In other words,


 それを最後に、しばらく土方の姿を夜に見かけなくなった。
 なんとなく気になって行きつけの居酒屋に顔を出してみても店の中にあの黒い背中は見つけられないし、これまでに何度も鉢合わせた、きっと彼も気に入っているのであろう店に立ち寄ってみてもいくら待てども彼はやって来ない。
 勿論、なにかと忙しい立場にある男だから、そう頻繁に飲み歩くことなどできないとは分かっている。きっと、これまで何度も鉢合わせてきたことのほうがおかしいのだろう。そう理解してはいるものの、だったらまたすぐに鉢合わせるだろうと思ってしまい、ふらりと誘われるように飲みに出かけてしまうのだ。
 幸いこの時期は、ハロウィン用のコスプレ衣装作りや店内の装飾の依頼が入っていたし、それが終わればハロウィンの飾りの片付けやクリスマス用の装飾を頼まれるようになったので、結構あくせくと働いている。よって、秋の深まりとは裏腹に、万事屋の懐事情は比較的温暖であったのだ。いつもより膨らんだ財布を握りしめつつ、そわそわと飲み屋を渡り歩く夜が続いていた。
「銀ちゃん、今日は出かけないアルか」
 夕食後、社長椅子に座って窓の外を眺めていると、不意に神楽が口を開いた。
「んー、今日は出かけねぇよ」
 最近は空振りすることが続いていたし、いつもより分厚かった財布もそろそろ元の薄さに戻りつつある。大食い娘と大食い犬を抱えているので、出費はとどまることを知らない。余計な出費はそろそろ慎まなければならなくなってきた。
 それに、今日は結構遅い時間まで仕事が入っていて、その上お妙が家にいないので、新八が万事屋に泊まることになっている。つまり、久しぶりに三人揃って過ごす夜なのだ。家でゆっくりするのも悪くないだろう。
 ギシリと音を立てながら椅子の向きを変え、ソファーに寝そべる神楽を見る。彼女は意外だと言うように片眉を上げた。
「珍しいですね、最近はいつも飲みに行ってるのに」
 温かいお茶の入った湯呑みを三つお盆に乗せた新八が、少しばかり非難を込めた眼差しを向けつつ首を傾げる。銀時はぎこちない動きで目を逸らした。
「……アレだ、休肝日」
「へえ、銀さんらしからぬ殊勝な考えですね」
 じっとりとした視線には気付かないふりをしつつ、受け取ったお茶をズズッとすする。
「最近の銀ちゃん、毎日毎日夜になると窓から外を眺めてるアル。月からお迎えでも来るのかと思ったネ」
 銀時はお茶を噴き出しそうになった。まさかバレていたとは思っていなかった。ゲホゲホと咳き込みながら慌てて弁明する。
「いやいやいや、べつに夜が待ち遠しいとか月見てたらアイツ思い出すとかそんなこと考えてるわけじゃねーからな! 勘違いしてんじゃねーぞコノヤロー!」
「何の話をしてるアルカ」
「よく分かりませんけど、何をそんなに慌ててるんですか」
 二人分の白い目に晒されてハッと気付く。べつに、何のために夜を楽しみにしているとか誰を探しているとか、そんな具体的な内容はバレていないのだから、もっと堂々としていればいいのだ。……いや、よく考えれば元から慌てる必要なんてどこにもないのだけれど。何となく決まりが悪くて、銀時はゴホンと咳払いをして「何でもねぇ」と呟いた。
「あ、なんかお月様を思い浮かべたら肉まん食べたくなっちゃったアル」
「なんでだよ」
 唐突な神楽の言葉に呆れて目を細める。しかし当の彼女はどこ吹く風といった様子であっけらかんとしている。
「両方とも白くてまん丸いからヨ」
「神楽ちゃん、さっき夕飯食べたでしょ」
「私の胃袋舐めんなヨ、ブラックホールさながらの吸引力を誇るネ」
「知ってる、常日頃から痛感してる」
「ホラ、二人も白くて柔らかい肉まんを想像するアル。きっと食べたくなるはずヨ」
「……ったく、しゃーねーなぁ」
 どっこいしょ、と重い腰を上げて銀時は社長椅子から立ち上がった。神楽の言葉通り、白くて丸い形を思い浮かべると、なんだか無性に食べたくなってしまったのだ。
「キャッホー銀ちゃんありがとアル!」
「新八も肉まんでいいんだろ?」
「あ、はい! ありがとうございます」
 子供たちのはしゃいだ声に、銀時は上着に腕を通しながらひらりと手を振って応えた。
 身に沁み入るような冷たい空気に肩を竦めつつ、コンビニを目指してゆるゆると歩く。
 家のすぐ側にあるコンビニで買うつもりだったのに、あいにく蒸し器の中に残っていた肉まんはたったひとつだけだった。仕方なく少し離れた場所にある店に行ってみるも今度は売り切れ。人通りの多くない場所にある店のほうが、残っている肉まんの数が多いかもしれない。そう考えて、きらめくネオンや酔っ払いたちの喧騒とは逆の方向へと歩みを進める。そうしてやっと四つの肉まんを手に入れた頃には、随分と家から遠ざかってしまっていた。急いで帰ったところで、家に着く頃にはきっと肉まんたちも冷たくなっているに違いない。
 ほかほかした熱を伝える袋を大事に抱える。芯から冷えるような冷たい夜道を帰る前に、はやくこのあたたかさを堪能したい。そんな欲がむくむくと湧いてきて、銀時は先にひとりでほかほかの肉まんを食べてしまおうと決めた。肉まんは四つあるのだから、今ひとつ食べたところでバレたりはしない。先に食べてしまうのもひとつ多く食べるのも、寒空の下をパシられた者の特権だ。ちなみに肉まんを四つも買ったのは、どうせ神楽はひとつだけでは足りないだろうという理由だったのだけれど、神楽にはひとつで我慢してもらうことにした。
 ぐるりと辺りを見回すと、小さな公園が目に入った。奇しくもその公園は、あの月の綺麗な夜に土方に介抱してもらった場所であった。
 銀時はいそいそと公園へ入り、隅に置かれたベンチへと向かう。誰もいないだろうと思っていたベンチには、ところが先客が座っていた。後ろ姿しか見えないし、真っ黒な影絵のような木立やベンチの背もたれに隠れてしまっているのではっきりとは分からないが、髪の短さや体格から考えるときっと男だろう。こんな夜更けに何をしているのだろう、と自分のことを棚に上げて不審に思いつつ、ゆっくりゆっくりと近づいていく。
 すると突然、ざわりと木を鳴らして風が吹いた。木々の匂いがふわりと鼻をくすぐる。そばにあった銀杏の木から金色の葉がちらちらと舞い落ちる。降ってきた銀杏の葉にふと顔を上げた先客が、こちらへと振り向く。その顔は、このところずっと探していた、けれどまったく見つけられなかった男のものだった。
「何してんの、オメー」
 ふわふわと浮き立つ心を隠しながら、いつも通りを装って声をかける。
「そりゃこっちの台詞だ」
 ふう、と煙を吐き出した土方が目を細める。それでも、銀時がベンチの正面に回り込むと、土方はすっと体を右にずらしてベンチの片側を空けた。何気ない仕草であったが、それは紛れもなく座っていいという合図だ。むず痒いような気分で銀時は硬いベンチに腰を下ろす。夜風にさらされたベンチなのに、不思議と冷たさは感じなかった。
 それにしても、会えればいいなと期待するようになった途端ぱたりと顔を合わせなくなって、そのつもりがない時にはこんなにあっさり出くわすなんて。タイミングというものはなかなか気まぐれなものらしい。
 そう考えて、はた、と気付く。
 期待していたのか、土方に会うことを。彼の隣で、ともに時間を過ごすことを。
 最近ずっと感じていたふわふわそわそわした落ち着かないものを、はっきりとした輪郭を持つ感情として意識すると、途端にじわじわと居たたまれなさや気恥ずかしさが込み上げてきた。ほのかに頬が熱くなってきて、思わず両手で顔を覆う。指の隙間から深い吐息がもれ出した。
「おい、どうした」
 土方が顎をわずかに引きながら訝しげに銀時を見やる。銀時はゆるゆると頭を振りながら「なんでもねぇ」と力無く返した。
「オメーはなんでこんなとこにいんの」
 土方は隊服を纏っている。もし今が昼間であれば、見廻りの途中で休憩でもしているところだろうと推測できる。けれど、実際にはもうあと数時間で日付けが変わろうかという時分だ。
 問いかけると、土方は微かに眉を寄せて「……接待帰りだ」と呟いた。その苦虫を噛み潰したような表情から、さして楽しくもない宴会だったことが窺えた。
「酒飲んでんの?」
「ちょっとだけな」
 街の喧騒から外れたこの場所は、比較的近くに飲み屋の連なる通りはあるものの、そのほとんどが一般市民が訪れるようないわゆる大衆酒場である。幕臣が接待に使用するような格式ばった高級な店なんてないはずだ。
「店、この近くじゃねーよなあ?」
「……おう」
 と言うことは、土方は隊士の運転する車で店から屯所へ帰る途中にわざわざ下車してこの公園にやってきたということだろうか。酒の入った状態で、一体何のために。
 銀時は隣で煙草をふかしている男を見やる。相変わらずの澄ました表情からは、その理由を読み取ることなどできない。
 首を捻っていると、土方の黒い髪の合間で何かがちらりと金色に輝くのに気付いた。よくよく見れば、それは銀杏の葉のようだ。さっきの風で散ったものが頭についたのだろう。黒髪のうえで扇形の葉っぱがひらひらしている様子はなかなかに面白い。
 澄ました顔で煙草の煙を吐き出している彼はどうやら気が付いていないらしい。案外抜けてるところあるよな、などと思いながら、銀時はそっと手を伸ばした。
「なんだよ」
 ぎょっとしたように振り向いた土方がわずかに仰け反る。追いかけるようにして銀時は身を乗り出した。
「いいからじっとしてろ」
 土方が少し身じろいだところで葉っぱは落ちやしない。頑固な葉っぱに内心で苦笑しつつ、右手で彼の頭に触れる。自分のものとは違ってサラサラした髪の感触が新鮮だ。見た目より少しコシが強いのも彼らしい。思わずもてあそびたくなるのをグッとこらえて、髪に絡まる銀杏の葉をつまみあげる。パッと開いた扇のような、綺麗な半月形の葉っぱだ。
「ホラ、こんなん付いてたぞ」
 取った葉っぱを、土方の目の前でくるくると回す。
 けれど、何の反応も返ってこない。不思議に思って顔を覗き込むと、彼はなぜか猫のように目を丸くしたまま固まってしまっていた。
「どうした?」
 呼びかけると、土方はびくっと肩を震わせた。
「あ、ああ」
 ぎこちない反応を訝しく思いながらも、銀時はつまんでいた葉っぱをふうっと息で飛ばす。
 小さく咳払いをした土方が、ちらりと視線を寄越してきた。
「お前こそ何してんだよ」
「あ、そうそう。忘れるところだったわ」
 横に置きっ放しにしていた袋をガサガサと漁り、中からほかほかの肉まんをひとつ取り出す。
「これ食おうと思って」
 包み紙を外した、まん丸の肉まんを掲げてみせる。
「わざわざこんな寒ィとこで食うのかよ」
「寒ィとこであったかいモン食うのが美味いんだろ。パシリの特権ってやつだ」
「やっぱパシられてる途中か。つーことはガキたちが待ってんじゃねーのか?」
 冷めちまうだろ、と残りの肉まんたちを指差す土方に、「レンジでチンすりゃすぐ熱々になるからいいんだよ」と返す。
 まだほのかに湯気を漂わせている肉まんにかぶりつこうとしたところで、ふと夜空に輝く月が目に入った。白くてまん丸い今夜の月は、確かに神楽が言っていた通り、肉まんによく似ている。
「今日、満月なんだな」
 綺麗な円を描く月に重ねるように、腕を伸ばして手の中の肉まんを夜空へとかざした。そう言えば前に土方と会ったのも、今日のような満月の夜だった。会えないうちに、いつの間にかちょうどひと月も経っていたらしい。
 そう思うと、今こうして会うことができている偶然が、なんだかとても貴重なことのように感じられてくる。
 肉まん半分食う?と尋ねようとして、口を開きかける。
 そのとき、突然横から伸びてきた土方の手に手首を掴まれた。何事か、と驚くうちにぐいっと腕を引き寄せられる。はっと隣の土方を見るも、彼は銀時の手の中しか見ていない。その伏せられた長い睫毛とその下にある藍色の瞳、控えめに開けられた口に、思わず目を奪われる。微動だにできず固まっているうちに、土方が手の中の肉まんにかぶりついた。
「あーあ、欠けちまったな」
 ひとくち齧られた肉まんを指差して、土方がしてやったりというようにニヤリと目を細める。その悪戯っ子のように笑った顔に、なぜだか妙にざわざわと胸の中が騒がしくなる。ふいと目を逸らすけれど、視線を逸らした先にあるのは彼に齧られたばかりの肉まんだ。余計に落ち着かない気分になる。銀時はがしがしと頭を掻いた。
「……お前、酔ってるだろ」
 らしくない行動をした土方にそう言うと、彼はまたフフと小さく笑った。
「そうかもな」
 満月の明るい光が、彼の白い頬にうっすらと赤みがさしているのを照らし出す。少ししか飲んでいないとは言っていたが、やっぱり酔っているのだろう。
「ごちそーさん。風邪引く前に帰れよ、まあ馬鹿だから心配ねーだろうけど」
 右手に持っていた、既に短くなっている煙草を咥え直しながら土方がおもむろにベンチから腰を上げた。
「一言多いんだよお前は」
 銀時が拗ねたように睨みつけると、彼はふんと鼻を鳴らした。
 背を向けて歩き始めた土方に、銀時は「どっかに車待たせてんの?」と尋ねる。
「いや、歩いて帰る」
「お前、本当になんでこんなとこにいたの」
 何か用事があったようには思えないのに、なぜ彼はわざわざ車から降りてこんな寂れた公園にひとりでいたのか。それは、さっきからずっと気になっていたことだった。
 足を止め、少しだけ振り返ってちらりと視線を寄越した土方は、すぐにまた前を向いた。ふう、と静かに吐き出された白い煙が月に照らされて微かに光る。
「車の窓から月が見えて、満月だなあって思って。……気がついたら車から降りてた」
 それだけ告げた土方は、さっさと歩き出してしまう。尾を引くように残された煙草の煙も、風に靡いてすぐに夜の空気に溶けて消えた。
 残された銀時は、ベンチの、誰もいなくなった隣のスペースを見る。月が白く照らしているその場所に土方のいた痕跡は何ひとつ残っていない。
 けれど、土方に掴まれていた腕には、じんわりと伝わってきた彼の体温が残っているようだった。その僅かなぬくもりを逃すまいとするように、掴まれていたところにそっと手のひらを当てた。冷たい夜空の下にいたのだから当然彼の手も冷たくなっていたはずなのに、彼に掴まれていたところだけは、今もまだ微かに熱い。
 手の中に残る、ひとくち分の歯型がついた肉まんを見下ろす。小さくて綺麗な半円の跡から中身の具が覗いている。それがなんだか生々しくて、それにさっきの土方の笑った顔を思い出してしまって、もぞもぞと落ち着かない気分になってしまう。銀時はその落ち着かない心のざわめきを誤魔化すように、もう湯気の立っていない肉まんに勢いよくかぶりついた。
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