(小説)魂成鬼伝の章

【4章】


あわれしる 空も心のありければ 涙に雨を そふるなりけり



それは───
本当に突然だった


先程お兄ちゃんと心温まる時を過ごせた事で、私の中にうまれた不安も幾分か収まり
心の中を温かなぬくもりで包まれながら、私はまだ縁側で雨を眺めていた

先程告げられた言葉にまだ頬を染めながら
お昼ごはんは何にしようかなって
修行の後のお兄ちゃんは体調を極端に崩して寝込んでしまうから、起きた時に食べやすくて美味しい物を用意したいと考える

(そうだ、お布団も用意しなきゃ!気持ち良く過ごしてほしいもの、敷布も新しいものに取り替えて…)

そう思い慌ててお兄ちゃんの部屋へと向かおうとしたその時、



寧々…

ふいに…お兄ちゃんに名前を呼ばれた気がした
今にも消えてしまいそうなか細く儚い切ない声

人によっては気のせいと流してしまう程の微かな声だったけれどもそれでも確かに名を呼ばれた

そう自覚すると共に朝の不安が急激に蘇る
心臓が激しく脈打ち、気づけば私の足はお兄ちゃんとお師匠様の居る修行部屋へと駆け出していた


違う違う違う
この感覚はただの私の杞憂


”お兄ちゃんが消えてしまいそうで怖い”


だって…、先程まですぐそばにお兄ちゃんは居た
身体にも心にもまだこんなにも温かなぬくもりが残っている
触れた感覚も交わした言葉も心の温かさもまだこんなにも感じるのに


”お兄ちゃんが消えてしまいそうで怖い”


違う違うそんなこと無い
だって………だってお兄ちゃんは私に…ッッ


『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!!!』
『お兄ちゃんッッ!!!』

けたたましく響くお兄ちゃんの悲鳴
瞳の端に涙がたまる
嫌だ嫌だ



『お兄ちゃん!お兄ちゃんッ!!』

修行部屋へとたどり着くも扉は施錠されており、私は目の前の扉を必死で叩いた
手に激しい痛みがはしるけどそんな事どうでも良くて
胸の中にとめどなく溢れる不安に今にも押しつぶされそうになるのを堪え、中に居るであろう最愛の人に必死に声を投げかける

『お兄ちゃんッ!!』

涙で声がかすれてしまっていたけれどもそれでも構わず必死に叫んだ

『どうしたの!!?そこに居るんでしょ!?お師匠様もそこにいらっしゃるんですよね!?お願いしますッここを開けてくださいッッ!!』

必死で、必死で扉を叩き続けた
あんなお兄ちゃんの声聞いた事がない
頭からどんどん血の気が引いてくる
お願い
お願い


『今開けるでの〜そのように大騒ぎするでないぞ』

私が必死で扉を叩いていると、中からいつもどおりの落ち着いたお師匠様の声が聞こえてきて
私は酷く拍子抜けしてしまった

(………………え?
もっ…もしかして私の早とちりだったのかな…)


『寧々は相変わらずあわてんぼうよのう』

そうのんびりと告げるお師匠様
扉が開くとやはりいつも通りのにこにこしたお師匠様が顔を出す
やっぱり私のただの杞憂だったのかな

『すみま…………っ!』

そんなお師匠様に慌てて謝罪の言葉を口にしようとしたけれども
すぐに部屋の様子がおかしい事に気づいた

いや、おかしいのは部屋に入る前からだった
この辺り一体を飲み込まんとするほどの果てしない漆黒の陰の気
お兄ちゃんの事が心配になりすぎて扉が開くまで全然気づかなかったけれども
明らかに異様な状況

『これは…、一体…?』
『う……ぅぅ…ッ』
『!』

辺りの異様さに混乱してると部屋の中央の方からお兄ちゃんのと思われるうめき声らしきものが聞こえてきた

『お…兄ちゃ……ん?…お兄ちゃんッ!!
だいッ…じょ……ぅぶ……?』

急いでお兄ちゃんが居るであろう方向へ声をかけながらそちらに目を向けるも
その光景に私はまたもや固まる

『お兄ちゃん…………その姿…』
『ぐ‥ぅ……ぅッッ』

部屋の中央で俯きながら立ちただ呻き続けるお兄ちゃん
その髪は私と同じ白髪の髪ではなく、闇のような真っ黒な黒髪に変わり果てていた

『う…ぁ…ァ゛ッッ』
『……お兄ちゃんッッ!』

それでも目の前で呻くお兄ちゃんの姿にすぐにはっとし私は駆け寄ろうとする



『来るなぁああッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!!!』
『ッッ!!!?』

でもそんな私をお兄ちゃんの激しい怒声が押さえ込んだ


『来る…な…ッッ来る……………な……ッッ!!』
『ほぅ……?まだ抵抗できるのか、あっぱれじゃのう。一体どこまで忍耐強いのか…さっさっと身を預け狂ってしまえば楽だというに』
『おっお師匠様…これは一体…ッ』


狼狽える私とは対象的にお師匠様はどこまでもいつも通りだ
そんな場にそぐわないお師匠様の声色と態度を見て私は益々困惑してしまうがそんな私には構わずお師匠様は言葉を続ける

『薙翔よ…そう堪えるでない。心の声に素直に付き従えば良いだけの事。どのみち、そなたはもう助からんぞ』
『ッ!!!?』


聞こえてきた言葉に耳を疑う
助からない…助からないってそれって…ッ


『ぐ‥‥ぁあッ!!うぅア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!』
『!!?‥‥おっお兄ちゃんッッッッッッ!!!!?』

お師匠様の言葉を聞くのと同時に突如大きなうめき声をあげ、お兄ちゃんは修行部屋の壁を身1つで突き破りそのまますごい速さでどこかへ走り去ってしまった
慌てて追いかけようとするもその肩をお師匠様に掴まれる


『無駄な事はやめておけ。そなたでは薙翔の速さにはついていけないのは分かっておろう』
『助からないって一体どういう事ですか!?お師匠様は一体お兄ちゃんに何をしたんですか!!お兄ちゃんのあの姿は!!!?』

お兄ちゃんを追いかけようとする私を止めるお師匠様の言葉には答えず、私はただただ疑問を投げかけた
必死な私とは違い、どこまでもいつも通りなお師匠様
その様子に余計に混乱が抑えられない

助からない…助からないって…

そんなお師匠様は私が疑問を投げかけると、まるで鳩が豆鉄砲でも当たったようにきょとんとした顔を私へと向けた



『なんなのかって…、そなたはそれが分からぬ程馬鹿ではなかろう。いや…、分かっていて現実をただ受け入れたくないだけかのう…?』
『!?』
『その様子だとやはり現実を認めたくないだけか。そなたも覚えておろう。そなた達がここに来たばかりの頃に出会った陰の気に支配され狂ってしまっておった半鬼人を。今の薙翔はあの時の半鬼人と同じ状況じゃぞ』
『………ッ!』

お師匠様の言葉で記憶が呼び起こされる
お師匠様の元へ来たばかりの頃、このお屋敷の裏手にある山の中での修行中に一度、陰の気に支配されてしまった半鬼人のお兄さんに出くわしてしまった時があったのを思い出す

体中から溢れんばかりの漆黒の闇
まだ陰の気に支配されたばかりだったのか、苦しげに呻き続ける様は先程まで目の前に居たお兄ちゃんとまさしく同じだった


そしてその方は────



『………助からないってどういう事ですか?』

再度私は疑問を口にする
お兄ちゃんの今の状況があの時の半鬼人さんと同じなのはなんとなく分かる
それでもこの状況はまったく理解できない
だってお兄ちゃんは、増えすぎた妖力を抑える為にお師匠様と”修行”をしていたはず
それがなぜ今のような状況になってしまうのか


『お兄ちゃんとお師匠様は”修行”をしていらっしゃったんですよね?それなのになんでこのような…ッ』
『修行というのはまっかな”嘘”じゃからのう』
『……え?』

まるで時が止まるようなそんな感覚だった

『…………う………そ?』

伝えられた言葉が理解できず、反復してしまう
あまりにもあっけらかんといつもと変わらぬ口調で告げられた為に余計に理解が追いつかない
そんな私に尚も表情を崩さずお師匠様は更には信じられない言葉の数を並べたてた


妖力を抑え込む為の修行というのは真っ赤な嘘
実際は陰の気を増幅させる黒曜石を身体に埋め続ける修行をしていたとの事
そしてここ数年のお兄ちゃんの体調不良も増えすぎた妖力に身体を蝕まれていたのではなく、すべて黒曜石を埋め込む修行のせいだったという事
黒曜石を埋める修行をしていた理由は、陰の気をコントロールし私を喰らわないようにする為だったと
このままではいずれお兄ちゃんは私を喰らってしまう、そうお師匠様が告げた事によりお兄ちゃんは今回の修行をする事にしたのだと


その言葉を聞き、まるで目の前が真っ暗になるような感覚に包まれた
それってつまりは…、私のせいでお兄ちゃんはずっと体調を崩していたって事………?

ここ数年のお兄ちゃんの姿が蘇る
いつもどこか虚ろで今にも倒れそうで常に顔を青ざめさせ辛そうにしていたお兄ちゃん
立っているのもやっとでここ最近はふらふらと足元がおぼつかない日も少なくなかった
発作を起こして苦しむ姿だって何度も何度も何度も目にしてきた

あれはすべて…私のせいで………………ッッ


『そう嘆くでない。薙翔の身体に黒曜石を埋めたのは全くの別の理由からじゃからのう』
『…………………え?』

涙を流し震える私とは対照的にどこまでもいつもどおりなお師匠様はまたもや予想に反した言葉を発した
余計に混乱する私の様子をさして気にもとめず、欲しいものがあるのだよと淡々と唐突な言葉を続けるお師匠様

『今まで長きに渡り世を見続け、多くの生きとし生けるもの
皆が口々に、愛は美しいというのを耳にしてきた。
…だがのう、
余にはその美しさがまるで分からぬのだよ。
余は美しい物(者)を好む。
なら”愛がもつとされる美しさ”にも興味が沸いてのう。
だから薙翔に
”余を喰ろう”てもらおうと思ったのじゃよ』
『……………喰らう?』
『そうじゃ、余を喰ろうてもらい内側から薙翔の心を支配する。
そうして余はのう、薙翔がもつ”そなたへの愛情”を手に入れたいのじゃよ。
その為に薙翔の身体に長きに渡り、陰の気を増幅させる黒曜石を埋め込んできたのよ』
『ッ!!?』

お兄ちゃんの私への愛情を手に入れ……る?
目の前で発せられた言葉に理解が追いつかず心の中でまたもや何度も言葉を反復する
お師匠様から告げられる言葉の数々すべてが私の理解の範疇を超えており、整理しきれずひたすらに困惑してしまう


『……それって……このままでは、確実に私を喰らう事になってしまうとお兄ちゃんに話した事は嘘って事です…か?お師匠様は…お兄ちゃんの事を騙したという事ですか………?』
『そういう事になるのう』

未だ理解しきれない中、必死にどうにか頭に浮かぶ疑問を言葉に紡ぐ私に
笑顔で尚も変わらない口調でお師匠様はにこやかに答える
そんなお師匠様にどこまでも困惑し理性を掻き乱される

『ど……してッ……なんでですか!?お師匠様はその黒曜石を埋めたら…お兄ちゃんがどうなるか分かっていたのですよね!?』
『もちろん』
『!?……なん…で……なんで……、お師匠様は…お兄ちゃんのお命を鬼から救って下さったお方ではありませんか…それなのに…どう…して………』

震えるようにまるですがるように言葉を必死に紡ぐ

『そうじゃのう。薙翔の命はそなたの言うよう
余が助けた。
ならば…

”その命をどうしようと余の自由であろう?”』

『!!?!?』

背筋が…、凍りつく
非情にもそう告げるお師匠様の言葉を耳にし、困惑しつつも私は自分の愚かさをこれでもかと思い知った
目の前のお師匠様から目を離す事が出来ない
左右非対称の瞳がどこまでもその色を変えずに私を見つ続ける
その目には人が本来もつであろう感情等はまるで宿してなどおられない

そう…目の前にいるのは”神様”なのだ

お師匠様を神様と敬っていたつもりではあったけれども、それはあくまで”つもり”だった
あまりにも当たり前のように共に過ごす期間が長く、いつしか私の頭の中からは理解はしていてもどこか抜け落ちてしまっていたんだ

目の前に居らっしゃるのは文字通り”神様”
それも今まで出会ってきた他の神様とも違う
神様の中でも最高位に位置する”星々と生命の魂を司る命の龍の神様”
目の前にいらっしゃるのは”そういうお方”
私達とは住む世界も考え方も全く違うそういうお方なのだと



『余の事を気にしている場合ではないぞ?』

改めてお師匠様を最高位の神様だと認識し、震える私にお師匠様は尚も変わらぬ様子で告げる

『いずれ薙翔はここへ戻ってくる。
寧々…余はのう、薙翔の願いだけは叶えてやろうと思っておるのじゃよ。あれでも余の可愛い愛弟子じゃからのう。
薙翔が何を求めているかは………そなたが一番分かっておろう?』
『ッ!』
『ふふ、あの様子だともってあと数時間って所かのう。せめてもの心の準備をしておくが良い』

そうしてお師匠様は、アイも変わらぬ様子で余も3丁目の田中さんからもらった煎餅でも食べて待つかのうと言いながら修行部屋を鼻歌まじりに去って行ってしまった


後に残された私はただただその場に崩れおちる
どうすれば良いのかわからず
先程告げられた言葉の数々もあまりにも急すぎてまだ理解しきれず混乱するばかり
でも、混乱してる時間すらもない

だってお師匠様が仰ることが本当ならいずれお兄ちゃんはここへ戻ってきてしまう
今のお兄ちゃんが戻ってきたら…私は確実に”喰われてしまう”のだから


”お兄ちゃんが私を喰らう”
ずっとずっとお兄ちゃんが私にひた隠しにしてきた想い

その想いにずっと気付いていたし、
正直…お兄ちゃんになら食べられても構わないとすら私は思っていた
…でも、反対に食べられる訳にはいかないとも思っていた

だって、例えそれがお兄ちゃんの望みでも
お兄ちゃんの幸せに繋がるとはどうしても思えなかったから
私を食べて、最初は満足するのかもしれない
でも…その後は?

いずれ、どこにも私が居ない事を悟って孤独に絶望する日がきてしまうのではないだろうか
私は…それが怖かった

ずっと…、ずっと100年もの間孤独に苦しんできたお兄ちゃんが、また苦しむ事になるなんてそんなのは絶対に嫌だった

お師匠様はお兄ちゃんの心を支配するのが目的だって言ってたけど、でもそれも結局はお兄ちゃんの感情は残り続けるという事

お兄ちゃんの悲しみがこの世に残り続ける事も私は望まない
だから、”私は私を”お兄ちゃんに差し出す訳にはいかない


なのに…私にはそれを止める力がない…

頬を流れる涙が何度も地に落ちる
どうして私はこんなにも無力なんだろう
いつだってそうだ
苦しむお兄ちゃんのそばにだってただ居続ける事しか出来なかった
ここ数年もお兄ちゃんが苦しんでる理由も知らずにそばに居ただけ
お兄ちゃんがどんな思いでここ数年を過ごしていたのかも何も知らずに…ッ

『…………ぅっ…』

ここで泣いていても時間を無駄にするだけだと分かっているのに
頬を伝う涙が止まらず私はそれを流し続けるだけ
考えなければいけないのに…
どうして良いか分からず、頭の中はすがるように助けを求め続けている
自分の無力さが本当に嫌で嫌でたまらない
こんな時に誰かに助けを求め願うだけの自分が憎い
それなのに私は尚も願い続けてしまう

私にもっと力があれば…お兄ちゃんを止められたかもしれない…
私にもっと力があれば……力が……………



”力がほし…い…”


『………?』

ふと…頭に声が響いた
なにかを…、思い出しかけたのだ


”ちか…ら……ち…から…さえ…………あれ…ば…………このやまに…ある…ときい……た……おに……の……ひじゅ……つ…ッ”


『!!?』

脳裏に響く言葉と共にまたしても蘇るは過去の記憶
気づけば私は修行部屋を飛び出し、屋敷を飛び出しその足で裏山へと駆け出していた

思い出したのだ
あの日出会った半鬼人のお兄さんの事を

彼は”力を求め”この裏山へ来ていた事を


『はぁ…っ…はぁっっ』

降りしきる雨の中、ただひたすらに走る
濡れる髪や衣服が身体にベタつきまとわりつく感覚も、砂利道で傷つく足元も気にせずただひたすらに走り続ける

私の中の唯一の希望
私の中のただ一つの望み

この裏山のどこかにあるとされる鬼の秘術
私が求める力
それを得る為私はただひたすらに走り続けた

この心願うただ一つの想いの為
泣いて立ち止まって等いられない
だって私には伝えたい想いがある
今度こそ貴方に伝えたい大切な大切な想いがある

弱くてごめんなさい
勇気がなくてごめんなさい
でも、この想いだけはどうか知ってほしいの


───どんな貴方でも心の底から愛していると─


この想いはけして色褪せる事はない
私の中にある唯一のもの

だって…、貴方の優しさを誰よりも私は知っているから
私の全てがこんなにも貴方の優しさに包まれているのだから


頬を伝う雫は雨か涙か
構わず私は大切なものの為に走り続ける
力を求め歩む道は果たしてどのような結末を辿るのか
その行く末を唯一知る天はただただ悲しみの涙を流し続けるのであった──
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