(小説)魂成鬼伝の章

【5章】


『(確か…こっちの方角のはず……っ)』


屋敷を飛び出した後、篠突く雨の中私はひたすらに走り続けていた
鬱蒼とした木々や雨により視界もかなり悪いけれども、そんな事にはかまってはいられないと足をとめずただひたすらに走り続ける

脳裏に浮かぶのは先程修行部屋で見たお兄ちゃんの姿と
………そして鬼の秘術

額から雨粒とは違う汗が流れ、不安からかごくり…と生唾を飲み込む


”鬼の秘術”
私はこの秘術がどのようなものなのかを既に知っている
山の中を懸命に走り続けながら、脳裏では”あの日”の出来事を思い出していた

遡るは5年前





***

『ぃぃぃいいいいいいいッッッッッッッッ!!!!!さっみぃぃぃッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!』


あれは、お師匠様のお屋敷へ来たばかりの頃
今とは違って妖力のコントロールがうまくできず子供姿だった私達
大人の姿に強い憧れを抱いていた私達は、お兄ちゃんの頼みもあってお師匠様から妖力修行を賜っていた
そうして”あの日”もお屋敷の裏の山の中で修行をしていた最中だった

『お兄ちゃん……大丈夫ッ?』
『ね゛ね゛あ゛り゛がどゔな゛…だだだだい゛じょう゛ぶッッ!!!!こ゛ん”な”の”オ”イ”ラ”は”へ”っちゃ”ら”へ”っちゃ”ら”!!!!』

目の前で無理やり笑顔を作りつつも青ざめガタガタと寒さに震えるお兄ちゃんに慌ててタオルを差し出す
先程までお兄ちゃんは精神修行の為滝行をしていたのだ


『ふふ、こんなもので音を上げるとはまだまだじゃのう』

季節は冬
ただでさえ冷たい中、氷のように冷えきった川の水に入るのも辛いのに滝の水に当たり続けるのは自○行為だと思うけれども、目の前のお師匠様はいつもと変わらない笑顔で滝行をこんなものと言いきってしまう
そんなお師匠様に私はただただ困った顔しか浮かべられないけれども、滝行を受けていた当の本人のお兄ちゃんは聞き捨てならなかったようでお師匠様に即座に噛み付いていた


『こんなものってなんなんよ!この寒さだぞ!?こんな日に滝行なんてどう考えてもバカげてるだろッッばあちゃんはこんな寒い中自分は滝行出来るのかよ!?』
『余には修行など必要ないからのう。滝行などやった事もないぞ。修行といえば滝行とテレビで見ただけだからのう。』
『はぁあああ!!!?!?』

そんなお兄ちゃんとは対象的にさらっと”テレビで見た”と発言するお師匠様に信じられないといった面持ちで固まるお兄ちゃん
滝行前はもっともらしい事を仰っていたのを聞いていただけに余計に驚いたようだ
私だって驚いた
そんな様子など目もくれずに今度は寧々の番じゃなとにこにこと私にお声をかけるお師匠様

その言葉に固まっていたお兄ちゃんは再び動き出し先程以上の勢いでお師匠様に更に噛みつきだしてしまう

『ちょっとまてええええ!!まさかばあちゃん…この寒い中寧々にも滝行やらせるつもりなのか!!?』
『当たり前じゃろう』
『何が当たり前だ!?!?何考えてんだよ!!!こんなに可愛い寧々になんて事させようとしてんだ!!!!倒れちまうだろ!!!!!!』
『薙翔、修行というものは厳しいものなのじゃぞ。リスクは付き物じゃ』
『テレビで見ただけの癖してもっともらしい事言うなッッ!!!だめだだめだだめだッッ!!!オイラは反対ッッ!!!!絶対反対ッッ!!!!こんな寒い日に冷たい滝に当たらせるなんて冗談じゃない!!!!!』
『おっお兄ちゃん…落ち着いてッッ!寧々は大丈夫だよ…ッお師匠様すみません!』

お師匠様の言葉にどこまでも興奮してしまうお兄ちゃん
そんなお兄ちゃんとは対象的にどこまでも楽しそうなお師匠様
お師匠様とお兄ちゃんのこんなやりとりはここに来てからはわりと日常茶飯事で見ているけれども、私はその度に慌てふためいてしまう
だって目の前にいらっしゃるのは神様なんだもの
近所のおじちゃんと軽い口喧嘩をするのとは訳が違う
先程の可愛い発言に頬を染めつつも必死に止めようとする私に気づき、まだ納得いかないという顔はしつつもお兄ちゃんはどうにか気持ちを落ち着けてくれた


『ふふ、薙翔は相変わらず面白いのう』
『面白がるなっつーの!……とにかくだめなもんはだめだ。寧々が良くてもこればっかりは賛成出来ん。せめてもう少し寧々に合った負担の少ないものにしてくれ』
『………負担の少ないもの…か、絶崖から飛び降りとかかのう?』
『オイラの話聞いてたかッッ!!!?!?』

せっかく気持ちを落ち着けてくれたのにお師匠様のおふざけなのか本気なのか分からない発言にまたもやヒートアップしてしまうお兄ちゃん
そんな二人のやりとりに慌てつつも、やりとりのおかしさについつい笑いそうにもなってしまう
いけないいけない、ちゃんとお兄ちゃんを止めないと


『お兄ちゃん落ち着い………ッッ!!!?』

どうにかお兄ちゃんとお師匠様の間に割って入ろうとしたその瞬間


一瞬で”その場の空気が…………、
変わり果てた”


突如辺り一体の空気が重苦しくなり
そのあまりの変わりように心臓が脈打ち動悸が激しくなった

それはお兄ちゃんも同じだったようで即座に緊張の面持ちに
先程まで聞こえていた鳥のさえずりすらも聞こえなくなり、辺りを静寂が包む

感じた事もないような重苦しい空気に押しつぶされそうになりながらも私達が向ける視線はある1点


何も見えないけれども何かがこちらにやって来るのだけはわかった
風の音も消え、生き物の気配も消えた森の奥深くから
得体のしれない何かがものすごい速さでこちらに向かってやってくるのを感じしっぽが総毛立つ
そんな中お兄ちゃんは慌ててその何かから私を庇うように前へとでた
恐怖から目の前のお兄ちゃんの手にすがるように手を伸ばせば、顔は前に向けつつもその手を力強く握り返してくれる
その手に多少安堵しつつも直後に聞こえてきた足音に更に緊張が走る
やはり何かがこちらに向かってやってきている

一体何が……、そう思い目線を反らせずに居るとそれはすぐさま目の前に現れた


『『(…………ッッ!……お…に…!?)』』

目の前からこちらに向かってやってきていたのは鬼だった
額から映える1本の青い角はまさしく鬼の象徴

その姿を目にした途端目の前のお兄ちゃんの身体が震えだす
過去、鬼に襲われ背中に大怪我を負った事があるお兄ちゃんにとって鬼は最も恐れるもの

呼吸が乱れ、繋がれた手に汗が滲む
それでも後ろに居る私を守ろうとしてかお兄ちゃんは必死に呼吸を整えると、握った手を更にぎゅっと握りしめながらもう片方の手でも後ろ手で、自身の背中に震える私を抱き寄せ必死に鬼から私を隠そうとした

鬼は女の人や子供(特に赤子)の肉を好む
その中でも女の人には目がなく、中には食料を増やすため自分の子を産ませたのちにその子供事喰らう鬼も少なくなかった
それ故に相手が女の人だと気付くと歓喜し、すぐさまなりふり構わず飛びかかってくる程

お兄ちゃんはそれを危惧し、私を必死に守ろうとしてくれていたのだろう

『……寧々、声を出しちゃだめだぞ』

お兄ちゃんが小声で私に語りかける
私は不安と恐怖からお兄ちゃんの背中にただ震えてしがみつく事しか出来なかった




『半鬼人とは珍しいのう』

そんな怯える私達とは対象的にやはりお師匠様はどこまでもお師匠様のままだった

辺り一体を包む重苦しい空気にも一切臆することなく、まるで珍しい小動物がやってきたかのように笑顔を崩さず目の前の鬼を見つめるお師匠様

そんなお師匠様にも驚くが、お師匠様が言った言葉も気になる
半鬼人とは初めて聞く言葉だった

『鬼と人との間の子じゃよ』

私達の視線に気づいたのだろう
にこにこと笑顔を崩さず説明してくれるお師匠様

『鬼が女人に無理やり子を産ませ喰らう話は知っておろう。生き残る赤子がのう、希になぁおるのじゃよ。あやつもその類じゃな』

目の前の鬼をもう一度見据える
確かによく見ると鬼にしては体格は明らかに小さめだった

しかし、それでもそこから発せられる重苦しい空気は尋常ではない

我々に気づいたのか立ち止まり、先程から下を向きつつも唸り続ける半鬼人から発せられる空気に身体の震えが止まらない


『あやつが放っているのは鬼の気ではない。あやつはどうも陰の気に取り憑かれてしまっておるようじゃからの』
『…陰の気?』
『憎しみや欲望に駆られ、己の中にある陰の気に取り憑かれるものは少なくない。どこまでも抑える事の出来ない憎悪や欲望に蝕まれそれが自身の妖力にも影響を及ぼし、ついには思考のすべてを飲み込まれる。
人の子も鬼も妖も皆等しく関係なく……、な』

言われてみて初めて気づいたが、確かに目の前の半鬼人のお兄さんから発せられる重苦しい気はまさに憎悪のようなものだった
どこまでも立ち込める激しい怒りや憎しみ
どことなく自身の中に渦巻くものに苦しむように呻いているようにも見える
そしてそこから発せられる気にはどこか苦しい程に切ない悲しみも混ざっているようにも感じた


『力がほし…い…』

ふと先程まで呻き続けていた半鬼人のお兄さんが突如口を開く


『ちか…ら……ち…から…さえ…………あれ…ば…
………このやまに……ある…ときい……た……おに……
の………ひじゅ…………つ……ッ』

『鬼の秘術……?』

苦しげに発せられるその言葉にお兄ちゃんが不思議そうに呟く

『なるほどのう、そなたも”呼ばれた類”か。遠くからわざわざ来たようで申し訳ないのだがのう、余は”それ”をそなたに渡す訳にはいかぬのよ』

『ふざけるなぁぁぁああああッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!』

『『!!!!?!?』』

お師匠様はどうやら”鬼の秘術”なるものを知っているらしく、それを渡す訳にはいかぬと仰った
それを聞くや否や半鬼人のお兄さんは突如大きな怒声を発っしその声の凄まじさにまたもや私達は震えだす

『ふざ…け…る…な…ッッ……わた………せ…ッッ!!お…に…のひじゅ……つ………!…それさ…え…あれ…ば…わた…し…は………ッッ…わた…せ……わ…たせ…………

わたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせわたせッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!』

『『!!!!』』

そう叫び私達の方向へ飛びかかってくるのと、お師匠様が片手をあげその頭上に巨大な氷の刃を作り出したのはほぼ同時だった
半鬼人さんが頭上を見上げる頃には時既に遅く、氷の刃は真っ逆さまに振り下ろされ
容赦なくソレは──その身体を貫いた

そうして半鬼人さんはその場になす術無く倒れてしまう
目の前で一瞬にして起きたその光景に呆気にとられ固まる私達

しかしハッとしたお兄ちゃんが恐る恐るといった様子で倒れている半鬼人さんの元へと向かうので私も後ろからそっと後に続く
そばによればその身体からはおびただしいほどの血が流れ落ちており既に彼は虫の息だった

『………く………そ…っ………けっ…………き……く…わ…たし……は………なに…にも…なれ…な………か………た……
……………………………お………じ……いちゃ………まも…れ………な……く……ごめ…………』


彼の瞳からは涙がとめどなく溢れ、苦しげにそう言い残すと
半鬼人さんはそのまま息を引き取ってしまった

言葉を失い固まる私達
辺りをまた静寂が包む
起きた出来事に頭の整理が追いつかず、しばらく動けないでいるとふとお兄ちゃんが半鬼人さんのそばに静かに腰を落とし
開いたままだった彼のその瞳をそっと優しく閉じた

『………怖がったりして、ごめん』

ご遺体の前で手を合わせ、震えるようにそう言うお兄ちゃんの横に私も腰を落とし同じく手を合わせる
胸が…締め付けられるように苦しくなり気付けば瞳からは涙が流れ落ちていた
そんな私の様子に気づいたお兄ちゃんがそっと私の頭を優しく撫でてくれる
目線を向ければお兄ちゃんも今にも泣きそうなのを堪えながら切なげな顔をこちらに向けていた


『なあ、ばあちゃん』

お兄ちゃんはそのままうつ向き、少し沈黙するとお師匠様の方へ向かって顔をあげ声をかけた

『屋敷のそばに…この兄ちゃんの墓を立ててもいいかな?』






あれから血で汚れた半鬼人さんこと─”令月さん”のご遺体を川で清めた後、お兄ちゃんが担く形で令月さんを屋敷までお連れさせて頂いた

令月さんの名前は、お兄ちゃんが令月さんのご遺体を担いだ際にその手から落ちたお守り袋に縫われていた刺繍から知った
身に付けていた肌襦袢にも同じ名前が縫われていた為
恐らくそれが名前なのだろうと

お兄ちゃんが屋敷のそばに穴を掘ってくれ、そこに令月さんのご遺体を横たわらせてくれる
その手には屋敷に着くまで預かっていたお守り袋を
そうして簡易的ではあれどお兄ちゃんが令月さんのお墓を作ってくれ、私達は再度そのお墓の前で手を合わせた


息を引き取る前に呟いた令月さんの言葉が頭に蘇る
”何者にもなれなかった”と

半鬼人としてこの世に生を受けた令月さん

鬼にもなれず、人にもなれず
その生涯に一体どれだけの苦しみを抱えて生きてこられたのか
私には到底計り知れないその生涯を思うと
私の瞳からはまたとめどなく涙があふれ出した

『………心を込めて供養しよう。令月の兄ちゃんが心安らかに眠れるように。……なっ?』
『…うん』

『そろそろ終わったかの?』

縁側でお茶をすすりながらこちらの様子を横目に眺めていたお師匠様が頃合いを見計らいやってくる



『……なぁばあちゃん、鬼の秘術ってなんなんだ?』

鬼の秘術
令月さんが先ほどつぶやいていた言葉だ
この山のどこかにあるとされていると
それを求めて令月さんはこの山を訪れたようだった
そしてお師匠様はそれをご存知のようで、令月さんはそれに”呼ばれた類”だとも
私も先程から気になっていた為お兄ちゃんの言葉を聞き緊張がはしる

『ついてまいれ』

お兄ちゃんの真剣などこか問いただすような眼差しに対し、少し意味深な笑顔を浮かべたのちにお師匠様はそう仰り歩き始めた為、私達もそれに黙って後に続いた


『鬼の秘術は、1000年前”橘匡近(たちばなまさちか)という男が編み出した秘術じゃ』

先ほどとは違い小鳥のさえずりがし、獣の気配も戻りすっかり普段と同じ空気を取り戻した森の中をお師匠様は静かに歩みをすすめながら語りだす

『有名な陰陽師だったそうじゃ。余はあまり奴の事は知らんでのう。ただ奴を知る者は皆口々に”おぞましい程の執念の持ち主”だと噂しておった』
『おぞましい程の執念の持ち主?』
『力に取り憑かれておったのじゃよ。何があったのかは知らぬがやつは強大な力を求めておった。陰陽師として名を馳せ鬼をも自分の手駒として使役する程の才を得ながら、奴は一切それらに満足する事が出来ずにいたようじゃ。鬼を自分の駒のように扱えどそれは自身の力ではない。それがたいそう気に食わなかったようじゃのう。
奴は─”奴自ら”が力を持つ事を強く望んだ。
故に自らが鬼となる術を生み出したのよ。それが鬼の秘術じゃ』
『ッッ!?…鬼の秘術って、鬼そのものになることなのか!!?』
『そうじゃ』
『そんな…人が鬼に……ッ』

お師匠様から告げられる話が信じられず、息を飲む私達
ふと隣を見れば、お兄ちゃんの顔はかなり青ざめていた
鬼に襲われた過去をもつお兄ちゃんには尚の事人が鬼になる術が存在するなどとは信じられなかったのだろう

『一体…そんなのどうやって…』

唇をふるわせぶつぶつとお兄ちゃんが呟く

『何百体もの鬼を生贄にしてじゃよ』
『ッ!!?』

お兄ちゃんの疑問にいつもと変わらぬ口調であっさりとお師匠様は答える

『使役した鬼を次々と殺していき、その魂を使い編み出されたのが鬼の秘術。じゃからのう、あの秘術が記された書には殺された鬼達の怨念も共に封印されておるのじゃよ。
それが…、なにを意味するか─そなた達は分かるか?』

ふと立ち止まり、意味深な口調で挑発するようにお師匠様がこちらを少し振り返り訪ねてくる
顔は笑ってはいるけれどもその瞳は少しも感情という名の色を宿してはおられず、思わずその瞳にゾッとし固まる私達

『身の丈に合わぬ力を求めるという事はそれ相応の覚悟が必要じゃ。
ましてや何かを犠牲に得た力なら尚更─
何も犠牲にせず、何も失わず力を得られる程世の中は甘くはない』

有無を言わせぬ非対称の瞳がこちらを射抜くような眼差しを向けてくる
その瞳にも告げられる言葉にも尋常ではない重さを感じ額から汗が零れ落ちた
お師匠様の瞳から目を反らす事が出来ない
思考すら働かず息をする事すら忘れ、ただただ見つめ返す事しか出来ない私達を見てその様子に満足したのか、いつもの笑顔に戻りにこっとこちらに微笑むと、また前を向きお師匠様は歩みを進めはじめてしまった

お師匠様の視線が前へと向いた事で緊張が解け、忘れていた呼吸を思い出し慌てて息を整えた私達は、お互いに顔を見合わせた後に無言でまたお師匠様の後に続くしかなかった


『着いたぞ』

森の中をひたすら歩き続けると少し開けた場所へとたどり着いた
しかしその先には大きな石の壁
どうやら私達は屋敷の裏山の崖下へと向かって歩いていたらしい
上を見上げれば遥か遠くの方に崖の切っ先が見え、その高さがどれだけの物かを物語っている

『そちらではない』

上ばかりをひたすら見上げて息をのむ私達にお師匠様はとある場所を指差す
その先へと視線を移せばそこには小さな祠があり
遠くからでも1冊の書のような物が中にあるのが見えた


『あれが橘匡近の編み出した鬼の秘術が記された書、
”魂成鬼伝”(とうじょうきでん)じゃ』
『魂成鬼伝……』
『…なんでこんな所に、こんなんじゃ取ってくれーって言ってるようなもんじゃねえか』

確かに祠がある場所は崖以外は開けており、特に隠す要素などなく不自然に置かれている
これでは見つかりやすく好きにどうぞ持っていってくださいと言ってるようにも見える
でも、お師匠様ともあろうお方が何もしていない訳がないとも思った

『もしかして結界を張っていらっしゃるのでしょうか?』
『さすがは寧々。そのとおりじゃ』
『結界!?………あー、ああなるほど!そうだ結界ッ!そうそう!いや〜今オイラもそう思った所だったんだよ!』

慌てて取り繕うように言うお兄ちゃんに思わずクスリと笑ってしまった
私が笑ってるのに気付くと気まずそうに頭をかきながら照れ笑いを浮かべるお兄ちゃんに少し心が和む
恥ずかしかったのか少し大げさにコホンと咳払いをしたのちお兄ちゃんはお師匠様に再度疑問を投げかけた

『そういえば、そのとーうじょーきでん?っつー書をなんでばあちゃんが持ってるんだ?』
『この書により”自ら身を滅ぼす者”が後を立たなかったからじゃよ』

先ほど申したであろうとお師匠様は続ける

『何も犠牲にせず、何も失わず力を得られる程世の中は甘くはないと。考えても見るがよい。いくら数多の鬼を生贄として差し出したとて、人の身で鬼にそうやすやすとなれる訳がない。
鬼の秘術は諸刃の刃。それ相応の代価を支払わねばな』

代価という言葉に背筋が凍りつく
確かにお師匠様の仰るとおりだ
人の身で鬼になるなど到底想像もつかない事
でも代価とは一体─

と疑問を浮かべる私達に「寿命じゃよ」とあっさりと答えが返ってくる

『身の丈に合わぬ強大な力を得るのじゃ、身体が耐えられる訳がなかろう、力を得るかわりに残りの寿命のほとんどを差し出さねばならぬ。当然じゃろう

無論それだけではない。
残りの寿命を全うするまでは”死ぬ事も出来ぬ”のじゃよ。
お主らも鬼が元来もつ治癒力を知っておろう?どれだけの傷を負おうとあやつらはすぐに傷が再生し、始末するには存在そのものを消滅させる他ない。それは鬼の秘術を使った者も同じ、鬼そのものになるのじゃからな。
鬼そのものになるという事は、治癒力だけではなく鬼が本来もつ破壊衝動も同じく持つ事となる。この意味が分かるかのう?』

お師匠様からの再びの問いにお兄ちゃんと私は二人同時に息を飲む
”自ら身を滅ぼす者が後をたたない”
”寿命を全うするまでは死ねない身体”
”鬼が本来もつ破壊衝動”

それって…

『…そうじゃ。鬼のもつ破壊衝動を抑えられず周りの者を根こそぎ殺し尽くし、その苦しみから逃れる為自ら死を選ぼうとしても死ねず、心を壊しこの世を去るものが後を立たなかったのじゃよ。そういう者の念がのう、集まりすぎるとこの世の鬼が数多に増え続けてしまうのじゃよ。それでは世の中の均衡は保てぬ。それ故余がこの書を管理する事にしたのよ』

お師匠様の言葉に血の気が引く
例え寿命を大幅に捧げていたとしても、破壊衝動を抑えられず周りの大切な人を殺し尽くしてしまった絶望のさなか死ぬ事も叶わないだなんて、そこにはどれほどの苦しみがあったのだろう

『もちろん、そのような後悔の念を抱く者ばかりではないがの。匡近など良い例じゃよ。奴は後悔などせずその生涯が終わりを迎えるその日まで破壊の限りをし尽くした。力に取り憑かれ陰の気が身体を蝕み最終的には無限地獄へと落ちていきおったわ。

…まあどちらにしても終わりは結局の所変わらぬ、皆力を求めるがあまり大切な物を見失ってしまった事にはな。
せめて…、皆人として死なせてやりたかった』

お師匠様のお言葉が胸に突き刺さり何も言葉が出ず立ち尽くしてしまう
”人として…死なせてやりたかった”
その言葉のあまりの切なさに何も言えないで視線だけをお師匠様へと向ける
するとなぜかお師匠様が自身の口元に手を当てて目を見開く姿がそこにはあった
まるで今自分が発した言葉が信じられないといった感じに
しかし、それも一瞬の事でこちらの視線に気付くとまたいつもの笑顔を浮かべ「たんなる気の迷いじゃよ」と仰った

その言葉の意味が理解が出来なかったけれども、屋敷へ戻ると告げるお師匠様の言葉で私達はその場を共に後にしたのだった


帰り道でもあの書について更なる話を聞いた

あの書には匡近さんの怨念も取り付いており、その念が自身と同じく力を求める者に語りかけ”呼んでしまう”のだという
令月さんもそうしてあの書に呼ばれたのであろうと

あの書はそういう代物
生み出すのは不幸の連鎖

妖だとて同じなのだから、お前達もけして手を出さぬよう
そう、お師匠様は仰られていた




***

”あの日”の出来事を思い出しながら降りしきる雨の中あの祠へと向かい走り続ける

私の頭の中にもお屋敷を飛び出した頃から既に声が聞こえていた
私を遠くから呼び続ける声

恐らくこれが匡近さんの怨念なのだろう


力を求め行き着いた先
その先にどのような結末があるのか
あの日のお師匠様のお言葉を思い出す

それでも、この足を止める事などもう私には出来なかった


『……あった!』

目の前にあるのはあの日の祠
緊張の面持ちでそばへとそっと歩み寄る
お師匠様が施した結界を警戒し、恐る恐る祠へと手を伸ばした

しかしいくら手を伸ばしても何も起こらない
額から汗が吹き出す

一体…どのような結界を

そのような思いで不安に駆られながらも
気付けば私の手は祠の中にまで入り込み
そうして中にあった魂成鬼伝を取り出す事に成功した

『…結界がない』

どうして
なぜ結界がないのだろう
思考が疑問で埋め尽くされていく
もしや偽物なのかとも思ったけれども屋敷を飛び出した頃からずっと聞こえてくるあの声は間違いなくこの本から聞こえてきているようだった

(結界がないなんて…お師匠様は一体なにを考えておられるの)

あのお師匠様が不注意で結界を外すなど到底考えられない
何らかの意図が必ずあるはず

しかし、先程のお屋敷で対話したお師匠様の姿を思い出しあの方の意図など到底察せられないと時間の無駄だと判断し早々に考えるのを断念する

……構いません
書物はもう手元にある
後は私の覚悟だけ

何かをするつもりならすればいい
何があろうと私は私の大切なものを守るだけ
例えお師匠様であろうと邪魔だけは絶対にさせないッッ

そう決意し、私は再び屋敷へと戻る道を走り出した
きっとお兄ちゃんはあそこに再び戻ってくる
”私”を求め必ずあの場所へと戻ってくる

それが何を意味するのか…、その現実に悲しさをおぼえずにはいられないけれども
それよりも私の中で芽生えた確かな強い意志が今の私をどこまでも突き動かす

脳裏に浮かぶのは呻き苦しみ屋敷を飛び出していったお兄ちゃんの姿
最後の最後まで私を喰らわないようどこまでも足掻き続けてくれた
なら私だってその気持ちにどこまでも答えたい



”貴方の苦しみも悲しみもすべて消し去る事が出来るなら
私は鬼でも構わない”

胸に宿る強い意志をこの身に宿し、私はただ前を向き走り続けたーー




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【令月の過去(幼少期から鬼の支配まで)】
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令月が母親を殺された以降暴力を受け続けていた相手は人ではなく鬼です。
ですので令月が受けていた暴力もそれだけ恐ろしい物でした。

腕や足を引きちぎられる事もあったでしょう。
目玉を抉り潰される事もあったでしょう。
半鬼の為、鬼の再生力程ではないけれども傷がある程度は再生する為
再生ギリギリまでとことん痛めつけられておりました。
令月は、それ程の地獄が当たり前の日常のような日々を生き続けてきたのです。


これ以降の令月の過去は準備中
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