空色の冒険
人生とは不思議なもんじゃ、っての、ばあちゃんの口癖だけど、ホントにその通りだ、と思う。
例えノーブルレッドが伝説通り、血を啜る恐ろしい一族だとしても、城の図書室やマリアベルの存在は魅力的過ぎる。
しかも、それは全部俺だけが知ってる
【ヒミツ】だってことも、かなーり心がおどることだ。
『初歩の航空力学』に目を落としながら、俺は小さな声でくっくっく、と笑った。
「講談の本でも読んでおるのか?」
「……えっ、いや、その」
一人笑いしてるときに面を見られるのって、けっこう恥ずかしいよな。
「いや、何でもないぜ」
すまして答える俺がおかしかったのだろうか、彼女はふふふ、と喉を鳴らして笑った。
「ジャック、都合がよければ菓子でも食わぬか。
今の人間がどんな生活をしているのか聞いてみたい」
「それはお互い様だぜ。
俺も、ノーブルレッドの生活って興味あるもん」
「決まりじゃな。
ではアカとアオに用意させよう」
マリアベルは片目をつぶり、ぱちんと一つ指を鳴らした。
「こいつらが、アカとアオ?」
「そうじゃ。カワイイじゃろ?」
「あ、ああ……」
女の『カワイイ』ってセンスは、よくわかんねえな。
器用に盆をくわえて持ってくる、赤色と青色に塗られた二体の丸いロボットを見て、俺はひそかにため息を吐いた。
お盆から、小さなマーブル模様の菓子ののったお皿と、薄い陶器のカップを取ると、彼ら(?)は熱い紅茶を注いでくれる。
「あんがと」
礼を言うと、デッカイ目が、どういたしましてと言うように瞬きした。
確かにちょっと、カワイイかもしれない。
マリアベルも俺と同じく、青い花の描かれた皿を取り、優雅な手つきでお菓子を口に運ぶ。
あれ?
「マリアベル、あんたノーブルレッドなのに、そういう普通のモン食えるのか?」
「もちろんじゃ。
甘いもの好きは、婦女子のたしなみじゃからのう」
「…そういうもんなのか?」
「うむ」
「じゃあ今度、クラスの女に聞いてみる」
「それがよい」
俺たちは熱い紅茶をふうふう吹きながら、どことなく間抜けな会話を交わす。
ほのかなハーブの香りを残し、口の中でさあっと溶けるお菓子をあわてて噛み砕く俺に、
「どうじゃ? わらわたちのお菓子は?」
マリアベルはニコニコ笑いながら聞いてくる。
「正直に、言っていいか?」
「もちろん」
「……はっきり言って、食いでがないぜ。
全然甘くないしさあ。
もっと、砂糖がじゃりっていうのが好きなんだけど」
俺の答えに、マリアベルはやっぱり眉を逆立てた。
「食いで!? 甘くない!?
当たり前じゃ、そのような下賎な感覚、わらわたちは持ち合わせておらぬ!!」
「正直に言っていいって言ったのに……
それに、まずいとは言ってないだろ。
うまいんだよ、でも一口で食えちゃうんだもん。
なんかそれだと、もったいない気がするだろ?」
「…わらわにはその感覚、全く!分からんわ」
「じゃあ、今度下賎なお菓子、持ってくるよ。
マジでウマいんだって」
俺は近所のおばちゃんの作る、ザラメ糖がけオールドファッションアップルパイの奥歯に染みる味を思い出し、夢見る瞳で語った。
「…はいはい。
おぬしがそこまで言うならば、食ってやるほどにな」
苦笑したマリアベルは、壁にかかっているからくり時計に目を留め、それから俺へと振り向いた。
「そろそろ帰った方がいい時間ではないか?
ふたおやが心配するじゃろう」
「んー、いいんだよ。
俺、ばあちゃんとふたり暮らしだからさ。
ばあちゃん、男の子はわんぱくな方がいい、っていっつも言ってるし」
なるべく元気に言ってみたのだが、マリアベルは赤い瞳を曇らせた。
「そうじゃったか。
すまんの、妙なことを聞いて」
「気にしないでくれよ」
怒ったような口調になってしまったかもしれない。
でも、同情されるのは嫌なんだ。
…ホントはこんな事思うのも、だだっ子みたいでカッコ悪いって分かってるんだけど。
でも、まだまだ許されるよな?
と甘えてみたいお年頃なのであった。
「でも、そろそろ時間かもしんないな……
夕食、抜きっていわれるかも」
「そうか。
ならば、送って行ってやるほどに」
「いいよ、一人で帰れるって」
お尻に当たるふわふわクッションのばねを利用して、俺は席を立った。
「また、来るがいい」
お茶のセットを片付けるマリアベルに手を振って答え、俺は外に飛び出した。
北風が頬を突き刺す。
思わず襟を合わせて空を見上げると、こないだよりも痩せた月が山の端にかかっていた。
「くっそー、おばあちゃんめ…」
我ながら死にそうな声だぜ。
昨日も夜更けに起き出して、ノーブルレッド城に出かけたんだけど…
帰ってきたらしっかりばれてて、真っ赤になるほどお尻をぶたれてしまったのだ。
ばあちゃんの早寝は有り難いんだけど、その分、朝が早いのを、俺はすっかり忘れてた。
おおマヌケだよな。
「うええ~」
机に伏せる俺の前で、青いサテンのリボンが揺れた。
「おはよう~っ」
明るい声に、心の中で舌打ちをして目を上げる。
そこにはやっぱり、俺のたった一人の同級生、ビオレッタ・ブブカがいた。
こいつは外見『は』、さらさらした金髪の、レイヤーボブ(だったかな、間違うと怒るんだ)に、青い目がバッチリ調和してるカワイイ娘だ。
去年都会から、父親の故郷であるこの町に越してきただけあって、センスだってそこらの女子とは違う。
だけど、…この女、性格が悪すぎるんだよな。
「あー、おはよう。
なんの用?」
鼻で木をくくったような(逆だっけか?)俺の返事に、ビオレッタは小鼻を膨らました。
「あーら、ごあいさつね。
せっかく大ニュースを持ってきてあげたってのに」
「どうせ新しいリボン手に入れた、とかだろ?」
ビオレッタは投げやりな返事に唇をとがらせたが、
「…フフフ。
今日、転校生が来るらしいの!!
しかもね、あたしたちと同い年の子だって!!」
そいつは確かに大ニュースだ!!!
身を起こし、ビオレッタに向き直る。
「マジ!? な、転校生、男?女?」
「女の子よ、遠目で見ただけだけど。
アンタみたいな山ザルとでは釣り合わなさそうな、カワイっぽい感じの子だったわ」
「誰もそんなこと聞いてねえだろ…ハァ、女か…」
俺は少しがっかりして、ため息をついた。
同い年の男なら、一緒にクラフト作ることだって出来るかも…
なんて思ったんだけどな。
しかし。
ビオレッタの言葉に反し、先生に促されて入ってきた転校生は「男」だった。
だが。
(うっわぁ………………!!)
ビオレッタが女と間違えたのも理解できる。
緑のキレイな目、かわいいお顔。
あんまり日に焼けてない肌に、細い手足。
(なんつーか…
スカートはかせりゃそのまま女の子ってカンジだな。
がっかりだぜ…)
こいつはどうも、エアクラフトに関する、俺のロマンティックを分かってくれそうにないぜ。
がっかりする俺や、顔を赤くして囁きあう女子たち、口開けて、耳まで真っ赤にしたビオレッタを一瞥し、彼は緊張した声で名乗った。
「リーズ・ファーリンです。
よろしく…お願いします」
「はーい、ねえリーズくん、趣味は?」
まだ頬を赤くしていたビオレッタが、手を挙げた。
他の女子連中よりも、奴に強い印象を与えようってハラだな。
「あ……バイオリンです。
あと、読書」
うへぇ~。
【少女マンガ】の世界ですなぁ~。
そんな俺の感慨・女子のざわめきをよそに先生は、リーズに俺の隣に座るよう指示し、授業をはじめる。
ついでに俺に、
「ちゃんと世話してあげるのよ」なんて囁きつつ。
……こっちは構わないけど、リーズくんはどう思うのかね。
俺は小さく首を振ると、教科書を彼と自分の間に置いた。
その微かな音に、リーズはびくっと体を震わせる。
「あの……見てもいいの?」
「いや、そのつもりだったんだけど」
ぶっきらぼうに言うと、彼は俺のテリトリーを侵害しない、微妙な位置をキープしつつ、教科書を覗き込んだ。
「……そんなに遠慮しなくていいんだぜ?」
ついつい出た言葉に、リーズはまたびくっと肩を震わせた。
「うん、でも…僕、こんなの初めてだから」
「『こんなの』ってなんだ?」
おばあちゃんにナイショで聞く、深夜のラジオドラマみたいなセリフじゃないか。
「いや、学校ってモノに通うの初めてだからさ」
「へっ? お前今まで、どこに住んでたんだ?」
学校もないような田舎に住んでたとは思えない。
垢抜けたツラ+服なのになあ。
「えーっとねえ……」
だが、彼の言葉を全て聞くことはできなかった。
さっと窓からの日光が遮られたかと思うと、教鞭をもてあそびつつ立っていたんだ。
「うふふ~。
私語はだめよ~、ふたりとも」
あわてて俺たちは、教科書に目を落とした。
「そういえば、おぬしは今、【がっこう】に行っている年なのではないか?」
『エマ・モーターの神秘』なる本を、対面で読んでいたマリアベルは、思い出したように口を開いた。
「うん、そうだけど」
「そっちの調子はどうじゃ?
わらわと遊びすぎて、友人との付き合いを怠っていたりせぬか?」
「俺、同年代の友達って、情けないけどいないんだ。
ていうか、年の近い男が町にいなくてさ」
って、今日転校してきたヤツがいたっけか。
俺はリーズの顔を思い出し、口をへの字に曲げた。
「……何か思い出したのか?」
急にかけられた声に、体がびくっと震える。
「おぬしは考えてることが、すぐ顔に出る」
マリアベルは首をかしげ、本を置いて俺の顔を覗き込む。
「そんなに俺、顔に出るタイプかあ?」
「うむ。
はっきり言って、メチャメチャ顔に出るタイプじゃな」
「気がつかなかったぜ……」
俺は頭をかきながら、先を続けた。
「実はさ、今日、転校生が来たんだ。
でも、どうも女っぽいカンジのヤツでさ。
俺ちょっと、好きになれない感じなんだ。
バイオリンとか弾くんだぜ?」
「ふぅーむ。
難しい問題じゃのう……」
マリアベルは手の中でくるくる、ペンを回しながら答えた。
「じゃがな。
えてしてそういう男は、『女臭い』と嫌われても、己の道を通すだけの強さがあったりするものじゃ。
意外と男らしい一面があるやもしれぬ」
「そういうもんかなあ?」
…そうとは思えないんだけど。
「そういうもんじゃ。
まあ、健闘するがいい」
マリアベルはカカカ、と無責任に笑った。
例えノーブルレッドが伝説通り、血を啜る恐ろしい一族だとしても、城の図書室やマリアベルの存在は魅力的過ぎる。
しかも、それは全部俺だけが知ってる
【ヒミツ】だってことも、かなーり心がおどることだ。
『初歩の航空力学』に目を落としながら、俺は小さな声でくっくっく、と笑った。
「講談の本でも読んでおるのか?」
「……えっ、いや、その」
一人笑いしてるときに面を見られるのって、けっこう恥ずかしいよな。
「いや、何でもないぜ」
すまして答える俺がおかしかったのだろうか、彼女はふふふ、と喉を鳴らして笑った。
「ジャック、都合がよければ菓子でも食わぬか。
今の人間がどんな生活をしているのか聞いてみたい」
「それはお互い様だぜ。
俺も、ノーブルレッドの生活って興味あるもん」
「決まりじゃな。
ではアカとアオに用意させよう」
マリアベルは片目をつぶり、ぱちんと一つ指を鳴らした。
「こいつらが、アカとアオ?」
「そうじゃ。カワイイじゃろ?」
「あ、ああ……」
女の『カワイイ』ってセンスは、よくわかんねえな。
器用に盆をくわえて持ってくる、赤色と青色に塗られた二体の丸いロボットを見て、俺はひそかにため息を吐いた。
お盆から、小さなマーブル模様の菓子ののったお皿と、薄い陶器のカップを取ると、彼ら(?)は熱い紅茶を注いでくれる。
「あんがと」
礼を言うと、デッカイ目が、どういたしましてと言うように瞬きした。
確かにちょっと、カワイイかもしれない。
マリアベルも俺と同じく、青い花の描かれた皿を取り、優雅な手つきでお菓子を口に運ぶ。
あれ?
「マリアベル、あんたノーブルレッドなのに、そういう普通のモン食えるのか?」
「もちろんじゃ。
甘いもの好きは、婦女子のたしなみじゃからのう」
「…そういうもんなのか?」
「うむ」
「じゃあ今度、クラスの女に聞いてみる」
「それがよい」
俺たちは熱い紅茶をふうふう吹きながら、どことなく間抜けな会話を交わす。
ほのかなハーブの香りを残し、口の中でさあっと溶けるお菓子をあわてて噛み砕く俺に、
「どうじゃ? わらわたちのお菓子は?」
マリアベルはニコニコ笑いながら聞いてくる。
「正直に、言っていいか?」
「もちろん」
「……はっきり言って、食いでがないぜ。
全然甘くないしさあ。
もっと、砂糖がじゃりっていうのが好きなんだけど」
俺の答えに、マリアベルはやっぱり眉を逆立てた。
「食いで!? 甘くない!?
当たり前じゃ、そのような下賎な感覚、わらわたちは持ち合わせておらぬ!!」
「正直に言っていいって言ったのに……
それに、まずいとは言ってないだろ。
うまいんだよ、でも一口で食えちゃうんだもん。
なんかそれだと、もったいない気がするだろ?」
「…わらわにはその感覚、全く!分からんわ」
「じゃあ、今度下賎なお菓子、持ってくるよ。
マジでウマいんだって」
俺は近所のおばちゃんの作る、ザラメ糖がけオールドファッションアップルパイの奥歯に染みる味を思い出し、夢見る瞳で語った。
「…はいはい。
おぬしがそこまで言うならば、食ってやるほどにな」
苦笑したマリアベルは、壁にかかっているからくり時計に目を留め、それから俺へと振り向いた。
「そろそろ帰った方がいい時間ではないか?
ふたおやが心配するじゃろう」
「んー、いいんだよ。
俺、ばあちゃんとふたり暮らしだからさ。
ばあちゃん、男の子はわんぱくな方がいい、っていっつも言ってるし」
なるべく元気に言ってみたのだが、マリアベルは赤い瞳を曇らせた。
「そうじゃったか。
すまんの、妙なことを聞いて」
「気にしないでくれよ」
怒ったような口調になってしまったかもしれない。
でも、同情されるのは嫌なんだ。
…ホントはこんな事思うのも、だだっ子みたいでカッコ悪いって分かってるんだけど。
でも、まだまだ許されるよな?
と甘えてみたいお年頃なのであった。
「でも、そろそろ時間かもしんないな……
夕食、抜きっていわれるかも」
「そうか。
ならば、送って行ってやるほどに」
「いいよ、一人で帰れるって」
お尻に当たるふわふわクッションのばねを利用して、俺は席を立った。
「また、来るがいい」
お茶のセットを片付けるマリアベルに手を振って答え、俺は外に飛び出した。
北風が頬を突き刺す。
思わず襟を合わせて空を見上げると、こないだよりも痩せた月が山の端にかかっていた。
「くっそー、おばあちゃんめ…」
我ながら死にそうな声だぜ。
昨日も夜更けに起き出して、ノーブルレッド城に出かけたんだけど…
帰ってきたらしっかりばれてて、真っ赤になるほどお尻をぶたれてしまったのだ。
ばあちゃんの早寝は有り難いんだけど、その分、朝が早いのを、俺はすっかり忘れてた。
おおマヌケだよな。
「うええ~」
机に伏せる俺の前で、青いサテンのリボンが揺れた。
「おはよう~っ」
明るい声に、心の中で舌打ちをして目を上げる。
そこにはやっぱり、俺のたった一人の同級生、ビオレッタ・ブブカがいた。
こいつは外見『は』、さらさらした金髪の、レイヤーボブ(だったかな、間違うと怒るんだ)に、青い目がバッチリ調和してるカワイイ娘だ。
去年都会から、父親の故郷であるこの町に越してきただけあって、センスだってそこらの女子とは違う。
だけど、…この女、性格が悪すぎるんだよな。
「あー、おはよう。
なんの用?」
鼻で木をくくったような(逆だっけか?)俺の返事に、ビオレッタは小鼻を膨らました。
「あーら、ごあいさつね。
せっかく大ニュースを持ってきてあげたってのに」
「どうせ新しいリボン手に入れた、とかだろ?」
ビオレッタは投げやりな返事に唇をとがらせたが、
「…フフフ。
今日、転校生が来るらしいの!!
しかもね、あたしたちと同い年の子だって!!」
そいつは確かに大ニュースだ!!!
身を起こし、ビオレッタに向き直る。
「マジ!? な、転校生、男?女?」
「女の子よ、遠目で見ただけだけど。
アンタみたいな山ザルとでは釣り合わなさそうな、カワイっぽい感じの子だったわ」
「誰もそんなこと聞いてねえだろ…ハァ、女か…」
俺は少しがっかりして、ため息をついた。
同い年の男なら、一緒にクラフト作ることだって出来るかも…
なんて思ったんだけどな。
しかし。
ビオレッタの言葉に反し、先生に促されて入ってきた転校生は「男」だった。
だが。
(うっわぁ………………!!)
ビオレッタが女と間違えたのも理解できる。
緑のキレイな目、かわいいお顔。
あんまり日に焼けてない肌に、細い手足。
(なんつーか…
スカートはかせりゃそのまま女の子ってカンジだな。
がっかりだぜ…)
こいつはどうも、エアクラフトに関する、俺のロマンティックを分かってくれそうにないぜ。
がっかりする俺や、顔を赤くして囁きあう女子たち、口開けて、耳まで真っ赤にしたビオレッタを一瞥し、彼は緊張した声で名乗った。
「リーズ・ファーリンです。
よろしく…お願いします」
「はーい、ねえリーズくん、趣味は?」
まだ頬を赤くしていたビオレッタが、手を挙げた。
他の女子連中よりも、奴に強い印象を与えようってハラだな。
「あ……バイオリンです。
あと、読書」
うへぇ~。
【少女マンガ】の世界ですなぁ~。
そんな俺の感慨・女子のざわめきをよそに先生は、リーズに俺の隣に座るよう指示し、授業をはじめる。
ついでに俺に、
「ちゃんと世話してあげるのよ」なんて囁きつつ。
……こっちは構わないけど、リーズくんはどう思うのかね。
俺は小さく首を振ると、教科書を彼と自分の間に置いた。
その微かな音に、リーズはびくっと体を震わせる。
「あの……見てもいいの?」
「いや、そのつもりだったんだけど」
ぶっきらぼうに言うと、彼は俺のテリトリーを侵害しない、微妙な位置をキープしつつ、教科書を覗き込んだ。
「……そんなに遠慮しなくていいんだぜ?」
ついつい出た言葉に、リーズはまたびくっと肩を震わせた。
「うん、でも…僕、こんなの初めてだから」
「『こんなの』ってなんだ?」
おばあちゃんにナイショで聞く、深夜のラジオドラマみたいなセリフじゃないか。
「いや、学校ってモノに通うの初めてだからさ」
「へっ? お前今まで、どこに住んでたんだ?」
学校もないような田舎に住んでたとは思えない。
垢抜けたツラ+服なのになあ。
「えーっとねえ……」
だが、彼の言葉を全て聞くことはできなかった。
さっと窓からの日光が遮られたかと思うと、教鞭をもてあそびつつ立っていたんだ。
「うふふ~。
私語はだめよ~、ふたりとも」
あわてて俺たちは、教科書に目を落とした。
「そういえば、おぬしは今、【がっこう】に行っている年なのではないか?」
『エマ・モーターの神秘』なる本を、対面で読んでいたマリアベルは、思い出したように口を開いた。
「うん、そうだけど」
「そっちの調子はどうじゃ?
わらわと遊びすぎて、友人との付き合いを怠っていたりせぬか?」
「俺、同年代の友達って、情けないけどいないんだ。
ていうか、年の近い男が町にいなくてさ」
って、今日転校してきたヤツがいたっけか。
俺はリーズの顔を思い出し、口をへの字に曲げた。
「……何か思い出したのか?」
急にかけられた声に、体がびくっと震える。
「おぬしは考えてることが、すぐ顔に出る」
マリアベルは首をかしげ、本を置いて俺の顔を覗き込む。
「そんなに俺、顔に出るタイプかあ?」
「うむ。
はっきり言って、メチャメチャ顔に出るタイプじゃな」
「気がつかなかったぜ……」
俺は頭をかきながら、先を続けた。
「実はさ、今日、転校生が来たんだ。
でも、どうも女っぽいカンジのヤツでさ。
俺ちょっと、好きになれない感じなんだ。
バイオリンとか弾くんだぜ?」
「ふぅーむ。
難しい問題じゃのう……」
マリアベルは手の中でくるくる、ペンを回しながら答えた。
「じゃがな。
えてしてそういう男は、『女臭い』と嫌われても、己の道を通すだけの強さがあったりするものじゃ。
意外と男らしい一面があるやもしれぬ」
「そういうもんかなあ?」
…そうとは思えないんだけど。
「そういうもんじゃ。
まあ、健闘するがいい」
マリアベルはカカカ、と無責任に笑った。