白と黒 ~モノクローム~

 
   第五話、白と黒





     1.

『──泣かないで。愛してる。世界中で俺だけが、君の味方だよ。士郎…』



 揺らめく水面(みなも)、広がる波紋。辺りは闇に覆われ、彼の元で開く蓮の花々から噎せ返る程にまで立ち込める甘く芳しい薫り。
「───誠二、一緒に居よう。お前には、俺だけが居ればいい……」
 声色や声の抑揚から、彼の精神状態が正常でない事だけが窺えた──。さすがに不味いと本能的に感じ誠二はジリッと後退った。それを見た士郎の顔が途端に歪む。まるで、小さな子供が今にも泣き出しそうな時のように──…。
「……いやだっ、…捨てないでくれ………一人に、しないで…。オレ、俺…、おれは───…駄目だ。逃げてくれ、誠二───!!」
 前髪を掻きむしり、そう吐き出した見開かれた士郎の両目。涙を流し苦しみ喘ぐ彼を置いてなど行けず、誠二はゴクリと唾を飲み込む。おそるおそる士郎へと足を踏み出し、震える手を伸ばした。
──ガッ!!
 伸びてきた右手に尋常ではない力にて掴み引き寄せられ、彼の腕の中へと収まる。士郎は過呼吸気味に息を乱して、強ばる体で誠二へと縋った。
「───苦しい。助けてくれ、……助け…て、怖い──怖い…。一人に、しないで。オレを、一人にしないで、お願いだからっ………」
「………士郎…さん?」

 くらり、としたのが分かった──。士郎の背へと回してやりたかった腕には力が入らず、それ以上腕を上げる事すらできない。全身の痺れ、強ばり。指先から麻痺していくのが分かった。軋むように体全体を毒のような何かへ侵食され、思考にゆっくり焼きが回っていくのを感じる。冷たい汗の浮かぶ皮膚の下を熱い何かが音もなく這っていった。鳩尾(みぞおち)への強い圧迫感…。目の前を闇が静かに覆った───。





     *

 暗い暗い水の底に居るようだ。寒い。暗い。体がいう事をきかない。声が出ない。──不安、不安、苦しみ。恐怖。焦燥に幾度と焼かれ、葛藤に狂う。矛盾。板挟み。憂鬱に底なしに沈む…。光の届かない真っ暗な泥沼の中……。
 ──身に覚えがあり過ぎて、吐き気を催す。全てからの拒絶、思考が鈍り遂には停止する。虚ろに開いた両目、霞む視野には闇しか映らない。力の抜けてゆく体に、やがて縋る者と支える者とが入れ替わっていた。





──ゴボボッ………
 吐き出される最後の酸素が微かに散って、視界は闇に完全に閉じる。
「誠二…? あはっは、はは、は──…!! もう離さないから…、ごめんね───」
 凭れ込んできて身動き一つしなくなった誠二を胸に抱き、頬を撫でて口づけた──。ふらりと共となってその場にへたり込み、温度を無くしてゆく肌に触れ、やがて静かに項垂れる。
「………ごめん、ごめっ……オレ、おれ──…」
 高笑う声と消え入りそうな声。誠二の体を掻き抱いて、大きく笑い声を上げながら止めどなく両目から溢れる涙が誠二の頬へとポタポタと落ちては伝う。
「…誠二、なぁ───?」
 返答はない。動きもしない。彼の指先を弄(まさぐ)るように握るとまた涙が頬を伝った。
「駄目だ…、こんな、の……間違ってる───邪魔をするな。違う。こうしたかったんじゃない……! 俺は、アイツみたいには、ならない…! ──出ていけ、俺の体から…!! ……消えろ、消え…、消えてくれっ………!!」










「───遅かったか」
 ぽつりと声が響いて黒い闇を真っ赤な炎が焼いた──。

 メラメラと焼け爛れ、焼け落ちて行く闇。
「……白羅(ばくら)の駒め、」
 途端、切り替わる視界。焼かれた蓮の花は猛毒の霧となって一帯を包み込む。
「吸うなよ、優人。こりゃ、確かにタチが悪い……」
 ドロドロとした血と炎の化け物を纏って現れた人物は人の腕へと形を変えていくヘドロへと手を掛けてその指輪だらけの左手を退かすと小さく息をついた。
「…………イノセさっ…、触り方……」
「あ? 見られて興奮する質(たち)だったか? お前──」
「バカ言ってないで───」
「クックック、残念だなぁ……」
ノイズ混じりの声からノイズが晴れる。

「──久々のお呼ばれに少し浮かれただけだ…」





     *

 優人は誠二らの元へ歩み寄ると士郎は怯えた様子で誠二を庇う。
「…やめっ、…やめろ。誠二に触るな───」
「必死かよ──」
イノセントは優人の後ろから士郎を見下げる。
「黒田さん、安心してください。僕は天音くんの友人です」
「…!、た、助けてくれっ…! せ、誠二が……頼む、頼むよ! 頼むからっ………こいつを、死なせないで────」
「大丈夫ですよ。眠ってるだけです、彼」
「──ほ、んと…?」
「はい」
 士郎は改めて誠二の体を掻き抱いた。
「…ごめん。ごめんな、誠二。俺、やっぱダメみたいだ。一緒にお前と居ちゃいけない。傷つけて、壊しちまうから。依存し依存される関係に抗えない───」
「いいね。それ、サイッコーじゃん?」
「…イノセさんは、少し黙っててください──」
 立ち上がった優人に絡んで首筋に口づけてきたイノセントを優人は鬱陶しそうにぞんざいに払った。
「お前。んな扱いしてっと今回の対価の回収の時、泣かすかんな」
「対価をひけらかすんなら仕事の邪魔しないでくださいよ──」
「仕事、仕事って。真面目だねぇ。──そいつ、もう駄目だぞ。咲くまでにカウント切った。…蕾は、もうじき開く」
「─────、」
「首から落とすか、根を断つか。まあ、避けられんだろうに──…」
 ……それ即ち、彼の“肉体の死”また“魂の死”の選択に迫られている事を指す───。
「──手は打ちますよ」
「へぇ? 大した自信じゃねぇか」
「書き換えはできなくとも。組み換えをして対処すれば、今回は何とかなりそうですから」
「───お前も、立派な異分子中の異分子に咲いたな」





     2.

 二頭の力を借りて門を開き、誠二を彼の部屋へと運ぶとベッドへと寝かせた。
「ありがとう、二人共──。下がっていいよ」
 暗い部屋の中、窓から差し込む僅かな月明かりと街のネオン。部屋の入り口付近には、イノセントが見物でもするかのように佇む。



 詠唱を唱えれば、光の線が円陣を結ぶ。目を固く閉じた誠二から抜き取った“黒い一輪の花”へと優人は触れ、タップする。そこから水紋が広がり、強引に遺伝子の螺旋を引き摺り出す。──起動。細胞の粒らが一面に広がり湧き上がるように渦をなしてゆく。
 指先で素早く細胞壁を撫でスワイプし、中指と親指にて細かな細胞の黒ずんで歪んでいる部分を大きく拡げピンチアウトした後、今度は細胞の一つ一つをタップし選りいってゆく。時間の短縮を計り、列をなす壊疽(えそ)部分を長押しの後にスライドさせ、更に複雑なドラッグを幾つとなく組み合わせた。
 スワイプ。引き出した入力画面に空いた片手にて壊死し欠落した細胞らの位置を検索し、患部の修復のプログラムを打ち込む。
 また二つの指にて拡げていた細胞膜らをピンチインし、スワイプさせ別層へ。壊疽の進んだ箇所を見つけては拡大(ピンチアウト)し、上下左右にレンズを操作し患部を覗き込むと、奥底に入り込んだバグを指にてスワイプし、酷い場所はドラッグにて連鎖的に消す。黒ずんだスケルトン色をしていた歪んだ細胞達は、ハラハラと音も立てずに消えてゆく。──またピンチインにて患部を閉じ、更にスワイプで次の壊死した層へと移動する。何度も何度も難解なパズルでも解くかのように。その操作を限られた時間の中、無駄のない動きにて黙々と繰り返し、闇に飲まれ蝕まれた細胞らをひたすら消してゆく作業に没頭する。

「呪術式と併用して組み換えようなんざ、そりゃチートが過ぎんだろ」
「黙っててください。無駄な事に時間を割いてる暇なんて無いんですから」
 口早に後方の壁に凭れて佇むイノセントへ言い放って、眼鏡のズレを直す。尚も精神寄生体(バグ)らへと向き合い、残り時間と割合の数値を刻々とカウントする数字達の群れを一瞥し、素早いフリック入力と終わりのないドラッグ、スワイプ、タッチと、優人は延々と繰り返していった。

「…祟場の手からも離れる訳だ───」
 返事は無い。見向きもしない。「昔はもうちっと可愛げがあったのに…」とイノセントは苦笑った──。





     *

「…時間が無い。細胞(パーツ)も足らない───、」
 もう幾千幾万回目かのドラッグ、スワイプ操作にいつしか優人の指の腹から血が滲む……。

((…そうだな。いつか──))

「くそっ──!!」
 果たされるとも限らない約束をした。別の世界でモブであった筈の彼に助けられた事もあった。最初で最後でも構わないから、彼だけは──…。
 日の出は、近づく───。





《…じんない、くん──…》
 ピタリ、と優人の手が止まる。
《──ぼく、を》
ピクンッと優人の手が振れた。
《あるじ、を…助けてくれるなら───》
 「構わない」そう告げる。口調は辿々しく幼いが、彼の思念は優人の中へと流れ込む。
「──ごめん、しらたまくん…………」

 処置に手こずり、欠落だらけなこの状態ではバグ感染に削除(デリート)した場合と何ら変わらない。これでは機能せず死んだも同じ事だった。
 白くて頭の一部分にだけ赤い斑点のあった鯉は、軽く身震って大きく一度だけ部屋の中を回遊すると本来の姿──部屋を埋め尽くす程の大魚の姿へと戻り、横たわる誠二の身体の中へと水紋を広げ飛び込んでいった。
 ──忽ち、欠落だらけだった細胞らへと白い鱗から転じた新たな細胞達が敷き詰められてゆき、蒼白く辺りを照らし出した。赤い核が鼓動を刻み、新たに生み出された細胞達が残るバグ片らを飲み込んでゆく………。

「───いける、」





 中指と人差し指を添え、指の腹から尾を引く血糊により“書き換え・組み換え不可”のサインを記入した。紋様と化し、呪術式は一際強く発光した後、誠二の中へと染み渡るように消え失せていった。

「終わった……」

 眼鏡を外し、頬を伝っていた汗を拭った。放心し立ち尽くす優人へとイノセントが歩み寄る。
「やったじゃねぇーか。初仕事、お疲れさん」
「…まだ、彼が目を覚ますまでは気が抜けません」
「そうかよ」



 ドッとその場にへたり込み、ぐったりと天井を見上げる。覗き込んできたイノセントと目が合って、ニヤリと笑む彼の顔が降りてきた。
「………んっ、」
 先程、汗を拭った際に頬へとついた血液をベロリと舐め上げられ、顔を顰めると「労ってやってんだ」と今度は未だ血の滲む右手を強く掴まれた。

 熱帯夜から一度は温度を失った大都会の朝の空気がまた、熱を蓄え始めていた───。





     * * *

 誠二は目を覚ます。記憶を辿り、三次会に出席して士郎にblackout専属のローディーになるよう口説かれた所まではハッキリ覚えているが──。
「………、」
傍らで“彼”の定位置にて眠りにつくあんこをそっと撫で、それから部屋を見渡す。

「…しらたま?」





     3.

「──最近の調査にて明らかになっていた事が幾つか。一つは、あの界隈を中心に蔓延していたという事。それと。やはり、blackout、黒田士郎関連。そのファンらに多くみられていたのでは、と…」
 書斎の席につく祟場へ優人が報告を行っていた──。
 遮光カーテンと冷房により部屋は薄暗く涼しいが、外は真夏真っ只中。蝉の音(ね)が耳鳴りのように響いていた。
「感染者の一人は、家族が亡くなった事をきっかけに。また一人は、恋人に別れ話を切り出された事。また一人は、交友関係の縺れから。一見してこれらは何ら関連性が無いようにも取れますが、同じ共通点としては。彼らは強く“孤独”を恐れていました」
「黒田はな。幼い頃に、実の両親が他界してるんだ。交通事故だったらしい。その車内には黒田も乗り合わせていて、彼は奇跡的に命を取り止めたが。右目と心に大きな傷を受けた──」
 優人は、後ろ手に組んだ右手の指先を軽く弄る。──彼により、労いと称して手当てが施されていた。
「その事故に因り精神疾患を患わった彼は、慧にいいよう長年、利用され続けてきた。その挙げ句の慧の失踪───」
 若者達に支持されていた黒田の作った曲らは、その多くにその孤独感を投げ掛けているものが多かった。同じく心に傷を負った者達、それへと知らず知らず憧れを抱いてきた者らへ彼の曲は強い共感を得た。
 しかし、それが。慧により与えられた彼の中の精神寄生体によるウイルスが関連していた事に周りも黒田自身も気付いてはいなかったように思う。
「──慧の、元は白羅によるプログラミング。ウイルスを新たな世代達へと拡散させる為の、その媒体が黒田だった」
「…黒田さんにその自覚は無かったようですが、新たな自身の後継者として天音誠二が選ばれた。──巨大な感染経路を確立し、極強力な感染力を誇る。“黒百合(ブラックリリー)”と称されていた黒田と同等、または上回る可能性を秘めていた天音が。どうやら、この世界ではキーマンとして主人公として、描かれた物語(ストーリー)だったみたいですね」
「音楽、ね。昔から好き好んで聴くものだったが、媒体となると確かにこれは厄介なものだったな───」
「この世界での俺は“主人公”とは僅かな接点でのみ辛うじて繋がっている程度の単なる“モブ”でしかありませんでした──。出立はいつになりますか?」
「彼との別れがつらいか?」
「……、訊かないでくださいよ。俺がこれ以上この世界に留まって何になります? ──故の、成り代わりです。そうでしょ、先生…?」
 祟場は、席を立った。書斎からリビングへと出ていく。
「今夜には立つぞ。身支度して置くように」
「はい」
 祟場は、優人の頭をクシャリと撫でる。強がってはいるが、その胸の内は如何程のそれであるのか──。
「今日は、もう仕事は休みだ。何が食べたい? 出掛けてきても構わないぞ」
「ありがとうございます」
 そう言って無理に笑んでみせる優人の憂いには、気付かない振りをした。同じ思いなら幾らでもしてきた。だからこそ……。

「────よく、やった。」




 
     * * *

   The world that you were not
   able to love was always
   gentle to you.
   Has it already been noticed?


   All are your responsibilities.
   Has it already been noticed?
   Though I always existed on
   your side………



 

     4.

 真夏日。鼓膜を麻痺させるような蝉の音(ね)の中、インターホンの音がそれを破った。
 ヘッドホンにて隔離していた心を、何度も何度もその音が邪魔をして憂鬱でしかない現実に引き戻すものだから───。
「──うるせぇ!!」
「あ。士郎さん、おはようございまーっす」
「・・・!?、──せい、じ…??」
「あはは。何すか、寝惚けてます──?」
 屈託ない笑顔があどけない。顎に引っ掛けた黒マスクとキャップ。ただ、いつものような黒ずくめ姿ではなくラフに私服を着崩していて───ていうのは今はどうでもよくて。──よくもないけど…。
「──お前、何してんの…?? 何でウチ知ってんの??」
「敦さんから聞いて調べて来ました──」
「どうでもいいよ、んな事は」
「自分から訊いといて?」
 足下に誠二の脱げたキャップが転がる。
「………士郎さん、」
沈黙に街の喧騒と蝉の音が遠く響いていた。
「…何で、泣くんすか──?」
 首元に縋った士郎を抱き止めて、微かに笑う。無意識の中で彼女からの影響からか、士郎のその背へと腕を回して優しく宥めてあやすよう擦(さす)って、ポンポンと叩く。
「ごめんな。誠二……」
「いえ。別に、何も問題ないんで。謝んないでくださいよ。──ね?」
「…うん───、」

 何も覚えていない訳じゃない──。あの晩、目の当たりにしたこの人の弱さに触れて。傍に居てやりたいって……居させてくれって。心の底から思ったから。こんな自分をそこまで必要としてくれるってんなら、幾らだってくれてやる。俺は今まで、ずっとアンタに散々に救われてきたのだから───。



「あの、取り合えず士郎さん──。俺、今ちょっと、恥ずかしくて死にそうなんですけど………」
 「離してくれませんか?」と苦笑を溢した誠二の言葉に我に返る。小さな人集りにコソコソとあらぬ言葉と視線に気付いて、士郎は慌てて誠二を部屋の中へと引き込んだ。──白い目の主婦層と女子高生達からの妙な視線…。
「…悪い。取り乱した」
「別に、いいんすけどね。士郎さんだし」
 ヘラヘラと尚も笑う誠二に何かがプツリと音を立てて切れて。衝動のまま、相手をドアへと押しやった。
「…ちょちょ──、士郎さん?」
 強くまた抱き締められて。縋ってきた士郎の頭へと触れ、その髪を撫でた。
「そうゆう意味じゃなかったんですけど…、まだ寝惚けてる??」
「ううん。嬉しくて、つい───」
「つい、じゃねぇんですよ。何も……」
 言葉と裏腹に、相手を抱き締め返して目を閉じた。交差した膝、ドアから伝わる外気の熱。蝉の音は尚も遠くて耳鳴りのよう。士郎の背へと回した腕、微かな汗の匂い。彼の前髪に左の首筋を擽られ、ふと落としてきたキャップの事を思い出していた。





     5.

 スタジオ、~片隅(corner)~───。


「えっと、この曲は。俺が丁度、blackoutを知った頃に出てた当時の新曲で。あまり公(おおやけ)に知られてないとか、blackoutの中ではマイナーな曲だとも言われてるんですけど。俺の一番、思い入れが強い曲で。たまにアンコールで流れたりすると、メチャクチャ嬉しかったりもする曲です。中学から高校生くらいの時、こればっか聴いてた時期とかあるくらいで。今回、ウチのバンドメンバー……“TopGear”って言うんですけど。メンバーに聴かせたら、反応もかなりよかったのでblackoutの皆さんには是非、今後もこの曲を世に広めていって貰いたいなぁー、っと言う事で。…聴いてください、『悲願主義者に捧げる黙祷』───」

 ドラムが打ち鳴り、ベース音が響く。キーボードによるメインのイントロ部分が流れる中、誠二は一度演奏の手を止め「あと、今、訳あってウチのボーカル不在なんで。今日の所は俺のボーカルでご勘弁ください」そう呟いてから再びギターが入り、歌い出しの瞬間の一拍の静寂──。
 次の瞬間。スタジオ内、士郎の元へと音の波が打ち寄せた。よくよく知っている筈の曲なのに、まるで今初めて聴いた曲のようなフレッシュさを感じた。自分の音より若干、落ち着いたギターの音が敦より幾分低い彼の声とマッチして、連なられる憂鬱な歌詞を丁寧になぞり、込められた感情に自然と声が震え、そのメッセージ性を投げ掛けてくる。

 歌い終わりに、途中のしくじったギターソロに舌を出して小さく笑い、くるりとその場を回ると「誠ちゃん、ドンマイ」とベースから声が掛かった。



「ハイ。肝心な所、すみませんでした」
 苦笑気味にMCを再開すると、誠二は言葉を続けた。

「ちょっとした自慢になりますが。ウチのボーカルは声量、音域かなり凄い奴なので。いつか、聴いてやってください。──それと。ウチのボーカルは英語、日本語、共にペラペラなスッゲェ奴なんですけど。俺、blackoutの曲とか何曲も英文の歌詞の曲、多く知ってるのに。翻訳、あったりなかったりするじゃないですか。たまに。何となくで聴いてた部分も確かにあるんですけど。ミツに…ああ、ウチのボーカルに。翻訳して貰ったら、今、ここで丁度聴いて貰いたいなぁ~って曲があったんで。最後に聴いてください。──『行く方知れずのK』…、」

 ドラムがツーテンポだけ刻まれ、ギターソロが入る。本来、英文オンリーの筈の歌詞は和訳、翻訳文に置き換えられていた。





「ありがとうございました。──以上、blackoutより。コピー、TopGear────…」

 言い切らない内に誠二はマイクの前を離れ、彼に駆け寄った。
「…士郎さん?」
シンと場が静まり返る。俯いたまま動かない士郎に誠二が膝をついて顔を覗き込む。
「大丈夫ですか? 具合悪いです…? ───まさか、二日酔い……」
「…ちげぇからっ!」
 ゴツリと鈍い音がして「いってぇ」と誠二はその場にひっくり返った。
「相変わらず空気読めないね、アンタ」
奏から溜め息が溢れ、額を擦(さす)り振り返った誠二に「誠ちゃん」と一言だけ声を掛けて、瀬能と安嬉が誠二の正面の士郎を指す。
「…?」
「普通に感動してんの。見てわかんないの?、お前……」
 一つ、鼻を啜ってからストールへ口元を埋(うず)めた士郎の左目が僅かに潤んでいた事に気付き、誠二は軽く目を見開く。
 士郎に腕を引かれ立ち上がると「肝心な所で鈍いんです、ウチのギター」とシシッと笑って頭の後ろで手を組む安嬉の隣で「阿呆だしな。ガキだし、抜けてるし」と続けた瀬能に「お前らっ!?」と誠二は噛みつこうとした。
「…なあ、誠二───」
掴んだままだった誠二の手を引いて握り直し、持っていた古びた一枚のピックへと目を落とす。
「お前らのボーカルはいつ頃、帰ってくんの?」
「え?」
「ザッキーにも確認取んなきゃな…」
「士郎さん?」

「──お前ら、纏めて引き抜くからな。逃げんなよ?」

 ぱちくりと瞬いた一同は、遅れて互いに顔を見合せあった。
「それって……」
言い掛けた安嬉が「あ、」と誠二の方を指差した。
「お前は、端っから逃がすつもり更々ねぇーからな。…ローディー辞めるって時は、ザッキーじゃなくて俺に直々退職願い持ってこい。何度でだって破ってやる────」
 固まった誠二を引き寄せその額に口づけ、士郎は片目で笑った。


 
白と黒 ~モノクローム~ 終
 







   『悲観主義者に捧げる黙祷』


   真っ白な鬱 寒さによだって
   現実味だけを差し置いている

   張り詰めた苦痛に身がよじれて
   心が死んでゆくのだと感じた

   嘘偽りの景観にさえ饒舌に吐く
   僕がいない ただそれだけだ

   何を惜しむこともない
   貴方がそれを悲観していたとしても

   街が賑わって この虚しさにさえ
   明るい名前をつけてくれたら


   「どうせ、きっと忘れてゆくんだろうから…」


   悲しいことは風化して
   いつか世界を飾るんだ

   付随した美談に心揺さぶられて
   誰かがそれを安っぽい歌にする

   軽口に叩かれる悲嘆を
   言葉にしてくれたらいい

   少しだけ僕の気持ちがわかるだろ


   重くはない そんな憂鬱だ
   きっと それが現実なんだろう

   値踏みされた僕の価値は
   そこにある全て



   路上の屍が土に返る頃
   花が咲いて風に揺れて
   日の光が差す頃に
   僕は何処で何をしてるのかな

   例えば君とのあれやそれを
   思い出したりもするのかな
   要らないもので溢れてるね
   想像を掻き立てるには少し…

   貴方は誰とそこにいて
   どんな話をするのかな
   創造的な未来の話だ
   虚妄に長けて少し根暗いけど


   「馬鹿馬鹿しいこと、この上ない」


   だからせめて綺麗に飾ろう
   思い出なら華やかだ

   報いは来ない 朝は見えない
   まだ肌寒いから独りは悲しいけれど

   暖かくなる頃 夢が覚めるまでには
   きっと 色鮮やかに映えるだろ


   酷く無感動な言葉に
   花を添えてくれたらいい
   意味を見つけてくれたらいい

   「本音は“底”で眠ってる」

   気付かれる事は無い
   きっとそれが現実だ


   思いを馳せて言葉を紡ぎ
   綺麗に飾ってひた隠す
   言いたい事は死に言葉
   日の目を浴びずに散ってゆく

   この毒は静かに眠り
   いつか薄れて消えて行く

   そして、その先で。僕は───…








   The tragedy, the tragedy,
   the nightmare, and all
   are your responsibilities.
   The crime of you who not
   was here was to have
   distorted my world.
   It dies if it will apologize.
   The flower that
   you loved has died.
   Isn't it sad?
   The flower becomes
   full-bloomed and returns to
   your mind at one time.
   Isn't it glad?
   The world that you were not
   able to love was always
   gentle to you.
   Has it already been noticed?
   Mind that has broken in pain.
   You filled with despair.
   It was drowned and it
   degenerated into frenzy.
   All are your responsibilities.
   Has it already been noticed?
   Though I always existed on
   your side………


     * * *


   悲劇、悲劇、悪夢…
   全部が貴方の責任です。
   ここにいない貴方の罪は
   俺の世界を歪めたことでした。
   謝らないで、死にたくなるから……

   悲しくないですか?
   貴方が好きだった花は、枯れました。
   嬉しくないですか?
   その花は、いつしかまた
   満開となって、貴方の心に
   戻ることでしょう。


   貴方の 愛せない世界は
   いつも優しかったんです
   それに気付いていましたか?


   痛みを使いならした心は
   絶望に満ち、溺れ、狂乱に落ち
   それは全部、貴方の責任です。


   ねぇ、気付いていましたか?
   それでも僕は…、いつも
   貴方の側にいたんです──…。



   『行方知れずのK』







 
白と黒 ~モノクローム~



※この小説は、七峰雪夜氏(原案)との共同創作です。

原作:七峰 雪夜
著者:くろぽん
協力:組織MOSA
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