空色の冒険

ようやく授業終了。
「リーズってさ、ピアニストのカリナ・ファーリンに似てるよねー?」
「…あの人のことは、僕には関係ないよ」
「てことは、リーズホントにあの人の息子なんだ?
ね、お金払うから、サインもらってきてよ!」
困り顔のリーズにビオレッタと取り巻きが、やいやい言ってるのを横目に、教科書をカバンに放り込む。
母親のことを他人にどうこう言われたくない気持ち、理解できるだけに、ビオレッタをたしなめてやりたい気分になったけど…
でも、マリアベルとの約束の時間もあるしな。
帆布のカバンを背負って校門まで出て、俺はちょっと首をひねった。
…何か忘れてきた気がする。
しばらく悩んだが、思い出さないって事は、そんな大したことじゃないんだろう。
俺は足取り軽く、お菓子屋さんへと向かった。
前にした約束通り、マリアベルにアップルパイを持っていこうと思ったのだ。
コインを数え、ほかほかのパイを受け取ろうとした俺の袖を、誰かが引っ張った。
ギャッ。もしかして、先生?
こわごわ振り向くと、そこにはリーズが腰に手を当てて立っていた。
「買い食いはいけないよ」
「なんだ、リーズか。
…見逃してくれないかな?」
わざとらしく手を合わせてウィンクする俺を、リーズは厳しい目で見かえす。
「駄目だよ。規則じゃないか」
…クソッ。なんだよイイ子ちゃんぶりやがって。
俺はつかまれていた袖を振り払った。
「いちいち文句つけてくんなよ。
こないだからさ、いろいろうっとうしいんだよ」
「僕はただ…にきただけだよ」
彼は怯みながらも、小さな声で反論してくる。
「聞こえねーよ、もっとしゃんとしろっての」
それだけ言って、俺は手を伸ばし、あっけに取られていたおばさんからパイを引ったくる。
リーズが慌てて、駆け出す俺の名を呼んでいたが、それもすぐに聞こえなくなった。
屋上に降り注ぐ日差しは、ガラスのように澄んでいた。
こまどりの卵と同じ色をした真っ青な空が、俺たちの真上にそびえ立っている。
ひなたぼっこを楽しむ俺を横目に、
「冬じゃったら今ごろ、日は沈んどるのじゃが」
まだまだ高いお日さまをサングラス越しに見上げ、着ぐるみ姿(日光遮断のためだそうだ)の、マリアベルはこぼした。
「うん、そうだよな」
俺は左手にクラフトを持ち、右手の指先で風を計りながら適当に答える。
「おぬしの言葉は、実がないのう…」
答えず、エアクラフトを空にかざす。
ドキドキする鼓動が、頭の中に響く。
後ろでマリアベルが、息をつめる気配がした。
頬に、かすかな東風が当たった。
続いて、突風が来る気配を感じ、
「よし!」
俺は、かけ声とともに手を放した…!!
……クラフトは風を切り裂き、凄いスピードで、ノーブルレッド城の中庭へと墜ちていった。
墜ちたクラフトを探しているうちに、秋の日は落ちた。
アカとアオに渡されたランプを手にさ迷っていると、着ぐるみを脱いだマリアベルが俺の名を呼ぶ。
「ジャック…」
俺たちは無言で、モザイク模様の描かれた優美な噴水の底に沈んだ、壊れたクラフトを見下ろした。
「何が間違ってたんだろう…」
噴水に入ってクラフトを拾い上げ、一人ごちる。
「それは後で調べるとして…
ジャック、早く出てこなければ、風邪をひくぞ」
マリアベルは珍しく、優しい声で言った。
…後で考えると、その優しさが引き金だったんだろう、と思う。
でもその時、俺はいきなりあふれてきた涙に呆然とするだけだった。
「ジャック?」
噴水の中で立ちつくす俺に、マリアベルは不思議そうな声をかけてきた。
「!?」
そして、俺の顔を見て小さく息を呑む。
……ありがたいことに、彼女は何も言わなかった。
俺はそのまま、噴水の縁に腰掛けて、なかなか止まらない涙を、袖口で何度も拭いた。
「ジャック…使え」
隣に座った彼女は、ハンカチをそっと渡してくれた。
「あのさ…俺の話、聞いてくれるか?」
彼女は小さく、うなずいた。
「俺が、エアクラフトにこだわるのは…
もうずっと前、首都に出稼ぎにいった母さんが、
お土産に模型飛行機を買ってくれたからなんだ」
マリアベルの表情は、逆行で見えない。
「だから、俺は…いつもクラフトで遊んでた。
改造はじめたのも、コイツが遠くに飛ぶことで…
自分も母さんのところにまで、
飛んでいける気がするからなんだ…
なのに俺、いつも失敗ばっかで、自分の無力が、
くやしくてなさけなくて、どうしようもないよッ!!」
「…なあ、ジャック……そうかもしれんが…」
だが、彼女の言葉はそこで途切れた。
「誰じゃ!」
彼女の鋭い声に、物音の主は小さな悲鳴を上げた。
しばらく、周囲は完全な無音となる。
マリアベルは俺の前に立ちふさがり、叫ぶ。
「観念して出てくるがよい!」
その言葉に、植え込みの後ろから出てきたのは、
…リーズ・ファーリンだった。
「ゴメン…宿題忘れてたから、届けようと…」
「……!!」
一気に体中の血液が顔に集まる。
よりによって、こいつに全部聞かれてたなんてッ…!
「お前…盗み聞きしてたのかよ…」
耳たぶが滅茶苦茶熱い。
「そんなつもりじゃ、なかったんだ…」
頭の中で脈打つ鼓動が、奴の言葉の邪魔をする。
信じてほしい、と繰り返すリーズを押しのけ、転送装置へと走った。
からだの重みがすべてなくなる感覚が訪れて…
一瞬後、世界は真っ白になった。
あれから1週間。
折々に謝りたげな視線を投げてくるリーズを、俺は徹底的に無視した。
あの後マリアベルと知り合いになったようなのも、はっきり言って気に食わない。
…オトナになれよ俺、とも思うが、しかし俺は実際子供だ。
今日はクラフト作りじゃなく、ばあちゃんのラジオのノイズを、直してもらう約束だ。
手早くカバンに教科書を放り込んでいると、前の方からビオレッタがやってくるのが見えた。
おい、そんなに急ぐと…
「ねぇジャック、
今日リーズが家来てバイオリン弾いてくれるんだけど、
よければ…ああっ!」
やっぱりというかなんというか、彼女は机の脇に置いといた、俺のカバン(しかも中身はラジオとエアクラフト)に、けつまづき、派手に転んだ。
「ビオレッタ…」
「な、何よジャック、そんなコワイ目して。
弁償すればいいんでしょ!どうせ安物でしょッ!」
な、なんて女だ! プチンと何かが切れた。
「金の問題じゃねーだろ!
俺が苦労して作った、
スゲー大事にしてるヤツだって知ってる癖に!」
「ねぇ、そんなにムキになるほどのことなの?
どう見てもしょぼい、ガラクタじゃない!」
「そういう問題じゃないぜ、このっ…この…」
成金ッ!…と言いそうになった口を押さえ、俺は震える手でカバンの中を確かめた。
思った通り、クラフトは見事に粉砕されている。
だけど、ダリアばあちゃんのラジオは傷一つなく、鈍いマホガニーの光沢を放っていた。
悔しいようなほっとしたような気持ちで、俺は無言で立ち上がった。
今日マリアベルが案内してくれたのは、地下の広い研究室だった。
「こりゃまたすごいね」
いろんな種類のモンスターが、壁際に並ぶ巨大な水槽に浮かべられてる。
全くもって壮観だ。
「フフン。
こやつは水の中でしか生きられない身体をしておる。
エラが見えるじゃろ?
そこの赤い獣は外見に似合わず、
ステキな音楽を聴かせると大人しくなる風流な奴じゃ」
「へえー、面白いもんだね」
うむ、と返事をしたマリアベルは、金属の作業台の前で足を止めた。
「しまった。
わらわとしたことが、助手を呼ぶのを忘れておった。
アカとアオを連れてくるで、
おぬしはここでおとなしく待っておれ。
装置には触るでないぞ」
楽しそうにウンチク垂れてるなぁとは思ったけど、まさか助手のいない事に気づかない程とは…
「はいはい、分かりましたー」
心配げな視線を投げながらも、マリアベルは階段を上っていった。
…それにしても、すごい光景だよな。
俺はもう一度上を向いて無数の水槽を眺めた。
青さを増した、水越しの月光が辺りを照らしてくるのが、一層幻想的というか神秘的って言うか。
俺はため息をついて、後ろの壁にもたれかかった。
と、小さなアラームと共に、大量のスイッチが並んだプレートがせり上がってきた。
なんだろ? お尻で変なスイッチ押しちゃったかな。
何にせよ、マリアベルが帰ってくる前に、引っ込めといたほうがいいよな…
俺はそれに近寄り、両手で床に押し込もうとした。
その途端…
突如鳴り響いたベルに、俺は文字どおり飛び上がった。
「な、なんじゃッ、何事じゃ!!」
道具箱を持ったマリアベルが、ラボラトリに駆け込んでくる。
室内の様子を察した彼女は、一瞬にして顔色を変えた。
「ジャックッ!!
おぬし、なんでモンスターを解放したんじゃァッ!!」
「なんだって? 俺は、ただこれを床に戻そうと…」
「赤い獣が、槽から出されておる……ッ!!」
「ええ?」
「マズイ、マズイぞ…
転送装置を使われたら…町が襲われるッ!!!」
「な…なんだって!!!!」
血の気がざあっと顔から引いていく音がした。
「マリアベル…なんとかならねえのか?」
「…ジャック、わらわはアカとアオと共に、
奴を槽に戻す機械を起動する。
その後追いかけるから、おぬしは奴を、
転送装置に近づけるなッ!!」
「わ、分かったッ!」
俺は叫んで、階段を一段飛ばしで駆け上がった!
中庭に続く足跡は、真っ直ぐ転送装置へ向かっていた。
鈍重そうな見かけによらず、頭の切れる怪物のようだ。
「くそっ!!」
俺は吐き捨て、足跡を追って転送装置に向かう。
嫌な予感が、ふつふつと胸に湧いてくる。
町外れに実体化し、全速力で獣を追った俺が見たものは……
月に照らされた並木道にいるリーズとビオレッタと、獣だった。
ヤツは脅えるふたりに向け、嬉しそうに大きな口を開ける。
絶望に痺れかけた俺の頭に、さっきのマリアベルの言葉が電撃みたいに走った。
『こやつは美しい音楽によって、静まるのじゃ』
「……リーズ、バイオリンを弾け!」
「ジャック!! アンタなんでここにいるの!!」
「ビオレッタ、説明は後だッ! 頼むリーズ!!」
リーズは白い顔をますます白くしながら、肯いた。
頼む、リーズ……!
俺は爪が刺さるほど手を握り締め、祈った。
リーズは流れるような動きで弓をかまえる。
一瞬の後、バイオリンが歌いはじめた。
綺麗な旋律に、時が止まったような感覚を覚えた。
モンスターは甘えるような鳴き声をもらし、リーズの足元にうずくまる。
同時に、蛍のような小さな光が獣を覆い尽くす。
ゆっくりと、赤い獣の輪郭が薄れていく。
振り向いた俺は、木立の中にマリアベルの金髪を認め、親指を立てた。
同じく親指を立てた彼女は、一瞬後に姿を消した。
最後の小節が終わった。
俺はゆっくり、彼のほうに歩み寄る。
バイオリンを革のケースにしまおうとしていた彼は、緑の瞳を見開いて、顔を上げた。
…照れくさいけど、言わなきゃいけないことがあるよな。
俺は覚悟を決めて、頭を下げた。
「ありがとう、リーズ。
俺、お前のこと誤解してた。
度胸のなさそうな男だって。
ゴメン、ほんとに」
一息に言って、顔を上げる。
ドキドキしながら彼の表情を見る。
リーズは…リーズは、笑っていた。
「いいよ、僕も悪かったし。
泣き虫のくせに、いじっぱりな人と思ったしさ」
「忘れてくれ、あれは…」
俺は思いっきり赤面して、頭をかいた。
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