〈壱〉の巻
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夜も更け、東の空より遅く昇る下弦の月明かりへと白々と照らされながら。何処か遠くの方より、梟の声が響いてくる。
「──少し、意外でした。あの、唯我独尊を貫く兄上が。まさか、私などを頼ってこの様な所までいらっしゃるとは。呪い事は、昔から信じない質でおられましたでしょうに」
「ああ、そうだな。我ながら、随分と弱気になったものだと思うよ」
一向に良くなる傾向の見られない旭の方の病状に、遂には医者も匙を投げたのだと聞かされた。
「気休め程度にでも、なれば…」
これ程にまで力を落とした兄の姿を、清明は今まで目にした事が無かった様に思う。
「すまなかったな。こんな刻限まで手を煩わせて」
「いえ。旭様に、どうぞ宜しくお伝えください。きっと良くなります、とも」
「ああ。そう、伝えておくよ」
「兄上も。呉々も道中、お気を付けて。何かもし、ありましたらば。今度は、私が。そちらへ、伺っても構いませんでしょうか」
無言で振り返った輝明の様子に「お邪魔でありませんでしたら」と。清明は付け加えた。
「いや、そうじゃない。──昔から、私は。お前に、辛く当たってきただろう。そんな兄の、その女房などに。親身となってくれるお前に対し。今更になって、申し訳なく思えてしまってな」
眉を下げ、柄にもない言葉を吐く輝明へと。清明は微かに笑みを浮かべてみせる。
「何をそんな、弱々しい事を。兄上らしくもない。──それに、これは。兄上の為と言うよりかは、旭の方様への個人的な恩あってのそれでもあります。…あの方は、病床に臥しておられてまでも。どうやら、我々の仲をこうして取り持ってくださっておられるのですね。その様な方を妻に娶られて、兄上は幸せ者ですよ。その事をしっかりと兄上は、ご自覚なされなければですね」
清明の言葉へ、どうやら極まったのか。輝明は清明へと背を向けると、屋敷を覆う竹林により小さく切り取られた星空を仰いだ。
「清明、礼を言う。お前が居てくれて、良かったよ──」
白く吐き出された輝明の言葉を一人、噛み締めた後にてそっと胸へと仕舞い。清明もまた、二月の残り僅かな寒空の下、帰路を辿る兄の背中を見送りつつ、ぽつりと小さく独りごちる。
「貴方に。まさか、そんな事を言われる日が来るとはね──」
微かな夜風に葉擦れの音を響かせながら、白い溜め息は闇夜へと散った。