In other words,
翌日の朝早く、切羽詰まったようなインターホンの音が万事屋に鳴り響いた。
訪ねてきたのは二十代前半くらいの若い女性。新八によって応接間へと通された彼女は、控えめな灰水色の着物の袖をぎゅっと硬く握り締めていた。真っ直ぐな黒髪を頭の下の方で一つに纏め背筋を伸ばして立つ彼女は、きっと元来なら凛とした女性なのだろうけれど、今はぎこちなく顔を強張らせている。
さよと名乗ったその女性の依頼は、恋人を助けてほしい、というものであった。
「それで、恋人さんを助けるというのは一体どういうことなんですか?」
新八が、向かい側のソファーに座ったさよにお茶の入った湯呑みを差し出しながら尋ねる。さよは一度口元をきゅっと結んで少し逡巡する様子を見せた後、決心したように口を開いた。
「私の恋人──継之助は、おそらく、攘夷浪士です」
「……おそらく?」
断言しない彼女の言い方が気になって尋ね返すと、さよは「はい」と頷いた。
「彼の口から聞いたことは無いのですけれど、きっと三ヶ月ほど前から」
「三ヶ月前っていうのはどうして分かったアルか?」
神楽が不思議そうに首を傾げる。
「三ヶ月前から急に連絡がつきにくくなって、その後ぱったり逢えなくなったんです。やっと電話が繋がったときに問いただしてみると、ひどく思いつめた様子で『友達に騙されて、やりたくないことをやらされている』といった旨のことを言っていました」
「それでなぜ攘夷浪士だと?」
「私、彼の友人たちに話を聞いてみたんです。すると、友人のうちの一人に攘夷党に与していると噂されてる人がいることと、三ヶ月前くらいからその人と親しくしていたことが分かって」
「その攘夷党の名前は?」
「龍雲党だと言っていました」
銀時は思わず眉を寄せた。その党の名前には聞き覚えがあった。前に桂と会ったとき、現在の攘夷の在り方について論じだした彼が龍雲党の名前を挙げて「攘夷と謳いながら実際は無思想、無節操なゴロツキども」と彼らしからぬ強い口調で批判していたのだ。
「それで、騙されて無理やり入れさせられたってわけか」
銀時がそう言うと、さよはそっと目を伏せた。きつく握り締められた白い手が小さく震えている。
「あの人……、お人好しで疑うことを知らなくて、とても優しい人なんです。その攘夷党は過激な思想らしいから、どんなに苦しんでいることか……」
唇を噛みしめて俯いたさよを、神楽と新八は痛々しげに見つめている。確かに、そんな人の好い男が過激派の攘夷党で活動するのは辛いだろう。そんな男の身を案じ、顔を強張らせてかたく手を握りしめているさよの姿にも胸が痛む。
それに何より、活動に賛同していないような善良な人間をわざわざ組織に引き入れている奇妙さが引っかかるのだ。
銀時はぐっと握りこぶしに力を込めた。
「分かりました。依頼、承りましょう」
そう告げると、さよはパッと顔を上げた。その目には微かに涙が光っていた。
「ありがとうございます……!」
「私たちに任せるヨロシ! きっとその継吉を助けだしてみせるネ」
「いや継之助です……でも、本当にありがとうございます」
何度も何度も頭を下げながら、さよは万事屋を後にして行った。
翌日、銀時たち三人は桂のアジトへと向かった。
さよたちの駆け落ちを成功させるためには、まずは龍雲党の情報を集めなければならない。龍雲党についての批判を論じていた桂なら、奴等について多くの情報を持っているに違いないと考えたのだ。
すると予想通り、多くの収穫を得ることができた。
まず、龍雲党は結成されてからまだ一年も経っていない、比較的新しい組織であるらしい。結成から現在までに起こしてきた事件は全て不良グループに毛が生えた程度のものばかりで、まだ大きな事件やテロなどは起こしていない。しかし、そのことに奴等はフラストレーションを溜めているらしく、大掛かりなテロを企んでいるという噂がまことしやかに囁かれている。そしてそのテロの実行日が迫っているのではないかと予想されているらしいのだ。
「ここ三ヶ月くらい、奴等はずっと大人しくしておるようだぞ。きっとテロの準備中なのだろう」
「自分たちの欲求不満を満たすためにテロを起こすたァ、随分ご立派な攘夷運動だな」
「だから言っただろう、ただのゴロツキどもだと」
醒めた口調で吐き捨てれば、桂も眉を寄せて口を歪めた。
「でも、なんで継之助さんを党に引き入れたんでしょうね」
「党の活動に向いてないような人をわざわざ無理やり入れる理由が分からないアル」
隣で話を聞いていた新八と神楽が口々に言いながら揃って首を傾げた。銀時はちらりと目の前に座る桂を見る。その顔には険しい表情が浮かんでいたので、彼も同じことを考えているであろうことを悟る。
「……特攻して自爆でもさせるためだろうな」
苦い気持ちで呟くと、桂も控えめに頷いた。
「……うむ。龍雲党は規模が小さいし、党員は全員が昔馴染みだと聞く。恐らく、奴等は使い捨てするための駒が欲しかったのだろう」
「それに、テロの後に良心の呵責とかで出頭でもされちゃ困るからな。テロと同時に始末しておきたいはずだ」
「そんな……!」
「じゃあ早く継之助を助けださないと!」
身を乗り出すようにして新八と神楽が叫んだ。激しい怒りが滲むその声に、強く頷く。人を人とも思わないような、なんとも胸糞の悪い組織である。青い顔で俯いていたさよの姿が脳裏に浮かび、銀時はきつく手のひらを握りしめた。
「問題はいつ乗り込むか、だな」
いくら小規模の組織とは言え、どのような武器を所持しているか分からない。それに、継之助の脱党がバレて追っ手をかけられたら、二人の駆け落ちは失敗してしまう。
なるべく、党の奴等にバレないように継之助を逃さなければならない。
「確か、龍雲党は月に一度、党の全員が集まる会合を開いているはずだ。恐らく、テロが近いという今の時期ならその計画についてが主な議題だろう」
桂の言葉に、ピンと閃く。
「なら、継之助はその会合には出てねェはずだな」
呟くと、新八と神楽もぱっと顔を輝かせた。
「特攻させるつもりなら、逃げ出されないようにするために当日までそのことは伏せておきたいはずですもんね」
「じゃあその会合の日が狙い目アルナ!」
「ヅラ、奴等の会合がいつ開かれるか分かるか?」
勢い込んで尋ねる。すると桂は唸り声を上げながら腕を組んだ。
「それが、奴等はその会合の日付けを暗号化しているようでな。その暗号が……何だったかな……」
しきりに首を捻りうんうんと考え込んでしまった桂に、銀時は焦りと苛立ちのこもった視線を向ける。その暗号が分からなければ会合の日を推測することもできないのだ。
すると突然、そばに控えていたエリザベスがのっそりと動きだす。畳の上をぽてぽてと歩き、部屋の隅の押入れを開けてごそごそと中を探っていたエリザベスは、やがて一枚のプラカードを取り出してきた。
『ひかり阻まれつい立つ日』
掲げられたプラカードには、そう書かれてあった。
「それがその暗号か」
銀時が尋ねると、エリザベスは表情を変えないままこっくりと頷いて、新しいプラカードを掲げて見せた。
『この間、龍雲党について話していたのをメモってました』
「おお、でかしたぞエリザベス!」
「エリーの方が役に立ってるアルナ」
神楽の辛辣な言葉を物ともせず、桂は大げさに喜びながらエリザベスの短い腕とハイタッチしている。
「にしても、この暗号ってどんな意味なんですかね……」
新八の言葉に、一同は黙りこくってしまう。『ひかり阻まれ』を天人の襲来による混沌、『立つ』を決起と捉えれば攘夷思想に通じるものがあるかもしれないと考えたものの、銀時は頭に浮かんだその考えを打ち消した。奴等はただのゴロツキどもだ。そんな大層な思想なんて持ち合わせていないだろう。
せっかく暗号は分かったのに、その意味が解明できなければ会合の日取りも分からないままだ。それでは継之助を助け出すことができない。暗号文を口の中で何度も唱えてみるものの、やはりいくら考えど意味などこれっぽっちも分からない。焦燥感がじりじりと胸を焼いていくようだ。銀時はきつく奥歯を噛みしめる。
それぞれ思考を巡らせたものの、結局ピンと思い当たるような答えには辿り着けなかった。
その後やってきた桂一派の党員たちからも話を聞き、龍雲党のアジトの場所を突き止めることができた。どうやら奴等は町のはずれにある空き家に屯ろしているらしい。
偵察のため、銀時たち三人はそのアジトのある場所へと向かった。そこは、銀時が一昨日の夜に飲みに出かけた帰りに通った、あの空き家だらけの集落だった。ついさっき日が沈んだばかりだというのに相変わらず灯りも人の気配もない。黄昏時のぼんやりとした薄暗さに紛れながら、何でもない素ぶりでアジトのそばを通り過ぎつつ観察する。
二階建てながらもこじんまりとした建物へと目を凝らす。瓦はところどころ剥がれかけているし、雨樋にはびっしり苔が生えている。どうやら建てられてから相当の年月が経っているようだ。補強として貼り付けられたベニヤ板の隙間からは細い光が漏れ出ていた。建物の前には十メートル四方程度の、決して狭くはない庭が広がっている。草も伸びっぱなし、落ち葉も掃除されていない、まったく手入れのされていない庭だ。身を潜めるには打ってつけだろう。
「見張りがいるみたいですね」
新八が声をひそめてささやく。新八の言う通り、蔓の絡まる古い門のそばと朽ちかけた裏口の扉の向こうに人の気配を感じた。どちらも一人ずつだったから、見張り要員は二人ということになる。
「ということは、その会合する日には継之助が見張りするアルカ」
「そうだろうな。内容を聞かれちゃマズイから外に出させておきてェはずだ」
「じゃあ外にいるところを連れ出せばいいんですね」
声を弾ませた新八に頷いてみせる。会合の日の継之助の居場所が分かれば、連れ出すのは格段と容易になる。それに外にいるのであれば、党の奴等に見つかる可能性も低い。もちろん、もう一人の見張り要員が継之助の見張りも兼ねるのだろうが、それでも失敗するリスクが小さくなることに変わりない。
事は首尾よく運んでいると言えるだろう。
ただ、会合の日取りを知るための暗号が解読できていないことを除けば、であるけれど。
「あとはあの暗号アルナ」
腕を組みながら神楽が低く呟く。
「そうだな……」
その通り、あとは暗号さえ解明できればいいのだが、それが一番の難関だ。アジトを見れば何か手がかりが掴めるかと期待していたが、ただの空頼みに終わってしまった。何か閃くものがないかと頭を捻るけれど、焦燥感ともどかしさに煮詰まった脳みそはいくら捻ってみたところで一滴の知恵も出てきやしない。ちらりと隣りを窺えば、新八も神楽と同じように腕を組んで考え込んでいた。
冷えた空気をかき混ぜるように木枯らしが吹きつける。足元に散らばっていた落ち葉がカサカサと乾いた音を立てた。身を刺すような寒さに思わず身を竦ませる。いつの間にやら、辺りはすでに夜色に染まりつつあった。
「アレ、今日はお月様出てないアル」
神楽が空を指差した。つられるように、白い指の先を見上げる。確かに、晴れているはずの夜空には針で突いたような星がちらちらと見えるだけで、月の姿はどこにもない。
「もうすぐ新月だからだな」
銀時が呟くと、神楽はこてんと首を傾げた。
「それと何の関係があるアルカ?」
「新月が近い今日は二十六夜って言って、太陽と月と地球の位置関係によって明け方頃にならないと月が昇らねェんだ」
「ふうん」
ざっくりした説明に神楽が分かったような分かっていないような微妙な声で頷いた。
「銀さん、よく月齢なんて把握してましたね」
もうすぐ新月だなんて知りませんでしたよ、と新八が目を丸くする。確かに、天人襲来に伴い太陽暦が採用されるようになって久しい現在において、わざわざ月齢を気にかけている人なんて少ないだろう。
銀時だって、最後に土方と会った夜の満月と、それからの会わない日々の日数を覚えていたからこそ、月の朔望が分かったのだ。しかし、まさかそれを新八に言えるはずもない。どうやって誤魔化そうかと口をもごつかせていると、神楽がくいくいと上着の袖口を引っ張ってきた。
「じゃあ新月のときはいつお月様が昇るアルカ」
ちょうど話を逸らすチャンスだ。渡りに船とばかりに銀時は神楽へと向き直った。
「新月のときは太陽、月、地球の順番で一直線に並ぶから、夜は月が地球の裏側にいっちまって見えなくなる」
「ふんふん」
「でも昼間も月は太陽と同じ方向にあるから、地球からは影になって見えねェ。よって一日中、月が見えなく、なる……」
銀時は言葉を途切れさせた。言いながら、頭の中を何かがうごめく気配を感じた。何かが引っかかるのだ。
「銀さん?」
「銀ちゃん、どうかしたアルカ?」
子どもたちが不思議そうに眉を寄せる。それを尻目に、引っかかりの正体を探るべく目まぐるしく自分の言葉を反芻していく。太陽と月と地球が一直線になる。太陽と月が同じ方向にある、太陽と地球の間に月が入ってくる──。
その瞬間、ぱっと頭の中に閃光が走った。
「……そうか」
「え?」
きょとんとする新八と神楽に向かって、銀時はニッと笑ってみせた。
「分かったんだよ、あの暗号の意味が」