白と黒 ~モノクローム~

 
   第三話、飛躍と暗躍



     * * *

   路上の屍が土に返る頃
   花が咲いて風に揺れて
   日の光が差す頃に
   僕は何処で何をしてるのかな
   例えば、君とのあれやそれを
   思い出したりもするのかな


   貴女は誰とそこにいて
   どんな話をするのかな

   創造的な未来の話だ
   虚妄に長けて少し根暗い
   ……………





     *

「───夏花…?」
 部屋の隅にて彼の机の上を片付けていた夏花(なつか)はその手を止め、一枚の紙に目を落としていた。
「あ。誠二くん、おかえりー」
そっとそれを元の場所に戻して、玄関ではなくキッチンへと駆けてゆく。
「おい。また、来てんのか? いいって、飯の支度とか……」
「えー? 何で? だって、誠二くん。ほっといたらどうせ、カップ麺とか菓子パンみたいなのでご飯、済ましちゃうじゃない」
「…そーだけど。バイト先で廃棄の弁当とか貰える事もあるし、無理にじゃないからな。──正直、助かってるけどもさ」
「えへへへー」
「何、作ってんだ?」
「カレーだよ? 最近、麺類ばっかで飽きちゃってたでしょ?」
「げー。このクソ暑いのに?」
「やなら食べなくてもよろしくってよ?」
「………食べます。食べますので」
「ちょっとー! 家に帰ったら、まず、手を洗いなさいよ。外からきた手で冷蔵庫、触んないで」
「お前んちかよ」
「みたいなものでしょ。──あ。ご飯、解凍するね」

 小さな体でパタパタと忙しなく動き回るその様は、まるで小鳥のようだった。色素の薄い白い肌と血色のよいピンク色の唇に“白文鳥”のようだと、前々から少し思っている節がある。



「ああっ!? オイ、夏花──?!!」
「なぁ~に~??」
 バタバタと風呂場の脱衣所から、廊下を駆ける音がした。
「おまっ…、洗濯した??」
「うーん」
「うん、じゃねぇ! 勝手に洗うな! パンツとか入ってたろ、勝手に干すな! 少しは恥じらえ!」
「何よ~。思春期なら、もう過ぎたでしょ? ──お兄ちゃんとかお父さんの下着も見慣れてるから、私なら平気よ?」
「こっちが平気じゃねぇーの!!」
「あ~ら。思春期ど真ん中だったかしら~??」
「笑ってんじゃねぇよ! バカ!!」





     1.

 今から、数年前の事──。早朝の街の小さなライブハウス前にて。昨夜、ライブがあった形跡か入り口付近から歩道の脇に掛けて、無残にも散らかった紙屑やら何やらと、そこには一部のマナーの悪い客達による散乱したゴミが転がっていた。
 誠二にとってライブハウスの会場というものはとても神聖なイメージで。そんな彼らの愚行により、憧れのバンドマン達やライブハウスらが他人によって時に悪く言われる事が何となく、しかし、とても嫌だった。


「──おやおや、感心だねい」
 そう、背後から急に声を掛けられドキリとした。
「いや~、助かるよ。ウチは小さい代わりに立地はいい方なんだけど、こればかりはねい………」
「……?」
 その言い回しにふと疑問を浮かべ、誠二は背後の人物を立ち上がりながら振り向いた。…作業服姿の一人の男性。年格好的には、自分の父親と同じくらいか少し上くらいに見えた。グレイ懸かった髪をきちんと分け、マスクのせいで目元くらいしか分からなかったが。見るからに穏やかそうな人物なのが窺えた。どちらかというと僅かに大柄で、細められた彼の目元に少しだけ飼い猫の“だいふく”の姿が重なって見えた。
「ごめんなさい。おじさんの仕事だった?」
「いやいや、何を。逆に大助かりだよ、こちらはねい」
 手にしていた箒(ほうき)と塵取りにておじさんは辺りを掃除し始めた。
「時々、やたら片付いてる日があって。最近のお客はマナーがだいぶ良くなったのかと喜んでいたけど……君のお陰だったんだねい」
「オレ、ここ好きだから。憧れのバンドがよくライブしに来てんだ──」
「君、若い子だし。特にこんな仕事は、本当は誰だって嫌だろうに」
「いえ、何も問題ないです。手袋もしてるし、最悪汚れても洗えば元通りだからさ。へへっ」
「ははは。頼もしくって潔いねい──…」


 おじさん──“牧(まき)さん”とは、思い掛けず直ぐに意気投合し合って打ち解けた。




 
「天音くんは、音楽が好きかい」
「はい」
「そうかい、そうかい」
 粗方のゴミを拾い終わって袋の口を閉じた。牧さんは始終、にこやかな様子で。塵取りを閉じるとトントンッと鳴らし、辺りを一つ見渡した。
「──オレ、高校出たら音楽に関わる仕事がしたくって。でもオレ、頭悪いから清掃員だろうが雑用係だろうが何だっていいんだけど………あっ! 牧さんがそうだって言ってるんじゃなくて、飽くまでオレの話で!」
「ははは。そんな事くらいでは私は怒らないよい」
 にっこりと笑ってみせてくれた牧さんに、誠二は胸を撫で下ろした。カラスが数匹、側に寄ってきて綺麗に片付いた道へ首を傾げているのに対し「残念だったな、烏丸。もう、お前達の漁る朝飯はここには無いぞ。他へお行き」と話し掛けて、ガーガーと鳴いて飛んでいったカラス達に誠二も思わず笑った。
「多分、オレ。やっぱ、雑用とか力仕事くらいの事しかできないと思うんで……。でも、それをしながらミュージシャンとか目指したい」
 相変わらず牧さんは「そうかい、そうかい」と言って俺の語る夢に相槌を打ち、目尻にシワを作って耳を傾けてくれた。
「天音くんは、何か楽器とかはするのかい?」
「──オレはね。本当は将来、ギタリストになりたくって。まだまだ、ヘタクソだけどさ」
「………そうかい。なら、あんまり力仕事はお勧めしないねい……」
「…え?」
 牧さんがどういった意味でそう口にしたのか、初めは全く分からなかった。急に顔を強ばらせたように少しだけ怖い顔をしたから、何か自分は牧さんの気に障るような事を口にしてしまったのだろうかなどと一人、不安に首を傾げた。
「ついておいで」
「……?、はい…」



 連れてかれたのは、ライブハウスの舞台裏だった。そこには、機材らが雑然と置かれていた。
「何か弾けるかい?」
「…あっ、えっと──」
慌てて手袋を取り、鞄から出したウェットティッシュにて手を拭った。
「いつもそれ、持ち歩いてるのかい?」
「──あ。まあ、たまたまっていうか。鞄に入れっぱなしだったっていうか。今日はギター持ってきてないけど、ギターだけはオレにとっては神聖な物っていうか、何ていうのか………」
「………………」
 漸く準備が整い、牧さんくらいの歳の人には何を聴かせるべきかと適当に音を探して弦を誠二は爪弾いた。
「彼の音に似ているねぃ──」
「え? オレ、まだ何も弾いてないけど??」
何の曲だと思ったのかと。そう思ったから、少しおかしくなって牧さんについ笑って応えた。
「君が好きな曲を弾くといい。一番練習をして、一番得意な曲を」
「…あ。じゃあ、オレが一番好きなバンドの曲───」





     *


 一通り演奏をし終わると牧さんは拍手してくれた。

「いい音だ。とても素晴らしかったよ」
「そんな、大袈裟な…」
「天音くんの楽しそうに弾いてる表情もよかったねい」
「ありがとうございます」
「深みと重みがあるねい。君の個性だよ、それは」
「またまた~」
 最初の僅かにあった緊張感もすっかり解(ほぐ)れ。先程までの一時的な少し怖い顔を牧さんも綻ばせてくれていて、やっぱり音楽っていいなって。年齢の壁も何も取っ払ってくれる、そう思っていた所へ。

「これを君に渡して置こう」
「?、何ですか……名刺??」

 一瞬にして固まった。牧さんの差し出してきた名刺を一目見て、途端に汗が一気に噴き出してきたのを感じた。…こうゆう時、どうしたらいいのかを自分はよく知っている。──じいちゃんに生まれて始めて感謝した。



「──“ライブハウス~MONOCHROME(モノクローム)~”のオーナーさん?! …ま、まさか。牧さんが、MONOCHROME(ここ)の“オーナー様”でしたとは…! オレ、そんな事も露知らず………と、とんだご無礼を! 今の今までの無礼の数々、どうかお許しくださいませ……!!」
「ちょっと、ちょっと。天音くん。それは、やり過ぎじゃないかね。とんだ、時代劇の観過ぎだよい───」


 そう言って“牧オーナー”は、ただ笑って許してくれた。──それが、俺と牧さんとの出会いだった。





     2.

「───それでね、俺。そのカラス達に夜勤丸って名前付けたんすけど、よくよく考えたらそれって牧さんの影響だったのに気づいて」
「はははは、烏丸達の事か」
「そそそ──、」
 MONOCHROMEのエントランスにて。真夏の朝の日差しを避け、オーナーからの差し入れの缶コーヒーを片手に世間話をしていた。

「仕事は仕事で忙しいけど、金はやっぱ必要だし。──でも、自分の時間削ってまでもやりたい事じゃないってのも事実だし。本末転倒っていうのか何つーのか………」
「仲間達が羨ましいかい?」
「う~ん。自分で決めた道だしな……。何だか、周りに置いてきぼり食らった気がして」
「そうかい」
 牧オーナーは目を細め、花壇に置いていた缶コーヒーを手に取った。一口、啜ってから缶を両手で包む。
「天音くんは、“ローディー”になりたがっていたね?」


『──ろー、でぃ…??』
『そうだよ。まあ、簡単に説明するにサポートスタッフだねい。昔はボーヤと呼ばれてて……要は、見習いとか弟子を兼ねたアシスタント的スタッフの事だねぃ』



「…何度も蹴ってすみません。そんな、贅沢いってる場合でも身分でもないって分かってるんすけど……」
「分かるよい。仲間達の事を待っていたいんだろ? …だが、しかし。今回はどうかね? 蹴れるかねぃ、君に───」
「………え?」

 謎の含みを持たせ、オーナーは誠二を真っ直ぐに見てニコリと一つ微笑んでみせた。





     * * *

 祟場宅のリビングにて──。微かな溜め息と共に吐き出された煙が冷房の効いた室内へと、ゆらゆらと漂う。
「…………。慧(けい)は悪意の媒体…、一番最初に感染した………逆に白羅さんのバグを取り込んで、……それで、姿をくらました───…」
吸い掛けの煙草を咥え、資料集のページをバラバラと捲(めく)る。
「──さっきの記述、何処だっけ…」
「オイ。こら、優人!」
「?、あ。せんせぇ……」
「ったく、また吸ってんのか──。お前、似合わないからやめろって何度も言っただろ」
 フローリングに書類らを広げ、胡座(あぐら)を掻いていた優人を祟場が見下ろしていた。
「そこは、“体に悪いから”じゃないんですか。…まあ、ヘビースモーカーな先生に言われたんじゃ確かに説得力の欠片もありませんが」
「まあ、そうゆう事だ。悪戯に吸ってるとやめたい時やめられなくなるぞ?」
「それは説得力がありますね」
 うっすらと笑って、祟場から渡された灰皿に優人は煙草を潰した。


「──ほら、頼まれてた“写し”だ」
「ありがとうございます」
 テーブルで足らず床に広げていた資料らから数枚を抜き取り、祟場からの新たな書類を手にしてソファーへと戻った。
「……“精神寄生体(バグ)”がこの世界に及ぼす影響について、あの界隈の────あ! ロア、駄目だよ。そこに寝転んじゃ…、お前、体でかいんだから………」
 優人と共にソファーへやってきた“ロア”と呼ばれた白猫は例外なく豹や虎、ライオンの如く大きな巨体にてくしゃりと散らかった書類らを踏みつける。優人はその黒い足を掴んで彼の居場所を早急に確保した。白い体に黒い耳と足と尾、額には紋様のような柄(がら)がある。その頭を何度か撫でつけていた所へ祟場の吐いた溜め息が聞こえ、優人は──火の付かない煙草を咥えたままの説得力のない──師を再び見上げた。
「何で、その名前にしたかね。元の名前のままでも良かったじゃないか」
腕組みをして、何処か呆れた風に怠そうにそう呟く。
「いいじゃないですか。元の姿の頃なら別ですけど、今のコイツの姿ならこっちの方がしっくりくるでしょ? ──な?」
 顎下を撫でられバルバルとヘリでも飛んでいる時のような大きな音を立てて、ロアは喉を鳴らして目を閉じた。








     * * *

   悲しいことは風化して
   いつか世界を飾るんだ

   付随した美談に心揺さぶられて
   誰かがそれを安っぽい歌にする

   軽口に叩かれる悲嘆を
   言葉にしてくれたらいい

   少しだけ僕の気持ちがわかるだろ
   重くはない、そんな憂鬱だ


   きっと、それが現実なんだろう
   値踏みされた“僕の価値”は
   そこにある全て───…





     3.

 ロックバンド、“blackout(ブラックアウト)”──。彼らを誠二が知ったのは、もう十年近くも前の事だ。V系バンドが好きだった四つ上の姉の影響で、誠二は彼らを知る事となった。
 “黒田士郎”─。初代、BLACKOUTからのギタリスト。誠二がギターを始める切っ掛けとなった、その人だ。現在の誠二と同じ、当時十九才だった彼のギターは誠二に多大なる影響を与えた。
 中二の頃には初めて彼らのライブを観に行き、最前列から見上げた士郎のギターテクは誠二を釘づけにした。ギターに触れるようになったからこそ分かる、士郎の技術のその高さ。誠二はその日を境に益々、彼へとのめり込んでいった───。



「──ははは。いやはや、随分と早かったねい」
 誠二がMONOCHROMEに到着したのは牧オーナーとの約束の時間に、二時間も前の事だった。
「すみません。俺…、どうしてもじっとしてられなくて………」
 MONOCHROMEのロビーにて、誠二は椅子に項垂れるようにして床を見つめていた。
「そうかい、そうかい──、」
牧オーナーは何処か嬉しそうに笑ってから、壁に掛かった時計を見た。
「…君には二回程、フラれたねい」
「……、すみません」
「一度目は、畑違い。二度目のウチの直接雇用も断られてしまったんだったねい……」
「牧オーナー…」
「こんな時に勘弁してください」と誠二は苦笑いを浮かべ、オーナーを少しだけ恨めしげに見上げた。
「ハッハッハ。いやぁ~、しかしだねぃ……おっと?」
 着信が入り、オーナーはスマホを耳へと当てた。
「…時間には、だいぶ早いけれど。楽屋にメンバーは皆、今なら揃っているみたいだねい。──行ってみようか、天音くん」
「え!?、あ、あの…、まだ! 心の準備が俺っ……!!」
「大丈夫だよぃ。皆、いい子達だから───」
「オーナー!!」





     *

 オーナーの後について、誠二は“彼ら”の控え室へと向かっていた。ローディーとしてつく予定のバンド名を誠二は、未だ知らない。オーナーに何度幾ら確認を取ってみても、オーナーは「まあまあ」などと言って、ただ笑うだけで。決して、彼らの詳細について教えてはくれなかった。
 しかし。今日、このライブハウスにて行われるライブイベントの出演者達を誠二はだいたい知っていた。そのバンドの中の一つにオーナーは、誠二をローディーとして直々に紹介してくれるというのだ。しかも、オーナーは「君には断れない」と断言までしていた。もう、誠二の中でその答えはほぼ既に確定してしまっていた。…それ故の、この緊張感。一度は家には帰った誠二だったが食事も喉を通らず、今に至る。そんな有り様だった。
 ──黒っぽいパンツに黒いTシャツ、キャップも、顎に掛けたマスクも黒。以前から素人なりに必死に調べて得た情報からの精一杯のそれだった。


 確信だけを得られないまま遂には楽屋前まで来てしまった誠二は、控え室前の壁に貼られたそのバンド名を恐る恐る確認する。───そこには、紛れもない“blackout”の文字。誠二の頭は完全にショートし、真っ白になっていた……。





     *

「オーナー」
「お疲れ様です」
「つれてきたよい」
 楽屋入り口付近にて、スタッフの男女二名が開きっぱなしのドアの前で、中に居るらしきblackoutのメンバーらと雑談している所のようだった。楽屋の内と外とがどよっとした空気を孕み、次の瞬間には笑い声やら拍手やらが誠二を迎えるよう狭い廊下へと響いた。
「──さあ、天音くん」
ドアの前に立ち、こちらを振り向き微笑んだオーナーに手招きされ、誠二は腹を括って楽屋入り口を潜(くぐ)った。スタッフらからの温かい拍手がパラパラと誠二を迎えた。

「───天音誠二です! よろしくお願いします…!!」

 足を踏み入れつつも彼らを直視する事もままならず、そのまま誠二は彼らに深々と一礼した。ギュッと目を閉じ、裏返りそうな声を振り絞る。失礼の無いようにと外したキャップを握る右手は震え、左手のマスクは手汗に濡れていた。

「よろしくお願いします」
「おー、厳ついのがきたな」
「わぁー、よろしく~」

 幾つかの声に迎え入れられ、拍手が場を包んだ。もう、後には引けない…。誠二はゆっくりと顔を上げた。



 一番手前に居るのが、blackoutのリーダーでキーボードのザキこと岡崎(おかざき)。その斜め奥がボーカルの敦(あつし)。その後ろがベースの一之瀬工(いちのせたくみ)。最奥がドラムの五十嵐颯丞(いがらしそうすけ)で。颯丞の隣に居るのが──…。
「彼。ローディーは初めてだけど、学生時代からバンドも組んでてギターやってきてて。その辺は経験者だから。音楽も大好きだし、何より君達の長年のファンらしいから可愛がってやって欲しい」
「お。ギター?」
オーナーの言葉に彼の声が楽屋に響いた。
「昔から楽器に対しては扱いが丁寧だし、知識も十分だから。是非、コキ使ってやってくれ」
「おー、やったな~。蒼より使えんじゃね? くくくっ」
「ちょっとー。もぉ~、士郎さん!」
誠二の隣に立つ男性スタッフからの失笑に、周りからも笑い声が上がる。
 ──士郎。そう、あの黒田士郎(くろだしろう)だ。長年、憧れ続けてきた彼が。今、自分の目の前に居る………。
「あ、あの…、士郎さん───」
「ん? ははっ、なになに??」
 長く垂らした片方の前髪を軽く払ってから身を乗り出すようにして、こちらに向いてくれる。綺麗な長い指を組んで「どした?」と笑い掛けてくれる顔がメチャクチャに眩しい。彼の意とは別に、そのオーラに殺されそうになった。
「告白タイムきたー」
「何でだよ」
どっと場が盛り上がる。
「俺、士郎さんの大ファンで………」
「うん? ありがとう。嬉しい」
「…俺──、」
 顔が熱い。心臓がバクバクうるさい。憧れの士郎が今、目の前に居て。しかも、自分へと向いてくれている。
「何? 言って言って」
息を飲み、言葉を飲み、意識が今にも何処かに行ってしまいそうだった。極度の緊張からの混濁する思考の中で、鼓膜に響いた「ほら。頑張れ、天音」という彼の笑い含みな優しい声──。

「──好きです…!」

 一瞬の間を置いて。「ひゅー」だ「わ~お」だ周りから声が上り。「やめろ。茶化すな、バカ」という彼の照れたような笑い声にハッと我に返り、誠二は一気に赤面した。
「あっ─、いや…、違っ、て………違わないけど──。俺、ずっと士郎さんのギターに憧れてて…。ギター始めたきっかけも士郎さんで…………そのっ、よ、よろしくお願いします───!!」
「うん。ありがと。よろしく──」
 場はすっかり拍手喝采に包まれてしまい、誠二はキャップを握った右手の甲にて顔を隠した。
「シローくん、いいなぁ~」
「ねー? 颯丞、羨ましい??」
「うるせー。ズリィぞ、何か──」
 笑い声の止まない中、士郎からの「こっち連れてきて、彼」という言葉に男性スタッフが誠二の背を押して。彼の元へと連れて行かれ、その距離が詰まってしまった。…息ができない。顔が見れない──。
「何? あれ、泣いてる??」
 涙目にすらなって漸く見れた士郎はやっぱり優しく笑んでくれていて…。それに益々、泣きそうになってしまい誠二はキャップに顔を埋め動けなくなってしまった。
「ああ~! 士郎くんが泣かしたぁ~」
 士郎の隣に居た颯丞がケラケラと笑って。工が「ギャップすげぇな。めっちゃ、ピュアっ子じゃん」と呟いたのが聞こえた。敦も岡崎も笑っている声がする。
「何でー? オイ、泣くなって~」
 左手に触れた、士郎の温かく大きな手。
「すみません…」
「いいよー、謝んなくて。俺も泣かしちゃってごめんな~?」
 士郎の言葉へ首を横に振った。──この人の傍でこれから音楽の勉強ができる。もう、それだけで嬉しくっていっぱいいっぱいで。言葉はそれ以上、出てこなかった。




 
第四話へ、続く
3/5ページ
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