冷静と情熱の効果
夢小説設定
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朝の清々しい空気で満たされた執務室は荀攸が想像したよりもずっと素晴らしいものだった。
掃き清められた床。
埃が拭きとられた棚。
墨で満ちた硯の横には綺麗な筆が並んでいる。
流石は郭嘉殿の推薦した人物、とこれだけならば素直に荀攸も感心する事ができただろう。
しかし、今の荀攸は素直に感心できない。
素直に感心できない理由は分かっている。
執務室の扉をあけて一歩室内に足を踏み入れれば、ソレは嫌でも目に入った。
清潔に掃除が行き届いた床に倒れる女が一人。
床にうつ伏せに倒れている女の頭には何故か矢が刺さっている。
勿論、作り物の矢である事は一見して明らかだが・・・・。
執務室でうつ伏せで頭に矢を刺した女が倒れているという現実は、明晰な頭脳を持つ戦術家を困惑させた。
うつ伏せに倒れている女の身なりは簡素極まりない。
機動性を重視しているらしく、ぱっと見は田舎から徴兵されたての兵隊めいている。
ついさっきまでそこで野良仕事をしていました、と説明されても納得ができる簡素な着物は城勤めには相応しくない。
華美に着飾る事を好まない荀攸ではあるが、もう少しこの女は着飾るべきだと思うほど。
あの郭嘉が好ましく思っている女相手に、粗末で簡素な身形をさせるのは荀攸には想像がつかない。
何せちょっと言葉を交わした相手にすら、趣味の良い装飾品をくれてやるような男である。
自分の気に入りの女ともなれば、それは盛大に自分の好みの装飾品を気前良くくれてやるだろう。
うつ伏せで倒れているせいで、容姿については判別できない。
近づいて抱き起こせば容姿の確認もできるのだろうが・・・・今のところ、荀攸はこの謎の女に近づきたくもないし、声をかけたいとも思わない。
とりあえず観察をして安全性を確保するのが先だ。
簡素な着物からのぞく腕は細く白いが、不健康といった類では無く。
ばらりと解けて床に散っている髪の艶も悪くないので、おそらくは健康状態に問題は無いのだろうと荀攸は判断を下す。
健康で仕事ができる、この上なく今の荀攸に必要な要素を満たしている。
荀攸は目頭を軽く揉んでうつ伏せで倒れている女について思考した。
郭嘉から話を聞いて納得してこの場に来た女は、何故に死体のフリをしているのか、そこが分からない。どれだけ考えても分からない。
おそらくこの謎を解明する鍵になるのは、うつ伏せで倒れている女の手元にある謎の文言なのだろう。
血文字を使っている体で床に指で書かれている文言は「第一印象から決めていました」。
何の事か荀攸にはさっぱり分からない。
分からないからこそ、余計にうつ伏せで倒れている女に近づきたくもなければ声もかけたくないのだが・・・現実とは残酷なもので、荀攸には大量の仕事が待っている。
一刻も早く、この謎を解決して仕事にとりかかる事が、今の荀攸がすべき事柄だった。
「・・・・失礼ですが、貴方は何をしているのですか?」
視線を軽く左右に泳がせた後、荀攸は努めて無機質な調子でうつ伏せに倒れている女に声をかけた。
声をかけて注意深くうつ伏せに倒れている女の様子を窺う。
僅かに指先が動く。
どうやら聞こえているらしいと判断すると、荀攸は早急に問題を片づける気になった。
「貴方が郭嘉殿がおっしゃっていた方ですか?
室内の清掃および執務の準備については問題ありません。
体調がすぐれないという理由でしたら人を呼びますがどうされますか?
俺は今から執務に入りますので、邪魔にならないようにしていて下されば結構です。」
一息に言いたい事を淡々と言い切った荀攸は無造作にうつ伏せに倒れている女の横を通り過ぎようと足を踏み出す。
一見して命に別条はないのであれば、何故この女がこんなわけの分からない行動をとったのかは荀攸が考えるべき事ではない。
きっと理由を聞いても分からないような気がする。
なので清々しく荀攸は女を切り捨てる事にした。
あの郭嘉をして「少し個性的な感性の持ち主」と言わせているのだから、荀攸には理解できない事の一つや二つしでかしても不思議はない。
「床の落書きはきちんと消しておいてください。」
ぞんざいにうつ伏せで倒れている女の背に声を浴びせて、荀攸はさっさと仕事に手をつけようと女の脇を通り過ぎようと足を延ばす。
それを阻止したのは、これまで無言で動きを見せなかった女であった。
近くを掠めた荀攸の着物の裾を引っ張ったのである。
倒れるほどの強い力ではなかったが、荀攸の足を止めるには十分な力。
思わず荀攸はじろりと女を見下ろす形で視線を向ける。
「もう少し、反応くれても良くないですか?」
面を上げないまま、くぐもった声が荀攸の鼓膜を震わせた。
女の声は荀攸の想像よりもずっと若かった。
どう切り返せばいいのか分からないので、荀攸はとりあえず無言を貫く。
そういえば、この年若いらしい女の情報を荀攸は持っていない。
郭嘉の知人の妹であるという事だけしか知らないのだ。
対する年若いらしい女は、荀攸について郭嘉から何事か聞かされているのだろう。
なるほど、情報不足とは致命的だ。
何処か他人事のように荀攸はこの妙な状況について冷静に考える。
己の着物の裾を握るこの年若いらしい女の事を知らないに等しいから、荀攸はこうも困惑するのである。
軍師として、戦術家として、対応策が思いつかないというのは、実に面白くない状況だった。
「どのような反応なら貴方は納得するんですか?」
知らないならば知れば良い。
執務机の書簡を片づけたい気持ちを抑えて、荀攸は目の前の敵を先に片づける事にした。
投げやりで無感情めいた問いかけに対して、ようやくうつ伏せになっていた女が身を起こす。
白い手から離された着物の裾が皺になっていなければ良いが、と荀攸は考えつつ、しかし年若いらしい女の情報を集めるためにその面が上げられるのを慎重に待つ。
顔にかかる長い黒髪を女は無造作にかきあげた。
「どうせなら、驚いて駆け寄って抱き起こしてくれたら良かったんですよ。
大丈夫か?君、誰にやられた?とか言いながら。」
「一見して偽装しているのが分かっていて近寄る男なんて居ませんよ。」
やれやれと言いたげな年若いらしい女の言葉に淡々と返しつつ荀攸はその顔を確認する。
白磁のように滑らかな肌。
華奢な顎。
顔の造作は悪くない。
いや、個人の好みを差し引いても上等な部類に入るだろう。
ぱっちりとした瞳は落ち着いた琥珀色で、何処か猫を彷彿とさせた。
色素の薄い肌の色から察するに西涼よりはるか向こうで暮らす民族の血が入っているのかもしれない。
小ぶりだが鼻筋もすっと通っている。
華奢ではあるが頬は健康的にふっくらしており、薄い唇と同様に血色が良い。
未だあどけない雰囲気が抜けないあたり、女というよりは少女である。
白粉を叩くわけでも紅を塗っているわけでもないが、その容姿は十分に荀攸の目を引いた。
粗末で簡素な着物では無く、それなりに身形を整え髪を綺麗に結い上げて黙って座っていれば、女にさほど興味を持たない荀攸だってきっと一瞥くらいは向けるであろう。
あと数年すればもっと男の目を引くという予測は簡単に弾き出せる。
「そもそも、室内で頭に矢を受けて負傷などありえません。」
「じゃぁ、次はもっとそれらしい偽装をします。」
「今後二度とそのような真似は慎むように。」
「駄目ですか?」
「駄目に決まっています。」
「えーっ。」
少女が不満そうに眉を寄せて唇と尖らせる。
死体のフリをするなと言っただけで、何故ここまで不満を表そうとするのか荀攸には理解できない。
そもそもが、見ず知らずの他人に対して死体のフリをしようという発想が湧く事すら、荀攸には理解しがたい現象である。
少女が髪にさしている矢を無造作に引き抜く。
ちゃんと頭を貫通しているように作っているあたり、手が込んでいる。
「今後、死体のフリをするのは禁止です。」
「病気のフリは良いですか?目の前でいきなり吐血してみせたり。」
「それを許可してもらえると思った理由を聞きたいですね・・・いえ、理由は述べなくて結構です。
理由を述べる代わりに、貴方の名前を教えてもらえませんか?」
死体のフリは駄目で病気のフリなら良いと思った女の思考回路に若干興味は湧いたが、世の中知らない方が良い事もあるだろう、と荀攸は口を開いた少女を手で制止して本題に入る。
ぺたりと床に尻を下している少女が両手に矢を持ったまま首を傾げた。
「え?郭嘉様から聞いてないんですか?
ちゃんと話は通してるって言ってたのに。」
「貴方が郭嘉殿の知人の妹御だという事しか知らされていませんよ。」
「しょうがないなぁ、郭嘉様。
あの人、なんであんなに色々と適当なんでしょうかね?」
ほっそりとした顎に指をやりつつ少女が遠慮無い物言いをする。
内心でぎょっとするのは荀攸だ。
郭嘉は荀彧と肩を並べる曹操軍の軍師双璧とも呼べる存在を捕まえて随分とぞんざいな物言いは、下手をすれば首が飛びかねない。
身分の差だけではなく、女が男に対して遠慮もへったくれもない物言いをするだけで悪女などと言われる御時世である。
「少し個性的な感性の持ち主」の枠では収まらない。
郭嘉の耳に入り、郭嘉が不敬だと腹を立てればたちまちにこの少女の首は胴体から離れてしまう事だって十分に起こりえるのだ。
「郭嘉様って何であんなに女受けするんでしょうかね?
そりゃぁ、綺麗なお顔してますけど・・・顔が良ければ他が駄目でも良いってわけでもないと思いません?」
「・・・男の俺に聞かれても答えかねます。
それで?貴方の名前は?」
ただ名前一つ聞き出すのに随分な手間をかけている事に荀攸は内心で機嫌を降下させた。
計画を狂わされる事を歓迎しないのは、軍師としての性分というよりも、生来の荀攸の性分である。
荀攸に問われて、少女は立ち上がった。
立ち上がってみれば、随分と小柄な体格だ。
同じ年頃の女達に交じっても小さな部類に入るだろう。
文官としては平均的だが、武将と並べば小柄な部類に入る荀攸と並んでも未だ小さい。
くっと少女の顎が上へ向く。
「私、千代っていいます。」
明るい声が執務室に響いた。
艶っぽさのないあどけない声。
にこっと笑うと綺麗な白い歯が見える。
「そうですか。」
なるほど、この娘の名は千代というのかと、納得した荀攸はあっさりと千代から視線を外す。
「俺は荀公達といいます。御存じでしょうが。
これからよろしくお願いします。」
知りたい事はなにかとあったが、何せ今朝は色々とあった。
せっかく、千代が執務前の雑用を綺麗に片づけてくれていても、千代が死体のフリなどするから、結局のところ時間をとられてしまっている。
まずは目の前の書簡を片づける事が最優先。
頭の中で物事の優先順位をつけた荀攸は、さっさと執務机に向かう。
今日はまだ始まったばかりなのだ。
荀攸が仕事をする姿勢を見せれば、意外にも千代は特に何を言うでもなく床の謎の文言を消し始めた。
第一印象から決めていました。
この文言の謎を解明するのは未だ先の話になりそうだと、荀攸はうんざりした気分を隠して、積み上げられている書簡に手を伸ばした。