雨をかぞえる君のとなり


 土方との相合傘が未遂に終わったあの日から一週間と少し。
 あのとき借りた黒い傘はまだ万事屋の傘立てに収まっている。
 最近は何かと依頼が多く、返しに行く暇が無かったから。そう心の中で言い訳をしてみたが、本当の理由は違うところにあるのだと気付いている。本当は、惚れた相手の持ち物が手元にあるという状況が新鮮でくすぐったくて、なかなか返しに行く気にならなかったのだ。傘なんて、べつに特別な物でもなければ、いかがわしいものでもない。それなのに、土方が持っていた物というだけでなんだかそわそわと落ち着かない気分にさせられるのだ。
 しかし、ずっと借りたままという訳にもいかない。付けっ放しのテレビでは結野アナが朗らかな笑顔で梅雨入りを告げている。いくら私物ではなく組の支給品とはいえ、本格的に傘が手放せない時期になったのだからいい加減返さないと向こうも困るだろう。
 そう考えて、銀時は重い腰を上げた。幸い今日は依頼は入っていない。ダラダラとソファに寝そべる神楽と、掃除に励む新八に「ちょっと出掛けてくる」と声をかける。
「またパチンコですか? ほどほどにしといてくださいよ」
「ちげーよ、ちょっと野暮用だ」
「ふーん。野暮用、アルカ」
 じろり、と意味ありげな視線を寄越した神楽に内心ドキリとする。まさか、その野暮用の内容までは分かっている、なんてことはないだろうが。
「降水確率高いですから、傘持ってった方がいいですよ」
 新八の言葉に「へいへい」と軽く応じつつ玄関へ向かう。
 玄関を出て空を見上げてみると、なるほど薄暗い雲がもこもこと広がっていた。毎日毎日、飽きもせずによく降るものだ。銀時は借りていた傘と自分の傘の二本を携えて真選組の屯所へと向かった。
 一足進むごとに、じわじわと会いたい気持ちが膨らんでいく。だけどそれと同時に、会ってもどうせまた喧嘩になるのだろうという諦めにも似た思いが入り混じる。
 分かっている、けれど。
 それでも、いい。
 銀時はゆっくりと、灰色に滲んだ空を見上げた。
 喧嘩するくらいなら会わない方がいいし、いっそ想いを消してしまえばいい、と。そう考えたこともあったけれど、胸の中であまりに大きく育った想いはそれを許してくれないことを悟った。
 ならば、 いくら喧嘩しようが、顔が見られるのならそれでいい。たとえ想いを伝えられなくとも、会って少しでも話ができるのならそれでいい。たとえ二人の関係は何も変わらなくとも、想い続けることができるなら、それでいい。そう思うようにしたのだ。
 なかなか素直になれない自分が望むことが出来るのは、せいぜいこの程度である。重い雲が立ち込める空を眺めながら、銀時はそっと自嘲じみた笑みを浮かべた。
 結局、道中では傘の出番は無かった。もうそろそろ降り出しそうなものなのに、なんて考えながら屯所の門をくぐる。すると、見知った地味な顔が目に入った。
「アレ、旦那? 」
「よぉ、ジミー」
「いや、俺そんなアメリカンな名前じゃないです、山崎です。ていうか旦那、どうしてここに? 」
 怪訝そうな口調と表情だが、勝手に入り込んだことを咎めるような響きは無い。まぁ今まで何度も成り行きで出入りしているから今更ではあるけれど。
「いや、オタクの副長さんにちょっと用事があって……」
 本当はこの傘は土方の私物ではないから、今目の前にいる山崎に返してしまえば事足りる。だけどそれでは、わざわざここに赴いた意味が半減してしまう。
「え、副長にですか? 珍しいですね」
「あ〜、まぁな」
 目を丸くする山崎に、何となく複雑な気持ちになる。確かに、周りからは犬猿の仲という認識だと分かっている。しかし、それを思い知らされるのはやはりいい気はしない。銀時はがしがしと自分の天パ頭を掻いた。
「副長室まで案内しましょうか? 」
 そんな銀時の胸の内なんて全く知らない山崎の呑気な言葉に、「いや、場所は大体分かるから大丈夫」と言いながら手を振って答える。
 山崎と別れた後、記憶を頼りにして何とか目的地である部屋へと辿り着いた。ぴっしりと閉じられた障子の前で銀時は、深呼吸を繰り返したり好き勝手に跳ねる髪を撫でつけたりして気を落ち着かせる。
 よし、と口の中で呟き、障子にそっと手をかける。
「こんにちはァ、万事屋銀ちゃんでぇす」
 いつも通りの気の抜けた声音や態度を心掛ける。
「てめっ、何でここにっ! 」
 書類整理をしていたらしい土方はぱっと振り返り、銀時の姿を認めるなり大きく目を見開いた。上着とスカーフを除けたベスト姿が新鮮だ。
「何でって、前に傘借りたじゃん? それ返しに来ただけですけどォ」
「んなモン山崎あたりに押し付けりゃ済む話だろ」
「うわー、折角返しに来てやったのに何その態度。借りたモンはきちんと借りた人に返すのが礼儀だろーが」
 そう言うと、土方はうっと言葉を詰まらせた。変に真面目で律儀な男だから、それ以上は突っ込めなくなったようだ。
「……いきなり人の部屋入り込んでくるようなヤツに礼儀なんぞ語られたくねェ」
 それでも何か言わずには気が済まなかったのだろう、土方は畳の上に視線を落としながらモゴモゴと文句を言う。
「まぁまぁいーじゃん別に。つーか何、返事するまで部屋には入るなってか? どこの男子中学生ですか土方くんは」
 銀時はつらつらと言葉を重ねながらさり気なく部屋の真ん中に腰を下ろす。
「うるせー、常識の問題だバカ」
 チラリと銀時の方を見遣った土方はチッと舌打ちしたが、それでもどっかりと居座ってしまった銀時を咎めることは無かった。咥えていた煙草をジュッと灰皿に押しつけつつ、そのまま机に向き直り作業に戻る。
 そんな土方の大人しい態度に銀時は少し動揺した。いつもならキャンキャンと噛み付いてくるだろう彼は、今は銀時を追い出そうともしない。
 もしかして、土方もちょっとは俺と一緒にいたいと思ってくれていたりするのだろうか。
そんな微かな期待が胸に湧く。
「で、何の用だ」
「え?」
 しかし、振り返った土方から寄越されたのは、素っ気ない言葉と探るような視線で。
「わざわざ気にくわない野郎のとこまでやって来たんだ、本当は何かしら話があるんだろ?」
 その言葉に、水の中に垂らした墨のようにじわりと淋しさが広がる。抱いた期待は土方の言葉によって急速に小さく萎んでしまった。確かに喧嘩ばかりの関係だし本当の想いなんて少しも伝えていないから、土方の訝しむような言葉は当然だと言えるだろう。よほどの用でも無い限り銀時が自分に会いに来ることなどないと思っているのだから。
 顔が見たくなったから会いに来ただなんて。そんな本当の理由は、きっと土方は想像もしていないのだろう。
「べっつにィ? 用なんて無ェよ」
「は? じゃあ何で……」
「……まぁ、話なら、あるけど」
「何だよ」
「……あんとき、傘、助かった。……ありがとよ」
 全く伝えられない想いが悔しかった。だから、今まで頑なに張っていた意地を捨ててちょっと素直に礼を言ってみる。それでもやはり気恥ずかしさは拭えなくて、銀時は首の後ろを掻きつつ土方から目を逸らした。
 歯切れの悪い、だんだんと小さくなっていく銀時の言葉を聞いた土方は目を見開いたまま固まっている。
「……どうした、何か悪いモンでも食ったかよ」
 そう問う土方の声には、若干困惑しているような色が滲んでいた。
 もっともな反応だと思う。いつもいがみ合っている相手から突然こんな事を言われたら、確かに固まってしまうのも無理はない。
「ンなモン食ってねーよ。つーか折角人が珍しく感謝の意を表してんだから有り難く受け取っとけや」
「だって、お前がそんな素直に礼言うタマかよ、気味悪りィな」
「うるせェ、銀さんだって素直になりたいときくらいあるんだよバカヤロー」
「なんだそれ」
 土方は頬を緩ませて、ふっと噴き出した。その柔らかく綻んだ表情に、思わず見惚れてしまう。仲間内でしか見せないと思っていた笑みを自分にも向けられたことに、胸がざわざわとして落ち着かない。
 そんな銀時の視線には気付く様子のない土方はそっと目を伏せ、少し顔を背けつつ小さな声で呟く。
「まぁ、不本意だが困ってる市民がいたら助けるのが警察の仕事だからな」
 ぶっきらぼうな言い方だけれど、髪の隙間から覗く首筋と耳はほんのり赤く染まっている。つまり、照れ隠しなのだろう。
 素直じゃない反応を示す土方に、今度は銀時が頬を緩ませる番だった。
 何となく押し黙ってしまった二人の間に、むず痒いようなしっとりした空気が流れる。なんだか気恥ずかしくなるような雰囲気だけれど、そのちょっと張り詰めた空気は思いの外居心地が良い。それは、いつもであればまたすぐに喧嘩を始めてしまうから気が付かなかったことだ。
 いつも揶揄っては怒らせるばかりだったけれど、こちらがちょっと素直になってみたらこんなにも可愛らしい反応を見せてくれるのか。嬉しい発見に胸が躍る。
「そ、そう言えば、雨もう降ってるのか?」
 ゴホン、とわざとらしい咳払いをした土方が、これまたわざとらしい話題を振ってきた。きっと気恥ずかしさの滲む沈黙に耐えられなくなったのだろう。不自然に畳の上を泳いでいる土方の瞳を見つめていると、なんだか照れくさくなってしまう。
「いや、俺がこっち来てるときはまだ降ってなかったけど。でもだいぶ空が暗くなってたから、もうそろそろ降り出すかもな」
 銀時は頭の後ろを掻きながら、いつも通りを装って答える。
 するとちょうどそのとき、その言葉尻に被せるように障子の向こうからぽつぽつと雨音が聞こえだした。あまりのタイミングの良さに二人して噴き出す。
「お前スゲェな、予言者みてぇ」
「いや、ホラ、天パは湿気に敏感だから。って何悲しい事言わせんだコノヤロー」
「お前が勝手に言い出したんだろ」
 笑いながら言い合ううちに先程までの気恥ずかしい沈黙は消え、いつものペースを取り戻した。
「そう言えばお前、雨が降ってるけど帰りは大丈夫なのか?」
「ちゃんと傘持参してますぅ、今日は天気予報聞いてきたからな、新八から」
「ふぅん、流石眼鏡だな。つーか、わざわざ雨の日に傘返しに来なくていいだろ」
二本も傘持って歩くの恥ずかしくなかったのか? と土方は不思議そうな顔をする。
「だって梅雨なんだから晴れの日なんて待ってたらいつになるか分かんねーじゃん。それに最近は依頼も多いし、暇な時間も少ねーんだよ」
「そうなのか?」
「ああ、雨漏りの修理やら何やらでよく駆り出される」
「へぇ、大変だな」
 感心したような、少し同情したような口調で土方が言う。今まで見たことも無いそんな反応に得意な気分になった。
「まぁな。でも急な仕事なだけあってそこそこ依頼料弾んでくれたりするからな。つーことで、お前んとこも雨漏りとかしてねーの? 万事屋銀ちゃんが直してやるぜ?」
 力こぶを作りつつ土方に尋ねてみる。仕事が欲しいというのは勿論だが、それだけではない。もし依頼をしてくれたなら、土方に会う理由ができるから。
「生憎、前にウチの奴らが直したところだ。それにどうせバカ高い金ぼったくる気だろ?」
「いやいや、一杯飲みに行って奢ってくれたらそれでいいよ」
「その方が高くつきそうだな」
 ふふ、と口元を緩ませる土方に釣られて口の端を上げる。しとしとと雨の降る静かな空気に影響されてだろうか、いつもより土方の表情が柔らかい。それに、銀時に対する態度にも棘が少ない気がする。そのことが、ほんわりと胸を温かくする。
 天パ頭は余計に膨らむし何かと煩わしさを伴うが、土方とこんなに穏やかに話せるのなら雨もなかなか悪くねぇな。そう考え、銀時は自分の現金さに心の中で苦笑した。
 その穏やかな雰囲気を少しでも長く味わいたくて、書類と向き合う土方の背中に向かって銀時は世間話を始めた。依頼先でのちょっとした出来事を面白おかしく話したり、近所に新しくできた居酒屋の具合を報告したり。それから、最近立て続けに入った依頼のお陰で懐が温かいこと、だから新八の機嫌が良いこと、神楽が可愛らしい傘を欲しがることなど、万事屋の近況も詳しく話して聞かせた。
 最初は「うるせー」などと言って追い出されないかと危惧していたが、土方にそんな様子は全く無い。それどころか、土方にとってはきっとどうでもいい話だろうに、それでも無視したりせずに相槌を打ち、時折茶化しながらも相手をしてくれている。後ろ姿しか見えないが、時々肩を震わせているから笑ってくれているのだろう。それが嬉しくて、時間が流れるのも忘れて話し続けた。外に響く雨音も、この心地よい空間を演出するためのBGMでしかなかった。
「それでさ、あまりにしつこいから花柄の傘買ってやったワケよ。前に一回同じようなことがあったんだけど、そんときは駄目にしちまってたから、今度は壊すなよっつってさ」
「へぇ、案外優しいんだな、お前」
「まぁな、俺の半分は優しさで出来てるから」
「どっかの薬みてーだな」
 少し振り返った土方がクスリと笑う。今日だけでもう何度も見た表情だけれど、単純な胸はまたしてもきゅんと疼いた。何度見たところで、その柔らかくて綺麗な顔には慣れることなど出来ないようだ。
「で、買ってやったはいいけどさ」
「うん」
「今度は大事にし過ぎて雨の日でも差さねぇの、アイツ。極端すぎるよなァ」
「よっぽど嬉しかったんだろ、良かったじゃねーか」
「まぁな」
 へへ、と首の後ろを掻く。土方も静かに笑ったのが気配で分かった。また頬が緩む。
 そのとき、さあっと外の雨音が一段大きくなった。名残惜しいが、そろそろ帰らないといけないだろう。もう少し話してたい、なんて考えていると、土方がぐっと伸びをしたのが目に入る。それから時計を見遣り「もうこんな時間か」と呟いた。
「ごめん、随分長居しちまったな。もうそろそろ帰るわ」
「あ、いや、別にそういう意味じゃねぇ。そろそろ見廻り行かないとっていうだけだから。それに……」
「それに?」
「お前と話せて、その、楽しかったし……書類整理も捗ったから、……全然、邪魔なんかじゃねぇ」
 俯きながら段々と小さくなっていくか細い声で紡がれた、あまりに嬉しすぎる言葉。胸の中で喜びがふつふつと沸きたつ。その熱がじわりと身体中に浸透して、頬が熱くなる。俺といて楽しかったと。そう、言ってくれた。
「そ、そうか、それなら良かった」
「……おぅ」
 首まで赤面した二人の間に、優しい雨音が静かに響く。
「そ、そういえばお前、見廻り行かないといけないんだろ?」
「あ、そ、そうだな」
「俺ももう帰るから」
「あぁ」
 ぎこちなく立ち上がった土方に続き、銀時も部屋を後にする。何となく無言のまま廊下を歩き、玄関先で銀時は持参した傘を、土方は先程銀時から返された組の傘を手に取る。
 門まで歩いたところで、いまだぎこちなさを残したまま「じゃあ」と別れた。
 ……いや、正確には別れるつもりだった。銀時の傘に穴が空いてさえいなければ。
「全く、イマイチ締まらねぇ奴だなお前」
 呆れた表情の土方をまともに見られない。
「うるせー、前使ったときは普通だったんだよ! クソ、いつの間に……」
 悪態を吐きながらも、恥ずかしさで顔から火が出そうであった。折角ちょっといい雰囲気だったのに、全くもって台無しである。
 傘としての役割を放棄し、最早ただの棒となったものを片手に落ち込んでいると、ゴホン、と咳払いをした土方が口を開いた。
「お前、今は懐が温かいって言ってたよな?」
「まぁ、いつもよりは」
「……近所に良い傘屋があるんだが、もし良かったら案内してやろうか? これからの時期に傘が無いんじゃ困るだろ」
「え、でもお前、今から見廻りじゃ……」
「別に、ついでだ」
「……じゃ、頼むわ。すまねぇな」
 居た堪れなくて、そそくさと穴の開いた傘を差したまま歩き出す。が、すぐに土方に呼び止められてしまった。
「おい、お前そのまま行くつもりか?」
「だって、しょうがないじゃん? それに何も無いよりはマシだろ」
 飄々と言った銀時の言葉に、土方は少し考える素振りを見せる。暫くした後、静かに口を開いた。
「おい。こっちの傘、入れよ」
「……え?」
 銀時は一瞬何を言われたのか理解できなかった。事も無さげに告げられた言葉に、きょとんとしつつ土方を見る。
「傘貸してやってもいいけど、そしたらお前、また返しに来なくちゃいけなくなっちまうだろ」
 また土方に会えるならそれでも良かったのだが、土方は最近忙しいと言った銀時の話を聞いて気を遣ってくれたのだろう。
「でもお前、……いいの?」
「別にここからすぐの場所だし、人も全然見当たらねぇし」
「……、じゃ、お言葉に甘えて……」
 ばさりと傘を閉じ、土方の差す傘の下に「お邪魔します」と潜りこむ。
 何となく慣れた様子の土方は、きっと相合傘なんて何度もした事があるのだろう。現にこの前も近藤としていたのだし。
 銀時が濡れることが無いようにという気遣いであろう、こちらへ軽く傾けられた傘を真っ直ぐに戻しつつ、少し複雑な気分になる。
 傘の中にはぼつぼつと雨粒が傘を叩く音が大きく響いている。成人した男二人で入るには、傘はやはり少し狭かった。すぐ隣に感じる体温に、心臓がドクドクとうるさく音を立てている。それが土方に聞こえてやいないかと心配になってちらりと見遣るも、土方は全く素知らぬ顔で歩みを進める。
 ちょっとは照れたりしてくれてもいいのに、と少しだけ唇を尖らせた。
 それにしても、前に相合傘に失敗したからこそ今の状況が生み出されているとは、なんとも不思議な因果関係だろうか。銀時は隣の土方にバレないように小さく苦笑を洩らした。
 言葉少なに歩くこと約五分で目的地に到着した。確かに、すぐ近くの店だと言っていたのは本当だったようだ。
 ガラリと店の戸を開けた土方に続き、銀時も店の中に入る。古めかしい店内には、シンプルだが一目で質の高さが分かるような上品な傘が幾つも並んでいた。
「おや、土方さんかい。久しぶりだねェ」
 ニカッと人の良さそうな笑顔を向ける親仁に、土方も頬を緩ませる。
「今日はどうしたんだい、また修理かい」
「いや、今日は連れの買い物の付き添いだ」
「おや、珍しいこともあるもんだねェ。いつもアンタ一人で来るのに。隊士の方かい?」
「そんなんじゃねーよ」
 土方の返答に意外そうな顔を見せた親仁は更に質問を重ねる。
「アレ、じゃあご友人かい」
「いや、えっと、……」
 押し黙ってしまった土方に何となく気まずくなって銀時は頭を掻いた。
 そんな二人の様子を見て、親仁は楽しそうにアッハッハと笑う。
「まぁ、うちには洒落た今時のモンは無いけど、どれも質には自信があるからねェ。好きなのを見てくといいよ」
 そう言った親仁の言葉を受け、ぶらぶらと店内を物色し始める。しかし、元々あまり物には拘りなどをもたない気質なのでどれを買えばいいのか全く見当もつかない。
 これでは埒が明かないと、土方が離れた場所にいることを確認した後、親仁に声を掛けた。
「あの、すんません」
「へィ、どうしましたかィ旦那」
「いや、アイツってここで傘買ってるんですよね」
「ああ、土方さんですか。そうです、もう随分贔屓にしていただいてますぜ」
「じゃ、あの、……アイツのと同じ傘とか、あったりします?」
 随分恥ずかしいことを尋ねていることは自覚しているから、自然と声は小さくなっていく。逸らしていた視線を上げておずおずと親仁を見る。すると、始めはポカンとした顔をしていたが、突然アハハと笑いだした。
「大丈夫、ありますぜ! けど、きっと色違いの方が良いんじゃないかねぇ」
 小声で銀時に告げ、親仁はいそいそと店の奥へと引っ込んでいってしまった。その後ろ姿を見送りながら、じわりと気恥ずかしさが込み上げてくる。それを紛らわすように頬を掻いた。
 しばらくして戻ってきた親仁の手には、薄水色の傘が握られていた。その傘を見た土方がはっとしたように声を上げる。
「あれ、それって……」
「へぇ、この旦那もこれが気に入ったようで。気の合うお二方だねェ」
 訳知り顔の親仁の入れたナイスフォローに恥ずかしいやら決まりが悪いやら。へへ、と曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。
 にやついた表情の親仁に代金を支払い、店を後にする。
 今度こそ土方と別れてから早速差してみた傘は、なるほど上品なデザインである。その上よく手に馴染むので使いやすい。そして何より、土方と色違いのお揃いである。残念ながら今土方の手にある物は組のものだが、彼の私物とはお揃いなのだ。それだけで、他のどんな傘よりも、ずっとずっと特別で大切なものになる。
 銀時は傘を傾けて、どうしたってにやけてしまう顔を隠した。


 それから数日後の、しとしとと雨が降るある日。土方は前とは違い、私物の藍色の傘を差して巡回をしていた。
 すると道の向こうから万事屋の一員である新八が歩いて来るのが目に入った。ガサガサとビニール袋を提げているから、きっと買い物帰りなのだろう。
「あ、土方さん。巡回ですか、お疲れ様です」
「おう」
 雇い主とは違い礼儀正しいその態度に、土方は毎回感心させられている。
 そのまま足を止めた新八は、世間話を始めた。
「最近は雨ばっかりで気が滅入ってきちゃいますね」
「まぁ、梅雨だからな」
 あはは、そうですね、なんて言いながら笑った新八は、ふと何かに気付いたような表情を見せた。
「あ、土方さんの傘、銀さんのと色違いなんですね」
「っ、そう、なのか」
 告げられた言葉に、土方は内心動揺した。思わず、咄嗟に何も知らない風を装ってしまう。そんな土方の様子には気付かない新八は、つらつらと言葉を重ねる。
「あの人、基本的に物には執着しないし拘りなんかも無いはずなのに、前に買ってきた傘は珍しく上等そうな感じだったからびっくりしたんです」
「……そうか」
「この前なんか、僕がそれを借りようとしたら『コレは俺のだからダメ!』って凄い勢いで止められて。それで、修理に出してたらしい違う傘を差し出してきたんです。あんまり必死な顔をしてたから、思わず笑っちゃいそうになりました」
「っ!」
 思わず息が詰まる。知ってはいけない事を聞かされたように感じ、気まずさと気恥ずかしさが入り交じって混乱する。アイツがそんな態度をする訳が分からない。いや、分かる、ような気もするけど。でも、そんな事あるのだろうか。
「よっぽど大事なんでしょうね、その傘が」
 にこりと笑いながら告げた新八の言葉に、トドメを刺された気分になる。
 アイツは、あのとき買った傘を、そんなにも大事にしているのか。それは、あの傘が……。
そんな自分の考えに恥ずかしくなり、土方は顔を片手で覆った。顔に熱が集まっているのがはっきりと分かる。
「あれ? どうかしましたか土方さん?」
 心配そうな声で尋ねる新八に、「いや、何でもない」と答える。怪訝そうな表情を見せたものの、新八はそれ以上追及してこようとはしなかった。
「あ、そろそろ帰らなきゃ。じゃあ土方さん、お仕事頑張ってください」
「お、おう。ありがとな」
 ぺこりと頭を下げ、新八は去っていく。その後ろ姿を眺めながら、土方は妙に心臓がうるさく鳴っているのを感じていた。新八から聞かされた、予想外の万事屋の様子。それは一体何を意味しているのか、分からない。
 ……いや、分かるような気もするけれど、実際あり得ない、だろう。
 混乱した頭の中、傘に弾ける雨音とそこに入り混じる心臓の音だけが、やけに大きく響いている気がした。
2/5ページ
スキ