白と黒 ~モノクローム~
第二話、陰日向と裏表
1.
夕方。バイト先である、街のコンビニを誠二は後にした。本来、夜勤務として入っていた誠二だったが。最近は人員不足を理由にシフトは殆(ほとん)ど、それを無視した形となっていた。
先日の夜も、急な助っ人に呼び出された誠二はその帰り道、降り頻(しき)る雨の中で小さな悲劇と。そして、優人と出会ったのだった──。
「誠二?」
ぼんやりとスマホ画面へ目を落としていると、傍らから聞き覚えのある声に声を掛けられた。視線をやると、上背のあるスーツ姿の青年がそこに立っていた。
「ぶははっ、瀬能か。誰かと思った」
瀬能(せの)と呼ばれた彼は誠二の言葉に破顔し返す。
「何してんだ、こんなとこで。白石と待ち合わせか何かか?」
「あー。待ち合わせしてんのは確かだけど」
誠二は辺りを軽く見回しつつ、スマホをしまった。
「……また、増えたか?」
「ん? ああー…」
最近、開けたばかりの右耳のピアス穴を指差され。その際、目に入った彼のタコのある大きな手に、コロリと咥えていた飴の柄を口元にて転がした。
「何かしらにつけては寄越しやがってよ。つけてるだ、つけてないだって。アイツ、うるせぇから…」
「───惚気か、」
「うっせぇ! ちげぇーわっ! テメェーが話、振ったんだろうが!!」
通りすがりの会社員達の群れが二人を振り返って通っていくのを気にも止めず、誠二は瀬能の右手を取った。
「…お前の“こうゆうトコ”は、今も昔も買うけどな──」
瀬能は、誠二達の高校時代のクラスメイトで。また、バンドの仲間であり、ドラムを担当していた。昔から練習熱心な男で、それは社会人になった今もどうやら変わらないらしい。豆を幾度と潰してはその苦痛に悶えていた、そんな時期の彼を知っている。
「corner、行かないか? あ。待ち合わせ…が、あるんだっけか」
「あー。行きたいけど…」
「──天音くん?」
そう、声を掛けられ二人が視線をそちらへ向けると。声を掛けてよかったのだろうかという風な様子にて、優人がそこに立ち尽くしていた。
「陣内…」
「?、あれ…。待ち合わせ、白石じゃなかったのか」
「何で、お前ん中では“夏花”一択なんだよ。俺にだって、お前らの知らない知人友人の一人くらい居るわ」
「─フフッ、じゃあ。僕、友人がいいな」
「どさくさに、お前…! 二回会ったら“友達”かよ!」
「………この、リア充めが…」
「お前はお前で、何に対して妬いてんだ…!」
勝手にお互い自己紹介し始めた優人と瀬能に誠二は何処か呆れて、そんな二人の様子を見つめた。
スマホ片手に、店へと予約を入れる瀬能を横目に。誠二はチラリと優人の右肩に張り付く、膨れっ面をした“アンコ”を見やる。
《ぶくぶくぶく……》
何処か不服そうな顔をして見せるアンコに誠二は一つ、デコピンを食らわせる。その場に「ぽにょんっ」という弾力性のある音が響いて、優人はそれに堪え切れず一人、声に出して笑った。
普段からの雑な誠二の扱いに対し、昨夜の優人は彼女にとって相当な“神対応”だったらしく、どうやらそれが今回の彼女による家出の要因らしかった。
「こんの薄情者め…」
──ぽんよ、ぽんよ、ぽんよ、ぽんよ…
軽く指先にて誠二にドリブルされ。プクーッと一瞬、アンコが膨れたかと思うと。次の瞬間には彼女は優人の肩を飛び立って、誠二に全身全霊による頭突きを食らわせていた。…まるでゴム毬(まり)のようなアンコの巨体に体当たりされ、誠二は背後へと思わず仰け反る。ドヤ顔を決めたアンコだったが、更なる次の瞬間には今度は誠二からの頭突き返しが炸裂し、アンコは「アーレ~」とばかりにハチャメチャにリバウンドした後に夕闇の人混みの中へとその姿を消していった。
「……、えっと─。回収の方は………」
「ほっとけ──」
「……………」
優人は、アンコの消え去った駅の人混みの先を無言で見つめた。夕焼けの空にカラスの声と駅の喧騒だけが、その場へと響いていた──…。
2.
「なぁ、陣内。ちょっくら付き合わないか?」
「?、僕は全然構わないけど…」
結局、優人が回収に向かい連れてきたアンコを傍らに従えつつ…。誠二ら三人は街の片隅に位置する、とある音楽スタジオ──その名も「片隅~corner~ (コーナー)」を訪れた。
「いらっしゃい」
咥え煙草の長い黒髪の女性スタッフに迎えられ、チラリと彼女の視線が優人へと向いたのが分かった。
「なに。新しいボーカル候補でも連れてきた? ひょろっちぃなりして、大丈夫かよ。ん──??」
彼女からのいきなりのボディチェックが入り、優人は驚きと困惑から誠二と瀬能へ助けを求める視線を向けた。
「ネエサン。それ、セクハラ」
「セクハラですよ…、ネエサン」
「体幹…は、まあまあかね。あんた、名前は?」
「…え、あ。……陣内、です」
「ジンナイくん─、そ~」
その時。スタジオ廊下の奥の方から、ドタバタと忙しない音が聞こえてきた。
「──カナちゃん、これ。何処に運ぶんだったかしら? …あら、お客さ……まぁーっ!!?」
誠二と瀬能が「ゲッ」とばかりに声を漏らし、僅かに身じろいだのが分かった。
次の瞬間──。
「せーじボ~イ!! …と、トサカ女(ボソリッ) じゃなぁ~い!? いらっしゃ~い♪ …そちらは? 新しいメンバーちゃんかしら??」
口調だけを聞けば“女性”とも取れなくもないが、しかし。見た目は誰が何処からどう見ようとも、屈強な“男性”である。──俗にいう、“オネェ口調”なこの男はというと…。
「ハジメ、客の邪魔になるんじゃないよ」
「ああ~ん。分かってるわよ、カナちゃん♪」
明らかに二人懸かりでも運搬を困難とするような機材を軽々、ヒョイッとばかりに廊下の片隅へと寄せて。改めてハジメとよばれたその男性はニコニコと誠二らへと愛想を振りまく。
「──え~っと。このスタジオの“マスター”さん?」
胸元の名札にそう明記されているのに優人が気付いて、軽く瞬いた。
「フフフ。肩書きはね? 雇われなのよぅ~」
バチンッとウィンクをして見せ、雇われマスターは機材の上にて頬杖を突きつつ優人へ取って置きの営業スマイルを向けた。
3.
「──そう。じゃあ、彼。新しいメンバーって訳じゃなかったの」
スタジオの鍵を片手に、先頭を行く奏(かなで)が誠二らを振り返る。
「たまたま成り行きで連れて来ただけっす。それに。うちのボーカルは、今も昔も“ミツ”だけですし」
スタジオの一室に通され、慣れた様子にて各々の支度に取り掛かり始めた誠二らの様子に。入り口付近にて優人は、畏(かしこ)まった様子で一人、立ち尽くす。
「安嬉の奴は? アイツ、最近、全然見ないけど。ちゃんと生きてんの?」
「大学のあれこれで忙しいんでしょ。…アイツはアイツで音楽を一から学び直して基礎を磨いてる。俺らの中で一番前向きに、将来見据えてやってんです。責めるつもりはありませんよ」
「たまには、顔くらい出してもいい気がするんだけどねぇ。…ま。アンタらが納得してるってんなら、口出しするつもりも無いけどさ」
奏は誠二の近くへと椅子の一つを引き寄せ、優人に座るよう指示した。ギターのチューニングをする誠二の様子を、物珍しげに優人は見つめる。そこに、背広を脱いだ瀬能のドラムの音が一節分だけリズムを刻んで。振り向いた優人は目を輝かせた。
「───かっこいい…」
優人から漏れた言葉へ、ククッと誠二はギターを抱えたまま肩を震わせ。ドラムセットを微調整しつつ、こちらの様子に気付いていない瀬能に対し声を投げ掛けた。
「瀬能、よかったな」
「うん? 何がだ?」
「陣内の奴がお前の事、カッコイイってよ」
「んな事、男に言われてもな」
「お前のドラムが、だよ。バカ」
「…!、べ、別に。それでも嬉しいとか、そんな事………」
その言葉とは裏腹に。軽快に走り出した瀬能のビートに、肩を揺らして愉快そうに笑ってから、誠二がそれへと合わせる。今の今までバラバラだった筈の音達が途端に合致し、一つのメロディーを紡ぎ出してゆく。
「──ハジメ、手が空いたらこっち来な」
内線にて、雇われマスターの彼へとそう告げた奏も傍らのベースを徐(おもむろ)に肩へと掛けた。
「誠二。せっかく、観客が居るんだ。ハジメ呼んだから、ツインギターの曲で何か」
「ボーカル無しで?」
「アンタが歌いな。コーラスくらいなら入れてやる」
「んー、じゃあ……」
誠二らが何やら話し合っている所に、マスターも到着して──…。
優人をたった一人の観客に、瀬能のスティックが鳴り響く。一度は静まり返ったスタジオ内に、打ち寄せた音の波。織り成されてゆく音達の波紋は絶える事を知らず。旋律が波動となって押し寄せる迫力は只々、圧巻の様そのもので。
誠二達による即興ライブの一部始終を優人は全身に受け止め、息を飲んでそれを見守った。
*
「こんの、ど下手くそ──!!」
「ああん! カナちゃん、酷いィ~!!」
数曲を通し演奏した後にて、奏からマスターへのダメ出しが炸裂していた。
「…時に、」
「言い回しが、古い」
瀬能からのツッコミが入り、誠二は赤面しつつ一つ咳払いをした。何かにつけて、頻繁に出るこの口調からするに。どうやら、これは長年に渡り彼へと染みついた口癖か何かなのだと優人は何となく察して、少し笑った。
「まさか。あの頃は、想像もつかなかったよな。千葉がネエサンちに“婿養子”になってようだなんて──」
「…それな、」
優人だけがキョトンとし、謎の翳(かげ)りに顔を曇らす二人の様子へ首を傾けた。
誠二と瀬能は、仲睦まじい(?)様子のマスター夫妻を見やる。
「ああ~んっ、誠二ボーイったらぁ~。“千葉”はもう、旧姓なんだから今は“秋鈴(あきすず)”って呼んでぇ~!!」
──ベチンッ
「カナちゃん、顔はやめて!」
「うっさい! クネクネすんじゃない! 教えてやってんだから、ちゃんと人の話を聞きな! そんなんで、corner(うちの店)のマスター、名乗れるとでもアンタ、思ってんの!?」
「カナちゃ~ん、お願い。勘弁して! アタシ、もう、指がつりそうよぅ──!!」
「オカマスター、だよな…」
「オカマスターだ……」
オカマスター、その響きに思わず優人も小さく繰り返した。何てナイスなネーミングなのだろう……。
「誠二、ネエサンに千葉と付き合ってるのかって聞いて、ぶっ飛ばされてたもんな。昔…」
奏にしごかれる彼を横目に眺めつつ、苦笑を湛える誠二と瀬能。
「───黒歴史だよな、あれは」
「相違ない…」
「俺らにとっても、悪夢以外の何ものでもない……」
「──ああ。とんだトラウマでしかないな………」
「クリーチャー…」
「化けもん…」
「白塗り、全身タイツ……」
「紫ルージュ…、」
「…ピンヒール」
「アイアンボディー………」
「「──汚迦魔(おかま)…、」」
声を揃え身震いをした二人の様子に、優人の頭の中にてとんでもない“魔物”が爆誕したが。それに、そう遠くはない現実が過去に実在していた事を優人は知る由もなかった……。
* * *
「──その昔、この界隈を取り仕切る一人の男が居たんだ。名前は、慧(けい)。白羅を元凶とするなら、この男の役割は白羅の通称・バグと呼ばれる“呪い(ウイルス)”をこの世界にばら蒔く為に用意された黒幕だ」
祟場(たたりば)は書斎の机の上へ広げた幾つもの資料の中から、その一枚を指差した。背にした窓辺から差し込む光が逆光となって、彼の掛けた眼鏡のレンズを白く濁している。
「慧の後継者は二人居た。その一人が、黒田士郎(くろだしろう)。彼の裏の顔については、今は置いておくとして。表の顔とされているのが、バンド“blackout(ブラックアウト)”のメンバーだ」
「彼は、ウイルスに感染してるんですか?」
「ああ。慧の蒔いた白羅のウイルスは“精神破壊”或いは“特異能力の発現”または、潜伏期間を伴いながら人から人へと感染する」
「慧さんの失踪後、その役割が彼らのどちらかに転じたとして…。それが“天音誠二”に感染した、または感染していたとするには時間軸的にも一致しないんじゃないですか?」
「黒田、慧、白羅からの直接的感染とは必ずしも言い切れない。何らかのクラスターが発生していた可能性もある」
「クラスター…」
優人は机の上の資料の中から一枚のポスターの印刷を手にした。…これと同じ物を誠二の部屋で目にした気がする。
「…特異能力の、発現───」
4.
「すまなかったな。こんな遅くまで付き合わせて──」
「ううん。凄く、楽しかった」
「そっか…」
帰り際、店の前にて優人は誠二に対して「うん」と大きく一つ、頷いてみせる。
「いつか、また。今度は天音くん達のバンドメンバーが勢揃いした時にでも。その時はまた、改めて。ライブ、観に来たいな」
「…そうだな。いつか──」
「僕、今夜は眠れないかも。こんな興奮したのって、久し振りだと思う。今日は誘ってくれて、ありがとう。本当に嬉しかった」
「…………、」
何処か照れ臭そうに笑って「俺、褒められ慣れてねぇーんだよ」と呟いた誠二に瀬能が肘で軽く小突いて笑ってから、二人へ先に背を向けた。
誠二の肩の上、へばりつくアンコはショボショボと。優人との別れを惜しむかのように背ビレ、尾ビレらをだらんと力なく垂れている。
「それじゃあ。シラタマくんらにも、よろしく。アンコちゃんも天音くんと仲良くね──」
アンコの頭を一つ撫でてから、数歩下がって暫し誠二らを見つめ。それから、背を向け歩き出した優人の足元をユラリと大きな“黒い影”がゆっくりと後を追ったのに誠二は気付いた。
真っ黒な、虎か豹を思わせる一頭の獣…。しかし、やたら華奢な体つきと小さな頭にそれが“只の大きな黒猫”だったと理解した頃には、優人の姿は夜の街の人混みに消えていた──…。
*
「アンタ、これからどうする気?」
店の前にて仁王立ちの奏がそう誠二に訊ね、その場に流れた暫しの沈黙の後(のち)「聞くのも野暮か…」と呟き、店へと戻っていった。誠二は一人、視線を足下へと落とす。
「誠二ボーイ。誰もアナタを責めてはいないし、急かし立ててるつもりもなくってよ? 勿論、カナちゃん含め。アタシ達、誰一人としてね」
マスターを見つめる誠二の視線は何処となく、憂いを帯びていた。
「ああん、もう! だから、そんならしくない顔しないの」
母性(?)を擽(くすぐ)られたらしいマスターにハグされそうになり、誠二は反射的に相手を突っ撥(ぱ)ねた。しかし、その拒絶にすら今は昔のような勢いが感じられない。
「──あの娘(こ)の事も、ちゃんと幸せにしてあげなくっちゃって、そう思ってるんでしょ…?」
「………ナツ、は」
マスターの眼差しは、飽く迄も温かなものだった。
「男を見せなさい。できるわよ、アナタなら何だって…」
「忝(かたじけ)ない───、」
「フフフフッ──」
店内から二人を見やる奏もカウンターにて煙草を吹かしながら、うっすらと笑みを溢す。振り仰いだ先の、幾枚かの古いポスターやフライヤーに写るバンドマン達…。
──“blackout”、モノクロのポスターのその片隅には、ギターを抱える片目の男が静かに佇(たたず)んでいた。
5.
帰路を辿る瀬能を、誠二は追い掛けた。
「瀬能!」
後ろから大声にて呼び止められて、瀬能が不思議そうな様子で振り返る。
「誠二? どうした? お前んち、こっちじゃねぇーだろ」
「瀬能…」
「ん?」
背後の誠二へ改めて向き直って「何だよ?」と怪訝そうに呟く。
「お前、大学に進まなくて後悔してないか……?」
一つ瞬き、瀬能は誠二に軽く笑ってみせた。
「どうしたんだよ、急に。ネエサンに何か言われたか?」
瀬能を追い掛けてきた誠二は僅かに息を切らせながら。言葉を選び、探して。漸く、口を開いた。
「…お前、俺と違って勉強できたし。嫌いじゃなかったろ?」
「……、まあ。そりゃあな」
「唯一の取り柄みたいなもんだったし」と、はにかむ瀬能に「違う、そうじゃなくて」と誠二は顔を上げた。
「俺のせいか…? “進学はしない”、“音楽の道に進む”って。あの時、俺が言ったから──??」
高校で進路調査の用紙が配られた時、自分は確かにそう心に決めていて。何の迷いもなく瀬能らを前にそう口にした。それに対し、安嬉(あんき)は…。
((──オレ、音楽の勉強して。必ず、でっかくなって帰ってくるからさ。そしたらまた、四人で組んで。本格的なミュージシャン目指そうぜ! blackoutにも負けない、プロのロックバンド“TopGear(トップギア)”を世に知らしめるんだ!!))
夢見がち、と周りは思うかも知れない。だけど、アイツは本気だった。時折、忘れた頃に連絡を寄越す安嬉からの様子は。日夜、彼が成長していく姿をまざまざと見せつけてくる。
「瀬能。お前、本当に後悔はしてないか…?」
一年先に海外へと旅立ったボーカルだった“安光(やすみつ)”も。彼から連絡が入る事は稀だったが、その反面で彼の昔以上によく通る元気な声からは、安嬉に劣らぬ生活を送っている事が確かに窺い知れた。
「──俺はしてないぞ? 勉強なんて、しようと思えばいつだってできる。お前だって、勉強よりも優先させたい何かがあったから、今の道を選んだんじゃないのか?」
「俺は…、」
「後悔してるのか? 俺は、今の仕事とも真面目に向き合ってはいるけど。一生、リーマンとして勤めていくつもりはないし。アイツらが帰ってきたらいつでも戻れるように、俺だって俺なりに音楽とは今でもきちんと向き合ってる。お前ら以外の奴らとバンドを組む気がないだけだ」
「それは…、知ってるけど………」
「後悔してるのは、誠二。お前の方じゃないのか?」
「─────、」
言葉が出てこなかった。
決して、音楽に妥協している訳ではない。勉学に怠けたつもりもなかった。じゃあ、これは? この焦燥感の正体は、一体何なのだろう───。
「…俺は──、」
*
「なあ、誠二。何も今更悔やむような事、俺らしてないだろ? 一切。違うか?」
「……………」
「ダラダラと高校時代の続きをしてても意味がねぇんだよ、それじゃ。安嬉は安嬉、ミツはミツ。俺は俺で、お前はお前だろうが。比べるな」
「瀬能…」
「俺は、悔やんでねぇーよ。何も。お前らとつるんでる時は楽しかったし、また、そうなる日がくりゃあいいと思ってる。──だが、それは“今”じゃない」
瀬能はそう断言した。
「俺達が今すべき事は、高校の延長の馴れ合いなんかじゃない。個々に自身のスキルを磨いて、来たるべき日に備える事だろ」
真剣みを増した彼の両眼は、普段に加え更なる鋭さを宿していたが。誠二の中の不安要素をその熱が焼き尽くしてゆくのを感じた…。
「………、ははははは──」
「誠二?」
真剣な眼差しで自身を諭す瀬能の様子に、誠二は、やんわりと笑って瀬能の肩を軽く叩いた。
「…お前さ。何で、リーマンやってんだよ」
「は?」
クツクツと肩を上下させ、くしゃりとした笑みを誠二は湛える。
「──講師とか。塾教師とか、教師とか。お前、そっち向きじゃねぇか。全く…」
「俺は、ドラマーを目指してんだよ!」
そう最後に、誠二へと大声にて突っ込んで。タガが外れたかのように笑い声を上げる誠二が目尻に浮かばせた涙を指先にて払うのを見やりつつ、やがて釣られて瀬能も一つ噴き出した。
「お前。せっかく、人が真剣に───」
「ああ、うん。悪いな、瀬能。何か、ふっ切れてさ…」
「─そうか? なら…、いいんだけどな……」
瀬能の眼前に誠二が片手を掲げてきて、意を悟り。二人はハイタッチの後に拳と拳を一度、合わせた。
「……?、」
「ありがとな、瀬能。恩に着る──」
「お、おう…」
「お前がこんなに頼もしい奴だっただなんて、知らなかったよ」
「………………オイッ!」
* * *
夜の住宅街に響く笑い声、──そこから僅かに離れた一角にて。ボンヤリと闇にスマホの光らしきものが灯っていた。
●{天音誠二のバグ感染は未だ確認できず)
◎{了解)
◎{ただし、まだ気を抜くな)
◎{何か前触れがあり次第、直ぐに知らせること)
●{了解)
コンクリート塀の上に寝そべる大きな黒い獣の尾が揺れる。
●〔引き続き、様子をみます |送信〕
第三話へ、続く