このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

冷静と情熱の効果

夢小説設定

本棚全体の夢小説設定
妄想を拗らせた結果達です。
キャラ×オリキャラ(自分)となっておりますので、苦手は人はスルー推奨です。
楽しんでいただきたいので、マナーは守って下さい。
◯◯
◯◯

 回廊を颯爽と歩く荀彧は年上の甥である荀攸の元へと向かっていた。
 儒学に精通し反梁虁一族の姿勢を見せた精廉の人として「神君」との称された荀淑を祖父に持ち、その八人の「八龍」と称された荀緄を父に持つ荀彧は、いついかなる時も名門家の御曹司として相応しい立ち振る舞いを崩さない。
 回廊のあちこちから、「ほぅ」という溜息が聞こえてくる。
 名門家の御曹司であり、曹操の覚えもめでたく、天下に「王佐の才」の持ち主と評されたと知れている上に、礼儀正しく品行方正で見目麗しいとくれば、女達は放っておかない。
 羨望と恋慕の混じった溜息を背中に感じながら、荀彧は己の立場を弁えて目的地へと向かう心中は、見目とは違い決して穏やかとはいえなかった。
 荀彧の心中が穏やかならざる理由は、次の通り。
 しばらく留守にしていた許昌に戻ってみれば、従子である荀攸の事を人々は口にしている。
 聞けば最近の荀攸は新しく迎えた年若い付き人に随分と入れ込んでいるらしい。
 どれくらい入れ込んでいるのかというと、許昌でも上流階級御用達として知られる商人を屋敷に呼んで着物を仕立ててやったり、簪や耳飾りなどを自ら選んでやったりしたというのだから、相当なものである。
 荀攸も男である。
 意中の女が出来れば贈り物をする事くらいあるだろう。
 とんと色恋沙汰とは縁の薄い生活を送っている年上の甥に春が来たというのであれば、荀彧は素直に祝福をするくらいの事は出来るのだが・・・それは、時間をかけて関係を育み互いに慈しみあえるような間柄に限った話だ。
 一度に着物も装飾品も強請るような女など、どのように考えても碌でも無い女と相場は決まっている。
 色恋沙汰に明るくない荀彧でもそのくらいは簡単に見当がつく。
 よもや、年上の甥が悪い女に騙されているのではなかろうか?
 人の噂はあてにならないと言うが、荀彧が今回わざわざ荀攸に直接確認をとるために腰を上げた理由に、荀攸の付き人が郭嘉からの推薦で決められたという点にあった。
 軍師としての才能以外、あの男に見習うべき点は無い。
 断言できる程度には、荀彧は郭嘉の素行不良な生活に対して思うところがある。
 とりわけ荀彧が眉を顰めるのは、郭嘉の好色な所だ。
 来るもの拒まず、去る者追わず。
 日頃の郭嘉の奔放さを知っているからこそ、荀彧が郭嘉が推薦する女に良い印象を持たないのは当然の成り行きだった。
 そもそもが女に入れ込むなど馬鹿馬鹿しいと荀彧は思う。
 彼女達が求めているのは男の真心などでは無いのだ。
 郭嘉に関係を迫る女は、郭嘉と関係を持ったという事実が欲しいだけ。
 周りの女達と自分は違うのだと主張し、周りの女達から羨ましがられたいだけであり、真実に郭嘉の心を欲しているわけではないように荀彧には見える。
 何処の誰から何を貰ったから、自分は特別なのだ。
 そう吹聴して優越感に浸りたいだけ。
 郭嘉と一夜でも共にすれば、同性には自慢できるし、異性からはあの郭嘉が欲するような女ならば良い女なのだろうと思ってもらえる。
 なんと不毛で馬鹿馬鹿しい話であろうか。
 そんな男の元に居て、余人が言うように若く見目の良い娘だとすれば、郭嘉が手をつけていない筈がない。
 親切を装って自分が不要になった女を荀攸に押しつけたのだとすれば・・・・やはり黙って見過ごすことは荀彧には出来なかった。
 荀攸が付き人が居なくて困るというのであれば、荀彧の下で働いている誰かを派遣することだって出来るのだ。
 「公達殿、失礼しま・・・・。」
 「認知して下さい!!」
 荀攸の執務室の扉に手をかけて入室の挨拶を述べようとした荀彧の言葉を遮って聞こえてきた台詞は、荀彧を凍りつかせるに十分な破壊力を持っていた。
 びしっと効果音が聞こえてきそうな勢いで荀彧は固まる。
 「嗚呼、可哀想な私の赤ちゃん!こんな人が父親だなんて!!
 えぇ、えぇ、貴方様の御子です。
 お忘れになられたのですか?貴方様が私になさった事を!!」
 酷い!酷すぎます!!と続いたかと思えば、啜り泣きに切り替わる。
 硬直から脱した荀彧はたまらずに勢いをつけて荀攸の執務室の扉を開けた。
 あの荀攸が痴情の縺れの修羅場を起こすとは考えにくい。
 仮に、もしも、万が一にでも、荀攸が何処かの女を孕ませたのだとすれば、荀攸のひいては荀家の名が傷つかぬように対処するのも荀彧の役割だ。
 「公達殿!」
 バンッと勢い良く執務室の扉をあけ、荀彧は年上の甥の窮地を救うために踏み込んだ。
 「・・・・あ、文若殿。」
 しかし、荀彧の想像に反して荀攸の執務室は修羅場とは程遠い風景だった。
 感情的に女が認知を迫ったにしては、荀攸の執務室は綺麗に整理整頓が行き届いている。
 細かい事をあまり気にしない荀攸の執務室で、ここまで綺麗に掃除が徹底されていた事が今まであっただろうか?
 勢い良く踏み込んだは良いものの、想像とは全く違う室内の様子に、荀攸の気が抜けたような声。
 何処をどう受け取っても、修羅場の最中とは思えない状況に静かに荀彧は混乱する。
 「あの、公達殿?」
 「はい、どうなさいました文若殿。」
 混乱する思考回路から脱せないまま、荀彧は慎重に荀攸の様子を窺う。
 淡々とした荀攸の切り返しは平素と何も変わりがない。
 少なくとも赤ん坊の認知を迫られて修羅場を迎えている男とはかけ離れて落ち着き払っている。
 次の言葉を継げない荀彧に、今更のように荀攸は小さく「あぁ」と口の中で呟いた。
 「誤解させてしまったようで申し訳ありません。
 今、郭嘉殿の話を聞いていたところなのです。」
 「か、郭嘉殿?」
 確かに郭嘉であれば、あのような修羅場になる事もあるだろう。
 「公達殿では無く?」
 「はい。」
 「本当に?」
 「異性から認知を迫られるような原因に覚えはありません。」
 やはり淡々と答える荀攸。
 荀攸も立派な男なのだから、堂々と淡々と自分は最近ご無沙汰ですなど言うものではないのだろうが・・・。
 とりあえず荀彧は胸を撫で下ろして安堵の息をつく事にした。
 「荀攸様は御無沙汰ですか?」
 「・・・そういう事は、声高に聞いてはいけません。」
 「じゃぁ、荀攸様は最近コレとは御無沙汰ですか?」
 遠慮も恥じらいも無い言葉に対して、荀攸はやや間を置いたものの、それでも淡々と応じる。
 そうすれば今度は声の音量を落としてヒソヒソと尋ねる声は未だ若い女のそれだ。
 再び軽い混乱に陥りながらも、荀攸の傍に居る女に荀彧はようやく気がついた。
 随分と小柄な体格の持ち主は、内緒話をするように口元に片手をあて、片手では小指を立てている。
 見目は悪くないし、身形もきちんと整っており、黙ってにこにことしていれば圧倒的多数の人間が好感を持つであろう少女だが、その言動があまりにも下品すぎて荀彧は再び固まった。
 このような女は荀彧は遭遇した事がない。
 「その仕草をやめてください。不快です。」
 「はい、やめました。
 で?荀攸様は御無沙汰なんですよね、手配しましょうか?女。」
 愛らしい見目の少女の口から零れるのは、あまりにもあんまりな台詞だった。
 思わず荀攸を凝視する荀彧。
 凝視されて荀攸は荀彧の感情を的確に分析した。
 「すみません、文若殿。
 困惑される気持ちは理解できます。
 紹介が遅れましたが、こちらが俺の付き人の千代です。
 こちらは荀文若殿です。俺の年下ですが叔父にあたる人物です。」
 「はじめまして、荀攸様の付き人をしている千代と申します。
 以後よくお見知りおきの程をよろしくお願いいたします。」
 淡々と付き人を紹介する荀攸と、先ほどまでの気が遠のくような常識外れな言動とは打って変わって、礼儀作法に則った挨拶をする付き人。
 「荀文若と申します。
 ・・・貴方が、公達殿の付き人ですか。」
 反射的に挨拶を返してやや沈黙をした後に荀彧は呟いた。
 正直な感情を述べるのであれば、意外すぎる。
 莫大な広さを誇る郭嘉の守備範囲ではあるが、未だかつてこのような娘を郭嘉が侍らせていた記憶が荀彧には無いからだ。
 記憶にある限り、郭嘉が侍らせていた女は、もっと大人びている。
 綺麗に髪を結い上げて派手な着物を着て男を誘うための妖艶な笑みを鮮やかな紅で飾った唇で零す。
 千代と紹介された娘はどうであろうか?
 長い髪は艶があるが後ろで三つに編んで垂らしており飾り気があるとは思えない。
 着物は淡い色を基調としているが全体的には落ち着いた色合いと着方である。
 男の目を引くために大きく襟を抜いて項を晒す女が多い中、襟は機能的な範囲を超えない様に抜かれている。
 白粉一つ叩いていない紅の一つも引いていない顔は、流行りの病弱そうな薄倖そうな印象など欠片も無く、ツヤツヤと健康そのもの。
 何処をどう見ても、噂の荀攸を誑かしている悪い女には見えなかった。
 それだけに荀彧は大いに混乱してしまう。
 想定していた事にはおおよそソツなく対応できるが、想定外の事があった時の対応力には乏しいのだ。
 そういう点では荀攸の方が遥かに優れているだろう。
 「千代殿でしたか?」
 「はい、何でしょう?」
 「失礼ですが、公達殿の付き人をする前は郭嘉殿の元にいらっしゃったと聞いたのですが・・・・その、本当なのでしょうか?」
 「はい、そうです。」
 「郭嘉殿の知人の妹御で俺の元に来るまでは郭嘉殿の屋敷で下働きなどをしていたそうです。」
 荀彧の疑問に答えたのは荀攸だった。
 千代がじっと荀彧を見る。
 女から視線を向けられる事には慣れている荀彧だが、このように遠慮もへったくれも無く真っ向からじっと向けられる事には慣れていない。
 荀彧が幾分か居心地の悪さを感じていると、千代はぱちぱちと琥珀色の瞳を煌めかせた。
 異国の人間の血でも入っているのか。
 落ち着いた琥珀色の瞳は何となく不思議な印象を抱かせる。
 ややあって、千代がちょいちょいと荀攸の着物の袖を引っ張った。
 男の気を引く女の仕草では無い。
 子供が大人の気を引く仕草だ。
 荀攸が千代に視線をやる。
 「荀彧様、もしかして私が郭嘉様のお手付きだって思ってらっしゃるんじゃないですか?
 郭嘉様の使用済みの女を押しつけられたって思ってたら、そりゃぁ警戒しますよ。」
 ひそひそと内緒話でもする調子で言う千代だが・・・・残念な事にそれらは全て目の前に居る荀彧に筒抜けだ。
 自分の内心を小娘に悟られたという事に、荀彧は幾分かの恥じらいを覚える。
 「あぁ、なるほど。
 文若殿、彼女は郭嘉殿の手はついていません。
 御心配をおかけしたようで申し訳ありません。」
 「そ、そうですか・・・・ならば、私は千代殿に失礼な事をしてしまいました。
 申し訳ありません。」
 真実、郭嘉が千代に手をつけていないのならば、荀彧の発想は千代の名誉を大きく傷つける内容だ。
 年若い娘にとって貞操を疑われるというのは耐え難い精神的な苦痛を与えてしまったのではなかろうか?と荀彧はハラハラする。
 誰に対してでも誠実に振る舞う事を良しとする荀彧の良心は大きく痛んだ。
 「お気になさらないでください文若殿。」
 「しかし・・・私は年頃のお嬢さんに対して・・・。」
 「彼女はそういう事を全く気にするような繊細さは持ち合わせていないので、本当に気になさらないで下さい。
 これ以上、文若殿が気にされると逆にこちらが申し訳なくなります。」
 淡々と荀攸は切り捨てるような評価を口にする。
 流石に荀攸も言い過ぎではなかろうか、と心配して荀彧は千代に視線をやると、千代はにこっと笑った。
 男を蕩かすような何かを掻き立てるような笑みでは無い。
 「貴方も気にしていないでしょう?」
 「そうですね。
 郭嘉様の元に居たら、普通に誰もがそう思うと思いますし。
 郭嘉様の元に居て、手が付いていない私のような女の方が珍しいと思いますよ。
 前に郭嘉様に聞いたら『うん、だいたいは戯れたよ。だって、近くに居る女性と戯れないなんて損じゃないか。』って言ってましたから。」
 あの好色男は、年若い娘に何という不道徳な事を言っているのだ。
 郭嘉の喋り方の真似が似ていた事も手伝って、荀彧は爽やかな笑顔の下でふつふつと怒りを湧きあがらせた。
 これは後で小言の一つや二つ郭嘉に言わねばならないだろう。
 どうせフラフラと適当な事を言ってヘラヘラと笑って聞き流すのだろうが・・・・それでも、荀彧は郭嘉に小言を言わねば気が済まない。
 「さっきは、郭嘉殿の修羅場を人形劇で再現しているのを見ていたのです。」
 「人形劇・・・・。」
 「えぇ、見てみればこれがなかなかに面白くて。」
 表情一つ変えずに肯定する荀攸の後ろで、千代が両手に布で作った人形を持って荀彧に見せた。
 随分と可愛らしく作られているが、郭嘉の特徴をよくとらえた人形と女の人形がある。
 「私が郭嘉様に初めて出会った時の事を荀攸様に人形劇で伝えていたんです。
 あれ?何処までやりましたっけ?」
 「見世で遊ぶ郭嘉殿の所に女が踏み込み認知を迫ったところです。」
 初めて出会った場所が、そんな痴情の果ての修羅場というのもなかなかに珍しい。
 「千代殿はどのような経緯でその場に?」
 見世で遊ぶといえば、十中八九、色街の見世だろう。
 春を鬻ぐ女達が支配する世界に、目の前の少女はあまりにもそぐわない。
 「姉上がその見世の用心棒をしていたのです。
 えぇっと、私が五つかそこいらの時の頃の話ですね。」
 「文若殿、色々と驚かれるのは当然でしょうが、そういう事です。」
 女が色街の見世の用心棒。
 かなりの破壊力のある言葉である。
 想像力がついていかずに荀彧が目を回す前に、荀攸は注釈を入れておく。
 祖父に負けず劣らず清廉であろうとしている荀彧には、かなりの衝撃的な話である事は想像に難くない。
 「そ、それはどのような経緯で?」
 「さあ・・・私も良くは分かりません。」
 くりっと琥珀色の瞳を天井に巡らせて千代は困ったように眉を寄せる。
 あっけらかんとして千代は答えるものの、荀彧は失言をしたと内心で後悔した。
 幼い妹と姉が二人で色街で生活をしているなど、そこにはよほどの理由があったとしか荀彧には思えない。
 仮に千代が幼すぎて理由を知らずとも、無造作に詮索していいような類の話では無かっただろう。
 どうにも好奇心が理性や常識に勝ってしまいがちな自分の思考回路に荀彧は歯止めをかけた。
 「それで、今日はどういった用件ですか?
 軍議なら明日でしょう。」
 荀彧の複雑な内心を知ってか知らずか、荀攸が尋ねる。
 こほん、と荀彧は小さく咳ばらいをした。
 今、荀彧が知っている事は曹操を含めて僅かな者しか知らない事であり、明日の軍議の場ではじめて明かされる事である。
 年上の甥相手であっても、容易にその情報を話すわけにはいかなかった。
 「いえ、少し気になる話を小耳に挟んだので公達殿に確認をしに来たのです。
 ですが、その件は解決しました。
 やはり人の言を鵜呑みにしてはいけませんね。」
 世間では千代がまるで希代の妖婦であるかのように言われているのだ。
 実際に見れば、妖婦のよの字も感じられない娘である。
 軽く首を横に振りつつ荀彧は笑う。
 「どうかしたのですか?」
 「いえ、公達殿が付き人に高価な着物や装飾品を惜しげも無く貢いでいるなどと聞いたものですから。」
 軽やかに爽やかな笑顔を見せる荀彧に対して、荀攸がぴくりと眉を動かした。
 「だから言ったじゃないですか。
 古着で十分だって・・・あんな高価な着物なんて買ったら、周りから何て言われるか分かりませんよって!」
 ぶんぶんと千代が両手を拳の形に握り上下に振る。
 許昌でも上流階級御用達の商人に急ぎで着物を作らせて届いたのは数日前の話だ。
 「公達殿?」
 「想定外です。
 文若殿、誤解せずに聞いてほしいのですが。
 彼女の身形はそれは酷いものでした。
 野良作業が終わったばかりの農民のような着物しか持っていなかったので、今後の事を考えて、少しマシな格好をさせるために買い求めた物ばかりです。」
 つまり、高価な着物や装飾品を複数購入した事は紛れもない事実ということだ。
 荀攸の説明に荀彧は僅かに溜息を漏らした。
 荀家に仕える者が野良作業あがりの農民のような格好をしている事は、確かに問題がある話だが、だからといって高価な着物などを揃えてやる必要は無かっただろう。
 それこそ女官にでも言えば、程の良い着物を数枚都合する事くらい造作も無い事だ。
 単純に荀攸は必要だからと揃えたのだろうが。
 見れば千代は大いに不満そうな顔をしている。
 高価で綺麗な着物を与えられた女の反応にはとても見えない。
 「どうやらその件に関しては、千代殿の方が正しかったようですね。」
 「以後は気をつけます。」
 「公達殿はもう少し余人の評判を気にしてください。」
 「そーだ、そーだ。」
 余人が何を言おうとも気にしない。
 それは荀攸の美点でもあるが、今回は裏目に出たようだ。
 荀彧の苦言に千代が同意の声を上げる。
 高価な着物や装飾品を賜ったからといって、つけあがる類の女ではないらしい事が救いだ。
 むしろ、かなりしっかりとした観念を持っていると評しても良い。
 荀彧の中で千代への評価は、対面前と後では随分と違ってきている。
 まぁ、してしまった事は致し方ない。
 これ以上は何を言っても後の祭り。
 腹水は盆に返らないのが世の常だ。
 とりあえず、千代という付き人は安心して良さそうだと分かっただけで荀彧は良しとする事にした。
 荀攸が付き人に入れ込んでいるという疑惑が晴れた今、荀彧が気にすることはもう一つある。
 「時に千代殿、郭嘉殿に認知を迫った女の話ですが、それはどのような結末になるのですか?」
 年中、酒と女戯れている郭嘉である。
 隠し子の一人や二人、十人や二十人居ても不思議ではない。
 「人形劇の続きを見ますか?」
 「いえ、時間が無いので話の筋だけ教えて下さい。」
 「結論から言うと、郭嘉様の種では無かったんですよ。
 認知を迫った女は、確かにこの件があった少し前に郭嘉様がお戯れされていましたけど・・・本当は、女衒との間に出来た子だったんです。
 流石に女衒が娼婦に手を出していた挙句、子が出来たなんてまずいでしょう?」
 「そうなのですか?」
 「そうなんです。」
 生憎と、色事には疎い荀彧は色街になどよほどの事がない限り出入りする事がない。
 色街に足を踏み入れたとしても、まず女を買うような真似はしない。
 今まで色街についてあえて知ろうともしなかった。
 だから千代の言っている事の意味は少しはかりかねる。
 「女衒というのは女を見世に売ってナンボの商売なんです。
 だから女衒が女に手を出すのは、表向きは御法度です。
 女衒にとって女はあくまで商品ですからね。
 ですが、基本的な女衒の手口はまず女に自分に入れ込ませる事からはじまるので、深い仲になってしまう事も珍しくはありません。
 女は思い人が困っていると信じているから、見世に身を売っているわけですし。
 体は別の男の物でも、心だけは女衒に捧げているという女が一定数は存在するんです。」
 「なんと非道な。」
 「で、件の女はそういう類の女でして。
 見世に孕んだ事がバレてはまずい。
 でも隠すにも限界がある。
 よほどの売れっ子でも無い限り、子は流されますからね。
 それが原因で命を落とす女も結構居ますよ。
 で、そこで登場するのが郭嘉様です。
 郭嘉様に認知さえさせれば、身請けを迫る事ができますし、上手く身請けされれば自由になった上に子も産める。
 郭嘉様は金離れの良いお客でしたから、金銭的な安定も望めるでしょう?
 仮に身請けをせずとも、認知さえしてもらえば、子を産んだ後に郭嘉様に引き取らせる事が出来ます。
 郭嘉様に認知をさせさえすれば、愛する男との子を生かす事が出来ると、その女は考えたわけですね。」
 色街の事情について詳しい年若い娘というのも如何なものか、と思えども、はじめて知る事についつい荀彧は熱心に聞き入ってしまう。
 「勿論、郭嘉様は否定するんですけど・・・・まぁ、身に覚えが無いわけではないので、どうするかと悩んでいました。
 そこで、姉上が登場するわけです!」
 ぐっと拳を握って千代が琥珀色の瞳を輝かす。
 「姉上は冷静に件の女に『本当にこの顔だけ男の子なのか?』と尋ねます。
 女は当然首を縦に振るわけですが、姉上が目を合わせて何度か同じ事を聞いているうちに、目が泳ぎ始めて、しまいには事実を白状して郭嘉様の潔白が証明されたというわけです。」
 「つまり、貴方の姉上は最初から郭嘉殿の子ではないと分かっていたんですか?」
 「みたいですね。
 女衒との関係を知っていたかは分かりませんが、とりあえず郭嘉殿が遊び相手を孕ませるような下手を打つとは思えない、と姉上は言っていました。
 格好良かったんですよ、姉上。
 もしも郭嘉殿の子だったら、郭嘉殿から母子共に暮らしていけるだけの金を巻き上げるつもりだったんですから。
 女には、あんな父親は居ない方が良いと思えって。」
 きらきらと英雄譚を聞いた子供のような表情を浮かべる千代。
 「それでその方はどうなったのです?」
 話を聞けば、あまりにも女が哀れになって、荀彧は眉を顰める。
 我が子の生を望むのが親として当然の感情だろう。
 「とりあえず、姉上が女衒を締め上げて女が仕事が出来ない間の損害の補填金を支払わせて、無事に出産しましたよ。
 産まれた子はどこぞの子の無い夫婦に引き取られたと聞いています。」
 話の結末に、荀彧はほっと胸を撫で下ろした。
 大団円ではないにしろ、落ち着ける先としては救いがある。
 「まったく、郭嘉殿も人騒がせな。」
 やはり今後はもう少し色事を控えてもらうように注意しなければならないと、荀彧は新たに決意する。
 「でも、郭嘉様が痴情の縺れの修羅場になるなんて、結構に珍しい話なんですよ。
 基本的に、遊びだと理解できている人しか相手にしてませんから。
 稀に、遊びが本気になって修羅場という事もありはしますけど。」
 荀攸が理解が出来ないとでも言いたげに軽く頭を横に振った。
 郭嘉のような類の男の性分を荀彧や荀攸のような人間が理解する事は相当に困難な事である。
 全体を見通し事を謀るのが軍師という生き物だ。
 郭嘉のような生き方は、荀彧にも荀攸にも出来ない。
 「郭嘉殿の件は別として。
 まずは安心しました。
 千代殿、公達殿をよろしくお願いします。」
 これ以上、当人も居ないのに郭嘉の事で煩わされるのも嫌なので、荀彧は話を切り替えた。
 本来の目的は千代の品定めである。
 荀彧の目から見て、かなり変わったところのある娘ではあるが、千代は悪い娘ではないと判ずる事が出来た。
 それは荀攸も思っている事なのだろう。
 他人に対して無関心を決め込む性質の荀攸が、千代には無関心では無いのが良い証拠だ。
 「勿論です!」
 ぐっと拳を握って意気込む千代に、荀彧は軽く声を立てて笑った。
 「文若殿まるで俺が何もできない男のように言うのはやめていただきたい。」
 「何もできないなど言っていませんよ、私は。
 ただ、前よりずっと今の方が良いのは紛れもない事実ではありませんか?」
 不満げに口を挟んだ荀攸に荀彧は涼しい顔をして指摘する。
 今までは何処か雑多としていた執務室と、掃除が行き届いている執務室では執務の作業効率が格段に違うだろう。
 荀彧の指摘を否定できない荀攸は何処かふてくされたように視線を外した。
 それを見た千代がくすくすと笑う。
 実に穏やかな空気が流れる中、荀彧も軽く声を立てて笑いながらも、これから先の事を考えて、少しだけ憂鬱になった。
 今は言えないが、荀攸もそのうちに知る事になる出来事は、こんな穏やかで平和な一時を吹き飛ばすには十分な衝撃を持っていた。
 
 
 
 
 
7/12ページ
スキ