 銀時は山崎の顔をまじまじと見つめた。今は山崎だって龍雲党の一員のはずだ。仲間を殴って気絶させたとなれば、今後の捜査にも影響が出るだろう。
「ああ、全然大丈夫ですよ」
 軽い調子で言ってのけた山崎は、場違いなほどに呑気に笑った。
「俺ももう龍雲党の一員じゃなくなりますから」
 次の瞬間。ドカン、と闇を震わすような轟音が響いた。爆風で草木が揺れる。続いて聞こえたのは、聞き慣れた声の怒号。
「御用改めである!! 真選組だァァァ!!!」
 よく通る低い声は、間違いなく土方のものだ。ハッとして、声の聞こえた裏口の方を振り向く。
「ほら来なすった」
「……討入りか」
 ニヤリと笑う山崎を見る。もう龍雲党じゃなくなる、という山崎のさっきの台詞はこのことであったらしい。
「屋敷の中には爆発物があるので、庭に誘い出す作戦なんです」
 山崎が顎をしゃくってアジトを示す。見れば、確かにドタバタと大勢の人間が駆け出してくる気配を感じた。それから、裏口からひっそりと回ってくる隊士たちの気配も。
「だから旦那、早く逃げないと巻き込まれちゃいますよ」
 いつの間にやら懐刀を取り出していた山崎がちらりと銀時を見やった。思いのほか真剣な色をのせた瞳と、視線が交わる。その間にも、脱兎のごとくアジトから飛び出してきた男たちが、生い茂る草や落ち葉を掻き分けながらこちらへ向かってきている。
「いや……」
 銀時は軽く首を振って、足を開き腰を落とした。ぐっと握り直した木刀を構えて、向かってくる男たちを見据える。
「ちょうど、胸糞悪い連中をブン殴りてェと思ってたところだ!!」
 言いながら、走ってきた男の正面に回り込む。そして一気に男たちを真一文字に薙ぎ払った。吹き飛ぶ彼らの周りで枯れ葉が舞い上がる。裏口から回り込んできた隊士たちも、次々と逃げ出してきた龍雲党の男たちを迎え撃つ。あちらこちらで刀同士のぶつかる鋭い音が響く。
「爆発物ってことは、それを持って特攻させるつもりだったわけか」
 刀を振り回しながら向かってきた男の腹を蹴り、ぐらりと傾いだ体に木刀を打ち込む。地面に沈んだ男を見下ろしながら呟くと、山崎が「ええ」と返した。
「刀の腕も大層な思想も、何一つ持ち合わせちゃいない連中です。目立つ方法と言えばそれくらいしか思いつかなかったんでしょう」
 足元に転がる男たちを見る山崎の目はひどく冷ややかだ。きっと、潜入していた彼だからこそ見えたものがあるのだろう。
 もともと龍雲党の党員は少数である上、刀を振り回したこともろくにないような連中ばかりだ。真選組隊士たちとの実力差など、歴然すぎるほどである。ばたばたと地面に伏す影が増えていく。
 あらかた片が付いたようで、あちこちから聞こえていた剣戟の音が徐々に静かになる。辺りに満ちていた殺気が、潮が引くようにおさまっていく。やがて、討入りの前と同じ、痛いほどの静寂が訪れた。戦いを終えたばかりの男たちの荒くなった呼吸の音だけが、ひっそりとした暗闇を微かに揺らしている。
 これ以上この場所にいたら面倒なことになりかねない。銀時は木刀を腰に収めつつ、じっと目を凝らして辺りを窺った。さっきまで隣にいたはずの山崎は、離れた場所でしゃがみこみ、倒れ伏した男たちを検分していた。その丸まった背中を見つめる。
 山崎には継之助の逃走は看破されているようだ。けれどどうしたわけか、それについて問い質したり咎めたりする様子は見られない。それに継之助とさよは既に舟に乗って逃げているだろうし、もし真選組が追っ手をかけたとしても今更二人に追いつくことはないだろう。むしろ、自分がこの場にいた方が返ってややこしいことになりかねない。
 銀時はそっと気配を消しつつ踵を返す。
 と、不意に声が聞こえた。
「屋敷の中は制圧した。こっちにも残党はいねェな?」
 静けさの中に響く、凛と張った低い声。思わず振り返る。
 そこには、鋭くきらめく白刃を携えた土方の姿があった。照らすものもないのに、闇の中でもなお鮮やかで真っ直ぐな立ち姿。いつもよりぎらぎらとした鋭い閃光を放つ彼の瞳が、つい、と銀時を捉えた。血を映して光る赤いその目がはっと見開かれる。
「万事屋っ……!? お前、なんで」
「あー……なりゆき?」
 銀時はぼりぼりと頭をかいた。彼の赤い目からふいと視線を逸らす。それでも土方が何か言おうとして口を開いたとき、ちょうど山崎がパタパタとこちらに向かって駆けてきた。
「副長、屋敷の中の爆発物ですが……」
 銀時との間に割って入るようにして、山崎は土方に話しかける。そのまま何やら話しだした山崎が、土方の背に手を回しつつアジトのほうへと誘導していく。
 助かった、と思った。今は、土方の顔を見られないだろうから。
 銀時は今度こそくるりと背を向けて、静かにその場をあとにした。
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