3月 甘ったるいのは嫌いだったはずなのに

少し日が伸びて、空が夕焼けに染まった、午後六時。
俺は外階段の横で、彼女─ミミドリが降りてくるのを待っている。いつもと違うのは、今日がホワイトデーだということ。

一か月前、あいつがわかりやすい緊張顔で階段を降りてきて、小さな箱を渡してきたのを、今また思い出した。
はじめは普段と変わらずいようと決めてあった。降りてきてすぐ渡すのは面白くない。
降りてきたそいつに「行こう。」と言って手を握ると、いつものようにゲーセンへと歩いた。

── 三時間後。

ガヤガヤとしたゲーセンの少し重たい扉を開けて、すっかり夜になった外へと出ると、月が明るく浮かんでいるのが見える。それまで周囲がうるさかったのが嘘のように静かな外で、扉を閉めて再び彼女の手を握って歩き出した。
普通ならそのまま帰すところだが、
「…そっちに行くの?」
どうやら、来たときとは違う方向に歩いているのに気付いたらしい。いいからついてきな、と、彼女の手を引いて歩いていく。一体どこへ連れて行かれるのかわからない当の本人は、不安そうにしながらも、ただ黙って、俺の手を握ったままついてくる。
知り合いといて得意分野のことを喋るときは饒舌になるこいつだが、喋ることがない時と緊張している時は、黙りこくって静かになる。
今もそうだ。
何も言わないまま、ラクガキされた壁ばかりが並んでいる路地を抜けていくと、少し賑やかな空気の大通りに出る。
その大通りをしばらく歩いた、ビルの前。
「ここだよ。」
「え…?…ここ…!?」
驚くそいつに、
「…ちょっとそこで待ってろ。」
とだけ言って、その建物の中へ入った。

そんな下りを経て、数分後。

とあるホテルの一室でベッドに座っていた。
「あの二人にはちゃんと言ってある。」
彼女の義理の兄・姉のユイレンとユイランには、このことは言っていたが、本人には言わないように頼んであった。
だからこいつは、ここに連れてこられることも、今日まで何も知らないでいた。
そして。緊張と不安にひきつった顔の目の前の彼女に、降ろした荷物から取り出した箱を渡すと、
「今日、何の日か知ってるだろ。」
「…ホワイトデー?」
平和なこいつからすれば、今日が何の日かなんてわかり切っていたことだろうに、少し目を泳がせている。こいつの焦った表情はいつもわかりやすい。目を反らして下を向いたそいつの頭に、俺は笑いながら手を置いた。
「今日も一緒に寝るからな。」
「うん…。」
誕生日にも、ただいつもと変わらず一緒に寝て欲しいとだけ言ってきたような奴だった。あの時は、それだけでいいのかと思っていたが、それくらい、俺のことが好きなのかもしれない。
…俺が死んだらどうするつもりなんだろう。なんて、少し思わなくもなかった。

それから一時間半くらい経って、いつも一緒に寝るときのように、布団の中で抱き合ったとき、
「…お前ってさ。」

額を俺の首もとにぴったりくっつけているこいつに、こう言って、その広い額にキスしてやった。
「…考えることは甘ったるいくせに、そういうことされるのには慣れてねぇよな。」
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