銀魂BL小説


祭り囃子に耳を傾けながら、斉藤は眼下の喧騒を見下ろしていた。
あちこちに吊るされた、ぼんやりと光る赤い提灯。道の端に所狭しと連なる露店の数々。店先に並べられたよく分からないカラフルなキャラクターのお面や飴細工、香ばしい匂いの漂う焼きそば。それらを冷やかしながらはしゃいだ声を上げている、色とりどりの浴衣を纏った人々。思い思いの戦利品を抱え、大人たちの足元を走り回る子どもたち。
太鼓の音、踊りの音楽、楽しそうな笑い声。
賑やかなそれらを見下ろしながら、斉藤はマスクの下でそっと口許を緩ませた。浮ついた祭り特有の雰囲気は、見ているだけで心が弾むものだ。
そんな賑やかなさとは打って変わり、斉藤のいる神社はひどく静かだ。木が鬱蒼と茂っている林のような場所にぽつんと佇む小さな神社。瓦も剥がれかけ木戸も朽ちた、寂れたその神社があるのは石階段を上ったところだ。灯りといえば月明かりのみ、音だって気の早い虫の微かな鳴き声くらいしか聞こえない。せっかくの祭りの最中、そんな寂しい場所へとわざわざやって来る者もいない。人気もなく、少し高台にあることで祭りの会場全体を見渡せるこの場所は、祭りの浮つきに乗じて悪さを企む不届き者を見張るのに最適なのである。
こめかみから流れ落ちた汗が口許のマスクへと染み込む。夜になったとは言え、真昼の熱の名残を引きずった空気はまだまだ蒸し暑い。他の隊士よりかっちりと着込んだ隊服も、もこもこと膨らんだ密な髪も、じっとりとした暑さを増長させている。橙の、あちこちに跳ね回る髪を掻き上げてみたものの、不快指数は変わらなかった。
仕事中である以上は隊服を着崩すつもりはなかったが、この暑さは想定外だ。三番隊の任務柄、巡回にも警備にもあまり駆り出されることがないから、隊服のまま長時間外にいることに慣れていない。腕を捲るか、ジャケットの前を開けるか。いやいや、やはり隊服を着崩すべきではないのではないか。ぐるぐると逡巡した末、妥協案としてマスクを外すことにした。草木の匂いが濃く漂う空気を深く吸い込む。
しかし、なぜ自分が警備なんて任されているのか。
もう何度目かになるその問いを、斉藤は胸の中でぐるぐると考え続けていた。
眼下に広がる祭りの風景。この騒がしく楽しげな空気を護ることが、斉藤たち真選組の任務であった。つまり警備である。
ただ、斉藤は今までこういったイベントの警備の任務は任されたことがなかった。それもそのはずだ。喋ることが苦手なので、怪しい動きをしている者に声をかけることも、迷い子に事情を尋ねることもできない。そんなことをしようとすると、逆にこっちが取り調べを受ける羽目になること請け合いだ。
だから、今回の祭りの警備を請け負うメンバーとして副長から召集されたときは、本当に驚いたものだ。本当に自分なんかが任されて大丈夫なのか。そう副長に(スケッチブックで)問い詰めると、今回の祭りは小規模で幕臣なども来ないため警備の人数も多くはないが、だからこそ手練れの隊士を集めておきたい、けれど一番隊は先週他の祭りの警備に駆り出したので休ませておきたい、よってお前が必要なのだと返された。その返事を聞いて、自分の腕が認められていることにひどく嬉しくなったのだが、それでも不安は拭えなかった。元来考えすぎる質であるのだ。すると副長は、「まぁお前にできる仕事をしてもらうから、そんな難しく考えなくていい」と言って笑った。そこでやっと、斉藤は少し安心することができたのだった。
実際、副長の言っていた通り任された仕事は斉藤でもできるものであった。祭り会場の全体が一望できる場所から人々の動きを見張り、何か怪しい者がいれば現場にいる隊士たちにメールで連絡する。何も喋る必要はないし、斉藤の苦手とする他者とのコミュニケーションも最低限で済まされている。
でも。だからこそ。
なぜ自分がこの仕事を任されたのだろうという思いが尽きないのだ。誰にだって出来る仕事のはずだ。別に自分じゃなくてもいいのではないか。だって今まで警備なんてしたことがないのだから。
勿論、仕事を任されたことは素直に嬉しい。副長に頼りにされることは何よりの喜びだ。けれど、やはりなぜ自分なのだろうという疑問は湧いてくる。
そうしてまた、なぜ自分はここにいるのかと自問するのであった。
そのとき、背後にある石階段を上ってくる音が聞こえてきた。下駄や草履の音ではなく、こつこつと鳴る靴の音。この足音はきっと副長だろう。花火大会が始まる頃、副長もこの神社へやって来るのだと聞かされていた。つまり、もうそろそろ花火が打ち上げられるのだろう。
「終、ご苦労だな」
凛とした、斉藤の好きなよく通る声が背中に
掛けられる。振り向いて、ケータイに文字を打ち込む。いつものスケッチブックだと、この暗さでは見えづらい。
『副長こそ、お疲れ様ですZ』
メモ帳の画面を見せると、副長は小さく笑いながら「おう」と応えた。
「マスク、外してんのか。珍しいな」
『すみません、暑かったので』
「いや、謝ることじゃねェよ。確かに、夜だってのに随分暑いもんな」
ふっと微笑んだ副長に、どきりと胸の鼓動が弾んだ。鬼だなんだと呼ばれてはいるが、こうして偶に見せる笑顔はとても柔らかいのだ。
「そうだ、コレさっき巡回中に屋台で貰ったんだ。飲むか?」
そう言って渡されたのは、よく冷えたラムネだった。たくさん汗をかいている水色の瓶を受け取る。
『ありがとうございますZ。いただきますZ』
「おう」
蓋を開けると、プシュ、と小気味よい音とともに真っ白な泡が溢れだしてくる。止めどない泡にあたふたしつつも口をつけると、瓶の中で透明なビー玉がカランと涼やかな音を立てた。ゴクリゴクリと喉を鳴らしながら飲む。炭酸が口の中で弾けて、その爽やかな味に暑さなんて吹っ飛んでしまいそうだ。
そっと隣の副長を見遣ると、静かに眼前の祭りの様子を見ていた。副長も、総悟くんや局長がいなければ存外に静かな人だ。二人の間には、遠くから聞こえる音だけが響いている。
リンリンと涼しげに鳴く、気の早い虫の声。調子の良い祭り囃子。キャハハと笑う子どもたちの甲高い歓声。道行く人を誘う屋台の呼び込み。カランカランと響く下駄の音。はしゃいだ人たちのざわめき。すべてが、なんだか今までよりも一層小さく聴こえる。
思わず、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「ここは、音が遠く聞こえるな」
不意に副長が呟く。心を読まれたようで、慌てて隣を見る。すると真っ直ぐに前を見ていたはずの副長と視線が絡んだ。心臓が跳ねる。
「お前が静かだからかな、ぜんぶの音が静かになる」
そう言った副長は、はにかむように顔を綻ばせた。
「すげぇ、落ち着く」
心臓を掴まれたように、ぎゅっと胸が切なくなる。
私もです。
私も、あなたといると、ドキドキもするけどでもとても心が安らぐのです。
ああ、そう言うことができたなら。
組の運営や管理を一手に引き受けている副長は、何かと忙しく休む暇も無い。そんな彼が、少しでも安らげる場所になれるなら。いつも張り詰めているあなたが、少しでも気を緩めることができるなら。私は、それがとても嬉しいのです。
それを、伝えることができたなら。
ぐ、ときつく手の平を握り締める。
と、その時、花火の打ち上げられた音が聞こえた。続いて暗い夜空にパッと光が咲く。花火を見上げている人々が、一際大きな歓声を上げる。次々に打ち上げられる美しい花に斉藤も思わずほぅ、と息を漏らした。
「久しぶりに見たろ、花火」
副長の言葉にこくりと頷く。
「お前、なかなかこういった警備に連れて来られないから」
また、こくりと頷く。斉藤は三番隊隊長だ。他の隊とは与えられた任務が違うことも、その任務が何なのかもよく分かっている。だから、今ここで、副長の隣で花火を見ていることが不思議でならないのだ。
「花火を」
ふい、と顔を逸らした副長が小さく零す。
「お前と見たくなったから、警備に組み込んだって言ったら」
静かな声が鼓膜を満たす。すい、と流し目を寄越される。藍色の瞳が真っ直ぐにこちらを射抜く。
「お前、どうする?」
どっ、と胸の奥まで震わすような大きな音で花が開く。つられるように、鼓動も大きくなる。心臓が、破裂するかと思った。
副長の白い肌に、花火の光がうつっている。頬が。少し赤く染まってみえるのは、花火のせいか、それとも。
もえるように顔があつい。花火の熱が移ったかのようだ。グラグラして、ドキドキして、身体の中をめぐる血が沸騰しているみたいで。声はもたないけれど、身体中を満たすこの激しい想いを、熱を、すべて伝えたい。
斉藤は、ぐいと副長の腕を引いた。驚いたように目を丸くした美しい顔を両手でそっと包み込み、唇を寄せる。
花火の音も、今は聞こえない。静かだった二人の間には、うるさいほどの鼓動の音だけが大きく響いていた。
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