ねこの愛の示しかた
人間は、自分のキャパシティを超える事態に直面すると真顔になってしまうらしい。
銀時は目の前に繰り広げられる光景を眺めながら、場違いにもそんなことを考えた。
普通なら思わず叫び出していたであろう、その光景。しかし、あまりに攻撃力というか、殺傷能力が高すぎて、声すら出ない。ただ喉の奥の方がヒクついて微かな嗚咽が漏れるだけだ。早鐘のように打つ心臓を何とか鎮めようとするが、どうしても興奮は抑えきれない。じわりと汗の滲んだ手の平を握り締める。
これ以上、それを見つめてはいけない。辛うじて残った理性がそう訴えるけれど、見開いたままの目は閉じてくれない。目を離すことなんてできない。できるはずがない。
その原因とは、向かいのソファーに腰掛けた一人の男。いや、『一人』という表現には少し語弊があるかもしれない。なぜならその男は、およそ普通の人間なら持たざるモノを。ともすれば凶器にもなり得るアブナイものを、ゆらゆらピコピコと携えているのだから。
思い切って口を開く。努めて冷静に。興奮を、悟られないように。
「ど……どーしたの土方くん。いや、……猫方くん?」
「誰が猫方だ!」
ぶわり、と黒い尻尾を膨らまして叫ぶ土方に、ウッと細く息が漏れる。
そう、目の前の男、土方は猫耳と尻尾を生やしていたのだ。
可愛すぎるだろォォォォォォ!!!!
胸の内で叫びながら、銀時は猫耳萌えの織りなす凄まじい威力の前に平伏すほか無かった。
事の発端は十数分前に遡る。
特売日だと騒ぎながら買い物に出掛けた新八と神楽の帰りを待ちつつ、銀時は店番をしていた。
朝と昼のちょうど真ん中あたりの時間で、外には明るい日の光が降り注いでいる。通りからは人々の賑やかな声が響く。そんな活気溢れる様子とは打って変わって、万事屋にはのんびりとした空気が漂っていた。
どうせ客なんて来ないだろう、なんて経営者にあるまじきことを考えながら優雅にジャンプを捲っていたとき。
思いがけずインターホンが鳴った。
正直面倒くさかったけれど、わざわざ訪ねてきた客に居留守を使うわけにはいかない。よっこいせ、と重い腰を上げて玄関に向かった。
「はいはーい、万事屋銀ちゃんでぇす」
欠伸混じりにガラリと戸を開けると、そこには見知った顔が二つ。黒い隊服に身を包んだ男が並んで立っていた。
「すんません、旦那。ちょっと、依頼されてくれませんか」
そのうちの地味な方が、いかにもすまなさそうな顔で告げる。その言葉、表情の節々からは厄介事の匂いがプンプンと漂っているのを感じた。関わると碌なことにならない、と頭の中で警笛が鳴り響く。
それでも、ピシャリと門前払いをして追い返さなかったのは。
「副長のことで色々ありまして。話だけでも聞いてくれません?」
そう言った地味な男の隣に、土方の姿があったからだ。
土方は、何故だか唐草模様のほっかむりを被り、俯き気味に突っ立っていた。その珍妙な格好にむずむずと好奇心が擽られる。彼の身に何か起こっているのなら、知っておきたい。周りからは犬猿の仲のように称されることの多い二人だけれど、銀時の方は彼を憎からず思っている。というかむしろ、ずっと惚れていた。
惚れた相手が、のっぴきならない様子で自分を頼ってきているのだ。追い返すなんてできるはずがなかった。
「んー……。まぁ、話だけなら聞いてやらなくもねーけど。とにかく入れば」
口角が上がりそうになるのを何とか抑えながら、家の中へと二人を招き入れた。
応接間のソファーに腰を下ろした二人に向かい合う。普通なら何かと突っかかってくるはずの土方は、家に入る時に「……邪魔するぞ」と呟いたきりずっと黙ったままだ。やはり、どうにも様子がおかしい。
「それで、副長さんはいつまでほっかむりなんかしてるつもりなワケ?ハゲでも出来たんですかァ?」
とりあえず、一番気になっていたことに突っ込んでみる。
「違ェよ。ハゲはウチに一人いる奴で足りてる」
ムスッとした不機嫌な声音で返される。
「じゃあどしたの、何が抜けたの」
「まぁ抜けたっていうか、その反対ですけど」
地味な男の苦笑交じりの言葉に、ますます頭を捻る。反対?どういうことだろう。
すると、土方が自分の頭に巻かれたほっかむりに手を伸ばした。こうなりゃ自棄だ、とでも言うように乱暴な手つきで布を解く。
そして、しゅるりと外された布の下から現れたのが、真っ黒な猫耳だったというわけである。更には、隊服の裾からしゅるしゅるとしなやかな尻尾まで引っ張り出してきたのだった。
ここで話は冒頭へと戻る。
惚れた相手が、猫耳と猫尻尾を装備して目の前に鎮座している。
髪の間からピョコンと突き出す耳は、中が薄ピンク色の綺麗な三角形で。銀時の話す声に合わせるように時折ピコピコと動いている。隊服の裾のあたりからスラリと伸びた尻尾は真っ黒で艶々とした毛並みで。それはゆらゆらと優美な様子で左右に振られている。愛くるしいそれらを惜しげもなく晒しながら、本人はいつもの仏頂面で踏ん反りかえっているのだ。ギャップ萌えにもほどがある。あまりの衝撃に頭が追いつかない。
この世のものとは思えないほどの愛くるしさに内心悶えていると、今の今まで存在を忘れていた目の前の地味な男がおもむろに口を開いた。
「実は、先日の討ち入りの際に薬品を被りまして」
存外に神妙な表情で語り出した男に合わせるように、慌てて平静を装う。
「へぇ、それは大変だったね。えーと、田中くん?」
「山崎ですけど! 一文字もカブってねーよ!」
その山田くん?田崎くん?……ジミーの話によると、いつものように先陣切って潜伏場所に突っ込んだ土方に、大した戦闘力もない小物の浪士共が恐れをなしたらしく。それでもどうにか抵抗しようと、そこらに保管していた薬品類の瓶を闇雲に投げつけだして。それらのほとんどは避けられたのだが、逃げ遅れた一人の隊士を庇ったためにある薬品を頭から被ってしまったらしい。
それが、猫耳と猫尻尾が生える薬だったというわけだ。
「いや、意味分かんねーんだけど。何その薬、何を目的として作られたんだよ」
「そーいう目的です」
「そーいう目的か、だろうと思ったよコノヤロー」
しかし、土方が被ったのがその程度の薬で良かった。本当に、心底そう思う。隊士を庇った結果このような事態になるなんて、自らを顧みない彼らしいとは思う。だけど、その身を無闇に危険に晒すような真似はしてほしくない。
そんなこと、思える立場にいないことは分かっているけれど。
もどかしさにぎゅっと手の平を握りしめる。目の前でゆらゆらと尻尾を振っている想い人がうらめしい。まったく、人の気も知らないで、呑気なものである。
「で、いつまで続くの、その薬の効果」
苦い思いを噛みしめながら尋ねる。
「副長の場合はすぐに解毒剤を飲んだので多分五日ほどかと思います。普通なら、一ヶ月程度かと」
「そーいう目的の薬にしては長すぎじゃね?」
「はい、ですから元々は不良品として廃棄されるはずだった異星の薬なんですけど、それを浪士共が天人から格安で買い取りまして。欠陥を隠したまま高値で売り捌いていたようです。薬を買った連中も、薬自体が違法である以上どこにも訴えられず泣き寝入りするしかありませんし」
「……ふーん。まぁ、いい商売だわな」
「ええ、普段攘夷だ何だと言っている連中が呆気なく天人の薬を利用するくらいには」
「節操のねー野郎共だな」
「もともとただのゴロツキですから」
淡々と話すジミーの表情には、薄っすらと怒りの色が浮かんでいた。そりゃそうだろう。上司に投げつけられたのが、もっと危険な薬だった可能性だってある。その怒りは自分を護ろうとしない上司に対するものか。はたまた、護れなかった己に対するものか。どちらにせよ、怒りを宿すことのできる彼の立場を羨ましいと思った。
「で、何でウチにくんの」
だからこそ、部外者である自分を頼ってくるのが解せない。大切な副長様なのだ、自分達の屯所で箱入りの家猫にしておきたいはずだろう。耳をほじりつつできるだけ気の無いふうを装って尋ねると、目の前のジミーは困ったように眉を下げた。
「それが、この薬は耳と尻尾だけじゃなくて猫の特性みたいなのも顕れるみたいなんです。猫って成人男性の声とか動きが苦手らしくって。ほら、屯所はムサ苦しい男しかいないでしょ?どうにも落ち着かないみたいで」
「いや、苦手も何もそいつ自身が成人男性じゃん。つーか俺も成人男性なんですけど」
「それに面白がった沖田隊長が揶揄いまくるし、局長や隊士達も構い倒すしで、相当ストレスも溜まってるみたいでして」
「……まぁ、構いたくなるわな」
「副長は集中力が続かないし隊士達は仕事を放っぽって構いたがるしで、組全体が全然仕事にならんのです」
小さく苦笑するジミーの隣に座る土方を見遣る。彼は耳をピンと立てたまま、さり気なく辺りに目を走らせていた。本当に猫のような仕草だ。
「副長自身、かなり参ってるみたいなんです。どうか受けてくれませんか。報酬も弾みますから」
勢いよく頭を下げるジミーを見る。腕を組みうーん、と考え込むふりをしているけれど、本当はもう心は決まっていた。猫耳を見る前、彼らが訪ねて来たときから。土方の力になれるなら、何だってする。
「まぁ、報酬も期待できそうだし?お宅も困ってるみたいだし、引き受けてやってもいいけど?」
普段いがみ合っているだけに気恥ずかしくて、天パ頭を掻きながら勿体ぶったようにそう告げる。すると、ジミーはパッと顔を輝かせた。
「ありがとうございます!」
もう一度深々とお辞儀したジミーに、ひらひらと手を振って応える。百パーセントの善意ではないだけに、あまり感謝されると困ってしまう。
くれぐれもよろしく頼みます、と再度念を押すジミーを、分かった分かったと軽くあしらいながら追い返す。初めて保育園に子供を預ける母親を相手にしているようだと思い、実際似たようなものかと苦笑する。
ジミーを見送った後で居間に戻ると、土方はお行儀よくちょこんと座ったままだった。そう言えばジミーと話している最中も大人しくしていた。どうやら借りて来た猫の状態であるらしい。
「じゃ、そーいうことで。よろしくな土方くん」
向かいのソファーに座りつつ呼びかけると、「おう」という呟きとともにピコンと尻尾が振られた。やはり可愛い。銀時は両手で顔を覆い悶え転げそうになるのを必死で堪えた。
それからしばらくの間、落ち着かないのかキョロキョロとしていた土方は、やがて不意にすっくと立ち上がった。何事か、と面食らう銀時には目もくれず、おっかなびっくりといった様子で部屋の中を歩き回りだす。そして、これまでも何度か訪れたはずの居間をテレビの裏から机の下までしげしげと眺め尽くしている。その上、時折チョイチョイと猫パンチまで繰り出している。
「何してんの」
「いや、何か、やらなきゃならねェ気がして……」
不可解な行動をする彼に思わず尋ねると、困惑の滲んだ声が返された。これも猫の特性とやらなのだろうか。一通り見回って満足したらしい土方は、今度は台所の方へと歩いていく。何だかよく分からないが、そのまま放っておくことにした。別に見られて困るようなものもないし。
土方の検分が一通り終わった頃、外の階段を上ってくる甲高い音と騒がしい声が響いてきた。どうやら新八と神楽が買い物から帰ってきたらしい。玄関の戸が開かれると同時に「ただいまヨー」と大きな声が響く。
「あれ、誰かいらっしゃるんですか?」
三和土にあった黒い靴に気付いたのだろう。玄関から尋ねる新八の声に、バタバタと廊下を歩いてくる音が入り混じる。
「おう、ちょっとな」
答えながらチラリと土方を見遣ると、彼は耳をそばだてて目をまん丸にして廊下を見つめていた。猫らしい警戒の仕方に思わず頬が緩む。
「あれ、トシが来てたアル、カ……」
居間に入るなり土方の姿を見つけた神楽は、一瞬声を弾ませたが、それはすぐに困惑に上塗りされた。後に続いた新八も、手にしていた買い物袋をドサリと落とす。二人と共に出掛けていた定春までもが、茫然とした顔をしている。
まぁ、見知った成人男性が猫耳をつけて我が家に居座っているのだから、当然の反応かもしれない。土方の格好が格好だけに、何かいかがわしいことがバレたような気分だ。気まずさを感じながら、ガシガシと頭を掻きつつ説明する。
「あー……、天人の薬で猫耳と尻尾が生えた土方くんの里親になることになりました。トイレの躾もされてるし、ちゃんとお世話するから飼ってもいい?」
「何が里親だ!つーかトイレの躾って当たり前だろーがァァァ!」
おどけて言うと、ようやく本調子を取り戻したらしい土方が喚きだす。まぁ、しおらしくされているよりは変な誤解もされにくいだろう、多分。
すると、それまで黙りこくっていた新八と神楽が微かに言葉を発した。
「か……」
「か?」
何だろうか、『返してこい』?『勝手に決めるな』?
「可愛いアルゥゥゥゥ!!」
「可愛いですね!」
しかし叫ばれたのは、思いもよらない言葉だった。予想外の反応を示した彼らに、今度は銀時が困惑する番だった。その間に彼らは、きょとんとした土方に目掛けて突進していく。キラキラとした瞳で土方を取り囲んだ彼らは、興奮した様子で口々に叫んだ。
「本物ですよね、すごいなぁ!」
「キャサリンとは大違いアルナ!」
キャッキャとはしゃぎながら土方の耳や尻尾を触る彼らに、俺だってまだ触ってねーんだよチクショー!と胸の中で喚き散らす。子供達でさえこのはしゃぎっぷりなのだから、屯所での騒がれようが容易に目に浮かぶ。
「な、何だお前ら……!」
それに二人の反応が予想外だったのは土方も同じだったようだ。オロオロと眉を八の字にしたまま、急に纏わりついてきた二人を見下ろしている。
「うわぁ、耳の中ピンク色で可愛らしいですね!」
「尻尾もサラサラふわふわで、とっても毛並みが良いアル!ヒロインの私を差し置いて何カワイイもんつけてるアルカ、コノヤロー!」
「ばか、くすぐってェよ」
嬉々としてペタペタと触りまくる二人に対し、土方もおずおずといった風に応えていく。定春も物珍しそうに土方の黒髪から覗く猫耳の匂いを嗅いでいる。微笑ましい光景だ、たとえ自分だけその輪に入れてなかったとしても。
銀時はギリギリと奥歯を噛み締めながら、楽しげな集団を遠巻きに眺める。すると、土方の尻尾の振り方が少しずつ変わっていくのが分かった。最初はゆっくり左右に揺れていたのが、徐々に縦に振られるようになり、さらにはソファを叩くように大きくパシンパシンと。
これは、もしや。
「おーい、新八神楽ァ。猫方くん構うのはそのへんにして、昼飯作るの手伝えー」
呼び掛けると、二人は「はーい!」と素直に台所へと向かっていく。その背中を見送りつつ土方を窺うと、安堵したようにほっと息をついているところであった。
やはり心が乱されていたようだ。猫はイライラすると尻尾を縦に大きく振るようになる。土方自身は子供達に構われても何とも無いだろうが、猫の性質的にはストレスだったのかも知れない。
それに、猫は尻尾を触られることを基本的には好まない。尻尾から快感を得るなんてロマン溢れる出来事は、漫画の中だけの話なのだ。
二人を追いかけるように台所へ行き昼食の準備を済ませ、料理を持って居間に戻る。すると土方は、しきりに髪を手櫛で梳かしたり隊服の裾の辺りを撫で付けたりしているところだった。一瞬、何をしているのかと訝しく思ったが、すぐに思い当たる。きっとグルーミングだ。猫が心を落ち着かせるためにするもの。本物の猫なら体を舐めるのだが、土方には舐めて整えるような毛は生えていない。だから、身だしなみを整えることで代替えしているのだろう。本当に猫らしくなったものだ、と感心しつつ彼の分の皿を置いてやる。
「おら、昼飯だぜ。猫まんまじゃなくて炒飯だけど」
「うるせー」
キッと睨みつけられ、肩をすくめる。
四人で机を囲み昼食を開始すると、途端に折角の炒飯がマヨに埋め尽くされていく。猫にマヨネーズなんて大丈夫か、とも思ったが体自体は人間のままなので問題はないだろう。というか、問題だらけだけど通常運転なので仕方ない、というべきか。
「猫になっても犬のエサ食ってんのな」
「何が犬のエサだ、つーか俺は猫じゃねェ」
「いや猫じゃねェつっても……」
ブンブンと尻尾を振りながら言われても、まるで説得力がない。思わず噴き出すと、またキツく睨まれてしまった。
食事が終わり、皿洗いに取り掛かる。そう言えばさっきから土方の姿が見えない。スポンジを片手に流し台を見ると皿はちょうど四人分揃っていたので、自分の食器を運んできたことは分かる。その後どこに行ってしまったのだろうか。頭を捻っていると、洗面所から水を流す音が聞こえてきた。
数分後、土方が台所にひょっこりと顔を出した。
「何か手伝うか?」
ひょい、と手元を覗き込まれ、なぜかどぎまぎしてしまう。俯き加減になったことで丸い後頭部がやけに強調されている。下を向いた猫耳がいじらしくて可愛い。
「いや、大丈夫。それより洗面所で何してたの?」
「なんか、無性に顔を洗いたくなって」
「……ふーん」
それも、綺麗好きな猫の習性によるものだろう。大抵の猫は、食事の後に顔を洗うものだ。心なしかこざっぱりした彼は、何だか満足げに見えた。それからしばらくジッと手元を覗き込んでいた土方は、やがて飽きたのか居間の方へと姿を消した。
洗い物を片付けて居間に戻ると、テレビを見ている子供達の傍らで土方はうつらうつらと舟を漕いでいた。上着を脱いだベスト姿が新鮮だ。それに堂々とうたた寝をするなんて、こんなにも無防備な姿はなかなかお目にかかれない。尻尾の動きも穏やかで、相当気が緩んでいるようだ。あどけない寝顔を食い入るように見つめながら、起こさないようにそっと隣に座る。けれど流石は真選組副長、気配に気付いたのかスッと目を覚ましてしまった。
「おい、寝るなら向こうの部屋に布団敷いてこようか?」
呼びかけると、瞳をとろんとさせた彼がコクリと頷いた。子供のような仕草に思わず口元がニヤけてしまう。それを隠すために慌てて隣の部屋へと飛び込んだ。それからいそいそと押入れの中から来客用の布団を取り出す。少しだけ押入れの独特の匂いが移っているが、まぁ許容範囲だろう。
「ほら、布団敷けたぞ」
声をかけると、土方は覚束ない足取りでふらふらとやって来た。それから敷いたばかりの布団に座り込むと、両手でフニフニと布団を揉みだす。しばらくモミモミし続けていたが、ようやくちょうど良い具合になったのか、ころりと横になった。
一連の仕草を見つめていたがあまりの可愛さに辛抱堪らず、布団の傍にしゃがみ込む。顎の下あたりを柔らかく掻いてやると、土方は目を閉じてコロコロと喉を鳴らしだした。ウッと声にならない声を上げる。何これ、すっげェカワイイ。
自分の手によって、あの土方が気持ち良さそうに目を細めている。感動にも似た心持ちで撫で続けていると、背後から神楽の揶揄うような声が飛んできた。
「やっぱり銀ちゃんもトシに触りたかったアルナ」
「……うるせーよ」
気まずいやら恥ずかしいやらで、子供達の方を振り返ることができない。もっとも、振り返らずともニヤニヤと意地悪げな顔をしているだろうことは分かるけれど。
「あ、そろそろ仕事の時間ですよ銀さん」
「おーう」
新八の呼びかけに気怠い声を返す。そうだ、今日は昼から屋根の修理と犬の散歩の依頼が入っていた。まったくこんな日に限って仕事とは。ずっと土方の寝顔を眺めていたかったのに、妙なタイミングの悪さが嫌になる。
「つーワケで俺達は仕事に行ってくるけど、大人しく留守番してろよ」
コテンと横たわる土方の頭を撫でながら告げる。
「おぅ。つーかひとをなんだとおもってやがる」
呂律の回らない口調で文句を言っているが、こちらを睨みつける瞳もとろけてしまっているので微塵も迫力は感じられない。むしろ可愛さが増すばかりだ。
「猫だろ。壁とかソファーで爪研ぐなよ」
「だれがそんなことするか!」
尻尾を膨らまして怒る土方に、また頬が緩んでしまった。
マッハで依頼をこなし、逸る気持ちを抑えながら帰り道を急ぐ。後ろで子供達が「今日の銀ちゃんはヤル気に満ち溢れてたネ。久しぶりに目がキラめいてたアル」「ほんと、いつもこうならいいのに」とか何とか言っているのに聞こえないフリをしつつ、足早に階段を上る。
「ただいま、いい子にしてたかァ?」
玄関の戸を開け放しながら大声で呼びかける。お出迎えとかしてくれるかな、と少しだけ期待していたものの、土方の姿は見えない。まだ寝ているのだろうか。
忍び足で奥の部屋へと近づき、そろりと襖を開ける。すると、土方は銀時の布団に横たわったままであった。しかし目はパッチリと開いており、じっとこちらを見つめている。切れ長の美しい藍色と目が合った瞬間、何だか見てはいけないものを見ているようで、どきりと心臓が跳ねる。しどけなく投げ出された四肢にも、胸の鼓動は速まるばかりだ。すると、こちらの焦りなんか素知らぬ風に、土方はゆらゆらと穏やかに尻尾を揺らしだした。
ゴクリ、と喉が鳴った。尻尾の動きに誘われるように、ふらふらと彼に近づいていき布団の傍にしゃがむ。
すると、彼はころん、と仰向けになった。そのまま体をくねらしながら左右にコロコロと寝返りをうっている。腹を晒した、あまりにも無防備で淫靡な格好。
衝撃で、一瞬息が止まる。
これは絶対、触ってくれというお誘いのポーズだ。そうに違いない。神様ありがとう!と胸の内で快哉を叫ぶ。
荒くなった鼻息を隠しもせず、恐るおそる腹のあたりに手を伸ばす。頭の中で、心臓の拍動する音が大きく響く。
ちょん、とベスト越しに彼に触れる。
と、途端にガシッとその手を掴まれる。驚いているうちに腕ごと抱え込まれ、むき出しの二の腕に思い切りガブリと噛み付かれた。
「ちょっ、土方くん?!」
上擦った声を上げるも完全に無視され、その上あろうことか足まで使って蹴り上げられる。腕を両手でホールドして歯を立てたまま蹴るので、本気で痛い。これは間違いなく肉を噛み切るときの動きだ。
「イタイイタイ!土方、おい、ちょっとタンマ!」
ぎゅっと掴まれた腕を振りながら必死で声を上げる。闇雲にブンブンと腕を振り回していると、何とか彼の攻撃を回避できた。やっと解放された腕にはくっきりと歯型がついていた。赤くなった腕をさすりつつ、いきり立って抗議する。
「何なの、何で噛み付いたの?!明らかに触ってヨシのポーズだったろ!」
「うるせぇ、誰も触れなんて言ってねェ」
「嘘だろオイ! あんな、腹見せながらゴロゴロされたら誰だって触りにいくわ!」
「知らねェよ」
涼しい顔をした土方は飄々と答える。俺のせいじゃありません、とでも言いたげな態度だ。遣り切れない思いを抱えつつ、ツンとそっぽを向いてしまった彼に恨めしげな視線を送る。さっきの思わせぶりな仕草から一転、こんな仕打ちを受けるとは。本当に、こちらの純情を弄ぶマネは控えてほしい。じゃないと、心臓がもたない。
「銀ちゃんどーしたアルカ、引っ掻かれでもしたアルカ?」
ひょいとこちらの部屋を覗き込んだ神楽が無邪気に尋ねる。
「んー、そんなとこ。チクショー、本気でやりやがって……」
いまだに鋭く痛む腕をさすりながらしかめっ面を作ってみせると、神楽は「銀ちゃんはしつこすぎるのヨ」と言ってケタケタと笑った。
夕食後、土方に風呂を勧めるも渋い顔をされてしまった。そう言えば、大体の猫は風呂を嫌うものだと聞いたことがあるような気がする。
さっきの仕打ちの意趣返し、とばかりに揶揄ってみる。
「何、一緒に入りたいの?」
にやりと笑うと、心底馬鹿にしたような表情が返された。
「馬鹿か、狭いだろーが」
「いや、突っ込むとこソコ?」
その後、何とか風呂に入った土方は、その後銀時が風呂から出たときには既に来客用の布団の上で丸くなっていた。神楽の姿も見えないから、もう押入れの中で眠りについているのだろう。
今から、土方の隣で眠るのだ。改めて考えると妙に意識してしまう。微かに漂ってくるシャンプーの香りにも、胸の鼓動は速まるばかりだ。
平静を保とうとするものの、土方が身に着けているのは銀時の青い甚平で。尻尾が振れないのは嫌だ、といつもの着流しを躊躇う彼に貸してやったのだ。わざわざ隊服を着て万事屋を訪れたのもきっと同様の理由だろうと今更思い当たる。
想い人が、自分の服に身を包んでいる。それだけで落ち着かない気分になるのに、青い甚平の裾からチラリと覗く肌色。丸まった体に沿わせるように巻きつけられた、黒くしなやかな尻尾。ますます鼓動は速くなる。やたらと枕の位置を直したり布団を撫で付けたり、どぎまぎと挙動不審な行動を繰り返してしまう。そんな銀時とは裏腹に、土方はのんびりと小さく尻尾を揺らしている。
触れたい。胸の中に、強く込み上げてくる衝動を感じる。しかし、いきなり触れてしまえば夕方の二の舞になること必至だ。それに、触れたいなんてことを伝えてしまったなら、この秘めた想いにも気付かれてしまうかも知れない。
「なぁ、耳触っていい?」
悩んだ末に、耳なら良いだろうという結論に至った。物珍しいから、という理由が通用するので想いがバレる心配もなく、それに許可を得た上であれば人の好い土方は拒否しないだろうと踏んだのだ。
「ん?……あぁ、別にいいけど」
チラリと顔を上げて銀時を見遣った土方は、それから少しだけ俯いた。耳を触りやすいように頭を差し出しているのだろう。素直な反応が愛しくて、どうしたって頬が緩んでしまう。
ふに、と土方の猫耳に触れる。それから手触りを確かめるように、指先で耳の裏側をそっと撫でる。猫の耳なんて、毛が生えているとは言えモフモフとは程遠いのに。薄っぺらでなんの面白みも無いはずなのに。それなのに、なぜこんなにも可愛らしいのか。
さわさわと無心で触り続けていると、不意に土方が顔を上げた。いつまで触ってんだ、とでも言いたげな、不審感の浮かぶ表情。思わず焦り、咄嗟に誤魔化そうと猫耳を前に折り曲げる。
「スコティッシュフォールド!」
「やめろ」
強烈な猫パンチが繰り出された。