六章
…彼女は、その声にどこか聞き覚えがあった。あれは確か…鬼瓦…。
その道着を着た男が怒っている目線の先、建物の影からほんの少し見える、黒い人影…。路地の先を確認したクールが、ミミドリの手を引いて引き返しだす。
「!?」
彼女が驚きながらついていくと、別な路地へと手を引かれていった。
少し遠く、道着を着た男…鬼瓦の前で、チッと舌打ちをする男たち。
「おっさん、またな。」
一人がそう言うのと同時に、鬼瓦の横を逃げるようにすり抜け、走って対岸へ向かった。
「まったく、最近の若いもんは腐った根性しとる…。」
そう言う鬼瓦だが、素早く、そして危険そうな男たちを、追いかけることはしなかった。
狭い路地の先。防犯のない、古い廃ビル。緑色系統の床が古さを思わせるその狭い廃ビルに、ミミドリは手を引かれてついてきた。
階段を上った先には、一つの大きな部屋。その中に、鍵穴があるがその機能が失われ、開いた扉がある。
手を引かれるまま状況を悟った彼女は、その扉に背中を押されるようにして急いで入った。
彼は内側から施錠できるようになっているその扉の鍵を閉め、上半分がくもりガラスになっているその扉の前から離れる。
小さな部屋の中。扉のある壁に沿って立っている本棚の後ろに、ぴたりとくっついて、無言で彼女を抱き寄せ、「深呼吸してろ。」と小さく言った。
しばらくは静かな時間が流れるが、数分後。部屋の外…少し遠くから、一発の銃声が沈黙を破った。
相手が銃持ちであることが、どれだけ危険なことか…。お互い、それぞれが考えに耽った。
ミミドリはもともとこんな腐ったところにいたわけではない上、ここに来る前、家出して銃を持った男に追われたときの記憶も忘れてはいない故に、一層銃への恐怖が増した。
対するクールも、いくら闘えるとはいえ、彼女を抱えているこの状況では分が悪い。
心の奥がきりきりとするような感覚を覚えた彼女の引きつっている背中を、彼が音を立てない程度にゆっくり撫でる。
だがそのうち、微かだが、階段を駆け登る音が、彼の耳に響いた。
彼女をしっかり抱きしめて、本棚の側面からはみ出ないよう、さらに壁に寄るように体に力を入れた。
そこの大部屋には何もないので、追いかけてきた奴らがこっちへ来ることは想像がついている。
扉を開けようとして、扉が開かずに音を立てるので、鍵がかかっていることに気がついたらしい奴らが、僅かに戸惑うのが、彼には壁を通してわかる。
…扉の先から銃を構えるような音がする。
強引に開けてでも探すつもりだろうか…。そう思って、くもりガラスが散る覚悟を決めたとき。
「…やめとけ。飛び散る。」
「…。」
「…音もすげぇから…。行こう。」
小声で話す声が聞こえた後、階段を駆け下りる音が聞こえ、奴らは離れていった…。
二つの黒い人影は、遠くの狭く暗い路地まで来て、その路地の闇に溶けていく。
「…めんどくせぇって言ったのに。」
「…またしくじった…。っていうか、あのオッサンよ。あれさえいなければな。うまく行ったんだけど。」
「やっぱりどっちかを狙う方が気が楽だし失敗しねぇよ…。」
