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〈壱〉の巻

 

      *

 夜もけ、東の空より遅く昇る下弦かげんの月明かりへと白々と照らされながら。何処どこか遠くの方より、ふくろうの声が響いてくる。
「──少し、意外でした。あの、唯我独尊ゆいがどくそんを貫く兄上が。まさか、私などを頼ってこの様な所までいらっしゃるとは。まじない事は、昔から信じないたちでおられましたでしょうに」
「ああ、そうだな。我ながら、随分ずいぶんと弱気になったものだと思うよ」
一向に良くなる傾向の見られないあさひの方の病状に、ついには医者もさじを投げたのだと聞かされた。
「気休め程度にでも、なれば…」
これ程にまで力を落とした兄の姿を、清明せいめいは今まで目にした事が無かった様に思う。
「すまなかったな。こんな刻限こくげんまで手をわずらわせて」
「いえ。あさひ様に、どうぞ宜しくお伝えください。きっと良くなります、とも」
「ああ。そう、伝えておくよ」
「兄上も。呉々くれぐれも道中、お気を付けて。何かもし、ありましたらば。今度は、私が。そちらへ、うかがっても構いませんでしょうか」
無言で振り返った輝明こうめいの様子に「お邪魔じゃまでありませんでしたら」と。清明せいめいは付け加えた。
「いや、そうじゃない。──昔から、私は。お前に、つらく当たってきただろう。そんな兄の、その女房にょうぼうなどに。親身となってくれるお前に対し。今更になって、申し訳なく思えてしまってな」
まゆを下げ、がらにもない言葉を輝明こうめいへと。清明せいめいかすかに笑みを浮かべてみせる。
「何をそんな、弱々しい事を。兄上らしくもない。──それに、これは。兄上のためと言うよりかは、あさひの方様への個人的なおんあってのそれでもあります。…あの方は、病床びょうしょうしておられてまでも。どうやら、我々の仲をこうして取り持ってくださっておられるのですね。その様な方を妻にめとられて、兄上は幸せ者ですよ。その事をしっかりと兄上は、ご自覚なされなければですね」
清明せいめいの言葉へ、どうやらきわまったのか。輝明こうめい清明せいめいへと背を向けると、屋敷を覆う竹林により小さく切り取られた星空を仰いだ。
清明きよあき、礼を言う。お前が居てくれて、良かったよ──」
 白くき出された輝明こうめいの言葉を一人、噛み締めたあとにてそっと胸へと仕舞しまい。清明せいめいもまた、二月の残りわずかな寒空のもと帰路きろ辿たどる兄の背中を見送りつつ、ぽつりと小さく独りごちる。
貴方あなたに。まさか、そんな事を言われる日が来るとはね──」
 かすかな夜風に葉擦はずれの音を響かせながら、白い溜め息は闇夜やみよへと散った。


 
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