marginal room

 
 最初から、きちんと自覚はしていたのだ。
 この部屋で始まった関係には、なんの生産性も重要性もないことを。約束があるわけでも、言葉を交わしたわけでもない、ただの細い糸で繋がっているだけのぎりぎりの関係。いわゆる体だけの関係なのだ。
 『体だけ』とはなんて言い得て妙なのだろうと、抱かれるたびに頭の隅で考える。彼を受け入れ、彼の鼓動をいちばん近くで感じて。ふたつの体をひとつに重ね、己と相手の境界線があやふやになり、どろりと溶けていくような感覚。けれどやはり、傍にいても、いや傍にあるからこそ、ほんとうに彼の近くにいるわけではないのだと思い知る。
 それでもいい。そんなこと、別にどうだっていい。たかが体だけなのだから。
 胸の内で言い聞かせるように繰り返しながら、行き場のない手でぎゅっとシーツを握り締める。
 そんな夜を、もう何度も過ごしてきた。
 





 つい先程までも、これまで過ごした幾たびの夜と同じように土方は銀時の下で喘いでいた。
 偶然鉢合わせてしまった居酒屋で、隣に座った彼が土方の腿をするりと撫でたから。それが二人の合図であった。
 その後すぐに、言葉で確かめることもしないままに最早馴染みとなったこの寂れたホテルの一室へと雪崩れこんだ。二人きりの部屋の中、銀時が鍵をかけた音がやけに大きく聞こえた気がした。
 そしてたった今、土方はやっと自分の体を取り戻したところであった。どろりとした倦怠感を纏わせながら、固いベッドに沈み込む。好き勝手にされていた下半身が、いや体全体が鈍い痛みに包まれている。気のせいかもしれないが、いつもより少し激しかったように思う。大きく波打ったシーツは皺だらけだ。清潔とは言えないシーツの埃っぽい匂いに、二人分の汗の香りが入り混じる。
 放心気味の心のまま、ぼんやりと薄暗い天井を眺める。何も考えたくないし何もしたくない、けれど、朝がくるまでにはこの部屋を出なければならない。
 思わず零れそうになった溜め息を飲み込みつつ、重い腕を持ち上げて額に浮かんだ汗を手の甲で拭う。すると、隣から剥き出しの腕がするりと伸びてきた。その大きな手が、汗のせいで微かに濡れた黒髪を掻きあげていく。
「はは、汗スゲーな。そんなにヨかった?」
 隣で寝転ぶ男の軽薄な声音に顔を顰めつつ、前髪を掻きあげていた手を払いのける。動いた拍子にベッドが苦しげな音を立てた。
「るせぇ。てめーこそ、余裕のねェ顔してただろ」
「そりゃまあ、ね」
 銀時は少し目を伏せ、口の端を小さく上げた。あまり見たことがない表情である。心の隅で訝りつつ、ベッドの下へと手を伸ばし無造作に脱ぎ捨てていた長着を漁る。その中から煙草の箱とライターを探し出すと、寝転んだまま煙草に火を点けた。ゆっくりと息を吸い込んで、ふぅ、と煙を吐き出す。細く心許ない煙のすじが、ゆらゆらと漂いながら闇へと溶けていく。
 その煙を眺めていると、銀時が「終わってすぐに煙草吸うの、やめろよ」と呟いた。
 毎回の慣習に口を出されたのは初めてだ。ちらりと隣を見遣ると、彼も同じように煙草の白い煙を眺めていた。
「なんで」
「もっと情緒ってモンを大事にしろよ」
 思わずハッと笑いが洩れた。銀時が振り返る。
「もともと情緒なんざねェだろ、こんな関係に」
 笑い飛ばすようにそう告げると、銀時は少し口を歪めた。何を考えているのか分からないが、恐らく冗談だったのだろう。だって所詮体だけの関係で、それは彼だって承知しているのだから。俯いた銀時を尻目に、もう一度細い煙を吐き出した。
 灰の長くなった煙草を透明な硝子の灰皿に押し付け、よろよろと起き上がる。痛む腰を庇いながらベッドから下りると、背中にふざけた言葉が飛んできた。
「シャワー行くの? ついてってやろーか?」
「は? 別にいらねェ」
「だって心配じゃん。オメー、さっきまでブッ飛ぶ寸前ってカンジで全身ガクガクのアヘアヘだったんだし」
「うるせぇ」
 振り返らずとも分かる、どうせニヤニヤとした腹の立つ顔をしているのだろう。ぴしゃりと吐き捨て、そのままシャワールームへと向かった。

 シャワーから勢いよく流れ出す熱い湯を、頭から浴びる。体中に纏わりついていた、どろどろ、べたべたとしたものがすべて水となって流れていく。土方は小さな溜め息を洩らした。
 銀時の行為は、いつもべたべたとしつこい。彼の好きな生クリームたっぷりのケーキのように、胸焼けするほどの甘さを孕んでいるのだ。今から何をするかだとか、そこがどんな状態だとかをいちいち口に出して、その上「可愛い」や「綺麗」といった言葉まで吐いてくる。女を相手にしているのではないのだし、それにただ体だけの関係なのだ。そんな飾った言葉で機嫌をとる必要なんてないだろうに。
 恐らく、揶揄っているのだろう。普段顔を突き合わせれば喧嘩ばかりの相手の、腑抜けた痴態を。
 ヘテロであるはずなの男に手を出してみたのは、好奇心か揶揄のつもりか。それならば、まるで大事なものに向けるような視線も言葉も、すべて虚飾の張りぼてにすぎないことは容易に想像がつく。
 もともと、ただの酒の勢いから始まった関係だった。その日も偶然鉢合わせた居酒屋で軽口を叩き合っていて、けれど普段より穏やかに楽しく飲めていて。こいつと飲むのも悪いモンじゃあねーな、なんてふわふわとした気分で浮かれていたときだった。「なぁ」と呟いた銀時が土方の手にそっと自分の手を重ねて、「俺、お前なら抱ける気がすんだけど」と、妙に熱のこもった声と瞳を寄越したのだ。
 酔っ払いの戯言だとか、揶揄っているだけだとか。頭ではきちんと理解していた。
 けれど、その熱い手を振り払うことが、どうしてもできなかった。
 そのままこの爛れた関係をやめられず、ずるずると今に至る。
 排水口へと吸い込まれていく水を、ぼぅと眺める。小気味よい音を立てて流れていく水とは対照的に、心はなぜかどろりと沈んでいる。体はさっぱりとしたはずなのに。胸のなかのもやもやとしたものだけが、シャワールームに立ちこめた湯気のようになかなか消えてくれない。
 土方はコックを捻り、シャワーの水圧を強くした。

 しばらくしてからシャワールームを出て長着を緩く着付け、水の滴る髪をタオルで乱暴に拭く。もう一本煙草を吸ってから部屋を出ようか、などと考えながら部屋へと戻る。
 すると、いつもの流雲模様の長着を羽織った銀時が窓際に突っ立っているのが目に入った。ベッドで寝ているとばかり思っていたので、その意外な行動に首を捻る。
「そんなとこで何してんだ」
 近づきつつ声をかけると、彼は勢いよく振り返った。その顔にはなぜか困惑の色が浮んでいる。
「いや、てめーの煙草の煙を出そうと思って、窓を開けようとしたんだけど」
 銀時の指が、側にある磨り硝子の窓の引手にかけられる。
「全然開かねーんだよ」
 ぐい、と銀時が引手を引っ張る。けれど窓は少しも動く気配がない。
「は?」
 思わず声が洩れた。いつも来ているのだから分かる、このホテルの窓は特別かたいわけでも重いわけでもない、普通の窓だ。嵌め殺しでもないのに、開けられないはずがない。
「んなわけねェだろ」
「いや、ほんとだって」
 言いながら、銀時はもう一度引手を強く引いて窓を開けようとする。たしかに、全体重をかけているのは見てとれる。それなのに窓は一寸たりとも動く気配がない。
 まるで、何か見えない力で窓と窓枠がぴたりとくっつけられているみたいだ。
 土方は軽く頭を振った。そんな馬鹿なこと、あるはずがない。
「鍵がかかったままなんじゃねぇのか? それともロックとか」
「両方確かめたけど、どっちもかかってねーよ」
 引手から手を離した銀時が、指で硝子の窓を叩いた。コンコン、と軽い音が部屋に響く。いたって普通の窓の音だ。じゃあ、なぜ。考えてみるものの原因が思いつかず、二人して黙り込んでしまう。窓の外にはいつもと変わらない凡庸な黒が広がっていた。
 部屋に満ちた重い沈黙を破ったのは、銀時の軽妙な声であった。
「まぁ、今更窓を開けたところで換気になんねーよなぁ」
「そうだな」
 彼がわざと軽い調子を作っていることは分かったので、同じように軽く返事をする。お互いにぎこちない笑みを浮かべながら、固いベッドへと戻っていく。
「あーあ、なんか眠気も吹っ飛んじまったぜ」
 ベッドの真ん中にゴロンと横になった銀時を尻目に、土方も端に腰掛ける。一服するつもりであったが、換気できないことを考えると煙草は吸わない方がいいだろう。尤も、今は煙草を吸う気分にもならないのだが。
 一服できないならそろそろ帰ろうか、と立ち上がったとき、背中に声が飛んできた。
「何、もう帰んの」
「あぁ。煙草も吸えねーし長居する理由がねェ」
「……お前はそうだろうな」
 土方はきゅ、と手の平を握りしめた。ぽつりと返されたのはどこか含みのある言葉で、けれどその声音は相変わらず淡々としている。彼が何を言いたいのか分からないし、その淡々とした様子から推測するかぎり大した意味など込められていないのだろう。ちくり、と針で刺されたように胸が痛んだ。
 サイドボードに置きっ放しにしていた携帯電話を手に取り、とりあえず時間を確かめようと画面を開く。けれど、現れたのはただの真っ黒な画面であった。もちろん電源を切った覚えはない。土方は仕事柄、いつ電話がかかってきても対応できるように常に携帯の電源は入れておくようにしている。そのために、今日のように銀時と会っているときに電話が鳴り、途中で屯所へ帰ることもあった。
 だからこそ、電源が切れていることが不思議でたまらない。電源ボタンを押すものの、黒い画面からは何の反応も返ってこない。充電切れだろうか。けれどよくよく思い返してみると、居酒屋を出たときに時間を確認するために携帯を開いているし、そこでは普通にいつもの画面が表示されて残りの充電だって半分以上あったはずだ。
 ポチポチと闇雲にボタンをいじっていると、銀時が背後から手許を覗き込んできた。
「なに、ケータイ壊れたの?」
「分からねェ、画面がつかねーんだ」
 どのボタンを押したところで真っ黒い画面はうんともすんとも言わない。土方は眉を寄せる。
「アレだろ。こんなマヨくせー男になんか使われたくねェってストライキしてんだろ」
「マヨはくさくねーよ」
 いつものように軽口を叩き合う。けれど冗談を言ってみたところで、胸の中に広がる言いようのない不安は消えてくれない。それはきっと銀時も同じなのだろう、声音は軽いけれどもその表情は硬く強張っている。
 先程から不可解なことが続いている。その気味の悪さが、水の中に垂らされた一滴の墨のように、じわりじわりと広がっていく。
 またしても訪れた、息をひそめるような沈黙。こんなときには、時計の針の音だけがうるさく響く……はずなのだが。
 はっと壁の時計に目を遣り、それから目を見開いた。そんな土方の反応に、銀時も同じように壁に掛けられた時計に視線を向ける。
「止まってる……?」
「ああ、止まってるな」
 ぴたり、と動きを止めている三つの針。そしてそれは、ただ止まっているだけではなかった。長針と短針が示している時刻は、午後十一時半の少し前。居酒屋を出たのが十一時を少し過ぎた頃で、そこからこのホテルまでは酔っ払いの歩みで約二十分程度である。つまり、時計が示す時刻は、二人がこの部屋に入った時刻とほぼ一致しているのだ。
「……俺達がこの部屋に入ったときに、ちょうど止まったってことか?」
「……まさか」
 馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげな調子で銀時が笑い飛ばす。しかし、その声に隠しきれない動揺が潜んでいることに、土方は気付いていた。信じられない気持ちは土方も同じだった。そんな、部屋に入ったのとぴったり同じときに時計が止まるなんて、滅多にあることではない。
 窓も携帯も時計も。一つひとつは些細なことだけれど、それらが積み重なることで気味の悪さも肥大化する。土方は無意識のうちに鳥肌の立つ腕をさすっていた。
 窓は開かず、携帯は繋がらず、時計は止まっている。まるで外部からの情報や接触が断たれ、二人だけが世界から隔離されてしまっているようだ。
 そこまで考えて、ハッとする。
 頭を過ぎった、悪い予感。そうでなければいい、けれど、そうかも知れない、最悪の事態。
「……なぁ、もしかして。ドア、開かねーんじゃねェか?」
 掠れた声で恐るおそる、隣の銀時に問いかける。
 このホテルは前払い式であり、チェックインの時点で料金を払い鍵を預かる仕組みになっている。なんせ古いホテルだから、自動精算機なんてものはない。ロックもされていないので、鍵を回せばいつでも出られるようになっているはずなのだ、けれど。
 ぎこちなく首を動かして銀時へ顔を向ける。すると銀時は、ちらりと赤い瞳を揺らした。しかしそんな動揺はすぐに隠され、はっと乾いた笑いが返された。
「……んなわけ、ねーだろ」
 強がるようなその言葉に、動揺と不安が滲んでいるのは分かっていた。それでも、その言葉に縋りたくなる。
「だよな」
「けど、一応、確かめてみとこうぜ」
「ああ、一応、な」
 重い腰を上げ、ベッドから立ち上がる。サイドボードの上、煙草のケースの隣に置かれた鍵を手に取ると、よろよろと出入り口のドアへと向かった。銀時も後からついてきている。
 木製の古びたドアの前に、二人で並び立つ。何だか、これからとんでもない試練を乗り越えようとしているような心持ちだ。心臓の音が耳の中で大きく響く。
「鍵、挿すぞ」
 隣の銀時に目を遣る。彼も、小さく頷いた。
 ゆっくりと鍵を挿し込む。すると鍵は、すんなりと鍵穴に吸い込まれていった。
「ほら、やっぱり開かねーはずねぇって」
 弾んだ声で銀時が言う。鍵が鍵穴に入る、それだけで膝をつきそうなほど安堵しているのは、土方も同じだった。
「だよなぁ」
「そーだよ。だってただのホテルだぜ」
 そうだ、開かないはずがないのだ。
 一度大きく深呼吸をする。それから、鍵穴に挿さった鍵を、ゆっくりと回す。
 ……しかし、鍵はびくともしなかった。まったく回らない。もちろん解錠の音もしない。
 
 ドアは、開かない。

「嘘だろオイ!」
「チクショー、何だってんだ!」
 錆びついたドアノブを掴み、闇雲に捻ろうとする。しかし、それも鍵と同じでまったくびくともしない。
 一度安堵し期待しただけに、それが裏切られたことへの落胆や失望感は大きい。目の前が真っ暗に塗り潰される。
閉じ込められている。そのことだけが頭の中をぐるぐると回る。
「どうなってやがる!」
 銀時も、ドアに向かって体当たりを繰り返している。ドスン、と強い衝撃が加わっていることは分かるけれど、それでもドアはまったく動かない。所どころ欠けた木製の古びたドアのはずが、まるで堅牢な鉄製の扉になってしまったかのようだ。割れたり動いたりするどころか、たわむ気配すらない。
「閉じ込められたのか」
 ドアを睨みつけるものの、当たり前にドアは開かない。
「フロントに電話……も、繋がらねェだろうな」
「試してみようぜ」
 一縷の望みをかけて、部屋に備えつけられた電話のもとへ向かう。藁をも掴むような思いで受話器を取り、確かめるようにゆっくりとボタンを押していく。汗の滲む手の平で冷たい受話器を握り締め、耳へ押し当てる。
 しかし、受話器からは何も聞こえない。呼び出し音すらもなく、耳が痛くなるほどの完全なる無言を貫くだけであった。ガシャン、と苛立ちまぎれに受話器を本体に叩きつけるが、それでもやはりフロントに繋がる気配はない。
「クソッ!」
 外部との繋がりが断たれ、完全に孤立してしまっている。銀時と二人、部屋に閉じ込められたまま。
「一体どうなってんだ……」
 片手で頭を掻き回している銀時が舌打ちを零した。確かに、今の状況についてどうなっているのか全く分からない。
 攘夷浪士どもの犯行か、とも思ったが、それならわざわざこんな回りくどいことはしないだろう。真選組副長の暗殺が目的ならば、ほかの数多の浪士どものように土方が一人でいるときを狙い襲ってくるはずだ。こんなところに閉じ込める必要なんてない。
 それに。土方はゴクリと唾を飲み込んだ。それに、今のこの状況が人間業であるとは思えないのだ。ぴっちりと一寸の隙もなく閉じられた窓も、前触れもなく繋がらなくなった携帯電話も、部屋に入った時刻ぴったりに止まった時計も。それから、押しても引いてもびくともしないドアも。どれも、普通の人間がなし得る仕業ではないように思えるのだ。
 何者の仕業なのか。何が目的なのか。何一つ分からないから、より一層気味が悪い。土方はぞわりと背筋が粟立つのを感じた。
 とにかく、閉じ込められている以上出る方法を考えなければならない。よろよろと倒れこむようにまたベッドへと腰かける。しかし考えてみたところで、原因も目的も何も分からないので結論が出るはずもない。
 頭を抱えたとき、ふと今日の昼間のある出来事を思い出した。そこで告げられた、ある言葉。だがそれはあまりにも現実味がなく、土方自身まったく信じていないことであった。
 けれど、もしそれが真実だとするならば。土方は無意識のうちに、祈るように両手を合わせていた。それが真実なら、恐らく、朝方になれば出られるようになっているはずだ。しかし確証があるわけではないので、どうにも銀時に言うことは躊躇われる。
 どうしたものか、と頭を抱えてぐるぐると思案を巡らせていると、不意に膝に影が落ちた。顔を上げると、いつの間にやら銀時が傍に立っている。先程まで電話機の近くに立ち尽くし何やら考えこんでいる様子だったが、分かったことでもあるのだろうか。ほんの少しの期待が頭をもたげる。
「おい、どうかしたか」
「うーん、なんて言うかさ」
「何か分かったのか」
「分かった、っていうか」
 歯切れの悪い返事に眉を寄せる。
「なんだよ」
「……とりあえず、もう一回ヤッてみねェ?」
「は?」
 予想だにしなかった言葉に、思わず素っ頓狂な声が洩れた。こんなときに何を言い出すのだ、この男は。
 呆気にとられているうちに銀時はバサリと白い長着を脱ぎ捨てる。
 まさか本気か、と危惧していると、パンツ一枚になった銀時がベッドへと乗り上げてくる。身を引こうとするもそのまま腕を掴まれ、ぐいと肩を押された。ドスンとした衝撃に思わず目を瞑る。背中に感じる、毛羽立ってゴワゴワとしたシーツの感触。押し倒されたと分かり、がむしゃらに抵抗し始める。さすがにこの非常事態において、もう一回事に及ぶ余裕など土方にはない。
「オイッ、何考えてやがる!」
 ジタバタと手足を動かしてみるも、体勢的に不利なこともあって彼の馬鹿力には敵わない。腕の拘束ひとつ振り解けないまま、彼の顔を見上げるほかない。逆光で表情の見えない顔をキッと睨みつける。
「こういうのって大体、原因になったことを繰り返せばなんとかなるんだよ。雷に打たれて人格が変わったらもう一回雷に打たれたらいいし、卵かけご飯製造機で魂が入れ替わったらもう一回卵かけご飯製造機を使えばいいし」
 淀みない口調であっけらかんと告げられた言葉。それはそうかもしれない、と一瞬納得しかけたけれど、我に返り頭を振った。
「原因って、ヤッたことが原因だってのかよ」
「だってこの部屋に来てしたことなんか、それくらいしかねーだろ」
 反論したものの、あえなく言い返されてしまう。それでもやはり、そういう行為をするための施設であり部屋であるのに、行為をしたから閉じ込められるなんていくら何でもおかしいだろう。あまりにも理不尽だ。
「それはそうだが、でもっ……」
「まぁまぁ、試してみる価値はあるじゃん。それにさっきもしたんだから、一回も二回も変わんねーだろ」
 特に思うところなんて無さそうにさらりと言い放たれた言葉に、胸がじくりとしみる。
 思わず口を噤むと、その隙にとばかりに合わせに手を差し入れられた。
「オイ、こんなときに何考えて……!」
「だから、こんなときだからヤるんだって」
 差し入れた手がするりと動き、合わせが肌蹴させられる。そして露わになった滑らかな胸の、真ん中に彩る飾りを指で擽ぐる。
「んっ」
 突然もたらされた刺激に、土方の肩は大袈裟なほどに跳ね上がった。抵抗しようと手を持ち上げたものの、簡単に掴み取られシーツに縫いつけられてしまう。
「こっから出るための手段を模索するためなんだって」
 飄々と告げた銀時は、そっと土方の耳元に口を寄せた。
「だから、大人しく抱かれてくんねぇ?」
 普段よりも低く、甘さを含んだ声。微かな吐息が耳に触れ、じわりと痺れるような熱に変わる。思わず肩を竦めると、目の前の男は楽しげにくすりと笑った。居たたまれなくて顔を背ける。土方自身、この声に弱いことは自覚している。
「はは、もう目がトロンてなってる」
「るっせぇ……」
「ん、可愛い」
 満足そうに呟いた銀時は、そっと唇を重ねた。ちゅ、と軽い音が響く。最初は触れるだけだったそれは、徐々に深いものへと変わっていく。
 いつもこうなのだ、この男は。
 べつに詳しいわけではないけれど、こういった体だけの関係というのはもっとドライなものだと思っていた。可愛いとか、綺麗だとか言わずに淡々と行為を進めて、そして当たり前にキスなんかしない。そんなものだと思っていた。だが銀時は、歯の浮くような台詞もキスも、いとも簡単にやってのけるのだ。
 それに、銀時はドSを公言して憚らないような男だ。ただの性欲処理なのだから、もっと自分本位で激しい行為をするのだろうと漠然と思っていた。それなのに、毎回の行為はしつこくはあるものの、酷く扱われたことなど一度もない。
 そんなだから、いつも錯覚しそうになるのだ。これは、心まで繋げている二人の行為なのだと。
 そうではないと、分かっているのに。
 土方はぎゅっとシーツを握りしめた。
 口内を蹂躙し尽くした銀時は、銀色の糸を引きながら唇を離した。溺れているみたいな息苦しさから解放され、何とか酸素を取り込もうと荒い息を繰り返す。何度も繰り返されたキスは、確実に土方に快感をもたらすようになっていた。
 その隙に、とばかりに銀時は胸の尖りに手を這わせてくる。
「すげ、もうビンビンじゃん。まだ軽くしか触ってねぇのに」
 期待してたの、と笑う銀時の顔を見ることができない。うるせぇ、と力なく呟いた土方は腕で顔を覆い隠した。
「こら、ちゃんと顔見せろよ」
 手首を掴まれ、顔の横に縫い付けられる。ほらまた、こんな恋人同士みたいなことを言う。何を馬鹿なこと言ってやがる、と撥ねつけたい。けれど、真剣な光を宿す銀時の瞳を見てしまうと、土方はもう何も言えなくなってしまう。こうして、少しずつ体が彼に乗っ取られて、体だけが彼のものになっていくのだった。
 ひとしきり胸を弄った銀時は、今度は脇腹のあたりを撫でまわす。かと思えば次は着物の裾を肌蹴させ、内腿に舌を這わせる。
 銀時が触れるたび触れたところが熱を持ち、体の奥がズクリと疼く。さすが何度も体を重ねているだけあって、土方の弱いところはすべて熟知されている。焦れるような熱と疼きが、じわりじわりと体の全体まで広がっていく。土方はふるりと身ををふるわせた。
「こっちも、触ってほしい?」
 言いながら、銀時は下着越しに土方の中心をそっと撫でる。ゆるりとした刺激に、思わず腰が跳ねた。
「んぅっ」
 顔を上げてキッと睨みつけるも、銀時はどこ吹く風だ。それどころか、にんまりと人の悪い笑みさえ浮かべている。
「ほら、言わなきゃわかんねぇよ」
 こんのドS野郎、そんくらい言わなくても態度で分かれよ。今まで散々好き勝手してきたくせに、何でこんなときだけわざわざ聞きたがるんだ。内心で毒づきながらも、それを口に出せばもっと酷い状況になることは分かっている。土方は悔しさに奥歯を噛み締め、それからおずおずと口を開いた。
「さ、…………さわって、くれ」
「ん、よくできました」
 幼稚園に通う子供に言うような口振りで告げた銀時は、満足そうに口の端を緩めた。それから下着のゴムに指を掛け、ゆっくりと下げていく。
「もう勃ってんね」
「やっ、言うな……っ」
 揶揄うように、それでいて嬉しそうに告げる銀時の言葉に、かあっと頬が熱くなる。厚くて大きな手の平で包まれ、先走りの零れる先端を節ばった指がゆるゆると擦る。直接的な快感に、土方の腰がふるりと揺れた。
「これ、前はもう触らなくても大丈夫だろ」
 独り言のように呟いた銀時は、もっと奥まったところへと指を伸ばす。羽根のような手つきでくるりと縁を撫でたあと、ぷつり、とナカに指を忍ばせた。いつの間にローションを指に纏わせていたのか、ぬるりとした感触はいとも簡単に土方の内部へと進入する。
「後ろ、まだ弛んでる。さっきまでヤってたもんな」
 確かめるように指を動かされる度、波のように快楽が押し寄せる。ねだるように腰が揺れそうになるのを、なけなしの理性で何とか堪える。
「まだ腫れてるな、ここ」
「ぅあああっ!」
 銀時の指がぽっちりと存在を主張するしこりに触れた途端、体中に電気がはしる。びりびりと痺れるような快感に、思わず目の前の男に縋り付いてしまう。己の背中に腕を回した土方を見て、銀時は満足げに笑った。
「こうやって二回目するの、初めてだよな。……おめーいつもさっさと帰っちまうし」
 指を増やし好き勝手に動かされる。蕩けてしまいそうな脳みそで、必死に銀時の言葉を咀嚼する。
「んぅっ、あ、たり前、だろッ」
「何で。ゆっくりしてけばいいのに」
「ぅあ、もう、いいから、はやくっ」
「……なぁんてな」
 堪えきれずに腰が揺らめきだした土方の様子に、銀時が小さく苦笑をもらした。
 程なくして熱い塊が押しつけられる。ぐっ、とこじ開けるようにして押し入ってきた熱に、身を委ねるように土方は瞳を閉じる。
 ひとつに重なる感覚が、なぜか淋しく胸に沁みた。
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