詩
波に船が仰け反るたび、溺れ死んでゆく水夫の群れを眺めている。
(海の上でまた嵩ましをしている、肥え太ってなにをしようと言うのか)
「これだけ人が海に沈むなら、もうすぐ底も見えるかも知れないね」
だれも笑えない冗談は冗談にならない。自らが笑ってこの静寂を食らうことを覚えていた。
天空には嵐を起こす水龍がいるという。龍が人を喰うようになってまだ五年も経たないが、船を出すにはこの海は豊かすぎる。荒れ狂った海で甲板にしがみつき、船長は先ほどから一言も発していないようだった。
(彼1人残ったら、私と同じだな。)
私は海底で碇を落とし、嵐がおさまるのを待っていた。
もう直ぐ終わる補陀落渡海で、どうしても尾鰭だけは腐ってしまった彼女を慰める言葉が見つからない。
死んだ海を渡ったのだ。魚、ましてや人魚など呼吸もままならない海をこえて、補陀落渡海を達成するのだと。私の千里眼に映る彼女はそれはそれは美しい人魚だったのだ。
大きな樽に鈴と二月、私は自分の為に生きてきた。人魚の彼女にだって望むものがあるからついてきたのだ、願ったのだ。報われても価値があるのかはわからない、そんな世界で。
水夫がいるならば、もうすぐ島もあるかもしれない。そう呟いた矢先、龍がこちらに目を向けたのに、私だけが気が付いた。
私が息を吸い込むと、龍は空を掴んで雲を突き抜けた。こっちへ向かっているのがわかった。
岩肌につかまっていた彼女は長い間無言だった。亜麻色の髪の人魚でも最上に美しいのであろう彼女が、きっと言うと思っていた言葉を、今まで殺してきたに違いない言葉を涙声で、それでもはっきりと言った。
かえりましょう、と、人魚は泣いた。
私は息も吐けないのだと知り、少し狂気の心がざわめく。
人魚の彼女はもう帰れない。死んだ海に囲まれたオアシスのような場所で彼女は生きていたのだ。私はそこに点在する小さな島の僧だった。水槽に入れられてしまう彼女を夢想のうちに殺してから、帰れない海に連れ出した、自分の浅ましい孤独を生き埋めにしてやりたくなった。
わかっていたことを悔やむのだ。それが人間の自己愛だ。
「死んだ海が嵐だと良いね」
皮肉を口にする私を、どうか嫌ってほしい。
私はもうすぐ死ぬだろう。叶ったなら補陀落に着けば良い。
彼女を死なせないことや、私のそばで死んでほしいことを、今悔やむ。もう空は、海に沈んだのだ。
私が龍を殺してしまったら、彼女はもう一度、ひとりになる。
そうしてはじめて、ぬかるんだ綱を、彼女は切る。
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溺れ死んでゆく水夫の群れ
海の上でまた嵩ましをしている
補陀落渡海はもう直ぐ終わるのに
尾鰭だけは腐ってしまった
かえりましょう、と
人魚が泣く
もう空は海に沈んだのだ
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なんか急に小説擬きみたいなものを書いてすいません。小説は書けません。
詩が元です。また人魚の話ですが、これは補陀落渡海の話(若干夢見すぎの絶望冒険記になってますが、というか即身仏になるための補陀落渡海なんですが)で、補陀落渡海の話にもかかわらずファンタジー色なので実在する国、個人、団体、企業とはなんの関係もありません。
ちなみに樽内の空気とかどうやって龍倒すのかという話はどうとでも出来る部分だったので書いてません。法力とかあるし。千里眼持ってるし。彼女に"私"の姿は一度も見られてないと"私"は思ってますが実は彼女は島を見るのが好きなので知ってました。別に普通です。
綱を切るという最後の表現ですが本当の補陀落渡海では同行人が沖まで船で船を連れてって綱を切って帰るということらしいです。
そもそも60才超えた補陀落信仰の僧(?)は追い出されるように補陀落渡海しなきゃダメ、ゼッタイ。な感じになっていて、自殺ダメ、ゼッタイ。みたいな風潮になってからは海葬?という意味を含めて遺体を流してたらしい。正しくないと思うので詳しく知りたい方はググってください。